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【小説】柳田知雪『#団ドル計画』文学フリマ特別号

ということで、こちらは文学フリマで発刊する文芸誌に載せる一編、
「団地」をテーマにした柳田知雪執筆の小説となります。
現地での購入の参考に!
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またはイベント後の通販を利用していただけますと幸いです。


 黒いキャップのつばに、日焼け止めの薄いベージュ色の染みが滲む。珠希が唇を尖らせながら擦るも、染みは白っぽく広がるばかりだった。
 溜息混じりに帽子を被り直したその時、目の前のカウンターから茶色い包み紙が差し出される。食べ物から出た水分で濡れた紙の湿っぽい匂いがほのかに珠希の鼻先へ届き、差し出した女性店員は綺麗な営業スマイルを浮かべる。
「よろしくお願いします」
 この袋に入ったハンバーガーを食べるのは珠希ではない。デリバリーサービス『ユーバーイート』の配達員として、注文した客の元に運ぶだけだ。
 断熱材の入った四角い鞄の中に商品を詰め、珠希は中古で買った自転車に跨る。そうして風を切って自転車を走らせている時が、珠希は自分の存在理由が一番分からなくなった。
 顔に汗が滲んで化粧は崩れ、日焼け止めを塗りたくっても肌が焼けていく。そんな自分の姿を鏡で見る度に、やりようのない苛立ちは募った。
 二年前の大学の卒業式、珠希が思い描いていた未来はもっと輝いていた。
 いわゆるインフルエンサーと呼ばれるネット配信者のひとりとしてキラキラした毎日を過ごし、配信者仲間とフォトジェニックな場所へ繰り出す。そして見たこともない美味しいご飯を食べ、誰もが羨むような生活を送れるのだと信じて疑わなかった。
 そう思うのも、大学在学中に配信が軌道に乗ったことが原因だった。ぐんぐんと伸びていく視聴者数に、珠希は人生イージーモードだと高を括った。ひっつめ髪でリクルートスーツを着て、面白くもない企業説明に相槌を打つ同級生たちを見下してさえいたのだ。
 毎日配信してファンを増やし、周りの友達のバイト代の何倍も稼いだ。それが珠希の全てで誇りだった。
「ただ配信してるだけじゃん」
 と同級生に言われたこともある。それに対し珠希は、
「じゃあ毎日配信してみなよ」
 と言い返した。それに対する返答は、大抵配信ができない何かしらの言い訳をたらたらと述べるだけだった。
 ただひとりだけ、後輩の基子を除いては。
 ともかく現実は、この一年で珠希のファンは確実に離れていっているということだ。
 ファン数の指標となる配信中の同時接続者数。全盛期は五百人が平均だったが、今では三十人がいいところ。こんな数字で配信だけで食べていけるわけがなく、ユーバーイートの配達員として日銭を稼いでいる。
「みんな卒業しても応援するって言ってたのに、女子大生じゃなくなった私には興味ないってか……結局、若い女の方がいいってか!」
 交通量の多い道路を滑走しながら、天に向かって叫ぶ。歩道を歩いている人が目を丸くしてこちらを振り返ったが、もはやどんな注目でもいいから浴びたかった。
 ユーバーイート用のスマホは、目的地が近いことを知らせる。指示に従い右折したところで、見覚えのある姿に珠希の心臓は跳ね上がった。
 届け先で待っていたのは、後輩であり配信者仲間である基子だった。
 咄嗟に珠希はキャップを深く被り直し、俯きがちに自転車を降りる。そんな珠希が近付いてくるのに気付いて、基子はすらっと伸びる腕を大きく振った。
「配達ありがとうございますー!」
 スポーティーなスタイルで屈託なく珠希に笑いかける基子は、引っ越し作業中らしい。高級住宅地として名高いこの場所で、周りの豪邸に見劣りしない一軒家へと家具がトラックの荷台から次々と運ばれていた。
 一体家賃はどれほどするのか。その家賃が払えるくらい、基子は配信で稼いでいるのか。
 そんなことを考え始めて、珠希はきゅっと喉が締まる感覚を覚えた。
