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舞神光泰『ワカランチャンプルー』

 その日、私はどうしようもないくらいムシャクシャしていた。
腹の中で煮えくりかえった怒りが空腹のせいで空焚きされて、血液を通して全身に伝わり心臓が脈打つ度にモヤモヤが反芻される。

 こういうどうしようもない時はアレに限る。スーパーで目についたものを取りあえず買って食べる、予算は1000円以内ちょっとしたデトックスだ。前回は500円のワインとサラミとチーズでただの美味しいひとり呑みでしかなかった。それじゃあ面白くない、誰でもない自分を満足させなくては腹の虫が治まってくれない。イヤな事があったから、飲み込むまでに時間がかかるから、少しくらいワガママでもいいってもんだろう。


 家から5分の距離にある24時間営業のスーパーは魔窟めいている。やけにリズミカルでポップで単調な音楽が絶え間なく流されている。さらにその日録音されたであろうセールの情報が延々と繰り返されると客は平衡感覚を失い、知らずの間にセール商品に手を伸ばしている。私は騙されない、強固な意志で暴飲暴食に臨むのだ。
 私を癒してくれるのはどいつだろう? 惣菜、精肉、鮮魚、青果とりあえず全てのコーナーを巡り歩いてみる。総菜コーナーに並んでいるアブラものたちの気分じゃない。お家で焼き肉もちょっと違う、魚は臭いがつくからちょっとなぁ、果物と野菜じゃイマイチ腹が膨れない。

 もう1周するほどの体力も勿体なく感じる。下手に手を出すよりも缶詰で簡単に済ませよう。容器がズラリと並ぶ、同じくらいの大きさで配色だけが微妙に違う、まるで学校か満員電車だ。
 あれ? 私の目に一瞬SMAPの文字が見えた。なぜ缶詰のコーナーに彼らが? 混乱する頭で上から順番に缶詰を見渡していく。コンビーフ、サバ、サンマ、サラダチキン缶、シーチキン、SPAM、酢漬けらっきょ。

居た。

 スパムだった。
 アホらしいミスだ。スパムを自分から手に取ったのは生まれて初めてかもしれない。マウスを握るように持つと意外な重さが伝わってくる。そのまま食べられるんだっけか? そもそも何の肉? ソーセージだっけ? 全く頭の回らないまま缶を隅から隅まで睨み付ける。

「沖縄ではゴーヤーチャンプルーに入れるのがポピュラー!」

 裏面に張られたシールにそんな文句が書いてある。ゴーヤーチャンプルー、なんて素敵な響きなんだろう。自分が欲していてものが舞い降りた瞬間に少し涙が出ていた。久しく感じていなかった胸の高鳴りに自分自身が一番驚いてしまったのだろう。
このトキメキを幻にしたくない一心ですぐに他の材料を買い集めた。

 ゴーヤー、卵、豆腐、かつお節パック。
 これだけの材料で作れてしまうのか。
 レシピを見ても野菜炒めと大して変わらない、なんだか観光地でしか食べられないメニューだと特別視をし過ぎていた。
 よく考えれば分かる事だ、沖縄で手に入りやすいもので作られた野菜炒めをゴーヤーチャンプルーという方言そのままで持ってきたのだ。ゴーヤもニガウリという名前があるし、ましてや本当の名前はツルレイシだ。
 緑色でゴツゴツした野菜に手を伸ばしたら漢字でデカデカと蔓茘枝(ツルレイシ)と書かれていた。
見慣れない文字に圧倒され、
「これはゴーヤですか?」
と店員に震えながら尋ねた。
「はい、そうですよ!」と必要以上の笑みで答えられた。
 
 私が梅沢富美男だったら激怒してゴーヤを投げつけていただろう。
 なんで名前とか言葉をちょっとずつ替えるのだろう?

「ちょっとタスクがスタックしてて」仕事が溜まってる。
「リソースが足りなくて」人員とか時間不足。
「顧客のウオンツに答えてアジャイルしてかなきゃダメだよ」よく分からないけど『はい』って答えるやつ。

 特別感出したり、わざわざ分かりにくくしたり。煙に巻きたいんだか、言葉の角を取りたいのか。角を取り過ぎた結果なんのこっちゃ分からないものになってしまった。

 逆に専門的な内容を分かりやすく例えたら
「なんだ、そんなカンタンなの?」
 分かりにくい話を分かるように話してやったのに、バカなのか?

「リーダーなんだから、理不尽だろうとなんだろうと清濁併せ呑む人物にならなきゃ」
うるせぇ、こっちは良いものしか入れたくないんだよ。

 せっかくポジティブになれてきたのにまたローのギアに入る。
 青々しくみずみずしいゴーヤも今じゃエイリアンの卵のようなおぞましい物体に見えてきた。家に帰るまでに心を復活させなくては、この食材たちが冷蔵庫でミイラになっていくだけだ。
 
 食事はわがままであるべきだ。

『孤独のグルメ』で言ってたから間違いない。朝家を出た状態と何一つ変わらない小汚い家に帰り着いた。座ったら次ぎの朝まで立てそうもなかったので、私は着替えもそこそこに早速調理に取りかかった。

 ゴーヤーは縦半分に切って、ワタと種を抜いて輪切りにして塩水につける。塩水につけておかないと苦みが強く残ってしまうらしい。スパムは小さめの短冊切りにしておく。たぶんコイツはソーセージの仲間だ。見た目がそれっぽいから大丈夫。

 次ぎに卵を溶いて塩、胡椒を入れて熱したフライパンに油をひいて炒り卵を作ってお皿に出す。そしたらスパムとてゴーヤを入れて、しんなりしたら豆腐を引きちぎって投入する。良い感じになったら卵を戻して、醤油とみりんを大さじ1ずつ。仕上げにかつお節パックをまぶして出来上がり。

めっちゃ簡単だった。

 むしろ野菜炒めより火が通り易いから楽かもしれない。スパムの燻製風味でジャンキーな匂いに和風の味付け、そしてゴーヤの清涼感。いままさに欲しているそれだった。なんとなく家にある一番いいお皿に乗せてみた。有田焼っぽいデザインにゴーヤーチャンプルーが映えて、インスタをやってれば間違いなくアップしただろう。

 口に運ぶと自分の事を久々に褒めてあげたいと思った。
ゴーヤのシャッキリとした歯触り、フワフワした卵のまろやかさと豆腐の優しさ、スパムの全体を引っ張る力強さ、そして爽やかな苦み。この苦みがなんとも心地よい。純和風な味付けも食欲が増進される。ご飯を炊いて冷凍保存していた昨日の自分も褒めてあげた。

 スパムを摘み、口に入れる。唐突に父の事を思い出した。
「スパムって何?」
新聞から顔を上げた父はしばらく考えた後
「たしか、アメリカ人の力こぶだったかな」
私はえーとかウソだよとか言ったと思うが父は平然とした顔で
「アメリカ人は筋肉が有り余ってるから鍛えすぎたら1回取っちゃうんだ
そしたらまた鍛えられるだろう」
大まじめな顔をして、変に説得力のある低く落ち着いた声でこんな事を言うので子供の私は何でも信じた。そして私が後々になってウソだと気がつくと
「そんな事言ったかな、面白いな俺」
とヘラヘラと笑って見せる。

 そろそろ父が私を産んだ年齢に近づいてきた、彼女もいないし、仕事も忙しい、父のようにはまだまだ成れそうもない。だが子供に変な事を言う親にはならないと改めて誓った。

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