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カノンアート 第七話

〈本当の旅 後半〉

「ヒョー、ヒョー」
とかいう声が朝の第一声だった。
寝ぼけ眼で外に出ると、あのワニ鳥が大きく成長しているのが見えた。落ちている卵を拾い、カノンは密閉されているはずの、銀色の缶を取り出す。表面にはずっと風が渦巻いている。
カチッ。カノンが風と反対の風を魔法で流すと、ロックが解除されて中が開いた。
「パンがあったー!」
カノンは大声で叫ぶ。あまりに大声で叫んだので、何やら様子を見にきていたらしい他の鳥が、バサバサと飛んでいく。
最近、パンを入れたはずなのに、どこにあるか分からずにあまりにも食べられず、だが入手する方法もなく途方に暮れていたが、どうやらこの缶はパン種とむぎ粉などを入れておくと自動で作ってくれていたようだ。
カノンは魔法で鍋を取り出し、卵を割った。ぐつぐつと、目玉焼きができるのをじっと待つ。ついでに森の辺りを物色し、見つけた知る人ぞ知るイチゴの親類の果実を収穫した。表面は艶やかなオレンジ色。割ると美味しい果汁が出るのだそうだ。その間にマーテも起きたようで、着替えた格好で外に出てきた。
「おはよう」「おはようー」
「それ、貸して」
朝一番、マーテはその果実を指差した。ちょろちょろと流れている水を探し出し、火の魔法で一瞬で綺麗な水となったそれをいつのまにか開けたその実の穴に注ぎ込む。
カノンはそれを横目で見ながら、パンを軽く焼いた。そして、出来上がった目玉焼きをバジルの葉と共にその上に乗せる。上からぱらりとかける黒い粒。
「できた!」
バジルの緑が目に優しい、目玉焼きのパン。いつのまにか吸い出すものまでついた果実のとろみがついたジュース。
二人は並んで手を合わせた。
「いただきます…!」
冷えた空気の中、食べる音は小さく響く。指先が温められ、トロリとしたジュースでパンの味がさらに濃くなる。ハーブの香りもまた、朝の神淵の光を吸収するように優しく漂っていた。

「でね、その本はきっとあの塔にあるらしいんだよ。」
二人は町だった所を歩きながら話している。荷物はゆっくりと後をついてくる。持続の長い魔法のおかげで、一切手入れをせずともその白さを保っている。
「玉座に乗せられた本。昔は旅の人も触っても良かったらしくて、だけどまるまる一冊読む時間があったってことは、もう人が減り始めていたんだろうね。」
「そうだな。…というか、もう20分は歩いているんだが。」
「まあ、結構色々しているもんね。」
道の途中途中で、形を残しているレンガたちが組み立てられている。まるでヒビなどなかったかのように、足を踏み込むのなら、それなりのことはしようと、私は考えていた。
綺麗な赤い糸が神淵の光を反射している。
「それはカノンが勝手にやっているだけだろ。俺は別にこのままでも美しいからいいんじゃないかって思うんだけれど。」
「でもさ、こうやってまた、誰かが訪ねるかもしれないでしょ」
「いや、それはさ、元の状態なんかに戻しちゃったら…」
マーテはそこで黙った。そして諦めたように笑う。
「カノンが望むようにしたらいいと思うよ。どうせ3年後には。」
「3年後には?」
「3年後には……」
マーテが酸っぱそうな顔をするので、カノンは吹き出してしまった。
「じゃあいいよ。マーテが1番いい状態と思う状態にしておく。その代わり、どのみちその本を貰わなければならないのだから、この町にどこかで埋め合わせしなきゃね。」
マーテの考えるアートはよくわからない。けれど、それでもいいかと思えた。

