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2013年の西野 亮廣

 今日、(2021年5月28日)は、西野 亮廣とLIVEで共演します。
情報は上記の写真の通りですが、観覧チケットは売り切れているので、是非、18時より生配信でお楽しみください。

 以下は、今年、元旦に、『メルマ旬報』に掲載した内容の再掲載です。
 LIVEの前に目を通して頂ければ、西野 亮廣ファンも、そうでない人もより楽しんでいただけると信じています。

 一番最後の言葉に驚いたりもします。



 2021年01月01日

 『メルマ旬報』 に1月1日から連載している『博士の普通の日常』の第1回目に現在、映画『えんとつ町のプペル』が絶賛公開中の西野亮廣くんを取り上げましたが、なんと当時の連載を発掘したので、本人の許可を得て、こちらに掲載したいと思います。

「2013年の西野亮廣」の生の声です。


「踊る大紐育・絵本を描く」

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 「お前、絵を描けよ」
 ニューヨークでの個展開催へ続くこととなる僕の活動は、タモリさんのその一言から始まりました。
 銀座の地下にある薄暗いBARに呼び出され、2人でちびちびと呑んでいた時に突然言われたのです。

 僕は絵を描くことにこれっぽっちも興味がありませんでしたし、当時(25歳)は、深夜の関東ローカルからスタートした『はねるのトびら』が全国ネットのゴールデンタイムに進出したばかりで、それどころではありませんでした。
「あ、嫌です」
 と正直にお答えして、僕が絵を描くという話は終わりかけたのですが、そのあと、絵の話を肴に酒を呑み続け、少し酔ったのか「絵本ってつまんないよねー」「たしかに。絵本は全然面白くないっすね」「子供をナメてるんだよ、アレは」と悪口が弾みます。

 タモリさんのおっしゃることはもっともで、自分の幼稚園時代を振り返ると、年に一度の外食だって、値段を確認してから一番安いメニューを指して「おお! コレ、食べたい!」と嘘をついていました。
 4人兄弟でしたから、家の財布事情もなんとなく想像がつきます。だからと言って、そこで「一番安いやついい」と言ってしまうと、親の胸を痛めてしまいます。見た目こそ子供ですが、中身に関しては今とあまり変わりません。

 中身がそうですから、まんまるクマさんがどうのこうの、お喋りカエルちゃんがどうのこうの、といった内容の絵本で胸を踊らすにはかなり無理がありました。
 もちろん、絵本を読んでもらうことで親子のコミュニケーションがとれていたので、そういった絵本にも大きな意味があったとは思うのですが、「なんじゃコリャー!」と飛び上がるような絵本には出会えませんでした。

 あたりまえです。
「子供はこういうので喜ぶでしょ」で作られたモノに熱があるハズがありませんし、大人がそれを見透かすように、子供も同じように見透かします。少なくとも、タモリさんと僕の子供時代はそうでした。

そして僕たちは、「子供が興奮する絵本は、たしかな作り手が興奮する絵本だ」と結論しました。気がつけば話題は「絵本作り」に変わっていたのです。
「タモリさん。僕、物語を考えるのは好きですね」
 「だったら、絵本は?」
 「あ、いいかもですね」

 先に書いたとおり、『はねるのトびら』がゴールデンタイムに進出して、視聴率20%超えを連発していた時でした。
 傍から見ればそれはそれは順風満帆な芸能活動だったかもしれませんが、僕は挫折真っ只中にいました。
 フジテレビの深夜の若手コント番組がゴールデンタイムに上がった例は、ダウンタウンさんやナインティナインさんがそうです。
 僕はそういった方々が時代を駆け抜けてスターになっていく様をテレビ画面にヘバリ付いて観ていました。

 20歳で『はねるのトびら』を受け持った時に、「この番組をゴールデンタイムに押し上げることができたら自分はスターになれるんだ」「次は僕の番だ」と信じで疑わず、今思うと本当に恥ずかしいエネルギーでもって船を進めて、どうにかこうにかゴールデンタイムに漕ぎ着けました。

 しかし、そこでの景色はさほど変わりませんでした。
知名度こそ上がりましたが、言ってみれば「スター」にはなっていなかったのです。
 もちろん、才能や実力が圧倒的に劣っていることが一番の原因だとは分かっていましたが、僕が子供の頃に観ていた「深夜からゴールデンタイム」の物語には、そんなことすら有無も言わせぬ推進力があったようにも感じました。時代が変わったのかしら?

 ともかく原因が何であれ、人生に一度あるかないかの瞬間最大風速が吹いたのにもかかわらず、自分は「スター」にはなれなかったのです。ダウンタウンさんや、ナインティナインさんの次にはなれなかったのです。
 これを「挫折」と形容するのは贅沢な話だと怒られそうですが、全てを後回しにして、5年間そのことだけを信じてやってきた上でのこの結果は、なかなか大きなダメージがありました。
 しかし、だからと言って、素直に負けを認めるほど人間ができておりません。「正攻法で無理なんだったら・・」と挫折真っ只中に思案していたところに、降って湧いたのがタモリさんとの「絵本」の話でした。

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 水道橋博士さんからは「ニューヨークの個展のことを書いてくれ」と言われているのに、このままではニューヨークの話に辿りつくまでに少し時間がかかりそうです。

 すみません。ここから、少しずつニューヨークへ向かいます。お付き合いください。

 ゴールデンタイム進出後の結果を受けて、「モノ作り」に大きく舵を切ることを決意したわけですが、舞台ではなく、小説ではなく、絵本に見つけた可能性というのは「海を越えられる」ということでした。あとは音楽でしょうか。

 音楽とアート以外でも、海を越えることは可能だとは思うのですが、言語の問題しかり、文化の違いしかり、僕の中では少し想像しにくかったです。
そもそもが「ダウンタウンさんやナインティナインさんをひっくり返す」というところからスタートしているので、テレビに迎合するのではなくて、テレビが迎合する人間にならなければなりません。

 そのためには、日本の芸能界の手におえない人間になる必要があり、そのためには海外進出が最低条件で、海外進出のためには・・と段階を踏んで、考えが整理できたところでようやく絵本作りに「GO」を出しました。

 とはいうものの、これまで絵の勉強をしたことなどありません。「そもそも絵本ってどうやって描くの?」というところからのスタート。もちろん出版社も決まっておりません。

 しかしタモリさんには「絵本を描く」と言っちゃいましたし、吉本には「僕はもう、テレビのひな壇には座わりません」と宣言し、背水の陣を敷いてしまいました。
「タレントが絵本を描きました」といったクオリティーでは、お話になりません。それは、いつでもタレント活動に戻れる人のお仕事です。
 僕は退路を断って臨んでおりますので、絵本を当てなければ明日はありません。いきなり大ピンチです。

