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映画『あの子は貴族』身近にいた貴族との思い出

あらすじ

東京に⽣まれ、箱⼊り娘として何不⾃由なく成⻑し、「結婚=幸せ」と信じて疑わない華⼦。20代後半になり、結婚を考えていた恋⼈に振られ、初めて⼈⽣の岐路に⽴たされる。あらゆる⼿⽴てを使い、お相⼿探しに奔⾛した結果、ハンサムで良家の⽣まれである弁護⼠・幸⼀郎と出会う。幸⼀郎との結婚が決まり、順⾵満帆に思えたのだが…。⼀⽅、東京で働く美紀は富⼭⽣まれ。猛勉強の末に名⾨⼤学に⼊学し上京したが、学費が続かず、夜の世界で働くも中退。仕事にやりがいを感じているわけでもなく、都会にしがみつく意味を⾒いだせずにいた。幸⼀郎との⼤学の同期⽣であったことから、同じ東京で暮らしながら、別世界に⽣きる華⼦と出会うことになる。
⼆⼈の⼈⽣が交錯した時、それぞれに思いもよらない世界が拓けていく―。

監督:岨手由貴子
原作:山内マリコ
キャスト:門脇麦、水原希子、高良健吾


差別意識のない格差社会を映像で味わう。

思い返せば僕の地元の同級生にも上流家庭の子がいた。

その子の実家は林業と呉服屋を営む地元の名士で、蔵が幾つもある広い屋敷に住んでいた。

黒い塀に囲まれた古くて重厚な木造家屋。

モダンな洋間と落ち着いた座敷があるリビング。

その縁側に鯉が泳ぐ池があって、花壇と芝生のスペースを持つ中庭に続いている。

蔵の1つを改装した車庫には国産の高級車が数台止まっていて、家族の他に使用人たちを抱える大所帯だった。

すぐ近所には親族の屋敷もあり、皆同様にハイソな暮らしぶりだった。

僕とその子は同じ町内で、小学校へ通う登校班が一緒だったから、集合場所から毎日その子の屋敷に寄って合流するのが日課になっていた。

朝、その子の屋敷に着くと、その子の母親がいつもコーヒーやミルクティーを淹れて僕たちを迎えてくれる。

たまに珍しいお茶菓子を出してくれる時もあったから、僕たちはその子の家で過ごす朝の時間が好きだった。

その子の母親は都会の出身だったらしく、顔立ちがとても綺麗で、着ている洋服も上品だった。

同級生のその子も母親譲りの美男子で、辺鄙な田舎町の風景からかなり浮いている印象があった。

地元から滅多に出ない僕たちと違い、その子は夏休みになると国内の避暑地や海外旅行に行ったりしていた。

将来の進路についても僕たち一般家庭の子は小学校を卒業したらそのまま自動的に地元の中学校に入学するけど、その子は試験を受けて東京にある中高一貫の有名私立の学校に入学する事になっていた。

そのために小学校の頃から家庭教師がついて受験勉強に励んでいた。

当時小学生だった僕たちにとって、自分の家より遥かに広い敷地とたくさんのオモチャがあるその子の家は魅力的な遊び場だったから、暇さえあればみんなでその子の屋敷に行く。

身分は違っても僕たちの間に垣根はなく、屋敷の人たちは同級生の友だちとして、いつも快く受け入れてくれた。

ただそれでもやっぱり住む世界が違う格差を強く意識する瞬間は多々あり、屋敷の人間しか立ち入ってはならない事情に出くわした時などはひどく困惑した。

その子の祖父が亡くなった時、僕はたまたま上流家庭の遺産相続の場に立ち会ってしまい、そこで普段見る事がない屋敷の人間ドラマを見てしまった。

僕とその子が二階の部屋でテレビゲームをしていると、使用人のおばさんがその子を呼びに来て一緒に部屋を出て行った。

僕はそのまま一人でゲームを続け、その子が戻って来るのを待っていたけど、待てど暮らせど戻って来なかった。

外がだんだん暗くなって来たのでそろそろ家に帰ろうと思い、そっと一階へ降りてみると、リビングに使用人の人たちがみんな集まっていて、奥の座敷の方には家族と親族が勢揃いしていた。

座敷の中央に祖父らしき人が寝ていて、かかりつけの医者と家族たちが代わる代わる何か声をかけたりしていた。

空気がしんみりしていて重々しく、特に父親と、その兄弟にあたる叔父さんたちが証文のような物を持ってぶつぶつと小声で話し合ったり、たまに険しい顔を突きつけながら口論している様子がとても怖かったのを憶えている。

「あら?まだいたの?今日はもう遊べないから早く帰りなさいね」

使用人のおばさんが僕に気付いてそう言った。

僕は場違いな感じで、半ば追い出されるように玄関先までそのおばさんに見送られ、そそくさと家に帰った。

その子の祖父はその日の夜に亡くなり、次の日盛大な葬式が執り行われた。

普段静かでのんびりした田舎の町が、その日ばかりはその子の屋敷を中心にしてなんだか妙に慌ただしく、たった一人の人の死をきっかけにして、町の勢力が微妙に変わってしまう事を子供ながらに知った。

僕たちの関係は小学校までで、その子が東京の中学校に入ってからは一度も会っていない。

その子はそれから東大に入って弁護士になり、実家の家業は弟が継いだ。

その子の兄は歯科医になって医院を開業したらしく、流石上流家庭に生まれた人たちは違うな、と、感心する一方だ。

世界が違いすぎて、いくら同級生でも「久しぶり♪」なんて軽いノリで会えるような人たちではなくなった。

向こうは昔のままかもしれないけど、会えばお互いその身分の差を嫌でも意識するだろう。

僕が当時何の気兼ねもせずにその子の屋敷に遊びに行ったりしている間、僕の両親たちはいつも身分の違いを気にして恐縮していたかもしれない。

映画の中でも身分の違う者たちが交流し、その価値観のズレや思考のズレを確認し合ってお互いに萎縮したり、微妙に気詰まりのする時間を過ごしたりしていた。

でも住む世界が違う人たちと交流を持てた事自体は自分の中でとても貴重な体験だったと思う。

だから別に格差はあってもいい。

幸福になれるかどうはまた別の問題だから。



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