カノンは魔法で宙に浮いて勢いよく塔に近づき、入り口の前に降り立つ。横を向くと、飛ぶ途中にいたのだろう、小さい虫に張り付かれて絶望しているマーテがいた。カノンは笑って虫を掴みとった。
「よし。まだ安全そうだね。一応魔法で守りながら行こう。」
中に入ると、螺旋状の階段が上までずっと続いているのが見えた。途中にあるかもしれないからと、二人は歩いて登る。壁には、緑色の宝石のようなものが埋め込まれていた。
光の元はわからず、影もできない。とにかく明るい白い壁はとてもすべすべしていて、まるで遠くに白い壁があるかのように錯覚する。
そう触っていると、どこかでカチッという音が聞こえた。
「何かボタンを押したんじゃないか?」
マーテが心配そうに、いや魔法に守られて自信満々そうに聞いてきた。
ゴゴゴ…と地鳴りが聞こえてくる。と、覗いた真ん中に空いている空間に白い棒が上がり、上へ消えていった。先には、あの本がある。
「あれかな。」
マーテが呟き、魔法で空に浮かび、光の如く上へ登っていった。かと思うと、下の螺旋階段から上がってくる。
「マーテ、どうしたの」
「あれぇ…途中で下に連れ込まれた…?」
もう一度、と魔法で上がる。下から戻ってくる。
「ねえ、マーテ…歩いて行こうよ。きっとあの本はこの町の心臓みたいなものだから、敬意を払っていかないといけないんじゃないかな」
カノンはゆっくり足を進める。すると確かに、先に向かって階段は小さくなっていった。二人は歩きながら黙って上を見つめる。3分ほどすると、階段がなくなり、…確かにそこに本はあった。
「history。シンプルな名前だね。」
カノンは一礼して手に取り、中を少しめくった。そして沢山の話に目を輝かせる。
マーテは、あたりを周りながら、観察していた。何かに気づき、ある一点をじっと見つめる。
最初は何気ない光だった。でもそれは段々と緑味を帯びていき、マーテが警告する前にはもう本に降り注いでしまう所だった。
「うわっ、今の何?」
カノンがそういうと同時に本が勝手に捲れ出し、緑の光が空白のページを示した。空白のページ。
「なんだこれ。しかも空白のページはなかったはずなのに…マーテ、これってなんなんだろう。」
「一応今、お前魔法で防御すること忘れてたことだけ覚えておけよ…」
マーテは顔を顰めながら、詠唱を二人分使って4属性の魔法を展開している。なかなかにコントロール力が問われる所だ。どっちが年上なのか既にわからない。
「うわ、ごめん。私、自分でやるから解除していいよ」
マーテは半信半疑で頷き、解除しようとした。
その時。緑の光が、カノンの目に入った。左の灰色の目に、緑の光が映る。
その瞬間、カノンの頭の中に、誰か低く強い、人のような声が響いた。
『予言に告げられし人、カノン。星の歴史を作る者。』
そして、その名前が空白のページに書かれていくのを、拘束されたようにカノンは見た。何かが操るように、カノンの心が凪いでいく。口が動いた。
『「予言に告げられし人、マーテ。歴史の鍵を握る者。」』
「うわっ、何か魔法かけられたのか?まずいな…」
マーテはただあたふたとしている。そして試しに打ち消し魔法を使おうとした。
どこか遠い感覚の中、カノンは思う。そんなものが効くわけがない。なぜならば、この魔法は古の言葉を見つけて、それを組み合わせたものなのだから…
『「これらをこの歴史の書に記し、我が歴史の糧とする」』
カノンは手を本の上に乗せて告げた。
「そうか、それを伝えたいだけだったらな。まあ、その言葉ね。」
それを見ながらも、マーテは目をきつく閉じた。そして、睨むように金色になった目をこちらに向ける。