 半年近くかけて物語を考えて、いよいよ絵を描きはじめます。
 が、自分の描く絵がプロの絵本作家さんに劣っていることは百も承知。
 しかし、その絵本作家さんに勝たなければ、海外はおろか、日本でのヒットもありません。
 どうすればズブの素人がプロの絵本作家さんに勝てるのでしょうか。
 ひとまず、芸人が絵本を描く際のアドバンテージを考えることにしました。
 ストーリーに関しては少し分があると思っていました。
 毎日のように漫才やコントを書いて、実際に自分がやってみて、他人がやっているところも観て、お客さんの反応を直に体験しています。
 才能はさておき、ストーリーテラーの経験値だけでいえば他のどの職よりも勝っていると思いました。
 問題は絵です。いまさら絵の勉強をしても追いつけるハズがありません。「僕がプロの絵本作家さんに勝っている部分はどこなんだ?」
ウンウンと考えて考えて考えて、ようやく答えが出ました。

 「時間」です。

 絵本作りを生業とされている方々は、それが収入源の全てなので、短いスパンで作品を生み出さなくてはなりません。
 食いっぱくれてしまうからです。
 しかし、僕のように副業でやる人間は、とりあえずは芸能活動で飯を食えている間であれば、たとえば1冊を作るのに10年をかけることだってできるわけです。

 モノを作りに必要なのは「熱量」と「生活費(資金)」の二つだと僕は思っています。
 浮き沈みの激しい芸能界ですから一生保証されているわけではありませんが、しばらくは「生活費(資金)」が保証されているという状態は大きな大きなアドバンテージです。

 ちなみに、この「生活費(資金)」に関して、僕がニューヨークでの個展開催のお話をさせていただく際にとても重要になってくる「クラウドファンディング」というシステムがあるのですが、そのお話はまた次回以降に・・。

 話を戻します。
 つまりプロの絵本作家に勝っている点は「時間をかけることができる」ということですから、時間がかかるモノを作らなきゃ意味がありません。

 そこまで導き出せたら、あとはコッチのもんです。

 東急ハンズに走り、一番細いペン(筆先0.03ミリ)を注文します。
 絵の具の筆なんてもってのほか。そんなもので描いてしまうと、作業時間が短縮されてしまいます。
 そこはプロの巣窟です。そんなところには行きません。
 色も必要ありません。
 イラストレーターとして生きるわけではないので手広い技術を身につける必要がないからです。
 他は全部弱くてもいいから、一か所集中で技術を身に付ければいいと考えました。僕の場合だとペン画です。
 何の紙に描けばいいのかわからなかったので、「それ、ちょうだい」と番組ADさんからカンペ(スケッチブック)をいただいて家に持ち帰り、いよいよ筆入れ。

 ちなみに、3冊の絵本を出版した今現在も画材は当時のまま、0.03ミリのペンとカンペ(スケッチブック)です。

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 一冊目の絵本『Dr.インクの星空キネマ』の時で1ページ描くのに約60時間、三冊目の『オルゴールワールド』ともなると1ページ描くのに約120~140時間。
 ザックリ計算で1ページ1ヶ月、一冊描きあげるのに数年がかりの大仕事。もともと絵を描くのが好きではないため、苦痛でしかありません。

 それでも、世界をひっくり返すためならエンヤコラ。

 絵本制作開始から2年半が経ち、工程も半分過ぎたあたりで、出版社が決まります。
 つまり、出せるアテもないのに2年半やっていたわけです。我ながら関心します。
 出版社は幻冬舎さんが一番最初に手を挙げてくださったので、僕は幻冬舎さんで決めていたのに、絵本にノータッチであった吉本がここにきて欲を出して、コッソリと競合相手を探します。
 より、条件の良いところで出したかったのでしょう。

 ポプラ社さんの担当の方が手を挙げてくださったのですが、「色をのせてもらったり、作品にメスを入れさせてくださるのなら…」と条件が出たので、すぐにお断り。

 その作り方じゃ意味がありません。
 プロの絵本作家さんと違って、絵本作りに関して迎合する必要がないのが僕の強みです。と同時に、裏でコッソリと動いていた吉本を叱りつけます「俺が幻冬舎でやるって言ったら、幻冬舎でやるの!」
 このあたりはスピード出世の弊害、マコーレー・カルキン君に宜しくです。
 とにかく僕はワガママだ。

 それから、さらに2年が経ち、ようやく処女作『Dr.インクの星空キネマ』が完成します。
 値段はまさかの2500円。担当者さんが「上下巻に分けて、値段を下げますか?」と優しく手をさしのべてくださったのですが、「絶対に嫌です」と、ここでも高慢ちきが発動。
 ワガママを押し通し、150ページに及ぶ、なんとも気味の悪い絵本を世に出すこととなりました。

 出版事情をよく知らない僕は、
「内容は最高だし、こんな絵本は他で見たことないし、こりゃ皆がビックリして100万部ぐらいは軽く売れちゃうんじゃないの? これで世界がひっくり返るぜ!」

 と、めでたい気持ちで臨んだわけですが、売上結果は数万部。
 10万部にもまったく届きません。世界をひっくり返す前に、自分がひっくり返りました。
 手にとられた方の評価はかなり高かったのですが、数字がまるでついてきません。

「これは何かの間違いだ!」
 と、それから数年後の冬、2冊目『Zip&Candy ~ロボットたちのクリスマス~』を出版。

 「今度はイケる! 最高の物語だし、値段も1500円だし、なんてったってクリスマスシーズンにクリスマスのラブストーリーを出すんだから! 世界が恋に落ちるゼ」
とリベンジに臨みましたが、またもや売り上げは数万部。
世界は恋には落ちず、僕の頭髪がストレスで抜け落ちます。
 もはや、これが言いたいが為に前フリを強引に作っているきらいがありま す。すみません。

自分的には圧倒的なモノを生んだ自信はある。手にとられた方の反応も上々。ネットでの評判を見ても、かなり良い。なのに、数字がついてきません。
「絵本でこの売り上げは異例ですよ」と言われても、この気持ちは収まりません。「なんでだ? 何が良くなかったんだ?」
成功しているものには理由があるし、失敗しているものには原因があるハズです。「世界をひっくり返す」という目的で、数年かけて2冊を描きあげて、事実、世界がひっくり返っていないのだから、これは失敗です。
一度、筆を止めて、落ち着いて考えてみたら、原因がわかりました。

 僕は『モノを売る』ということと真剣に向き合えていませんでした。
「とにかく面白いモノを作って、とにかくビックリさせる。僕のやることはそれだけ」と。
 もしかしたら、作者がモノを売ることに汗を流すことがカッコ悪いと思っていたのかもしれません。
 とても無責任なモノ作りです。
 作品は受け手に届かなければ、この世に生まれてこなかったことになってしまいます。
 腹を痛めて産んだ我が子を、育てて世に送り出すのも親の責任です。そこは何があっても放棄しちゃダメだな、と深く反省しました。

 三度目の正直です。

 二度の負けは無駄にはしません。
 絵本『オルゴールワールド』、この作品で絶対に世界に出ます。

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僕は、『メルマ旬報』を発行している競合会社であるドワンゴさんで『西野公論』というメルマガを週一で発行しているので、本来はここに登場してはいけないのですが、今回の依頼は条件付きの特例で許しが出ました。

 水道橋博士さんからの「僕のメルマガは業界人や西野くんのことを理解していない人が多く読んでいるから、意義が大きいと思う」
 という誘い文句に乗せられて、吉本を口説き、ドワンゴさんを口説きました。
 僕のことを理解してようが、誤解してようが、正直そんなことはどうだっていいんです。
 来週、ニューヨークのマンハッタンのド真ん中で僕の絵本の原画展を開催します。
 日本人が海外にうって出る姿を一人でも多くの方に現在進行形で見届けていただきたくて。

