私とクラブの出会いとそれから

それは高校時代にまで遡るが、当時は今のようにインターネットやソシャゲなどの娯楽が少なく、同級生にDJが多かったこともあり、なんとなく流れで通い始める。
そしてなんか知らんが、クラブ=女性は露出度の高い、しかし洒落てる格好がイケてる。法則がなんの疑いもなしに浸透していき、当時から私は友人とクラブ用の露出の高い衣装を求め、それを身にまといクラブではしゃぐようになった。

当時はこんな田舎のクラブにも、RHYMESTERやKICK THE CAN CREWやラップ我リヤ、さらにはデビュー数日前のm-floまで出演してくれていた。
パフォーマンスが終わったあとの宇多丸さんの頭を、みんなでぺちぺち叩いていたのはいい思い出でもあるが、申し訳ない気持ちも若干ある。若干。

そんなクラブ遊びを20歳の頃まで楽しみ、その後は紆余曲折ありクラブからは完全に足が遠のいていた。

それから10数年後、元同僚から友人のDJがアニソンクラブイベント、いわゆるアニクラをやるから行こうと誘われる。
以前から興味はあったが、いかんせんその頃の私はネットの中にしか友人がほぼいないも同然だった。興味はあったものの、行く相手もおらず、知らない人達ばかりが集まる場所に出向く勇気もなかった。
元同僚からは「動物園みたいなかんじ」との前情報を伝えられる。
行ってみたらまさに動物園だった。
アニメはよく見ていたが、かかるのは知らないアニソンがほとんど。でも楽しい。
爆音で流れる聞き慣れた曲調と、感極まってブースの前で膝をつく人々はまるで宗教画のようだった。
そこには何かから解き放たれたオタクたちの姿があった。何よりDJたちが一番楽しそうにしていて、オタク=根暗などという図式は完全に崩壊していた。
このアニクラがのちのアニカルスピンである。
それから私はほぼ毎回足を運ぶ、レギュラーお客となっていった。

アニクラであろうと、クラブへは露出度の高い格好で出向くという私のスタイルは変わらず、その後別のクラブイベントへも足を運ぶ。
Twitterでは繋がっていたが、どうしても一度お目にかかりたいDJが出演していたのだ。
DJ過酸化水素水だ。
ちょうど、前途のアニクラで知り合った数人も出演していたので、初めてのイベントだったが足を運ぶハードルが私の中で低くなっていた。
もちろんその日も治安の悪い格好でノコノコと会場へ向かった。

後日、そのイベントの主催者からDMが届いた。
私はてっきり、治安の悪い格好で出向いたことで出禁にされるのかと思い、ヒヤヒヤしながらDMを開いた。
内容は私の不安とは裏腹に、次回のイベントでテキーラガールをしてほしいとのことだった。
そう、これが私とGTMXとの出会いである。

ひとりの客からスタッフのひとりへとなり、テキーラを配るだけでは飽き足らず、水鉄砲でテキーラを直接口に発射するなどの暴挙に走ったこともあった。

そうしてクラブイベント、特にアニクラの魅力にハマった時、全国各地を巡るアニクライベント、その名の通りが地元にやってきたのだ。
普段は東京などで活躍するアニソンDJたちが、地元のDJ陣と一緒になって昼から夜まで盛り上げてくれた。
延々と楽しい時間と空間。高まりを共有する一体感。
もう楽しい!以外に表現できる言葉が見当たらない。
踊り散らして、叫んで、床に突っ伏して…とにかく全力の楽しい!が満ちていた。
たぶん私の人生で五本の指に入るくらいの、楽しい1日だった。

そんな感じで、ざっくり私とクラブイベントの思い出を綴ってみたが、なぜ今更になってこれを書こうかと思ったかというと、これである。

SaveOurSpace

もうだいたいの人達はご存知だろうが、音楽を愛するすべての人達による、新型コロナウイルスによる感染拡大防止のための、文化施設閉鎖に対する助成金交付案。そのための署名活動だ。
私も昨日初めて知り署名した。

私の日常に色をつけてくれたクラブイベント。それは当然ながら会場となるクラブだったりライブハウスだったり、いろいろな施設がなくなってしまっては存在し得なくなる。
日常から色がひとつ、消えてしまうのだ。

この状況下で、改めて娯楽が人生においてどれだけ必要なものだったかを痛感している人たちは多いだろう。
仕方がないとどうにかそのやるせなさを抑えても、つまらないことに変わりはない。
文化、娯楽がない人生って、こんなにつまらない。なくなっていいわけがない。生きていく上で必要不可欠なのは、衣食住、娯楽。楽しい!は必要不可欠なのだ。

まあそんなことはもう多くの人が感じていることなので、長々と書く必要もないが、とにかくこの先楽しい!がなくなってしまうのは万死に値する勢いなので、どうかたくさんの署名が集まってほしいと願う。


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