中世の食と健康
こんにちは!助川です。
前回・前々回と古代食と健康についてお話いたしましたが
今回は中世(鎌倉~室町時代)の食と健康についてお話いたします。
ここから一気に現代食のベースとなる話が出てくるので面白いところです!
【僧侶が持ち帰ったお茶文化と1日3食の考え方】
鎌倉時代には、唐(中国)に留学をしていた僧たちが
医学の技術や人体解剖図をはじめ「お茶や1日3食の文化」を持って帰ってきたと言われています!
何百年前に今の文化がもう持ち込まれていたなんて驚きです。
お茶自体は奈良時代にすでに伝わっており、貴族や僧の限られた人が「熱さましや眠気覚まし」などの目的として飲まれていたようです。
鎌倉時代に入ると
中国から東洋医学の五行説「肝・心・脾・肺・腎」の五臓に対応する
「酸・苦・甘・辛・鹹(塩辛さ)」の五味の食物を適切に摂取することが大切だという考えが日本に伝達します。
そこで僧は当時の日本人は苦いものをあまり食べない為
苦いお茶を飲むことで「心」を補うと考えました。
これが日本でお茶が食事の際に飲むようになったルーツです!
お茶のルーツが東洋医学からだというのも個人的にはびっくりです。ずっと親しみがあって飲まれているものだと思っていました・・・。
当初は粗い抹茶でめちゃくちゃ苦かったようですが、次第に茶臼などが作られてよりおいしくお茶を堪能できるようになったようです。
【今でも重宝している調味料の鎌倉時代から!】
現代での日本人にとって重要な調味料である「味噌・醤油」が出来たのも鎌倉時代からと言われています!
味噌と醤油はそもそも「大豆を発行させて塩で味付けしてできた【醤】から生まれた」ものです。
そして武士の間で醤がおにぎりのおかずとして使われ、戦陣食として用いられようになり、これを「味噌」と呼ぶようになったそう。
醤油は「味噌を作る過程で容器の底にたまった液を「たまり」として使うようになり、「醤油」と呼ばれるようになったみたいですね!
たまり醤油のルーツがやっとわかった・・・。
ただ当時は生産数が少なくかなり高級品だったようで戦で戦いに挑む前など特別な時にしか庶民は食べられなかったようです。
見てお分かりかと思いますが
鎌倉時代には現代での基盤がほとんど出来上がってきていますね!
室町時代にはさらに”あれ”の基礎が出来上がるようですよ!
それはまた次回のお楽しみ。
助川
※参考文書 日本成人病予防協会 ほすぴ
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