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責任を取る行為があっての自由

おはようございます。ひろりんです。

風が強くて、一気に桜が散っていく光景を目にした朝。


街ゆく人の顔が日に日にどんよりしていく。

私もその一人。

「テレワークから解放されたいから、なにかと理由つけて今日は出社するんですよ」とか、アホな会話を電車の中でする3人ぐらいの集団を見かけて、あきれてしまった。


昨日の有識者会議も、だいぶキツい発言をしていた。
前回の有識者会議で、気が緩んでしまった要因を作ってしまったのを感じ取ったのかな。

こういう状況になっても、先週末、不要不急な外出は…など知らなかった人もそれなりにいる。

テレビ、新聞、ラジオ、ネットニュースを遮断している人は、世の中に実際に存在していて、周りに振り回されるようなことはされたくない人ほど外部の情報を遮断する。

中には、自分に降りかからなければ、他人事のように思っている人もいるんだろう。


仮に、ノックダウンするとなっても、「そんなことになってるのか!」という反応をするだろう。


海外でも、戦争という表現を使うほどの状況の中、この国は、自由がおかされることに敏感になっている。


ただ、自由を得るということは、何してもいいという訳ではなく、それらの行為に責任を持つということだということを忘れて欲しくないなぁと思います。


いつもスキありがとうございます。

いい一日になりますように☆

ありがとうございます(/・ω・)/ コツコツ頑張ります。