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ミスiDと自分らしさ

 私は普通にオーディションだと思う。それは間違っていないと思うが、特異なものにしたくないという思いがあるので敢えて"普通"という言葉を使った。
 オーディションにはいろんな種類があって、俳優、モデル、歌手などジャンルによって、またそれぞれの会社によってもオーディション形式や雰囲気は全く違う。全く同じエントリーシートはないのだ。大手事務所がわかりやすいと思うから例に出すが、アミューズや研音、ホリプロのように、色んなジャンルを一度に募集する総合オーディションがミスiDだと思っている。つまり、アミューズや研音、ホリプロのオーディションと同じ部類なのだ。
 しかし、書いていて気づいたのだが、ミスiDはオーディション期間が圧倒的に長い。単純に物理的に長く戦うのと、これまでの長い人生全てをオーディションされる、と考える。「これまでの人生全てを見られる、評価をされる」というのは、エントリーした他の者がそう思うと言っていて、私は賛成している。
 ミスiDの主催者は、他のオーディションとは違う唯一無二なオーディションとして開催しているつもりだと私は捉えているので(他のオーディションも全部唯一無二だが、なんというか)、他と変わらないと言ったらよく思わないかもしれないが、「ミスiDは他のオーディションと違う、応募者は変わっている人が多い」という認識が私は気に入らない。そしてまた私は、「ミスiDの"ために"突飛なことをする」というのが気に入らない。それは心のどこかで私は普通になりたいという思いがあるからだ。いや、普通になりたいというよりもう少しだけ生きやすくなりたい。私は変な人間が好きだし、私自身もよく周りの人に変わっていると言われることを気に入っている。しかし、それゆえの生きづらさもある。だから意図せず変な人間(少数派)から見て、意図的に変になろうとするところを見るのは少しイライラしてしまう。まあ、変に憧れてるならばいいのだれけど。ミスiD応募者がわざと突飛なことをしていると言っているのではないが、なんとなくそう見えるときもある。でも、本当はわかってる。本当に普通に生きられない人が多いのだと。なんか悔しい。多数派から見たら変な人たちがなにか集合、競争してるだけだと思われそうだからである。大抵多数派は少数派をバカにする。
 精神疾患、変、などの言葉はまだまだ差別対象であるため、それらの言葉はなるべく使わない方がいいのではないかと思った。私たちはいたって普通だ。世界にこんなにたくさん人がいるから多数派ができる。もし世界に2人しか人間がいなかったらどうだろう。普通かそうではないかなどわからない。それはこの人がたくさんいる世界でも同じであるべきだと思う。みんな自分の世界がある、それぞれの地球を持っている。犯罪以外、変な地球は一つもなくて自信を持つべき地球だ。調和はほどほどに自分の地球で生きること、それが"普通"の生き方だ。ミスiDでもその"普通の生き方"で戦おうと言いたい。
 多様性について話す。YouTubeで精神科医が、「共感できたらそれは多様性とは言えないとも言える。共感できないがゆえに多様性が生まれる。一見わからないけど、議論を深めれば理解し合えたものというのは、多様性の範疇に入るのか?」と言っていて、私が言いたかったのはこういうことだと感激した。多様性に関して、理解など必要ないのだ。「認める」ことが必要だ。そのために人に干渉し過ぎないことがみんなできるといいなと思った。もう少し他人を遠くから見ること、これが大事なのではないか。それに、みんな自分と自分を取り巻く世界で生きることで精一杯ではないか。
 ミスiDの話に戻って、変わっていることをアピールする理由についてもう少し考えたい。運営がホームページで示しているミスiDのキーワードをあげる。「まったく新しいタイプの女の子」「女の子らしくない女の子」「ルックスやジャンルにとらわれない」「新しい時代をサバイブ」「アイドル」「アイデンティティ」「自分らしさ」「多様性」など。
まず、"まったく新しいタイプ"という言葉に注目したい。今の世の中は多数派のいわゆる"普通"がいい子とされていて、また、当たり前だが大体はそちらの方が生きやすい。一般的に"普通"の反対は"変"であるのでミスiD応募者は、"新しいタイプ"になるために変わっていることをアピールするのかもしれない。
 次に、"自分らしさ"に関して。
自分らしさは人と違う何かでもある。そのため、自分らしくいれば変わっていることを証明できて、しかし当然孤独になる。生きづらさを抱えるのは、少数派に属しているからだと考える。そうすると少数派が精神疾患になる確率が高いことも理解が容易だ。個人的な意見になるが私は自分らしくいる人が好きなため、ミスiD応募者に自分らしさを貫いた魅力的な人が多いと感じるのも頷ける。
自分らしくいれば孤独になる。
だから、仲間が欲しくなる。何かを誰かに届けて生きづらさを抱えた人を元気にしたいなどと思うようになることも多いだろう。そこでミスiDに出会えば、受けたくなるよなと思う。気持ちがすごくわかる。
 よくTwitterのTLで、ミスiDならハンデを許容してくれると思った、だからミスiDを受けるんだという思いを見る。ミスiDに出会っていなかったら私は生きづらさを隠してハンデがハンデのままであるだろうミスiDでないオーディションを受け続けたかもしれない。まあそれはそれでもちろんいい。私はTwitterのミスiD垢ではなにかを隠すことをしたことがない。受ける段階で自分に素直になれて向き合えて、とても嬉しく思っている。みんなもまず自分に素直になれていることが優勝です。戦い続けましょう。

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