 だからこそ、水道橋博士さんに声をかけていただいたこのタイミングで『メルマ旬報』に参加することに意味があると思いました。

 日本人が韓流を排除する運動を始めた時、悔しくなかったですか? 
 僕はもう、むちゃくちゃ悔しかったし、恥ずかしかったです。

 「何やってんだよ、日本人」って。

 不買運動? デモ? 違いますよね、アレ。エンタメで売られた喧嘩はエンタメで返さなきゃダメです。
なので、僕がやっちゃいます。
 僕は本気で奇跡を起こすつもりでいるので、皆様、何卒宜しくお願いします。

 とにもかくにも、まずは全力でアメリカをひっくり返してきます。
 失敗したら笑ってください。
 これはドキュメントですよ。



『ドキドキしてるかい?』

 なんで芸人なのに絵本を描くんだ?
 絵本の話をする前に、「芸人」をキチンと定義しておく必要がありそうです。
 「芸人」という言葉がそのまま職業名になっているので、少し混乱してしまいがちですが、僕は、「芸人」は「姿勢」だと考えております。

 周りの皆が進学を考えている時に「吉本に行く!」と叫んだ瞬間の姿勢や、安定した職を捨てて「沖縄で店を開く!」と叫ぶ親父がとった姿勢。
 そういった周囲の人間を“ドキドキさせる姿勢”の名前を「芸人」と呼んでおります。
そして、その“ドキドキさせる姿勢”を面白がり、その姿勢をとり続ける人のことを「芸人」と呼んでおります。
 音楽で言うところの「ロック」という言葉に似ているのかもしれません。
エレキギターを鳴らしてもロックじゃない人はいるでしょうし、フォークギターでも学校のホウキでもロックな人がいるように、ジャンルというよりも、「姿勢」「生き様」といったところでしょうか。

 わかりやすいのが、水道橋博士さんの「藝人春秋」。
 ホリエモンさんや、湯浅卓さんといった名前が並んでいますが、やはりドキドキさせてくれる「芸人」しかいません。

 ですから、「芸人とは、○○をして、○○という番組に出て、○○さんの言うことには従って‥」
 といった一般の方が考える芸人像に自分を寄せるつもりは一切ありません。その物差しに収まると「芸人」ではなくなるからです。
 僕はずっと僕が思っている「芸人」でいたいのです。
 今回のニューヨークでの個展開催は、僕の中では「芸人」の所業ド真ん中ストレート。

 だってドキドキするでしょ?

「世界に出る」と勝負をかけた三作目のタイトルは『オルゴールワールド』。
 原案はタモリさんです。
 実は、一作目を作っていた時に物語の入口の設定をタモリさんからいただき、「あとは、僕が仕上げます」とお答えしたのでした。

 『オルゴールワールド』はタモリさんの「なんで戦争が起こるか考えたことあるか?」という言葉から生まれた物語です。
「ありません。なんで起こるんですか?」

 始まりはいつもタモリさんです。

 「【好き】という感情があるからだよ。そんなものがなければ、たとえば、親を殺されてもやり返そうとは思わない。それはひとつの平和だよな。かぎりなく動物に近い。でも、【好き】という感情は遺伝子レベルで俺たちの身体に組み込まれてしまっているから、戦争は終わらないね」

 ゾッとしました。そしてタモリさんは、このことを今度の絵本に入れよう、とおっしゃったのです。ナンテコッタイ。

 三作目は「世界平和」を描くこととなり、この難しすぎる問題に決着をつけるのに数年が経ってしまいました。が、世界にうって出るにはもってこいのテーマです。

 そろそろ絵本が完成するぞという頃。
「日本でヒットして海外に」という流れにも疑問を持ちはじめました。
 海外の出版社と契約がとれるのを待って、そこから翻訳をして‥
 それを待つだけの時間が僕にはありません。
 その先に何年もかけてやりたいことがたくさんあるからです。
 ウォルト・ディズニーが30歳そこそこでミッキーマウスを生んだという事実に本気で焦りを覚えていたりもしました。

 アイツには負けられません。

どうすれば世界に出られるのかしら? 
 あれやこれやと策を練り、ハッとします。
「ん? なんでこんな単純なことに気が付かなかったんだ」
 絵本ですから文章の量はさほど多くありません。
 だったら、英訳文を下に付けても邪魔にならないハズ。
 しかも、オシャレな感じも出そうだし(横文字ってカッコイイ)。
 英訳文を載せた絵本であれば、そのまま海外の出版関係者に直接渡すことができます。

 これは、やってみる価値はおおいにありそうです。

 入稿間近も間近、まさかまさかの10日前に「今度の『オルゴールワールド』に英訳文を載せましょう」と担当の編集者に電話。

「えええ? 今から翻訳家さんを探して、企画をお伝えして…ま、間に合いますかね?」
「大丈夫です。今日中に僕が探して話をつけますので、あとは間に合わせてください」
ちなみに翻訳家さんのアテなどありません。
とりあえず言ってみて、引き下がれない状況を作ってから、行動する。
僕の仕事はいつもこの調子。
要するにサボリ症なんです。

急いで翻訳家さんを探し、翌日には作業にあたってもらいました。
本当に無理を言ってしまって申し訳なかったです。
そんなこんなで、勝負作となる絵本がついに完成。

作画作業にかかってから3年、タモリさんから入り口のアイデアをもらってからは実に5年の歳月が過ぎていました。

 2012年11月9日、『オルゴールワールド』発売。

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 すぐに重版もかかり、出だしは好調。
 引っ張られるようなかたちで前2作にも重版がかかりました。
 以下、発売から2ヶ月経った頃に書いた僕の日記です。

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 最新作『オルゴールワールド』が発売されてから2ヶ月が経ちました。
 本当に評判も良く、ありがたいことに何度か重版もかかりました。
 しかし、まだまだ。
 本に限らず、作品は「生み出して終わり」ではありません。
 お客様に届かなければ、その作品はこの世に生まれてこなかったことになってしまいます。
 せっかく産まれてきた我が子を見捨てるようなマネだけはしたくありません。

 「とにかく売らねば!」

 「新刊が発売になりましたー!」
 とテレビやインターネット、紙媒体で宣伝して、「あとは祈るのみ」という時代はもう終わったということを踏まえた上で動こうと思いました。
 景気が傾いて、娯楽がこれだけ多様化された時代に、大衆に向けての網漁のようなCMは時代錯誤。

 きっと今は「1対1」でモノを売る時代なのだと思います。
 販売の原点回帰ですね。

 だからと言って、現代のツールを使わないということではありません。
 ツイッターだってモーレツに利用します。
 ただ、その使い方が「ツイッターで告知して終わり」ではなく、告知した後にエゴサーチをかけ、『オルゴールワールド』について呟いている人を探し、「作者の西野です。絶対に感動させますので是非。取扱店は…」と自分からアクションをかけ、1対1でやりとりをします。

 そういった個人のツイッターのやりとりは、この2ヶ月でザッと2000件以上させていただきました。発売直後からは携帯電話にヘバリつく毎日。しかし、これで買ってもらえるならラッキーです。

