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時をかける父と、母と

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若年性認知症の父と、がんで逝った母について、30代の私が記録したエッセイ。幻冬舎×テレビ東京×noteのコミックエッセイ大賞にて準グランプリを受賞。
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#若年性認知症

認知症のなかで「確かなもの」ーNHKスペシャルを見た

Where are you? Where am I? Where is Mizuko? 「あなたはどこ?私はどこ?瑞子はどこだ?」 認知症医療の第一人者であり、「痴呆症」という呼称を現在の「認知症」に変えることを提唱した人でもある、長谷川和夫さん(90)が、自身が認知症になったあとの日記に出てくる言葉だ。瑞子は長谷川さんの奥さんである。 「生きている上での確かさが少なくなってきたように思う」ーと、長谷川さんは繰り返す。曜日が曖昧になり、予定が把握できなくなり、行き慣れ

『時をかける父と、母と』 vol.1

父は66歳で、若年性のアルツハイマー型認知症であるという診断を受けた。一方で母は61歳で、がんステージⅣと診断された。そんな33歳の娘がイラストも含めて記録したエッセイです。 『時をかける父と、母と』vol.1 はじめに我が家には、時をかける少女、ならぬ、『時をかける父』がいる。 主な生息場所はリビングのソファかダイニングテーブル。大概テレビを見ているか寝ているか食べている。 父は66歳。若年性のアルツハイマー型認知症であるという診断を受けた。 今日は何日? いまは昼な

私が笑えるために書いた -『時をかける父と、母と』Vol.2

『時をかける父と、母と』ー 若年性認知症の父親と、がんになった母が逝くまでのエッセイを連載しています。 vol.2 私が笑えるために書いたさて、ここ数年の私は、人生の中で、父に一番冷たい態度をとるようになってしまっている。 認知症の家族が大抵そうなっていくように、日々同じ質問をされたり、様々なことがわからなくなっていく父に対して、毎日穏やかな言葉を選んで優しく説明してあげることなど、到底できない。 いままで私には大きな反抗期がなく、洗濯物を一緒に洗わないでほしい時期もなか

かつての父はアメリカ人 -『時をかける父と、母と』 vol.3

『時をかける父と、母と』ー 若年性認知症の父親と、がんになった母が逝くまでのエッセイを連載しています。 Vol.3 かつての父はアメリカ人父は本来、アメリカ人みたいな人だった。 わりと豪快な性格で、家族(特に娘)に甘く、外資系企業で勤めていてよく働き、ぺらぺらと英語をしゃべり、比較的誰とでも仲良くなるが合わない人とは合わないと決別する、フランクな性格。 基本的にはレディファーストで、人の後ろを歩くのが好き、というか後ろを歩かれるのが好きではない。ちなみに父はゴルゴ13では

認知症ではありません? -『時をかける父と、母と』 vol.5

『時をかける父と、母と』ー 若年性認知症の父親と、がんになった母が逝くまでのエッセイを連載しています。 vol.5 認知症ではありません? 長年の付き合いがある父の主治医は、このころの父の症状を『てんかんからくる記憶障害』としていた。 とはいえ、足元がやや不自由なことや、あまりにも短期的な記憶が抜け落ちること、これは認知症なのではないか? というのは家族がずっと抱いていた疑いだった。父自身は、自分の記憶の弱さや体の不自由さを頑なに認めず、なんでも一人でできるというような態

60歳でアメリカ一人暮らし -『時をかける父と、母と』 vol.4

『時をかける父と、母と』ー 若年性認知症の父親と、がんになった母が逝くまでのエッセイを連載しています。 vol.4 60歳でアメリカ一人暮らしそして60歳になった父に、なんとアメリカはフロリダ州で、会社の支所長をやらないかという話が舞い込んできた。 テレビを買ったことを忘れてまた買ってきているような父だ。記憶が危うくなってきているし、そもそも基本的に家事は専業主婦の母任せだった父が一人で生活ができるわけがない! という家族の心配を押し切って、なんと父はアメリカへ、初めての単

やっぱり認知症でした -『時をかける父と、母と』 vol.6

『時をかける父と、母と』ー 若年性認知症の父親と、がんになった母が逝くまでのエッセイを連載しています。 vol.6 やっぱり認知症でした2016年の夏に再度転院。てんかんの治療薬も変更した。 この頃の父はまだ多少アクティブだった。歯が痛いと、自分で歯医者を見つけてきて通った。ただ、ある日は歯が痛い痛いといいながら歯医者に出かけたのに、忘れて喫茶店でお茶を飲んで帰ってきたという。これは不思議でしょうがない……。歯痛さん、あなたはどこへ行ったのですか……。それはそれでいいか…

