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カノンアート 第十二話

〈本に記されし鍵 後半〉

すでにオリオンの面の季節はキアへと向かっていた。家のハーブは無事収穫できているだろうか。カノンはそんなことを考えながら、グローブの中でスパイスの本を取り出す。最近の日記は新しくできた彼氏のことばかりを話していて、何ら繋がる事がない。惚気は可愛いんだけれど…先読みできないかな…いちいち魔法にかかるから進みが遅いんだよな…
そんな先祖に失礼なことを考えながら、カノンは数日前のことを思い返す。
あの時マーテは、「スコルピオスの面」へいくべきだと主張した。元々賢者もそんなことを言っていた。カノンははやる気持ちを抑えて、マーテに従うことにした。
『ドコカデ同胞二出会ウカモシレナイ、我ラハココニ残ル』
影たちは丁寧に送り出してくれた。そして疲れ切ったスカイを魔法で浮かせながら、二人はスコルピオスの面に歩き出したのだった。
「あれから何度か雨も降って、スカイの元気なくなっちゃったな」
今もスカイは外で、びしょびしょになって不機嫌なことだろう。実際は濡れないよう魔法はかけているが。
日月星辰の面は温度変化が激しい。だが、そろそろ一行はスコルピオスの面に移れるような位置にやってきた。
「今日は寝て、明日に移ろう。」
あれから影には会っていない。次影にあった時、闇に戻すべきなのかカノンは葛藤していた。
意思があるのなら、簡単に消すのは心苦しい。だが、放っておくと死人が出てしまう。
1番難しいのは、影は存在しているわけではないということだ。実体がないのに、殺傷能力はある。難しいな…カノンは考えるのをやめてしまった。

「「うつれ」」
スコルピオスの面に移ると。
「やっといらっしゃいましたね。」
にっこりと、ゆったりしたローブを羽織った男の人が目の前に立っていた。あたり一面には、穏やかな緑あふれる田園が広がっている。だが、遠くを見渡そうとしても煙がかかったように全てを見る事ができなかった。
「はやく、ついてきて下さい。」
「あなたは誰なんですか。」
マーテがハッとして聞いた。途端に、その人の目が細められた。
「そんなことはいいでしょう。あなたたちを私たちはずっと待っていた。とにかく来なさい。」
「でも」
口がバカにするように開く。最初の丁寧さは微塵もない。
「マーテさん。あなた、真名場で何を学んだんですか。スコルピオスの面の賢者たちに楯突くのは馬鹿がやることですよ。ほら、はやく。」
身体中からバチバチと電気が放出される。笑顔でずっと話しているのに、その苛立ちを感じる。
「…わかりました」
特に、マーテの名前を知っているのは気になった。この様子だと、カノンのことも知っているようだ。どうやら何かを握られているらしいと、二人と一羽は観念してついていった。

何時間も歩いていると、段々とモヤっとしている場所が近づいてきた。ずっと無言で歩いていた男の人は、突然立ち止まってこちらを向いた。
「すぐに通って下さいね。」
「え、どこを…」
カノンが思わず言葉を漏らした瞬間、彼は魔法を声高らかに唱えた。
「ルピスオスコ!」
さっと、霧が晴れる。だが、たった目の前の部分だけだ。
「はやく通れ!」
声に急かされるように、二人は通った。スカイは尻尾を振りながら、足を動かした。
得体の知れない感触が気持ち悪くて、カノンは目を閉じてしまう。
二人が目を開け上をみると、ピンク色の空が広がっていた。どこまでも続く宝石の煌めきが目を射る。他の面では見えなかった先端まで、くっきりと見える。何よりも目を惹いたのは、眼下に広がり、大きな建物が沢山見える、魔法陣のように形を広げた美しい街だった。見つめていると、絶えずどこかで魔法が打ち上がっている。
「ようこそいらっしゃいました。」
急いで後ろを振り返ると、3人ほどの人が手を揃えてこちらを見守っていた。あの霧はカーテンを閉めるようにまた閉じてしまっていた。揃ってにっこり微笑んで彼らは言う。
「賢者の町へ。」

