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映画「めぐり逢い」1957年アメリカ



そういえば、しばらく恋愛映画を見ていないなあと反省。
前期高齢者にもなってくると、このジャンルは敬遠しがちになってくるようです。
そこで、肩の凝らないラブコメはないかと、DVDの在庫をあたったら、これが目に留まりました。
1957年の作品ですから、ほとんどクラシック。
やはりこれも、「見ておきたい作品リスト」には入っていたのですが、ずっと引き出しの中で眠っていた作品です。
見たい理由というのは、やはり主演女優ですね。

「映画とは、日常ではお目にかかれない美女を楽しむエンターテイメント」
このスタンスは、若い頃から変わりません。
女優が魅力的に撮れていれば、多少質の落ちる作品でもそれなりに楽しめてしまいます。
ですから、お気に入りの女優が出来れば、基本的にその女優の出演作品を追っかけるというのが、若い頃の僕の映画鑑賞スタイルでした。

本作品のヒロインは、デボラ・カー。
1921年生まれの彼女は、この作品出演時36歳というわけですから、まさに「大人の女」真っ盛り。
ちょっとカトリーヌ・ドヌーヴを思わせるようなキリッと鼻筋の通った正統派美人です。
この人に一番最初にやられてしまったのはなんといっても「地上よりも永遠に」の将校の不倫人妻役。
中学生の頃から「大人の女」大好きなマセガキでしたから、バート・ランカスターとのあの浜辺でのラブ・シーンはかなり刺激的でした。
本作の前年に撮られた「王様と私」の家庭教師役もこの人ならではの味を出していました。
この人は、後にクラシックホラー映画の「回転」でも、家庭教師を演じていますが、個人的には、彼女ほど教師役が似合う女優はいないと思っています。
本作においても、クラブの歌姫だった彼女は、映画後半では、音楽教師にトラバーユしています。

本作の主題歌 "An Affair to Remember"を、デボラ・カーが歌うシーンがありますが、この声の吹替えをしたのが「ハリウッドの歌声」とも呼ばれたマー二・ニクソン。
この人は、ミュージカル映画だった「王様と私」でも、彼女の吹替えをしています。
それだけではありません。
「ウエストサイド物語」では、ナタリー・ウッドの歌声を、「マイ・フェア・レディ」では、オードリー・ヘップバーン」の歌声も吹き替えているんですね。
しかし、映画の興行に響くとして、彼女の名前は契約上映画のクレジットに記載されることはありませんでした。
その歌声で数々の映画の大ヒットに貢献したマー二・ニクソンの名前は、ハリウッドの映画史に埋もれてしまう運命だったわけです。
そのマー二・ニクソンの名前を公表したのがデボラ・カーでした。
「私の歌の吹替えをしたのは、彼女よ」とインタビューで答え、タブーを破ってしまったわけです。
マー二は、これをきっかけにその「影の貢献」を認められ、ついに「サウンド・オブ・ミュージック」の修道女役で、実名でスクリーンに登場。
その美声を聞かせてくれています。
ちみみに、この映画の主演だったジュリー・アンドリュースは、舞台版「マイ・フェア・レディ」主演女優。
撮影現場では、彼女に最大限の敬意を払っていたようです。

修道女といえば、デボラ・カーは1947年の「黒水仙」のシスター役で注目されています。
修道女もかなり彼女のキャラクターに合った役だと思いますが、007のパロディ映画「カジノ・ロワイヤル」では、かなりブッ飛んだシスター役を怪演。
天下の美人女優が、ここまでやるんだなと感心したものです。

さて、彼女のお相手になるのは、ハリウッド屈指の二枚目俳優ケイリー・グランド。
イケメン俳優にはあまり興味がないので、解説はそこそこにしますが、とにかく洗練された所作で美人をエスコートする役をやらせて、これほど絵になる俳優はいないでしょう。
僕の年齢になってしまうと、それが役に立つ場面もありませんが、ソフィスティケイテッドを学習するには、もってこいのに俳優ですね。

監督はレオ・マッケリー。
この人は、マルクス兄弟や、ハロルド・ロイドのコメディを撮っていた人ですが、1939年に自らの脚本で「邂逅」という作品を撮っています。
本作はこの「邂逅」の、監督自身によるセルフ・リメイク作品となります。
この物語がよほど気に入っていたのでしょう。
セルフ・リメイクというと、市川崑監督の「ビルマの竪琴」「犬神家の人々」、ヒッチコックの「知りすぎた男」、稲垣浩監督の「無法松の一生」などが浮かびますが、基本的には、オリジナルの脚本はそのまま踏襲するという傾向にあるように思います。

