FF10は大人なゲームだなって

聖書はコロコロコミック

「#心に残ったゲーム」って聞いて、色々なゲームが頭の中をぐるぐると回っていたが、自分の奥底にギラギラと光るこのゲームの存在を見つけた。
私が初めてこのゲームをプレイしたのは小学生の頃である。

当時の私は、ゲームと言ったらGBやファミコン、GBAを好んでプレイしており任天堂のテイストを存分に受けたタイトルばかり摂取していた。
周りの友達も小学生らしく『コロコロコミック』などの雑誌から流行りを取り入れており、ジャンプの漫画を読んでいるやつなどほとんど居ないような環境だった。

私は毎日『ロックマンエグゼ』というゲームを友達とやっており、みんな大好きな熱い友情勝利の喜びを感じては友達と盛り上がっていた。
私にとってはゲームという作品の方向性は、ヒーロー性に溢れたある意味古典的な少年マンガの世界であり、あったとしても『ぷよぷよ』みたいなゲームスキルを磨いて楽しむものもあるという程度であった。

友達から借りた『ファイナルファンタジーⅩ』

ある時、親戚が何を思ったか私にいきなりプレイステーション2をプレゼントしてくれた。
遠方に住んでいる人で、ほぼ合ったこともなかったため、とても驚いたことを今でも覚えている。
ただ、その人はゲーム関係に明るい人ではなく、ゲーム機本体だけでは楽しめないということを知らなかった
そのため私の手元にはゲーム機本体だけが残り、ゲームソフトも何もない状態でDVD再生機として我が家で酷使される事になったのだ。

しばらく経ったあと友達の家で遊んでいると、今のテレビの下にプレイステーション2があるのを見つけた。どうやら父親が買ってきたもので、友達もあまり遊ばせてもらえないらしい。
そこには沢山のゲームソフトが並んでおり、ディスクのみの状態のFF10がゲーム機の上に出しっぱなしになっていた。
私はダメ元でふと目に止まったFF10を貸してくれないかと友達に頼んだところ、友達は「多分大丈夫」と不安になる返事をしながら、そのソフトを貸してくれたのだった。
適当にケースを探してもらうと、中に桃鉄の入ったケースが見つかった。
桃鉄を適当に他のケースに入れると、私は人生で初めてのファイナルファンタジーを手にしたのだった。

ストーリーが全くわからん

さて、ファイナルファンタジーを借りた私はウキウキで自宅に帰ると、自分のプレイステーション2に入れてプレイを初めた。
最初から、焚き火を囲んで登場人物が休んでいるムービーが流れる。
主人公の独白のようなセリフを聞きながら、当時は美麗だと思っていた動画を眺めていた。
しばらくすると、機械の街のような場所で主人公を自由に動かせるようになる。
その時点で私の中には、アレ…?何か雰囲気が暗いなという感情が生まれていたし、当時はあまり操作性が良くないのもあって、あれほどワクワクしていた気持ちが幾分落ち込んだのを覚えている。

しばらくゲームを進めるも、全く知らんスポーツの話をしてたと思えば、知らんおっさんと一緒に戦ったり、知らん場所で1人になったり、まさに主人公のティーダと同じ心境で「何が起きてるのか全くわからん」と思いながらプレイしていた。

正直、当時小学生の私にとっては、あの世界観というのはワクワクするというよりは、どちらかといえばダークで怖い話のように感じていたのだ。
何も分からない状況に突っ込まれ、世界観の話を誰かが丁寧にしてくれるわけでもない、何が目標ですと明確に教えてくれるわけでもない。
何かシンってやつが悪いのは分かるけど、シンってやつは凄く大きくて倒せそうにないし、倒すっていう行動に現実味が感じられない。
と、主人公ティーダに感情移入していた訳でもないのに、今考えれば同じような感想を抱いていた。

結局途中で辞めちゃったんだよね……

書いてあるとおり、小学生の私は結局途中でプレイを止めてしまった。
大体物語の半分くらいまではプレイしていた記憶がある。
その後、高校生になってから自分でソフトを再購入してクリアした。
流石に高校生になってプレイしたときは、こういう世界観があるってことも分かってるし、すんなりクリアできたが……。

その思い出を今思い返してみると、当時の私には早い大人なゲームだったんだろうなと感じる。
ただ、大人になった今でもその世界観に出会ったときの感情は、色濃く私の中に残っている。
あの残酷ながらも、ファンタジーを感じる世界と知識のない小学生の頃に出会って、生の感性で向き合えたことは私の良い経験になっている。
あの出会いが、小学生の私を一つ大人にしてくれたのだ。

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