「私があなたたちを呼んだ理由はただ一つ。」
カノンとマーテはそのまま、彼らに連れられて厳格な雰囲気のある建物に入った。椅子に座る間もなく最初に出会った男の人が話し始めるので、カノンは慌てた。
「どうぞ。」
近くの人が椅子を引いてくれる。カノンは小さく礼を言って座った。
「世界の終わりがどのようなものか、あなたたちに尋ねるためです。」
そう言って男の人は礼をした。
「私はこの町の長、イマジン。断っておきますが、これは真名ではありません。」
「真名…とはなんですか」
「おやおや。お忘れですか?君たちの近くに、名のない賢者がいたでしょう。賢者は皆、本当の名を捨てて生きる。真名を持つ者は、この世の理に縛られてしまいますからね。」
イマジンは椅子をガタッと引いた。
「それよりも…お告げが降った貴方達について私は知りたい。」
グッと身を寄せて二人の顔を舐めるように見たイマジンは、力を抜いて笑った。
「まあいい。今日はお疲れでしょう、我が町の温泉で、旅の疲れを癒して下さい。ではまた明日。」

「また明日、だってよ。休息はないもんなんだなぁ。」
「これまでが自由すぎたんでしょう。降ったお告げはどのような形でも具現化する可能性が高い。ならば、それを利用しようとする人はもっと沢山いるはず。」
「確かにな。」
マーテは手のひらで作った氷の人形にダンスを踊らせた。最後にお辞儀するのを見て、じわっと氷を溶かしてしまう。
「私の大規模魔法も、もっと違う人間に生まれていたら楽しいことに使えたんだろうな…」
カノンはハーブを一つ取り出し、優しくすり潰した。途端、空間に爽やかな香りが漂う。畳、と呼ばれる地面に引かれた良い匂いをするものの香りに混じって、どこか山奥の水を思わせる香りが残った。
パンッと、マーテの手が鳴った。カノンはどうしたのかとマーテを見る。
「こうしちゃいられない。とにかく街を見に行こう。」
たった一年前はもっと内気な感じだったのに、時が経てばこんなに人は変わるのか。キラキラとした光がマーテの目に宿っていた。

道ゆく人は皆、外からの人でも慣れているように話した。
「うちは貿易を行っていてねぇ」
お婆さんが頭を下げる。様々なところに埋め込まれた宝石が眩しい。何人かは物珍しそうに、何人かは恨めしそうにこちらを見ていった。
「スコルピオスの面では、一通り降ったお告げは習う。みんな君達のことを知ってるよ」
「この町にはあんたたちが降りてきたその巨大な岩の上に神社があるんだ。」
「赤い呪いは消え去った!」
「貴女、ファソ神を引き連れているでしょう」
カノンはびっくりした。「どうしてですか?」と急いで問う。
「どうしてってそりゃぁ…」
そのおばさんはニコニコしながら何処かに行ってしまった。
「なんだって言うんだろう。まあいいか。」
どこにでもある美しい宝石に、幾つもの巨大なガラスのフラスコ。どのような意味なのかわからない地面の紋様。真新しいものばかりで、二人は気が遠くなりそうになった。
「…戻るか?」

二人はとにかく町を見るのに1日を費やし、元の場所に戻ると、暖かい温泉にそれぞれ浸かった。
「はぁ…疲れる…」
吐く息が宙に吸い込まれていく。段々と夜が冷えるようになってきたこの頃、芯まで温まる温泉は新鮮で、とても心地よかった。
カノンはお湯に身を委ねた。

