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【1日1読】空を飛ぶ野鴨を見上げたアヒルは自分も飛ぼうと試みる サン=テグジュペリ『人間の土地』

野鴨が移住の時季に空を渡ると、彼らが見おろす地上に、不思議な現象が起る。それは家鴨(あひる)たちが、空の大きな三角形の飛翔に誘われるもののように、不器用に飛び上がろうと試みることだ。

サン=テグジュペリ『人間の土地』

『星の王子様(小さな王子)』という小説で有名になってしまっているフランスの小説家サン=テグジュペリ『人間の土地』の最終章に記されているこのエピソードは、ほんとかどうかはわかりませんが、家畜の遺伝子には野生だった頃の記憶が残っているのだ、ということを示すための一例として登場します。

かつて見たナショジオのドキュメンタリーで、家畜である豚を野生に放したら獰猛なイノシシになるまでは数週間で充分だ、というナレーションを読んだ覚えがあるのですが、本当なのかな。

「〔家鴨の〕暗愚な小さな頭の中に、突如大陸的なひろがりや、沖津風の味わいや、海の地理学が発達したわけだった」と筆者は加えます。
では、私たち人間が猿に戻る瞬間はあるのでしょうか?
まあ、意外とたくさんあるのかもしれませんが(むしろ私たちは毛の少ない猿であるに過ぎないのかもしれませんが)、緑色が癒しの色であるのは、植物の間に身を隠していた頃の名残、という話もあり、それもそれでうなずけます。

しかしこの瞬間、家鴨たちは一体どんな気分なのでしょう?
私はこの一節で読書の足を止めるたびに、家鴨が突然抱くこの憧れに、羨ましさを感じもします。

矢も盾もたまらず羽ばたくとき、自分は飛べやしないのだと家鴨がもし自覚していても、そんな結果は、今この瞬間の「飛びたい」という閃きとは何の関係もありません。
運命を分けた仲間を追おうとする、この家畜化された留鳥は、ただ、出立の輝きのみが胸にあふれています。
そこにこの先の全てを賭けてしまうことの動物らしい愚かさを笑っているのは、実は人間だけでしょう。
瞬間、というものを知った家鴨、そして瞬間の先で仲間を見送ることを知った家鴨は、ことによると、人間より賢くなっているのかもしれないじゃありませんか。

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