見出し画像

小僧に戻る冬

 仮面ライダー生誕50周年らしい。
池袋サンシャインシティで『仮面ライダー展』があると聞いて行ってきた。
昭和から平成を経て令和までの仮面ライダーたちを見に。
三つ子の魂百まで。
行かずにはいられなかった。

 仮面ライダーは自分の時間軸にほぼ沿っていた。
リアルタイムでみていたのはV3から。
当時3才。
再放送で刷り込まれた1号と2号の活躍とV3から始まった。
テレビの前でV3を真剣に見入ってたものだから、変身ポーズを真似するものだからと、両親がそこまで好きならばと親心を出して遊園地の仮面ライダーショーに連れて行ってくれた。
が…あまりのリアルさと怪人たちの怖さに圧倒されてギャン泣き。
真打のV3が登場しても泣き止まず。
家に帰ったら見ないかというとそうでもなく、元に戻ってしまい、両親が呆れてた。
『何のために行ったのだ…』と。
それでも後続のシリーズは欠かさず見ることになる。

昭和の仮面ライダーには、『基本設定』がある。
それは『改造手術を受ける』である。
ただし、ここでいくつかのタイプに分かれる。
・悪の組織に無理矢理改造手術を施される。
・瀕死の重傷を負い、改造手術で蘇生する。
・目的達成のために志願して改造手術を施される。
・平和のためにやむを得ず選ばれて改造手術を施される。
当時、真剣に思ってた。
『いつか誰かが俺を仮面ライダーにしてくれる日が来る』と。
あくまでも、仮面ライダー。
怪人ではない。
そして、ライダーたちには海洋開発、アマゾン探検、アメフト、宇宙開発などのブームや時代背景を基にして様々な要素が取り込まれる。
顕著なのはXライダー以降である。
武器を取ってみたり、パワーアップの2段階変身をしたり、空を飛んだり。
目的に応じて両腕を変えたり。

そして平成。
初期の頃は辛うじて残っていた改造手術を受ける基本設定は残る。
真・仮面ライダーや仮面ライダーZO、仮面ライダーJの頃よりバッタに近づけたいのかデザイン的には好みが分かれる。
それら以前の『仮面ライダーBLACK』と『仮面ライダーBLACK RX』が微妙な時期ではあるが、基本設定は改造手術を受けるのは共通。
そして、バイオテクノロジー的要素を取り込んだ時期。
1号がショッカーの手先であり続けていたら『飛蝗(バッタ)男』とでも呼ばれていたかの風貌と路線だ。

それから数年の空白を経た後、仮面ライダークウガを皮切りに、『平成仮面ライダーシリーズ』が始まる。
基本設定だった改造手術はなくなる。
『昭和と平成の大きな違い』として、必ず上がる例だ。
臓器移植などの医学の進歩に伴って、空想が前提だったのが現実化へとシフトして行くにつれて、現実世界ではピンと来なくなってきたらしい。
ポーズや掛け声、跳躍が変身へのルーティーンやスイッチ的役割をしていたのだが、今は違ってきている。
現代の仮面ライダーたちはベルトの持つ力によって変身することが大半である。
では、改造手術がなくなったからといって変身への夢がなくなったのかといえば答えは否である。
そして、科学技術への向上にも役立っていくのである。
日本の特撮やアニメなくして科学技術の向上はあり得ないとさえ考えている。
『あんなものいいなできたらいいな』ってドラえもんじゃないが、ヒントにはなっていることが多いのだ。
愕然とする必要などどこにもない。
まだまだ変身へのプロセスが解明どころか、近付きもしてない。
ベルトが持つ力を現実にまで高められてはないのだ。
『空想から現実へ』というプロセスは科学技術の進歩において極めて大事なのだ。

仮面ライダーといえば、変身の他にバイクを抜きにして語れない。
シリーズによっては乗ってないライダーもいる。
いるが、そこはさておいて…(苦笑)
サイクロン(1号&2号)、ハリケーン(V3)が展示。
そして平成のも何台か。
サイクロンにいたっては、リメイク版のも、シン仮面ライダーのまで展示されてたから、時代の変遷を目の当たりにすることになる。
『当時の特撮技術の限界』も同時に。
初期の初期、『藤岡弘、版』のはバイクのベースがホンダ製だったが、いつの間にかスズキへと変わってて、『昭和はスズキ』が基本だった。
燃料タンクの場所とかにさりげなく『SUZUKI』と表記されてた。
番組オープニングのスタッフクレジットにも表記されている。
スーパー1の時はハーレーダビッドソンベースのマシンを出しては来たが、ハードなアクション、悪路での取り回しがきつくて重くて不向きだったんだと思う。
2号車(ブルーバージョン)を出して来た。
平成になるとスポンサーの都合だとは思うが、ベース車はホンダになる。
(クウガのマシンはホンダじゃない説もある)
これも『昭和と平成の大きな違い』の一つである。
平成の仮面ライダーのバイクは思っていたよりかは大きくて驚いた。
『これをあんな風に乗り回すのか…』と当時の記憶と照合しながら見てると、乗ってたスーツアクターに対する見方も変わる。
殺陣とバイクではスーツアクターが違うかもしれないが。
そう考えるとだ…藤岡弘、の偉大さが浮き上がる。
初期の初期の頃、本郷猛役もスーツアクターもバイクアクションも全部をやっていたことは尊敬以外の何物でもない。
そして、藤岡氏のアクション中の大腿骨骨折がきっかけで2号が登場し、変身ポーズの生まれたかと思うと感慨深いものがある。
そして撮影に使っていた本物を見ると思うことが…
『欲しい…』と。
さらに欲を言えば、『ちゃんと公道で走れるやつ』をと。
変身前のは公道で走れる仕様だが、変身後はそうではなくなる。
ブレーキランプやウィンカー、ヘッドライトがないことが大半。
そこを上手くデザインして作ってくれたらと思うが…
商売は楽じゃないからメーカーも作りますとは言えないんだろうなと。
カスタムバイクを作る所も値段は張るだろうし。
ただ、そのバイクで走る『ブンドド感』は並々ならぬものがあるのは間違いない。
見て楽しい、乗ってて楽しいバイクは。
メーカーにお願いしたいのはそこ一点である。

昭和から令和の仮面ライダーまで見終わる頃にはあまりのボリューム感にグッタリしてしまったが、ただただ満足だった。
『ヒーロー番組は教育番組である』とは仮面ライダーV3役の宮内洋氏の名言だが、まさにその通り。
なんだかんだと見てきたことが自分自身の根幹を為していることに気付かされた日でもあった。






この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?