『おかしい。私は今日歩いている中で、一度も先端に行っていない、行こうともしていないことに気づいた。彼氏のブラックと相談して、明日から目指そうと思う。』
『スコルピオスの面に到着。男が迎えにきていた。どうやら、世界の終わりとは何か聞きたいのだと。』
イマジンじゃねぇか…カノンは頭の中で荒々しく叫んだ。
『私はそいつを置いて、魔法で先端に向かっていった。段々と狭まる土地、荒れていく大地。幅があと1kmも無いだろうという時、そいつは現れた。人では無い。獣でも無い。その魔物は、荒々しく地面を揺らし、我々を警戒するように吠えた。何か隠したいものがあるのか…私は興味も露わに、そいつに近づいた。危ない!ブラックはそう言ったと思うが、私は聞いていなかった。するとどうだ。まるでどうぞと言わんばかりにそいつは道を開けた。そこにはいつのまにか黒い扉があったんだ。私は躊躇わずに開けた。』
ごくりと唾を飲む。
『中には、まるで一つ歯車がとれたせいで壊れた機械のように、おかしな世界が広がっていた。どこまでも歪んでいる。最も歪だったのはその人間。何処からか現れると叫び声を上げずまた、空間に消えていく。何処かジジジと、耳障りな音が聞こえていた。』
『私は思ったよ、なんて醜い世界なんだと。でも一度スコルピオスの賢者の町で過ごした時気づいたんだ。あの扉より向こうは不自然な感じを醸し出していた。何一つない真っ白な大地。明日は魔法を使ってみよう。』
『彼氏に内緒で抜け出した。後で散々怒られよう。今、あの扉の前でこれを書いている。さっき扉をもう一度開けると、認識が阻害されるように音も光も一瞬遠くなった。だが、あの中にきっと、知り合いがいたような気がするんだ。ああ、思い出せない。でもこうしている間も、私の周りの空間が歪んでいくのを感じる。もう私は沢山のことを学んでしまった。けれど、それを書き残さずにはいられない。今気づいたんだ。星自体の時間が遅くなるせいで、星が誤作動を起こし、人間を吸収してしまうんだ、きっと。現に、私の周りの空間はいつの間にか扉の中になってきてる。この扉は星の誤作動を閉じ込めている。そう言うことだったのか。さあ、私はこの扉の鍵になったかな。もっとやりたいこともあったけれど、もう死を覚悟しちゃったしね。ブラックごめん。せめてこの日記が誰かに読まれますように。』
『神が、神がいる!』
空白。

「おはようございます。」
ドンドンと、ドアをノックする音で目が覚めた。カノンはゆっくり起き上がり、目をこすりながら扉を横にずらした。
「おはようございます…?」
「なるだけ早く準備を行って下さい。私はまた後で訪ねます。」
「ふぁい」
誰かもわからないまま、ガラガラとドアを元に戻す。小さな畳の上で敷いていた布団を畳み、丁寧に治す。と、カノンはハッと覚醒した。
星自体の時間が遅くなって星が誤作動を起こし、人間を吸収している?扉の鍵はスパイス?
「もしかして、このままだとドンドン人がいなくなっちゃうんじゃ。」
「カノン?」
マーテが起きた。そのまま跳ね起きたらしい、おでこをぶつけたらしくいててと言う声が聞こえた。
「おはよう」「おはよ」
「はやく、支度をして!伝えなきゃいけないことが沢山ある!」
カノンに急かされ準備をしたマーテは、足をそろえてその茶色の目をカノンに向けた。
「それで、何があるの?」
カノンはスパイスの日記について話した。話すに連れ、マーテの目が険しくなる。外からたまに、コケッコッコっとスカイの声がする。
「それは…とにかく名の無い賢者に聞くべきかもしれない。それを知っていながら隠しているここの賢者達は異常だ。」
「今は人間は吸い込まれていないのかもしれないけれど。」
カノンは一応反論してみる。だが、その口からでた声は弱々しく、説得力がないなと己でも感じる。
「適当に話して、帰らせてもらおう。」
マーテがそう結論づけた。

