マガジンのカバー画像

|words|星たちのこと - ホロスコープのお話し

12
占星術という叡智にこめられた「日々に生きるエッセンス」をことばにしています。
運営しているクリエイター

記事一覧

固定された記事

|astrology|"星たちのこと" はじめに

さそり座の季節より、少しずつ書きためているホロスコープ/占星術のお話し。 ホロスコープ、ふれるひとによって、捉え方も、見方も、用い方も、語り口も、ほんとうにさまざまだと思うのです。 ここでは「すべてのひとの内側にホロスコープとして象徴される "めぐり" がある」という《場所》から言葉を紡いでいます。 出生図において、天体が置かれるサインが、より深い印象を残すとしても。 アスペクトをつくる天体が(もしくはつくらない天体が)より強い印象を残すとしても。 そのめぐりの輪の

|astrology|おひつじ座のおはなし

うお座の水となって、ひろく深くすべてを包摂したわたしたちは、まっさらにかえって やがて春分点にたどりつき、「ひとすじの閃光」へ、ふたたび姿を変えます。 全体へかえって、個として生まれ出る。 ひとつ前の旅の記憶も、そのまた前の旅の記憶も、さらにさらに昔の旅の記憶も、そして、未来の旅の記憶も、そのまた未来の旅の記憶も、ほんとうは全部持っている。 持っているというより、いつでもその「記憶の水」にアクセスすることができる。それもそれとして、必要とするシーンもあるから。 そし

|astrology|おうし座のおはなし

おひつじ座からはじまった、あたらしい旅。 おうし座の世界へやって来ました。 火地風水、めぐる、めぐり。 「おひつじ座(火)・おうし座(地)・ふたご座(風)・かに座(水)」 1つ目のサイクルは、4つのエレメントそれぞれの性質を、シンプルにわかりやすく伝えているように感じます。エレメントのひとつひとつに出会い、手にとってゆく。 「しし座(火)・おとめ座(地)・てんびん座(風)・さそり座(水)」 2つ目のサイクルで、しし座で確立される自我を、自他を行き来しながら4つの角

|astrology|ふたご座のおはなし

火地風水、めぐる、めぐり。 火(エナジー)が地(感覚)に降りるのなら、そこに風は立つ。 感覚をキャッチするとき、言葉が生まれる。 その言葉は《ひとつである空間》をわたってゆく。 * ふたご座は、風のサインをはじめます。 桜の季節。遠いところ、見えない場所にある桜の木の花びらのたくさんが、風にのってやってくるのを見ていました。 あたりまえのこと、かもしれないけれど、それをよーく感じてみると。 空間が、ほんとうに空っぽで何もなかったら、花びらを運ぶことさえできない

|astrology|かに座のおはなし

火地風水、めぐる、めぐり。 風が立つのは、雨の合図。 夕立の前、強い風が吹き渡るように。風たちが分けた後、やってくる水は、ふたたび「くっつけよう」「ひとつに戻そう」とするのです。 かに座は、水の領域のはじめ。うお座の世界の、あの「ひとつ」は、ここではまだ予感でしかないのかもしれません。 分たれてしまったものが、ひとつであったことを思い出そうとする、その予感。そのはじまり。 「くっつけよう」とする最初の働きは、ちいさくあたたかな輪に注がれる愛情として、姿をあらわすよう

|astrology|しし座のおはなし

火地風水、めぐる、めぐり。 水へたどり着いた旅は、ぐるりまためぐって、あたらしい火へかえります。 かに座から、しし座へ。 水から火へのめぐりは、いつでも劇的なのです。 うお座からおひつじ座へ、それはまるで輪廻するようである。 さそり座からいて座へ、それはいったん《私》を捨て去るようである。 そして、かに座からしし座へ。 ここでもやっぱり「生まれ変わる」ような作用が、それはまだはじめの比較的おだやかなものかもしれないけれど、あるのだろうと思うのです。 あたたかな

|astrology|おとめ座のおはなし

しし座の季節から、おとめ座の季節へ。 地のサイン、ふたつ目の領域をゆきます。 夏の終わり、暑さもやわらいで、秋の涼しさが感じられるようになってくる。 太陽に歓喜した夏の、おおきな歌声は次第にちいさくなって、視線は自然と内側へ向いてゆく。 自ずと内省する時間も、内をつぶさに感じとる時間も、増えてゆくのかもしれません。 地 かたちあるもの 身体、体感、五感 地のサインをはじめるおうし座では、それらにはじめて触れ、それらをただただ享受する、そうしたことが展開するよう

|astrology|さそり座のおはなし

さそりの季節をゆきます。 今年は月蝕もあって、いつもより強く印象を受けることもあるのかもしれません。 てんびんの次に訪れる、さそりの領域。 風から水へ。分たれたものをくっつける、水の領域。 ふたごの後のかに、てんびんの後のさそり、そして、みずがめの後のうお。風の後に訪れる水は、いつでもそんな働きをしています。 てんびんで起こる「わたしとあなた」の分離は、鮮烈なものです。「わたし」がそれとして出来上がったとき、「あなた」とも「世界」とも分かれてしまう。 てんびんで吹

|astrology|いて座のおはなし

いて座の季節をゆきます。 さそりの領域で降りたその場所は、くるりと反転し、降りたその深さはそのままに高さだったことを明かします。 視界は、ひらけていたことを、知ってゆく。 いつだって、深さは高さ。だから深さはそのまま、視界のひろさとなる。 いろいろが、さまざまが、見えている、そのいろいろも、さまざまも、正反対も、大も小も、好きも嫌いも。 結局は同じこと、同じものでできている、すべては愛であると知っている。 深く降りることを助けた透明な鋭さは、いまでは知性に その

|astrology|やぎ座のおはなし

冬至を超えて、やぎ座の季節をゆきます。 やぎ座は、地のサインの最後を描きます。 手で触れることのできるもの、その実(じつ)をちゃんと見ている。 けれど同時に、手で触れることのできない領域に、十分以上に敬意を払うところもある。 やぎ座の山羊はご存知の通り、下半身を魚に変えています。 神話では、巨人に追われナイル川に飛び込んだ際、体の半分だけが魚に変身した、と描かれるのですが、このストーリーからも垣間見える通り、地のサインでありながら魚=水の領域に通じているところもある

|astrology|みずがめ座のおはなし

やぎ座の時間を抜け、みずがめ座の時間をゆきます。 ホロスコープは、その天頂をやぎ座の入り口(=冬至)で極め、5=しし座で自我が形成され、10=やぎ座で社会性が達成され、ある種の《ゴール》に達したようなところもある。 アタマで考えると10まででよいように思えてしまうけれど ホロスコープは結局は「生命」としてのわたしたちを見ている。10よりも、3×4や4×3が描く、12の《円》を見ている。 だから、10の先も続いてゆくのでしょう。 やぎ座の入り口の、その先。 やぎ座を

|astrology|うお座のおはなし

ホロスコープの旅の終着点、うお座の季節をゆきます。 旅のあるころから少しずつ感じてきた、おおきな水の、香り、感触。 「それは、この場所だったのか」 辿り着いた旅人は、そうつぶやきます。 おおきなおおきな、すべてをひとつとする、ひとつをすべてとする、海。 すべてがやさしく溶けあってゆく、海。 たくさんの《私》たちが、個々別々に生きる《地上》というシーンにあって 「愛」という言葉が、狭く、細切れにされて捉えられ、ときにその本質が失われてしまうのと同じように うお座