さて物語です。

映画の冒頭、天下のプレイボーイ・ニッキー(ケイリー・グランド)が年貢を納めるというニュースが、世界を駆け回ります。
待て待て。
たかが「女たらし」というくらいで、映画俳優(職業は一応画家)でもないのに国際的有名人になれるやつなどいるものか。
たらしたくてもたらせない人生を送ってきたものとしては、そんなところに突っ込んでしまいたくなるのですが、まあいいでしょう。
ケイリー・グランドが演じるのなら、とりあえず説得力はあります。
この色男が、婚約者の待つニューヨークへと向かうために豪華客船に乗り込みます。
そして、もう一人この船に乗り込んでいたのが、同じくフィアンセがニューヨークで待っているクラブの歌姫テリー
(デボラ・カー)。
この二人が、船の中で出会い、お互いの状況はわかっていつつも、のっぴきならない仲になっていきます。

色男と美人歌手の恋愛というと、かなりエモーショナルなものになると思いきや、以外にも奥ゆかしい展開で、これは僕好み。
同じ船の中とはいえ、まあこれでもかと偶然バッタリと出会ってしまう二人。
おいおいと思ってしまいますが、これが後半の「すれ違い」とは対照的になっていて、演出としては納得です。
船旅の途中で寄ったニッキーの祖母の家で二人の距離は急接近。
この時すでに老人の域にあったケイリー・グランドが孫という設定にはいくらなんでも無理があるだろうと思いつつも、これはぐっと飲みことにいたします。
お互い婚約者はありつつも、惹かれ合う二人。

この二人の恋愛ならキス・シーンくらいはふんだんに出てきそうな展開ですが、そこは恋愛を知り尽くした大人の二人という設定。
当時のヘイズ・コードを意識して、恋の進展は、意外なくらい道徳的です。
船の乗客たちも、有名人のラブ・アフェアを直接見学できるチャンスに興味津々。
心は通じ合っていても、客たちの前でそうは振舞えない二人。
船のデッキの階段でキスを交わすシーンが出てはきますが、カメラが映すのは二人の下半身のみ。
二人の恋の行方はなんとももどかしいまま、船の到着港ニューヨークはだんだんと近づいてきます。
ニューヨークの港では、何も知らずに、二人の婚約者がニッキーとテリーを待っているわけです。

意を決して、ニッキーは船のデッキで、テリーに告げます。

「半年後の7月1日の5時。すべての整理をつけて、あのエンパイヤステートビルの最上階で君を待っている。」



とにかくこの映画が、抜群に面白いのは、この状況で到着したニューヨーク港のシークエンスですね。
ラブコメの真髄ここにありです。
まずは、船が港に着岸します。
乗客たちの端と端にまるで、他人の風情で立っている二人の前には、それぞれの婚約者が手を振っています。
その向こうには、報道のカメラマンたち。
自分が愛してしまった相手の婚約者を見るときの複雑な感情を巧みにデフォルメした二人の顔芸がまずは秀逸でしたね。
報道カメラマンの前で、「とりあえず」は再会の喜びを分かち合うニッキーとフィアンセの後ろで、思わずパックで顔を隠すテリー。


そして、下船後、今度は「とりあえず」抱き合っているテリーと婚約者の隣を通りながら、婚約者にはわからないように、唇に当てた指を、テリーの指に押し当てるニッキー。
これはなかなかシビれました。
もっと若い頃にこの作品を見ていたら、この所作は絶対にどこかて使ってやろうとストックされていたはず。



さて、果たして半年後に二人は再会できるか。

ここから、映画は一変して、二人が愛し合うが故のすれ違いが続くことになります。
約束の7月1日に、エンパイヤ・ステイト・ビルで待つニッキーの前に、テリーはついに姿を現しませんでした。
なぜか・・

思い出してしまったのは、やはり「カサブランカ」でした。
約束の駅に現れなかったイルザからの手紙を、雨の中、動き出した列車のデッキから投げ捨てる苦虫をつぶしたようなボギーの顔と、最終のエレベータに乗り込むケイリー・グラントの顔が見事に重なりました。

若き日の個人的な恋愛経験で申しますと、ここで終わることが多いのですが、もちろんこれは映画です。
ここで終わってしまっては観客は納得しません。

最後は真実が明らかになって二人は・・・

ミステリーとは違って、恋愛映画ですから、もったいぶってネタバレを気にしなくてもよいのかもしれませんが、本ブログにおきましては、まずはここまでといたします。

本作はラブコメとしては非常に魅力的な題材のようで、後に、このストーリーをヒントにして作られたメグ・ライアンとトム・ハンクス主演の1993年作品「めぐり逢えたら」と、ウォーレン・ビーティとアネッアネット・ベニング主演で3度目のリメイクとなった「めぐり逢い」が作られています。
もちろん主演の二人とも美人女優ですが、個人的にはデボラ・カーの一本だけ見ておけば十分かなと思う次第。

いやいや、映画も今やVODの時代です。
DVDは持っていなくても、もしかしたらどこかで「めぐり逢い」・・・

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