 ダンスが好きな基子は珠希の毎日配信してみろ、という言葉を真に受けて唯一実践し、そして見事に成功させた。ダンスサークルの練習風景や自主練習の様子を毎日かかさずアップして、男女問わずフォロワーを獲得していったのだ。
 そこからさらにダンスに磨きをかけ、某アーティストのMVにまで出演したらしい。アーティストのファンも引っ張ってきて、今ではフォロワー数十万人を超えている。一度の配信で同時接続者数はゆうに一万人を超える日も少なくない。
 そんな基子の快進撃を、売り方が違うから、と珠希は見て見ぬふりをしていた。が、ユーバーイートに頼らなければ生活も危うい身で、基子の存在を意識する度に胃はキリキリと痛む。見なければいいのに、と分かっているのに基子の名前を検索しては、どうしようもない黒い靄が胸に巣食った。
 自分の方が基子より可愛い。自分の方が基子よりも先に始めた。
 そんなしょうもない、ぺらぺらの誇りを慰めに珠希は毎日の配信だけはかかさずに続けている。しかし、住む場所ひとつ取っても、こうして差は開く一方だ。
「あのー、すみません?」
 基子に声をかけられ、珠希はようやく目の前で商品を待つ彼女に気付く。
「ごめんなさい。今、商品を……」
 こんな惨めな姿を見られたくなくて、珠希は自分だとバレないようもごもごと声を出す。しかし、突然目の前に基子が現れた戸惑いからか、取り出した袋は手から滑り落ちていった。
「あっ、ぶない!」
 さすがの運動神経というべきか、基子が地面すれすれで袋をキャッチする。
「よかったー! セーフ!」
 袋を掴むため体勢を低くした基子がカラッと笑いながら珠希を見上げる。その瞬間、珠希がキャップで隠していた顔を、基子の視線が捉えた。
「ハナちゃん?」
「あ、えと……」
 辻花という苗字から取ったハナ、というのが珠希のあだ名だ。配信でもハナちゃんとして活動しているため、知っている人は珠希をそう呼ぶことが多い。特に基子は、珠希が配信を始めるきっかけであるため、なおさらハナちゃんと敬意を込めて使っていた。
「久しぶりです! 大学の卒業式以来だから、二年ぶりですか!?」
「そう、だね……」
 もはやフォローもできないダサすぎるバレ方に、珠希は穴に入ってそのまま死んでしまいたかった。しかし、そんな珠希に構わず基子は嬉しそうに声を弾ませる。
「うわーずっと会いたかったんです! いろいろ話したいけど引っ越しの片づけが……あ、そうだ! ハナちゃん器用でしたよね?」
「え?」
「お願いしますー! お礼は出すので、引っ越し手伝ってください!」
 今ではすっかり有名配信者であり、後輩でもある彼女に頼られ、これっぽっちも優越感を感じないと言えば嘘になる。
 そんな自分に、珠希は内心で舌打ちをした。
 あれよあれよと基子に案内されたのは地下室だった。鏡張りの壁に防音も行き届いたそこはダンス練習用のスタジオだった。
「ラックの組み立て方が全然分かんなくて……もう完全にお手上げ状態なんです」
「説明書は?」
「これです!」
 海外製品なのか、説明書にこれといった文字の説明はない。A、Bなどと示された部品の組み立て方が、とにかくシンプルに載っていた。
 珠希は説明書をざっと眺め、床にカオスな状態で散らばった部品のひとつを手に取る。
「どうですか?」
「工程は多いけど、形はシンプルだから大丈夫だと思う」
「本当ですか!? じゃあ、急で申し訳ないんだけどお願いします! 私は上の部屋にいるので、何かあったら呼んでください!」
 家具を運び入れる場所の指定など、基子はやることに追われているのだろう。ひとりスタジオに取り残された珠希は、自転車に乗っている時以上に自分の存在価値を危ぶみながらドライバーを手に取った。
 だが、ネジを一本、二本と回しているうちに荒んでいた感情はすっと凪いでいく。上でバタバタと引っ越し業者が行き交う足音さえ、聞こえないほど集中していた。
 珠希がまだ小学生の頃、父の日曜大工を手伝うのが好きだった。成長しても、海外映画で都会のマンションに引っ越したカップルが自分たちの部屋を大胆に改装していくシーンを見る時は胸が躍ったものだ。
 そんな経験もあり、こういう家具などの組み立て作業は得意であったし、嫌いでもなかった。今の今まで、珠希自身は忘れていたけれど。