 足繁く本屋さんにも通い、店員さんにご挨拶。
 まずは置いてくださったことに対する感謝の気持ちをキチンとお伝えして、サイン本を頼まれれば何冊でも。
 出版元である幻冬舎さんに
 「あのお店は返本が多いのでサインを入れられると…」
 と渋い顔をされようが、おかまいなし。
 自分の本を大々的に展開してくださっているお店さんの頼みを断るようなことができるハズありません。
 本が余れば自分で買い取ればいいだけの話だぜと、サインを書き書き。
 そしたら、
「絶対に返本いたしません。必ず全部売ります」と、そのお店。
 そうだよな。
 本来、「モノを売る」って、そういう信頼関係と覚悟だよな。

 テレビやラジオ、ホームページやツイッター、紙媒体や本屋さん…そこで、どれだけ告知しようが、そういったところにアンテナを立てていない人もたくさんいらっしゃいます。
 「そういう人達に届けるにはどうしたらいいのやら?」
 とアホなりに考えます。

 とにもかくにも、「買う、買わない」の前に『オルゴールワールド』の存在を知ってもらわなければ話になりません。
 「こうなりゃ、足を使うっきゃない!」思い立ったら即行動。
 担当の袖山さんに電話。
「『オルゴールワールド』のチラシを1万部作ってください。僕、それ全部配ります」

 僕は大酒呑みなのですが、腹が出るのが嫌なので、ジョギングを日課としております。
 それを利用しない手はありません。
 年明けからジョギングついでに『オルゴールワールド』のチラシを配り始め、現在までで8000部配り終えました。
 ジョギングの暇潰しにちょうど良いので、あまり苦になりません。
そのチラシの効果がどれほどあるのかは知りませんが、
 「効果がなかった」と知れるだけでも次に繋がります。

 今回、チラシを配る時も、僕的には『オルゴールワールド』を必ず置いている本屋さんに誘導するような内容にしたかったのですが、「ウチの地域で他の店に客が流れるような告知はあまりしてほしくない」という“本屋さんのテリトリー”なるものが存在していることを知りました。
 なんとお粗末な企業努力。
「本が売れなくなっている背景にはこういうこともあるのだなぁ」
 と知れただけでも収穫でした。
 だったら、そこの抜け道を探すまで。
 とにかく、「出版不況」は考えられる全ての可能性を試した人間だけが口にしていい言葉です。

 僕はまだまだ試せていません。

 発売から2ヶ月経ちましたが、きっとまだまだやり方があるのだと思います。僕はその方法を探して、『オルゴールワールド』が一人でも多くの人の手に渡るようエンヤコラ。

 自分の作品を自分で宣伝するのは少し恥ずかしいですが、作品が世に出るまでに一緒に汗を流してくださったスタッフさんのことを思うと安いもんです。
 それに、腹を痛めて産んだ我が子の成長を後押しして見届けるのは、親として当然の務めです。

 誰が何と言おうと、ウチの子が一番なんです(笑)。

http://www.webdoku.jp/melma_pr/images/10-17-02.jpg

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気合いに満ちた文章です。
とにかく売りたくて売りたくてたまらなかったのです。
もちろん、今も。
ちなみにこの時のチラシは無事に1万枚配り終えました。
すべてポスト投函です。

この日記には書いていませんでしたが、僕の絵本でもっとも宣伝効果があるのは、絵本の原画展です。

 生で原画さえ見てもらえれば、絵本に手を伸ばしてもらえることが本当に多いのです。
実は、この「原画展で絵本を売る」という販売モデルは、二作目の『Zip&Candy』から始めていました。
 その時もかなり大きな反応があり、今回も『オルゴールワールド』原画展を展開してくださった大阪のスタンダードブックストアさんでは1店舗で1ヶ月に1000冊以上の売り上げ。

 「やっぱり、この方法は届くんだ」
原画展に確かな手応えを感じ、話はいよいよニューヨークへ。

 長くなりましたが、ここからが僕の連載(全4回)の本題です。

 「ニューヨークで原画展をやろうよ」

 もちろんひっくり返るマネージャー陣。
 「ええ!? また急ですね」
 「急じゃないよ。俺、ずっと狙ってたよ」
 「ニューヨークでやるって言っても、スケジュールは…」
 「以前、2月に1週間休みちょうだいって言ってたでしょ?」
 「はい。一応空けてますが…」
 「ア・ソ・コ」
 そんな調子でついに動き出した『にしのあきひろ絵本原画展inニューヨーク』。
 この原画展に海外の関係者を呼んで、絵本を直接渡す大作戦です。
 英訳文を載せたのがここで効いてきます(たぶん)。

 ニューヨークで原画展を開催するにあたって、最初に直面した問題はやはり「運営資金」です。
 資金繰りはどうしましょ?
「とりあえずスポンサーを探してみます」
 とマネージャーのカミガソ君があちらこちらにアタックしてくれましたが、芸人のニューヨークでの個展開催に資金援助してくださるスポンサーはなかなか見つかりません。

 当然と言えば、当然の結果です。
 「まいったなー」と思っていたところに、「面白いサイトを見つけましたよ」とカミガソ君。実に働き者です。

 「『CAMPFIRE(キャンプファイヤー』というサイトがあるのですが…」

 去年頃からチョコチョコ聞く名前でしたが、そのサイトが具体的にどういったシステムで進められているのかまでは知りませんでした。
 「あやしいサイトだったらどうしよう」と訝りながらも、CAMPFIRE(キャンプファイヤー)のスタッフさんとの打ち合わせ。

 その打ち合わせで、「CAMPFIREはクラウドファンディングの国内最大サイト」と知ります。

そもそも、「クラウドファンディング」とは何ぞや?

 ご存知の方もいらっしゃるとは思いますが、「クラウドファンディング」とは、実行者(クリエイター)が活動に必要な資金を、ネットを通じて活動に共感した支援者(パトロン)から支援金を募ることができるシステムです。

 もちろん支援してくださった方(パトロン)には支援額に応じたノベルティーはあるのですが、感覚的には「カンパ」に近いかもしれません。
 この「クラウドファンディング」というシステム。
 海外のクリエイター達は日常的に使っているらしいのですが、日本にはまだまだ根付いておりません。

 さらには、芸能界はペニーオークションで揺れている真っ最中で、相方の梶原は生活保護で世間様をお騒がせしたばかり。
 そんな中、「やりたいことがあるから、お金をカンパして」と声を上げることに多少の躊躇いはありましたが、僕は「クラウドファンディング」を「クリエイティブの革命」と捉え、すぐに決断。

外野の声は無視。
「これは新しい文化だ」と言いきったもん勝ちです。
「よし! CAMPFIREでニューヨークの個展の運営資金を集めよう!」
と叫んだのが1月16日。

 渡米用に空けているスケジュールは2月15日からでしたから、もう1カ月を切っておりました。
「本当に1ヶ月後にニューヨークにいるのかしら?」

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CAMPFIREで募る「目標金額」は150万円に設定しました。
これはギャラリーの使用料と交通費などの必要最少額です。
「目標金額」に達さず「不成立」になると、集まった支援金は全て返さなければならないので、「目標金額」はできるだけ下げておこうという判断でした。