ここはどこ、私はだれ? -『時をかける父と、母と』 vol.7

『時をかける父と、母と』ー 若年性認知症の父親と、がんになった母が逝くまでのエッセイを連載しています。 vol.7 ここはどこ、私はだれ? よく漫画に出てくるセリフ、「ここはどこ、私はだれ?」 父にとっては毎日がそういう状態になりつつあった。 認知症と診断された年の夏、両親と娘の3人で東北へ家族旅行に出かけた。温泉などでさすがに男湯に同行することは出来ないので、慣れない場所で離れて行動するのには不安があったが、とりあえず迷子にはならなかった。とはいえ父は、『自分が旅行中で

「旦那を介護している」と思えない母 -『時をかける父と、母と』 vol.8

『時をかける父と、母と』ー 若年性認知症の父親と、がんになった母が逝くまでのエッセイを連載しています。 vol.8 『旦那を介護している』と思えない母母から頻繁にくる愚痴だらけのLINEから、母にかかるストレスが尋常でないことは伝わってきていた。 認知症と診断を受けたものの、2ヶ月に1度通院して薬をもらうだけの状況が、父への十分な治療だとは思えなかった。母が大変なこともわかっていたし、福祉的サポートが必要な時期だと感じてはいた。母ももちろん承知であったはずだけれど、母の想

母の入院とがんの発覚 -『時をかける父と、母と』 Vol.9

『時をかける父と、母と』ー 若年性認知症の父親と、がんになった母が逝くまでのエッセイを連載しています。 Vol.9 母の入院とがんの発覚ある日、母からLINEがきた。どうやら具合が悪いという。 日常的に連絡はよくとっていたが、母から体調不良を訴えられることはあまりなかった。 文面からなんとなく嫌な予感があり、ちょうど出先から帰る途中だったので実家に寄って帰ることにした。 ふだんはこまめに返信が来るのに反応が遅い。LINEの既読もつかない。心配になり家につくと、顔色も悪く苦

思いを形にできなくなった父 -『時をかける父と、母と』 Vol.10

『時をかける父と、母と』ー 若年性認知症の父親と、がんになった母が逝くまでのエッセイを連載しています。 Vol.10 思いを形にできなくなった父母の検査入院中、検査後の痛みがひどく体調が安定しなかったので、私も急遽予定を変更して昼過ぎから病院へ行くことにした。 朝から珍しくきちんと着替えていた父が、私が出かける前に「俺、今日お母さんの病院に行こうと思うんだけど」という。 最近外は炎天下だし、病院も把握していない父が、一人で行くのは不可能だ。なおかつ検査後の調子が安定しない

介護認定ってなんだ -『時をかける父と、母と』 Vol.11

『時をかける父と、母と』ー 若年性認知症の父親と、がんになった母が逝くまでのエッセイを連載しています。 Vol.11 介護認定ってなんだこのころの私は、焦ってもいたし、あっという間に迫り来そうな限界を、先んじて感じていた。 父に福祉的なサポートが必要なことはもう明らかだったし、もともと父の主治医からは「介護認定を受けたほうがいい」ともすすめられていた。結局母の病気のことが大きく背中を押す結果となったが、いよいよこのときがきた。 「みながすなる介護認定といふものを、我が家

デイサービスを利用しはじめた -『時をかける父と、母と』 Vol.12

『時をかける父と、母と』ー 若年性認知症の父親と、がんになった母が逝くまでのエッセイを連載しています。 Vol.12 デイサービスを利用しはじめたということで施設Bと契約をかわし、はじめは恐る恐るの週1回利用。朝の10時頃に車で迎えが来て、16時くらいまで時間を過ごしてから、家まで送迎してくれる。連絡帳のようなものを渡してくれ、職員さんがその日の状況を報告してくれる。きっと子供の『慣らし保育』に似ていて、はじめは早い段階で「なんでこんなところにいるんだ。早く帰りたい」という

父の『進化』がめまぐるしい -『時をかける父と、母と』 Vol.13

『時をかける父と、母と』ー 若年性認知症の父親と、がんになった母が逝くまでのエッセイを連載しています。 Vol.13 父の『進化』がめまぐるしい自分の書いてきた記録をたまに遡ると、父の『進化』があまりにめまぐるしいことに気がつく。 1年前、2年前、3年前、ひいては5年前、10年前は、いまと色々なことが違いすぎて驚く。いまテレビの前で動かない父の姿ばかり見ていると、過去の父のことを忘れてしまいそうになる。 病気になりたくてなったわけじゃないこと。父も、家族みんなも、こん