「カノンさん、マーテさん。あなたたちはお告げで世界の終わりについて関わる人物なのだと予言されています。カノンさんは〈星〉を割る人物、マーテさんはその最後の鍵なのだと。」
「そしてですね、名のない賢者が真実を教える…とあります。あなたたち、いつからこの賢者があの賢者だと思っていましたか?」
「え、一緒にいましたし…」
にやりとイマジンは笑った。天井の宝石でできたシャンデリアが、光を投げている。
「私だって名を持つわけじゃない。あなたたちにきっかけを与えることができる、賢者なのですよ。」
「何を言うつもりなんですか、あなたは。」
「私は、自らの手でこの世界を終わらせたい。私だけの広大なキャンパス、今はその完成途中なのです。それを終わらせる時、私のキャンパスに描かれるこの世界はアートとなって初めて完成する!人類の最終目標である神々でさえ感動してしまうような作品は、その犠牲によって初めて成り立つ、崇高なものなのです!」
「もしかして…この世界は、作品だとでも言うのですか?」
こちらを憐れむように見つめるイマジンは、がっかりしたように口を開いた。
「そうじゃなかったらなんだと言うんです?いつの間にか生まれてました。いつの間にか意識がありました。いつの間にか魔法が使えるようになりました。なんの面白みもないでしょう?己の人生は、己で作る美しい物語!喜怒哀楽の詰まったアートでしかありえないのです!」
大きく手を広げて熱弁するイマジン。
「その賢者には、私がなります。大いなる知恵を持ち、人生の大義を持つ私が!さあ、あなたたちはどうやって世界を終わらすつもりなのか、私に教えなさい。」
「私は世界を終わらせるつもりはありません。」
「いいえ、あなたは必ずこの星を割る運命にあります。私はおおかた星の割り方もわかっている。」
カノンは息を飲んだ。それはカノンもよくわからなかったことだった。
「他の世界の神によってスパイスによる鍵はできなくなってしまった。彼女を見初めたのでしょう、危機一髪という所で彼女の命は助けられました。彼女は辻褄の合わなくなってきた歪みの世界を封じ込める鍵だった。」
「まさか、生贄ということ?」
カノンもマーテも顔面蒼白になった。
「そう。でも、人々は反対のことを思っていたでしょう。退屈な世界を終わらせてくれる扉の鍵。スパイスはその先頭に立って世界の終わりを告げるのだと。」
「なるほど。結局、どちらも成り立たなかったわけだ。」
マーテが呟く。イマジンは真顔で頷いた。
「そう。他の世界の神の介入は、この世界の神々が予想しないことでした。確かスウゼという神だったか。扉に鍵をかけるわけでもなく、かと言って終わりを導くわけでもなく。そしてあなたの持つ日記だけが残されたわけです。」
「!どうしてそれを。」
イマジンはくつくつと笑った。
「どうしてって?そんなの決まっているじゃないですか。あなた、部屋を盗聴していないとでも思いましたか。そんなのはいくらでも風の魔法でどうにかできます。」
すでにカノンは黙り込んでいた。
「星の割り方は簡単です。この星の弁とも言えるあの扉を壊せば、その歪みは星全体に広がります。どうやら、もう『影』という存在が現れてきているようですけれどね。」
おもむろにイマジンは大きな宝石を取りだした。
「ここには言葉の原石があります。魔法の生まれ方はあなたたちもご存知でしょう。」
破滅。その言葉を目にした瞬間に、その言葉が頭に浮かんだ。
「これは大規模魔法の一種。通常はロックがかかっているので、本能的にこれは使えないとわかるでしょう。でも。」
ニヤリと笑みが広がる。イマジンは指を鳴らした。
「どうやら当たりのようですね。」
カノンは怯えるように肩を揺らし…笑った。
「マーテ、逃げるよ!」
「了解!」
イマジンは一瞬驚く。その隙にカノンは魔法を唱えた。
「風、大規模魔法、我に力を!災害、竜巻を超え嵐を生む、龍神ウィンの力を、今、風に。」
ゴオオオォォと風が吹き荒れる。建物の天井が剥がれ落ちた。
「マーテ、捕まって!」
息を切らしながらカノンはマーテへ手を差し伸べる。二人が風に乗って外へ出た瞬間怒声が聞こえた。
「なにボケっと見ているんだ!さっさとあいつらを捕まえろ!」
「は、はい!」
ふと合点がいく。盗聴もできるイマジンのことだ、きっと人々を操ってきたに違いない。
「オリオンの面へ!」
「逃がさないぞ!!!」
と、空中でスカイがやってきた。足には鎖をちぎった痕が。だが、スカイは当然とでもいうように、背中を向けて二人に乗るように促した。荷物もいつのまにか載せている。
「まったく、お前って奴は。」
マーテが呆れ顔でいい、笑顔になった。
「奴らに追い付かれないように、全速力で頼むよ!」

びゅうううと、風の音さえ加速するような空の下で、スカイは全力で羽ばたいた。大規模魔法を使った後は必ず、ハーブの香りがする。普段は落ち着くその匂いも、今は大きな障害となっていた。
「見つけたぞ!」
下で人の声が聞こえる。スカイはまさに今、霧へと突っ込もうとしていた。だが霧は突如、電気を帯び始めた。
「ケコ…」
これは痛いやつだ、痛いのは無理だ。スカイはブレーキをかけ、その場で羽ばたく。
「囲め!」
「スカイ、私を信じて!」
「俺たちが魔法でバリアを作る!」
「コケ」
わかった、二人がそういうのなら。
スカイは一直線に中へ飛び込んだ。