 個展開催まで1カ月を切っているので、「3週間あればギリギリ集まるかもしれません。すぐに企画を発表して、CAMPFIREにサイトを立ち上げましょう!」というマネージャーの判断でしたが、「いや、目標金額も下げて、募集期間にも保険をうつのはよろしくない。
 少し厳しいかもしれないけど支援金の募集期間は2週間にしよう。そして、企画発表から実現までを3週間にしちゃおう」と私。

 どうせ切羽詰まっているのであれば、トコトン切羽詰まらせた方が傍から見ている人からすれば見応えがあるし、階段を上っていく姿にはスピード感があった方が喜んでもらえるはず。
 失敗したら元も子もありませんが、もともとゼロからのスタートですし、失うものはありません。
 だとしたら、成功した時に、その過程そのものがエンターテイメントになっている方が面白い。
 映画や小説と一緒。人様の胸を驚かせる物語にはピンチとスピード感は必要不可欠です。
 というわけで企画発表をあえて後ろにズラしての挑戦。
 はたして2週間で150万円は集まるのか? 
 浮足立つマネージャー陣。

「どうだい、カミガソ君?」
 「ドキドキしますね」
 その言葉が大好きなんです。

『大きな期待と大きな不安』

 ニューヨークの個展の運営資金はクラウドファンディングで集めることになりました。
 しかも、2週間で150万円を集め、その1週間後には個展開催というハチャメチャなスケジュールです。

 本来であれば準備期間をしっかりとって、手堅く企画を進めるところですが、前回お伝えしたとおり、「ニューヨークでの個展を実現させる」というドキュメントを面白がってもらおうという狙いがあり、短期決戦に決めました。

 そして実は、短期決戦に決めた理由がもう一つあります。
 逆境に燃える僕のアイデアマンっぷりが存分に発揮された超ナイスな作戦だったのです。
 それはチーフマネージャーのカミガソ君との、こんな会話から。

「ちなみに150万円の内訳ってどうなってるの?」
「20%はサイトの手数料。あとは、ギャラリーの使用料と交通費と絵の運搬費です」
「え、宣伝費は?」
「…そこなんです。どうしましょうか、西野さん」

 個展をやっても人が来なければ意味がありません。
 来てもらうためには、知ってもらわなければなりません。
 宣伝は必要不可欠です。

 アイデアマン西野は考えます。

「日本にはクラウドファンディングというシステムを知らない人がまだまだ多い。ニュースの素材としては十分だと思う。
 『クラウドファンディングを使ってニューヨークで個展を開催する』というのは必ずニュースになる。それを宣伝に使っちゃおう」
「具体的に言うと?」
「ニュースの効力が残っているうちに個展を開催しちゃうのさ。2週間で支援金を集めて、その1週間後には個展初日。ニュースが勝手に宣伝してくれるから、これなら宣伝費はいらないぜ」

 自分でも惚れ惚れする饒舌な語り口。

 マネージャー陣の膝を打つ音がパンパン聞こえてきました。
 この瞬間を女の子に見られていたら完全にモテモテ状態になっていたに違いないと、こうして文章に起こさせていただきました。
 脚色は一切ありません。
 このときの僕は本当にカッチョ良かったのです。
 見て欲しかったなあ。

 仕事がなけりゃ、時間がある。
 金がなけりゃ、覚悟がある。
 美貌がなけりゃ、笑いがある。
 とにかくアタシにゃ、何かある。

 僕が逆境に立たされた時に、大切にしている言葉です。
 クラウドファンディングで支援金を集めてから、半年後に個展開催では、そこであらためて宣伝をしなければなりません。
 しかし、その宣伝費用はありません。
 自分から宣伝することができないのであれば、宣伝してもらえばいい。
 というわけで、「ニュースになることで宣伝費を浮かせる」という作戦でいくことに。
 つまり、ニュースが生きている間に勝負を決める、短期決戦です。

 1月25日。
クラウドファンディングサイト『キャンプファイヤー』にページを立ち上げ、ニューヨークでの個展の開催の企画を発表しました。

 もちろん、目標金額150万円が集まらなければ全てが終わりです。
 それまで集まった支援金は全て支援者のもとに戻されます。
 それがクラウドファンディングサイト『キャンプファイヤー』のルールです。
支援金額に対するリターン(ノベルティー)は、以下のとおり。

¥500     
NYに着いたら、NYの様子や写真を添えてお礼のメッセージを送ります。

¥3000    
作品をモチーフにして制作したポストカード(直筆サイン入り)を5枚セットで差し上げます。

¥8000    
色校(絵本の印刷の具合や色味を見るためのプリント)の複製(直筆
サインを入り)をプレゼント。アクリルフレーム付き。(限定100名)

¥10000   
絵本の制作に実際に使われた色校のオリジナル(直筆サインを入り)
をプレゼント。アクリルフレーム付き。(限定30名)

¥15000   
絵本の制作に実際に使われた色校の2ページ見開きサイズのオリジナ
ル(直筆サインを入り)をプレゼント。アクリルフレーム付き。
(限定30名)

¥30000   
今まで発表した絵本3作品から1枚ずつ、原寸大複製原画を額装(直
筆サイン入り)してプレゼント。

¥100000  
筆ペンで描いた作風で、ご指定いただいた絵を描いてプレゼント。
(限定10名)

¥300000  
絵本制作に実際に使用している細密ペンを用いた作風で、ご指定いた
だいた絵を描いてプレゼント(限定3名)

 …と、こんな感じでリターンを事前に提示します。
 支援の最高額は30万円。
 そのリターンは支援者様から写真を頂戴し、そのイメージでオリジナルの絵を描くというもの。
 同じようなことを以前、JUN SKY WALKER(S)の宮田和弥さんのソロアルバムのジャケット制作を依頼された時にやらせていただきましたので、その時の絵を参考例としてサイトに掲載させていただきました。

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 コチラのノベルティーは「限定3名」と謳いましたが、僕ら的には1人でも買ってくれる人が現れたらラッキーといったところ。
 2週間で150万円という高い高いハードルです。
 「はたして、どうなる?」

 ついにクラウドファンディングが始まりました。

 サイトに企画を立ち上げてから、しばらく画面を見守っていましたが、仕事があった為に途中でパソコンから離れました。
 再びサイトを覗くことができたのは翌日。
 画面に出された支援総額を見て、驚きました。
 たった1日で支援総額は目標金額の150万円を大きく上回り、200万円に達していたのです。

 すぐにマネージャーに電話。

 「えらいコトになってるね」
 「はい。とりあえず初日でニューヨーク行きは決定しました。ここからの支援額の集まり次第で、やれることが増えていきます」

 初日の結果を受け、一気に勢いづくスタッフ陣。
 終わってみれば2週間で585名のパトロン(支援者)。実に531万1000円という大きな大きな支援が集まりました。
 この結果で当初の予定は大きく変わります。
ニューヨークに行くスタッフを1人増員し(もとは僕を含め3名)、さらには絵本を現地に持って行って販売することが可能となりました。

 絵本の販売に関しては、配送費と関税(1冊につき20%)で、かなりお金がかかるために当初は諦めていたのですが、パトロンの皆様が絵本の販売を可能にしてくださいました。
 これは大きな可能性です。

