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幼少期から観察魔

 昔から人の気持ちに敏感で、いぶかしげな顔をされたり無視されたりしたら、必要以上に傷ついていた。幼稚園のころは、人の目を気にしすぎてなかなか言葉を発せなかった。「サクはしゃべれないの?」と無邪気に聞いてくる幼い子供の残酷さよ。ちなみに、その子のお母さんがめちゃくちゃ焦っていたのをすごく覚えている。

 ずっと、皆はどうやって喋ってるんだ?と思っていた。まだ生まれて4,5年。話すことにも慣れていなくて、周りをみて学ぶしかなかった。元来引っ込み思案だが、それ以上に、何を話せば正解なのかがわからなかった。
 今なら、会話に正解なんてなく、子供ならニコニコ可愛く喋っていればなんの問題もないことがわかる。だが、そのときは「兄が敬語を使っているから、この人には敬語を使うべきか?いや、使わない方が子供らしくて可愛いのか」などなど、いろんなことを真剣に考えてしまって、口から言葉が出て行かない状況だった。
 多くの子供は、人の気持ちを推測しないものだと二十歳になってから気づいた。私は昔から共感能力が高かったのだろうか。どちらにせよ、失敗を極度に恐れたことによって研ぎ澄まされた観察眼である。

 私の最近の悩みは、人に合わせすぎること。人の顔を窺い続けて二十年。表情からめちゃくちゃ相手の気持ちや相手の言ってほしいことが伝わってきてしまうので、「最適解」の返しをしてしまう。多少思っていないことであっても、相手の望むことなら…と無意識に言ってしまう。おそらく、「人に嫌われたくない」という気持ちが大きすぎるのだろう。
 大切な人以外なら嫌われてもいいという人に憧れる。私は誰からも嫌われたくないよ。不可能だけれど。誰であっても、私に悪意を向けないでほしい。平和に生きたい。

 相手の気持ちがわかるというのは、メンタリスト的な意味ではなくて、表情・声・雰囲気などから感覚が伝わってくるということ。怒りや悪意を向けられたときは、心に黒いモヤがかかったように重くなって泣きそうになる。けれど、反対に相手が喜んでくれたときや私のことが好きだと伝わってきたときは、天上にのぼるほどの幸せを感じられる。この共感能力は、一長一短だなと思う。

( ..)φメモメモ 観察力・洞察力・協調性・共感能力

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