「……よし!」
 完成した自分よりも背の高いラックを眺め、珠希は息を吐く。そのラックの向こう側に、達成感で輝く珠希の顔が壁に貼られた鏡に映っていた。


 S団地の五〇一号室、そこが珠希の住処だ。
「あ、やば。また、鍵かけ忘れてた」
 ガタンと鈍い金属音を響かせながら、珠希は自宅である団地の扉を開く。特に泥棒に入られた様子もない、いつも通りのリビングに腰を下ろした。
「ま、こんな団地の片隅で暮らす私の家なんか狙わないか」
 最近は団地での女性の一人暮らしも流行っている、と聞いて決めたこの物件。入居当時は特に気にしていなかったが、改めて契約書を確認すると古い団地ゆえにセルフリノベーションに関するルールは緩いらしい。
「次の配信、DIYにしようかな……最近は変わり映えのない雑談配信だけだったし」
 昼間、棚を組み立てている時に感じた情熱は久しく珠希が忘れていたものだった。自分の手で何かを生み出す楽しさ、達成感。日曜大工にハマった父に、今の珠希なら大いに共感ができる。
 元々、行動力のある珠希は次の日の午前中には材料を買ってきて、配信と共に作業を始めた。DIYをする配信者はすでに何人もいて、そこから得られる情報を参考に珠希は部屋の改装案を練る。
「この人の解説動画分かりやすーい。ミコさんね、参考にさせてもらおう」
 そして、準備を整えた珠希はついに初のDIY配信を始めた。スマホの角度を調整しながら、手に持った工具を掲げてみせる。
「今日から我が家をDIYしていこうと思いまーす。テーマは昔遊んでたドールハウスに住んでみたいって夢があったんだけど、そんな部屋にしたいなって。だから、配信の名前は『#団地ドールハウス計画』略して『#団ドル計画』です!」
 そんな珠希ことハナちゃんの配信に、数少ない視聴者がコメントを寄せる。
『え、何? DIY?』
『ハナちゃん、華奢そうなのに大丈夫?』
 そんな驚きと心配のコメントが続いた。全盛期の半分以下になった今でも残っているファンは、初期の頃からずっと珠希を応援している者が多い。むしろ、このアットホーム感で中途半端に満たされることが、珠希の向上心を削ぐ要因だった。
『今更、方向転換とかしても無駄でしょwww 迷走乙』
 中には冷やかしもあるが、それはもはや恒例行事だ。それに、今の珠希はそんな声を気にする暇もないほど、目標だけを真っ直ぐに見据えている。
「最初はキッチンからやりまーす! 全体的に白色メインの明るい感じ!」
 バリバリと音を立てながらシンク前のタイルを剥いだ時、スマホから軽快な音が鳴る。画面には『五千円がプレゼントされました』という通知。
「あっ、プレゼントありがとうございます! 材料費にさせていただきます!」
 それは久しぶりにフォロワーからもらった、いわゆる投げ銭だった。
 それから毎日配信する『#団ドル計画』により、じわじわと離れていたフォロワーたちが戻ってくるようになった。同時接続者は以前として三桁を超えないが、明らかに配信中の空気が変わってきているのを珠希は感じていた。
『ドールハウス、完成するの楽しみ!』
 配信中の応援コメントは、珠希の励みになった。
『結局、素人クオリティでしょ?』
『作業するならもっと露出抑えた方がいいんじゃない? あざとさアピールうざ』
 そんなアンチコメントも気にならないほど、毎日ちょっとずつ自分の手で変わっていく部屋が今の珠希の誇りだった。フォロワーや同時接続者数は、二の次だ。
 珠希は汗ばんだ額を拭い、キャップを被り直す。元々黒いキャップだったそれは、今やペンキや木の粉でカラフルに彩られていた。
「今日ももうひと踏ん張り。ここが終われば、明日からはリビングでーす!」
 トントン、と音を響かせながらトンカチで釘を打つ。もちろん、配信中であることは意識していたが、怪我だけはしないよう作業に集中していた。スマホの画面をあまり見ることは少なかったが、突然、さまざまな通知音が鳴り響く。
「え、何なに? みんな、どうしたの?」


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