 ニューヨークの個展の狙いは、自己満足でも、肩書き作りでも何でもなく、「アメリカで絵本を出版するチャンスを作りに行く」というものでした。つまり、向こうの出版社に届けることが狙いです。

 もちろん、会場に訪れた出版社の人間に配る用に絵本を数冊は持っていく予定でしたが、予想を大きく上回る支援金が集まったおかげで、絵本を数百冊単位で持っていくことができ、それを一般の方に売ることが可能となりました。

 絵本が多くの人に渡れば、それだけ可能性は広がります。
 もしかすると、「アメリカで出版」以上の話になるかも…。
 まあ、少し甘い考えはさておき、いずれにせよ何が将来に繋がるかはわかりません。分母は大きい方が良いに決まっています。
 とにもかくにも皆様のおかげ。
 大きな後押しを受け、感謝感謝でニューヨーク行きが決定しました。

 さて、そうなってくると、次の問題は集客です。
 クラウドファンディングサイト『キャンプファイヤー』でパトロンを締めきったのが2月9日。
 15日には日本を発ち、16日から個展が始まります。
 分かっていたことですが、時間はありません。

 コチラの狙い通り、「クラウドファンディングでニューヨークに行く」ということはニュースになりました。
 が、日本にいる間に、まだまだやれることはあるハズです。
 「お金をかけずに告知をするにはどんな方法があるんだろう?」
 実は531万1000円という額をもってしても、軽く赤字となる今回の企画。
 仮に宣伝ができたとしても、メディアでの露出はもう間に合いません。
 どうしましょ?

 脳裏をよぎったのは、絵本『オルゴールワールド』を出版した時におこなった「チラシ作戦」でした。
 チラシを1万枚刷り、一件一件ポスト投函するというもの。
 体力は使いますが、お金は使いません。
 大衆に向けた告知ではなく、1対1での告知作戦。
 ツイッターでエゴサーチをかけ、ニューヨークに関して呟いている人を探し出し、ニューヨーク在住の日本人に片っ端から声をかけていきました。

 「突然のツイート、お許しください。
 私は日本でお笑い芸人をやっているキングコングの西野亮廣と申します。    この度、マンハッタンのギャラリー『One Art Space』で2月16日~18日まで個展を開催する運びとなりました。
 入場は無料です。
 お時間あれば是非お越しください」

 関係者、一般の方問わず、一人一人にこういったメッセージを送らせていただきました。
 まったく面識のない坂本龍一さんにも。
 ちなみに坂本龍一さんは個展期間中アイスランドに滞在されているとのことで、参加は不可能だったのですが、僕のコメントに対して「引用リツイート」で返信してくださり、坂本龍一さんのフォロワーの方々に宣伝してくださいました。ありがたや、ありがたや。

 そんな調子で数百人に声をかけ、やりとりの中で「何か手伝いましょうか?」という言葉が出たら、すぐに捕まえて、「酒をご馳走する」という条件付きでボランティアスタッフに取り込みます。
 集まったボランティアスタッフは計30名。
 フライヤー配りや、ギャラリー前で呼び込みをしていただく予定です。

 ニューヨーク在住の日本人向けの媒体のスタッフさんが個人的にやられているツイッターを見つけだし、声をかけました。
 あわよくば取材していただこうという魂胆です。
 キャバクラ嬢のごとき営業メールの嵐。
 ニューヨーク行きが決まってからは、寝ても覚めても営業メール、


「個展に来てください」
「個展に来てください」
「個展に来てください」

 さらには、「風邪で倒れてはなるまい!」と、R-1ヨーグルトをパクパク食べました。
 かなり予防になるんだってさ。
 今回は人様の支援で実現した企画なので失敗は許さません。
 「何がなんでも成功させる」という執念でグイグイ進みます。

 今回の個展はこれまでに出版した3冊の絵本の原画展ということで、絵を楽しんでいただくことはもちろん、物語も楽しんでもらいたいと、前2作の翻訳(最新作『オルゴールワールド』はすでに英訳付き)をお願いしました。
原画の下に英訳で書かれたストーリーのボードを貼ることになったのです。

 個展のタイトルを『Akihiro Nishino Solo Art Exhibition』とし、フライヤーを5千部ほど刷りました。
 こういったこと全てにかかる経費はクラウドファンディングで集まった支援金から出されております。
 目標金額を大幅に上回ったことで、いろんなアクションがかけられるようになりました。

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 2月13日。
 マネージャーの佐伯くんと、お手伝いの山田君が先発隊として日本を発ちました。
 彼らの使命はギャラリーの設営に立ちあうことと、現地ボランティアの方々と一緒にフライヤーを撒くことです。

 フライヤーは通行人に手渡すのはもちろん、近所のお店に置いてもらえるように一軒一軒アタックします。
 調べていると、今回使用させていただくギャラリー『One Art Space』の近くにレディー・ガガの父親が経営しているお店があることを知り、渡米寸前の山田君に慌てて電話。

「レディー・ガガは今ニューヨークにはいないらしいけど、父親に絵本を渡したら、いつかレディー・ガガに渡るかも。山田君、店に潜入して、父親に絵本『オルゴールワールド』を渡してきてもらえるかい?」

「もちろんですよ!レディー・ガガがツイッターで呟いたら儲けもんですもんね!」

こういった種はできるだけ撒いておくことが大切です。
いつ、どこで芽が出るかわかりません。
期待してるぞ、レディー・ガガ。

 ツイッターには「1日に呟ける回数」などの制限がいろいろあるらしく、何度もキャパシティーをオーバーしてしまう始末。
 とくに現地ボランティアさん達とのDMが頻繁に固まってしまいます。
「こうなったら!」と、ついにFacebookを始め、ツイッターとFacebookのダブル攻勢でラストスパートに入ります。

「個展に来てください」
「個展に来てください」
「個展に来てください」

 2月15日。
 渡米当日の朝。
 現地の佐伯マネージャーから半泣きの電話がかってきます。

「西野さん。壁に貼られた絵の順番がバラバラです!」
「え? なんで。『絵本のストーリー順に』とお伝えしなかったの?」
「お伝えしました。文章はストーリー順に貼られていたのですが、絵がバラバラです!」
「…すごいね」
「コチラが確認してから壁に貼ってもらうようにもお伝えしたのですが、業者の方が勝手に作業を始めちゃったみたいで…」
「ちなみに、貼り直すのは大変なのかい?」
「壁に釘で打ちつけちゃってますよ。140枚分…」

 さすがアメリカ、自由の国です。
 すでに業者の方は「ワンダフル!ピクチャーブック!!」と大満足で帰っていかれたという。
 狼狽する現地スタッフ。

 日本を発つ寸前のチーフマネージャーのカミガソ君と2人で緊急会議。
 個展は16日からですが、ニューヨークの現地時間は日本より少し遅れているので、今から作業にあたればギリギリ間に合うかもしれません。

