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脅迫状とマクガフィン

●ノベルジャム2018参加記録 5 [1日目 深夜]

寝部屋である。ラスイチの「一番搾り」をプシと開けつつノートパソコンを開き、共有ドライブにアクセス。先ほどまで同じテーブルで作業していた著者ふたりのプロットを改めて確認する。
ちなみに寝部屋の相方はBチームの編集、「のじー」さんこと野崎氏である。ちょうど背中合わせにデスクが置かれているのだが、背後からもカタカタと打鍵の音が聞こえてくる。集中しているのか、キーの音以外は静かだ。こちらも背後の作業の邪魔にならないよう、静かにせねば。

だいたい僕は普段より一人作業の時など、何かあると「おおーうなるほど!」とか「っしゃココでドン!」「いーねー」などと至近に誰かしらいたら迷惑きわまる音を発しているのだが、今夜はサイレントモードです。

まずは森山さん作品の方から考える。テーマが明快で、訴えるところが比較的絞りやすいからだ。
ピンときたのは「喪に服すとは何か」という森山さんのメモと、正義漢が怒鳴り込んでくるカットだ。自粛を強要する同調圧力が、正義の名のもとにいつしか暴力性を帯びる、というのは、東日本大震災の記憶もあいまって現代的なものに思えた。

鍵となるアイテムは「昭和」と「喪」。盛り込みたいイメージは「匿名の暴力」。舞台が30年前ということもあり、できればアナログな感じがするデザインを考えたい。
サムネイルとなる原案は、夕方の作業部屋ですでに編集の米田さんと著者の森山さんに提示してあり、それは「日の丸を遺影のフレームで囲む」というものだったがさすがにこれは、と米田さんが難色を示した。ちょっと攻めすぎていると。うん、その通りだ。

とはいえ僕も闇雲に考えたわけではない。国家という巨大システムの象徴が喪われることにより否応なく市民が巻き添えを食う、これはそういう話でもあるので、シンボルの喪失を市民感覚まで引っ張る仕掛けとして、ありふれた葬式のフレームに敢えてはめ込み、これにより伊丹十三の映画のような、どこかサバけたユーモアを醸し出そうと、そのような考えではあったのだ。

しかしまぁ確かにナイーブなモチーフだとは思う。それでもって作者に天誅的な何かを行う輩が現れるということも、ひょっとしたらなくもない。だからこれは再考する。
けれど、「一度遠くにボールを投げてから、そこを起点に議論を手前に持ってくる」というのは利害関係者間でコミュニケーション方針を握るために使うデザイナーのテクニックでもあるので、否決されたことについては全くの無問題でむしろ想定内と言える。
突き抜け具合はともかくとして、大筋の方向性については合意ができたので、あとはこのアイディアをブラッシュアップする事に専念すればよい。

ただ今でもちょっとだけ、日の丸案は心に残っている。デザインの世界で日の丸といえば1964年の東京オリンピックで起用された亀倉雄策先生のポスターをおいて他にないのだが、もしこれが劇団員の話ではなくスポーツマンの話であったなら、ポスト平成の元号下で開催される2020年の東京オリンピックを控え、昭和のスポーツイベントの極であった1964のイメージを捨て去る、という神をも畏れぬ裏の企みとして、あるいは仕掛けていたかもしれない。

そのようなわけで日の丸に替えて新たなモチーフとして編み出したのは切貼りの「脅迫状」だ。「匿名性の暴力」という表現課題にも合うし、何よりデジタル化された現代より遥か以前の昭和感を演出できる。
アイディアをまとめ、ノートを写真におさめてGoogleDriveに趣意書とともにアップした。

この時点でほとんどフィニッシュイメージは完成している(左上に日の丸の痕跡もある)。だが心配事もあって、タイトルが全くの仮なのだ。

タイトルは作品の顔であり言うまでもなく表紙の重要な構成要素だ。このアイディアの場合「タイトルそものもをビジュアル化させる」事がキモなので、タイトルの手触りによっては全面変更もあり得る。
それでも、仮とは言え早い段階でゴールを一つ押さえたので、あとは作品の進捗に合わせディティールを詰める余力を残しておけるだろう。変更、再考への対応も問題はない。

早めに動けたのは良かったが、しかしあとあと振り返ってみると、この時点でゴールを押さえたのが果たして良かったのか、という反省もある。
この時「劇団」という舞台は、より上位の主題のための、いわばマクガフィンのようなものであって、主題そのものではないだろうと僕は考えていたし、森山さんも納得されていたのだが、しかしノベルジャムが終わってのち森山さんが書いた改稿バージョンでは「劇団の話でなければならない」理由に厚みが増し、ブラッシュアップよってさらに奥行きが出てきたのだ。
テーマ自体が持つ迫力に寄りかからずとも普遍性をもった物語に進化するポテンシャルを、そもそも持っていたのを見抜けず、「大きな傘をカジュアルに見せる」という広告的な話法に走る悪い癖が、おそらくこの時出ていたのだろうと思う。

だがこの時点では納得して作ったので悔いはないし、多少の仕掛けもしてある。例えばレイアウトについては、ヒートマップを使った視線予測実験で得られた知見を盛り込んでいるので、それは後の項でお話しします。

(6に続きます)

※森山さんの作品「その話いつまでしてんだよ」はここで買えます


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