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移住したら、父の介護どうするの?という話

先日の移住にまつわるnote、大きな反響をいただきました。

個人的なつながりがあるかたにはたいそう驚かれたり、紫波町をご存知の方には「いいね!」といってもらえたり。とにかく応援してくださる声が多くて本当に嬉しいかぎりでした。

美味しい酒を注がれ(笑)、地域おこし協力隊になってみないかと直々に誘われ、現実味を持って考えはじめてからは、誰かに伝えるよりも前に、すっかり心は一人で決めてしまっていた。

その後、まずは兄弟や親戚、友人やバンドメンバーなど、大事なひとたちに相談した。しっかり者の兄からは、ちゃんと考えて慎重に検討するように、住む前に1週間くらい現地に行っとけとアドバイス。弟や親戚、そしてその他の方々にも、私の心境や受け入れ状況なども話すとほぼ無条件に応援してくれた。とにかく周囲に理解があって本当に嬉しかった。

そしてじつは、一番最後に報告したのが、父だった。
現在有料老人ホームに入所している、68歳の父だ(アルツハイマー型認知症)。

なんで最後になったかというと…なんというか、言っても覚えていられないだろうし、混乱を招くだろうしな…という思ったから。たとえ反対されても最終的には行くだろう、まあ父なら応援してくれるだろう、という自分本位な気持ちがあったために、ほぼ事後報告になってしまった。父、ごめん。

父の介護にまつわる現状

父が有料老人ホームに入居してからはもう1年半以上経ち、施設スタッフの方との関係性は父も家族としても良好だと思う。兄弟は都内在住で、何かあったときには駆けつけてもらえるように協力を頼んでいる。

コロナ禍において、今父がいる施設において許容されている接点は、
・週に1回、2名までの面会(1回25分)
フェイスシールド・マスク着用/ロビーにて飛沫防止シート越しに会える
・週に1回、オンラインでのZoom通話(1回30分)
である。施設運営の厳しい中でどうにかやりくりしてくださっている。
しかしどうしても、家族としてできることは限られてくる。

父の生活や身辺の介護は施設にお任せしている中で、私たち家族ができることは主に、「父がどんな人であるかをこまめに教えてあげること」だと思っている。
(ここ↓に詳しく書いています)

「目の前で見えるもの・起きていること」に反応する父には、おやつを食べながらだらりと話したり、好きだった音楽や映画を一緒に見るとか、そんなことの繰り返しが重要で。本当は父に馴染みのある駅周辺の散歩とか喫茶店にいったりして、「ああこういうことが好きだったな、好きだな」と感じてもらいたい。だけどコロナ禍ではそれが叶わない。

実際、許容されている直接の面会を毎週欠かさずしているかというと、していない。ほぼリモート通話しか許されない状況下であるならば…。2ヶ月に1回くらい東京に帰ってきたときには対面できる。父の体調変化についてや日用品で必要なものがある場合などの諸連絡は引き続き電話でやりとり可能。買い出しの必要がある際も結局アマゾンや宅配サービスを使えばいいわけだし。正直どこにいたってそう変わらないように私には思えた。

正直な父の反応

先日、父の通院があったために久しぶりに対面で話すことができた。
待合室で時間があったので、内心少し緊張しながら切り出してみた。

「あのさ…私、岩手に引っ越すんだ」

と言うと、いつもぼやぼやした雰囲気の父の表情が少しビシッとなり、矢継ぎ早に反対された。

「えっ? なんで岩手?」

私以上に純度の高い東京出身の父にとっても、岩手はなじみがない。会社員時代は世界中、そして全国に出張していた父だったから行ったことがないことはないはずだが、都会好きの父にとっては、どうしても今私が岩手に行きたい理由が理解ができないようだった。

「男がいるのか?」という父らしい正しい反応が続き、「いないよ」と私が答えると、さらに混乱を招いた様子。父はなんだか不満そうに「だめだよ、遠いよ」と寂しさをあらわにしていた。

「岩手までって何時間かかるの?」
「新幹線で2時間半くらいだよ」
「遠すぎる」

堂々巡りするので、ちょっとした脅し文句として、「じゃあ、私がチェコに行くって言ったらどうするの?」と聞くと、「うーん…チェコ…ならしょうがないけど…」というのでちょっとずっこけた。父にとっては海外移住よりも国内の地方移住の方が、どうやらピンとこないらしい。


「2時間半なんてすぐだよ、ちょくちょく帰って来るし、テレビ電話でも話せるし」と諭そうとすると、「でもさ、電話もすぐに通じないでしょ」と父。

……笑笑笑。

娘を引き止めたい一心なのかもしれないがちょっと笑ってしまう。
今の父にとって、自分の知らない岩手県は、未開の地という印象のようだ…(岩手の方、ごめんなさい)。

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しかし、ごめん。やりたいことを断固反対する親では昔からなかったし、父の病気と関係なく、多分父が元気でも、私がそうしたいと思ったらするし、一応もう35なので現実性も踏まえて行動している。最終的に父は「まあしょうがないな」って諦めてくれるはずって思っている。

「なんとかなる」というビジョンが私自身は見えているけれど、想像していた以上に父が心細そうだったので、胸は痛んだ。
せいぜい数時間とはいえども、数分でたどり着ける今の距離よりははるかに離れるわけだし、本当の非常時にこの数時間が鬼のように長く感じる時もあるだろう。改めて、私は父を寂しがらせてはいけないなと思った。

ちなみに1週間後に面会をしたときは、「岩手」というキーワードを出してもピンときていなかったので、それ以上話を広げるのをやめた。

今後、私が岩手にいるってことを、父は覚えてくれるかな。
母はもう亡くなっているということがなかなか定着しない父は、「お母さんはもういないよ」と思い出させるたびに悲しそうな顔をする。

そう思うと、「私が岩手にいる」という正確な情報は常に必要なのだろうか?
不安を煽るだけなら伝える必要はないような気もする。綺麗な景色があったら見せたいとは思うけど。旅行で来てるよ〜とか言えば納得するだろうか。

父はオンライン通話で話すと「今どこにいるの?」と毎回聞いてくるので、今後、私はどこにいる設定にして話そうかな? とすこし考えている。

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