 「西野さん、ここで妥協はやめましょう」
 「そうだね。もう一度、業者の方を呼んで設営やり直しだね」

 現地スタッフにその旨を伝えて、あとは「なんとか、間に合ってくれよ」と神頼み。

 大きな期待と大きな不安を抱えながら、成田空港へ。

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 人様のお金で活動することは、とても恐いことです。
 期待を背負うことも、とても恐いことです。
 今回、そのことを身をもって知りました。
 強気な発言で誤魔化しながら、ニューヨークの個展を発表してからずっと震えていました。恐い、コワイ、こわい。
 しかし、そういった恐い場所に首を突っ込んでいくことをやめた時に、一か八かの勝負を続けることをやめた時に、こういった仕事は緩やかなフェードアウトが始まるような気がします。

 その方が恐い。

 何かが始まるような、何かが終わるような、そんな場所に立っています。

日本時間2月15日。15時の便で日本を発ちました。
いよいよニューヨークの個展が始まります。

『大魔法コンニチワ』

 水道橋博士さんから「ウチの『メルマ旬報』で連載をしないかい?」と声をかけていただいたものの、僕は権利問題には日本一うるさい吉本興業に席を置き、さらにはドワンゴさんの方で個人的にブロマガ『西野公論』を配信している身。

「それでもやりたい」とダダをこね、『メルマ旬報』はいくつかの条件付きで特別なお許しがあった上での参加でした。

 そんなわけで今回が最終回(全4回)。

 しかし、ニューヨークの個展のことをお話しするには結果的にちょうどイイ尺であったと思っております。

さて、日本を発つ朝に発生した大問題。
今回の個展はあくまで「絵本の原画展」で、これまでに発表した絵本の原画(計140点)をストーリー順に展示し、来ていただいたお客様には、絵はもちろん、物語も楽しんでもらおうというのが狙いです。

もちろん、その先にはアメリカでの出版。

 そのために今回は、全ての原画の下に英訳した絵本の文章を貼っていただく発注をしていたのですが、なんとなんと、現地の業者さんが、絵をバラバラに貼ってしまい(釘でしっかりと)、スタコラサッサッと帰ってしまったというのです。

 ストーリー順に綺麗に貼られていたのは英訳された文章ボードのみ。
「それじゃ意味ないじゃ~ん」と叫んだところで、相手は自由の国・アメリカ。声は届きません。
 日本では信じられませんが、こういったことは向こうでは日常茶飯事で、設営には作者が必ず立ち合うものだということは後から聞かされました。トホホ…。

 慌てて業者を呼び戻し、再び設営やり直し。
 個展開催まであと1日とチョイ。はたして間に合うのか? というところで日本を発ちます。
 あとは先に現地に入ったスタッフに任せるしかありません。
 不安要素を潰していく動きが何もできない機内では、映画『るろうに剣心』の佐藤健くんにドキドキしていました。

 半ケツを出すので、お姫様抱っこされたい。


 2月15日16時(現地時間)。

 ジョン・F・ケネディ国際空港到着。
 海外での初めての個展『Akihiro Nishino Solo Art Exhibition』は翌朝11時から。
 もう時間がありません。
 入国審査に手間取り、かなり遅れてギャラリーに到着。
 ニューヨークのマンハッタンのど真ん中に構えるギャラリー『One Art Space』が今回の決戦の舞台。

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 実はこのギャラリーのオーナーであるダンさんが、僕の絵をいたく気に入ってくださり、なんとムチャクチャな強行スケジュールにも快く協力してくださったのです。

 もちろん本来は数カ月前から予約しておかなければいけません。
 特例というやつです。
 さっそく、絵の「力」を実感しました。

 ギャラリーに入るやいなや、そのダンさんから大きなプレゼント。
 24cm四方の原画を大きく大きく引き伸ばしてパネルにしてくださったのです。
「これだけ引き伸ばしても精密さが失われていない。これはアキヒロの魔法だ!」と誉めてくださいます。

 嬉しくなって写真を一枚。

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 いただいた拡大パネル(計2枚)は、期間中、そのまま正面入り口とギャラリーの中に飾らせていただくことにしました。

 一瞬、オリジナルと見間違えるほどに精巧な複製。
 小さな絵ばかりなので、迫力があってナイスなんです。

 心配の種であった設営は、なんとか明日のオープンには間に合いそうとのことで、ホッと一安心。

 事前に声をかけておいた現地のボランティアの方々とも合流することができ、「明日から何卒、宜しくお願いします」とご挨拶。

 導線の確認や、照明の微調整をしていたら、ギャラリーの前を歩く外国人カップルが窓越しに覗いてきたので、中に入れると、
「ワンダフォー!」
「ビューティフォー!」の連発。

オーナーのダンさんと、この外国人カップルの反応にかなりの手応えを感じ、「これは、もしかすると、とんでもないことになっちゃうかも!」
と期待に胸が膨らみます。

 その夜はスタッフ&ボランティアスタッフさん達と酒を呑みました。
 クラウドファンディングで資金を募る際に「飲食代に関しては全て自腹です」と何度もアナウンスしておいたので、気兼ねなく酒を呑むことができます。
 実はクラウドファンディングサイト『キャンプファイヤー』で他の方のプロジェクトを見た時に一番気になった部分が支援金の内訳の不透明さでした。
「何にいくら使った」という内訳を一円単位で報告しなければ、ハシャいだ時に余計な疑いをかけられるので、全力でハシャげません。
 この辺りは抜かりのない私。遊ぶ時は徹底的に。

 初の海外個展の前夜はヤンヤヤンヤの宴でございました。


 2月16日、午前11時。

 『Akihiro Nishino Solo Art Exhibition』スタート。
 それは最悪の幕開けでした。
 日本を発つ前にあれだけ現地の方に直接声をかけ、先発隊が二日前からニューヨークに入り、現地のボランティアスタッフさん達と事前にフライヤーを撒いたのに、お客さんが一人も来ないのです。

 平日ではありません。
 個展期間中の3日間、ニューヨークは3連休です。
 5分経っても、10分経っても、20分経っても一人も来ませんでした。
 慌てて、フライヤー片手に街へ飛び出しました。

 とにかく、今回の挑戦は日本の方からの支援で実現したものです。「失敗しました。えへへ」では国に帰れません。
 支援してくださった方は、もちろん「親切心」も大きくあったとは思うのですが、それだけではなく、きっと見たかったのだと思うのです。

 突破する瞬間を。

 もしかしたら、支援してくださった方の中には、もう自分がそういったことに挑戦することを諦めてしまった人だっていたかもしれません。
 今回、クラウドファンディングというカタチをとった以上、僕には、そういった方の想いを託された可能性があります。
 バトンを渡された可能性があります。
 怖れ多いですが、僕にはそういった方々に夢を見させる責任があるのです。

 なのにどうでしょう。
 カッコつけてニューヨークで個展を開催して、お客さんが一人も来ていません。
 「こんなんじゃ、帰れない」
 もう、いてもたってもいられなくなって、慣れない英語で話しかけて必死でフライヤーを配り続けました。
 スタッフが僕の胸中を察していたことは痛いほど分かりました。
 ギャラリーには最小限のスタッフだけを残して、皆、懸命にフライヤーを配ってくれました。