カノンが気づいた時には、マーテが魔法を使い終わった後だった。
白い床に座り込んだカノンを、マーテが上から見下ろしている。
「あ、ああ。魔法かけられちゃったな。」
「いや、仕方ないよ。俺が解くところを狙ってされたんだから。ごめん」
「私の方に非があるよ。マーテは謝らなくていい。それより、やっぱりあの本は持っていくべきだと思うな。なんでかはわからないけれど。」
「あんな目にあったのに…。わかったよ。誰があの魔法をあの本にかけたのかはわからないし、危険かもしれないけれど、価値のある本だってことは間違いない。カノンのひいおばあさんも読んだらしいし、な。でも、カノンが読むのは当分やめておこうか。」
マーテはカノンに手を差し出した。カノンは手を見て困惑する。手を握る…?それは…。
そっと手首を掴んで、カノンはゆっくり立ち上がった。
やがてマーテも己のした事に気づいたのか、顔を真っ赤にさせた。
「いや…そういうつもりじゃ……」
「…」
カノンは年上らしく振る舞おうと努めたが、少し心臓が早くなっていた。本を脇に抱えてマーテの方をみず、軽く会話をしながら魔法で降りていった。

「ワニ鳥でかいな」
「大きいね」
神淵が上に昇る頃、帰ってきた二人はワニ鳥の成長速度に舌を巻いていた。何故なら、すでにワニ鳥は高さが人間の2、3倍もある巨大な白鳥のようになっていたからだ。
「でかいな」
「もう、脱走していたんだね。」
グローブは蔦を絡ませて、目立たないように潜んでいる。カノンは思いついて、足をそこに乗せた。
「土、基礎1」
すぐに石の柱が出てくる。カノンはそれを掴み、しなるようにイメージして、カノンはそこから跳んだ。そのままワニ鳥の上に乗る。
「見て、マーテ!ワニ鳥さん乗せてくれたよ」
「でかいな。」
「ワニ鳥さんにスコルピオスまで乗せてもらわない?すごく名案だと思うけど!」
大声で叫ばないと聞こえないのだが、大声は大声でよく響く。マーテは考えを振り払うようにすると、浮く魔法を使って上がってきた。
「俺は自分で行ける。ワニ鳥…ちょっと名前かっこ悪いしつけないか?それで、一緒に連れて行けばいいと思うんだけど。」
「わかった。一回降りるか。」
そう言って持っていた棒に魔法を唱えて、膨らませながらゆっくりと地面に降りる。鳥は何を主張するでもなく、広い空を見上げていた。

「ワニ鳥の名前、何にしよう。」
今二人は空を飛んでいる。そう、身支度を整え、軽くパンを食べたカノンは、町と別れを惜しみながらそのコートをはためかせていた。…そして名前を決めるのを忘れていた。
下を見ると小さなおもちゃのように山々と所々の集落が見えて、仰角に白い神淵の光が目を刺すように輝いて映る。マーテは極端に高いところは無理ならしく、恐怖心を和らげようとワニ鳥の中に蹲っている。
遠くに深青の海と端が見える。遥か彼方のように見えるそこを二人と一羽は目指している。他の方向を見ると、霞む中確かにそこに角があって、それぞれの端を海が囲っているのだった。そこに浮かぶ、巨大な『島』ー。カノンの目には、自らがここに生まれ、家族が暮らし、人の形が今のようにあるという、その存在を支えているこの島がとても神秘的に見えた。
実際、神様が作っているんだものね。神淵を見ながらカノンは微笑む。その神から途方もない難題を告げられている事は頭の中から消えていた。さらにワニ鳥の名前を考えることも忘れていた。
「スカイ。」
マーテが呟くように言った。
「?」
マーテが手を突き出して招いた。
カノンは高速で飛ぶ鳥に近づく。
「スカイ。意味はわからないけれど、なんとなくあっているというか。ふってきたんだよね。」
「どういうこと?」
「だからこいつの名前。」
カノンは鳥をみる。しまりがよく、ふさふさとした毛。空の青とオレンジの境目に立つような色。
「スカイ。うん、確かに、言葉の響きがいいね。スカイー」
カノンは手を横に広げて、白いコートをはためかせ、歯をのぞかせて笑った。地平線なのか水平線なのかもわからない、ただ目指す星の端に向かって、彼らは目を細めながら空を飛んでいった。