 ニューヨークの冬はとても寒く、気温はマイナスです。

 日本でやれることは全てやったつもりです。
 現実がそこまで甘くないことは覚悟していましたが、まさか、ここまでとは思いませんでした。

「やっぱり無理があったのかな。
 後押ししてくれた皆さんに何て言おう…」

 1時間ほどフライヤーを配って、ギャラリーに戻ると、お客さんが3~4人いました。
 来場者数を数えるカウンターをコッソリ見ると、「11」という数字。
 僕がギャラリーを離れている間に奇跡を期待しましたが、
 「一時間半で11人」
 これが現実でした。

 それでもギャラリー内にいる外国人のお客さんの反応は本当に良くて、皆、驚きと絶賛の声を上げてくれました。
 そして、お客さんからの質問攻めに答えていたその時でした。
 入口の方から「ハーイ!」と大きな声が聞こえてきたのです。

 たった今、入って来られた外国人のお客さんが受付スタッフと喋っています。
 「スタッフの友達なのかしら?」と思い、近寄っていって話かけてみたところ、さきほど(僕がギャラリーを離れている時に)来てくれたお客さんが、友達を連れて戻ってきたというのです。
 入口のカウンターの数字が「12」になりました。
一度来てくれた方は数えないそうです。
 「戻ってきた人も数に入れてよ」
 とセコイ考えは捨て、再び、お客さんの対応に戻ります。

 ポツリポツリとお客さんは入ってきますが、あいかわらず。
「1日に300人来たら大成功だね」
 と行きの飛行機でチーフマネージャーのカミガソ君と話していましたが、とても届きそうにありません。
 それでも、絵を観た方の反応はたしかに良いのです。
「観てもらえさえすれば!」と内心歯をギリギリさせながらも、笑顔でギャラリー内にいるお客さんの対応にあたります。

 そしたら、また入口で大きな声。
 そこにいたのは、さきほど一人で絵を観ていたアメリカ人のお父さん。
 4人の家族を連れて戻って来られたのです。

 オープンしてから3時間。そのあたりからでした。

 一度来たお客さんが友人や家族を連れて戻ってきたり、一度来たお客さんからこの個展のことを聞きつけてやってきたという新たなお客さん。
 ついさっきまで、3~4人しかいなかったギャラリーに突然、人の波がドッと押し寄せたのです。

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 これは一体なんだ?

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 しばらく圧倒されてしまいました。
 「何かスゴイことが起こってますよ」とマネージャー。
 オープンして3時間ほど、フライヤーを配ろうが何をしようが、ずっと閑散としていたギャラリーに、突然これだけの人がやって来たのです。

 ギャラリーの前では、「とにかく、今すぐ来い!」と電話するお客さんの姿もありました。3時間以上、絵に見入る方もいらしゃいました

 ニューヨークで僕が見たのは、映画のような現実でした。

 お客さんでギャラリーが埋まってから、ずっと身体がゾクゾクしていました。
 僕は英語がほとんど分からないので、海外のお客さんが言っていることの半分も分かりませんでしたが、とにかく全力で感動を伝えようとしてくれました。

 届いたのです。

 タモリさんから「お前、絵を描けよ」と言われてチビチビと描き始めた絵は、海を超えて、たしかに届いたのです。

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 絵本『オルゴールワールド』の中で、若者と長老のこんなやりとりがあります。

 「世界をつなげる魔法は何ですか?」
 「感動じゃよ」

 僕はタモリさんが『オルゴールワールド』の原案を考えられた時に出された「好きという感情があるから戦争が起こる」という答えは、悲しいけど、やっぱり正解だと思っています。

 僕たち人間は「好き」という感情を消すことなんてできないから、その理屈でいうと、「恒久の平和」なんて存在しません。これも悲しいけど、やっぱり正解だと思っています。
 戦争はなくならないと思います。
 だけど、一瞬だけなら止めることはできます。
 ゲラゲラ笑っている最中にはミサイルのスイッチは押せません。
 音楽に感動している最中には人は刺せません。
 人が何かに感動しているその瞬間は、他のことは何もできません。
 それが僕の考える世界平和で、それが、僕が子供の頃からずっとずっと信じているエンターテイメントの力です。

 空中帝国と森との二つに分かれてしまった世界、絵本『オルゴールワールド』で出した答えは、「だったら、世界中を一度に巻き込むエンターテイメントを作れば、プレイ中は平和じゃん」ということでした。

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 海外で初の個展『Akihiro Nishino Solo Art Exhibition』は初日に500人を超えるお客さんに来ていただきました。

 日本でもそのことがYAHOO!のトップニュースで伝えられ、翌日、翌々日は、初日よりも時間が3時間短いにもかかわらず、さらに多くの人が押し寄せ、終わってみれば3日間で来場者数が1700人。

 現地の取材も殺到して(ティム・バートン監督からのコメントもいただだいて!)、海外の仕事のオファーもいただきました。

 まだまだ、そこまで大それたことじゃないけど、その何歩何歩も手前だけど、でもきっと今回の挑戦の延長線上には『オルゴールワールド』のようなクライマックスが待っているという手応えを感じました。

 ニューヨークの個展は魔法にかかったような時間で、そしてウルトラハッピーエンドで幕を閉じたのでした。
 それは感動で繋がるという、僕が見たかった景色でした。

 大魔法コンニチワ。

 最後に、本当に頑張ってくれたスタッフの皆と記念撮影。

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 翌日帰国。
 帰りの飛行機は本当に久しぶりにグッスリ眠りました。
 成田空港に着き、ドル紙幣を両替しようとしたら、
「西野さん、両替しなくて大丈夫ですよ」

 とチーフマネージャーのカミガソ君。

「なんで?」
「また、すぐに行くことになりますから」
「男前だな。飛行機の中で考えてたろ?」
「デへへ」

 家路に向かうバスの中で、背中を押してくださった方々へ旅の無事と今回の成功をメール報告。
 もちろん感謝の気持ちも忘れずに。
 本当に優しい返信と、「お疲れさま」の一言をいただいた時に、この3週間の張りつめていた糸がプツンと切れて、バスの中で、おもわず涙が出そうになりました。

 恐かったんです。ずっと。

 人の期待を背負うことは、とても恐かったです。
 でも、その先にしか欲しいモノがないので、やるんです。

 全4回の連載。
 最後までお付き合いくださって本当にありがとうございました。

 皆さんは何かと闘っていますか?
 僕は勝ったり負けたり負けたり負けたり…ほとんど負けていますが、それでも毎日ヘバリ付いてヒーヒー言うとります。
 もう帰り方がわかりませんし、こうなったら意地で突き進むしかありません。
 毎日、不安で不安で仕方ありませんが、ときどき今回のような魔法に出会 える瞬間があって、その時に一旦リセットされます。

 これがタチ悪く、おかげで「次もやっちゃおう」と思ってしまうのです。  

 中毒性があるんです。まいっちゃったよ、たまんないね。
 出席に立てば三振はつきものだということは重々承知しているのですが、 それでも僕の目は次へ向いています。

 ニューヨークの個展なんぞで終わりにはしません。

 僕は芸人、河原乞食。さらには独身。

 もともと何もない男ですから、出席に立ったらフルスイング。
 最後は、僕の次なる目標をお伝えしてお別れしようと思います。
 皆様、覚えておいてくださいね。

 ディズニーで映画を撮っちゃうわん。

 では。


西野亮廣

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