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『(仮)ストーリーテラー』_初稿

はじめに

「3日間で本でも書いてみるか!」

1ヶ月ほど前、新R25という記事の中でキングコングの西野亮廣さんが「本もスマホで書きますね。3日くらいあれば書けます。」と発言してたのを知った。

その瞬間、僕の中で何かが刺激された。
それがなんなのか、正直言うと今でもわからない。
でも、気付いた時には、完全にインスパイアされていた。

以来、ずっと「本」を書くタイミングを探っていた。
もちろん3日間で。
ちなみに、パソコンじゃない。
スマホを使って。

今まで映画のオリジナル脚本(残念ながら売れていないけどね)を書いたり、舞台の戯曲を書いたりしたことはあったけど、本は書いたことがない。
でも、その時すでに明確に書くことを決めてる自分がいた。
どうやらこの決意は揺らぎそうにない。

3日間というまとまった時間を取るためには、単純に考えて3連休がちょうどいい。
カレンダーを確認すると、11月23日から11月25日までが3連休。
バッチリだ。

「執筆日」が決まった。

今、この文章を書いているまさにこの瞬間が初日だ。
11月23日の午前1時31分。
残り70時間29分だ。
間に合うか?
そう自分に問いかけてみるけど、まだ余裕を感じている。
ただし、油断は禁物だ。

東京に出てきてもうすぐ1年になる。
つい最近のことのようにも感じるし、随分昔のようにも感じる。
一言で言えば、色々あった。

そりゃそうだよね?
だって人生なんだから。
人生ってそういうもんでしょ?

たぶん、これを読んでくれてる人のほとんどが僕のことを知らないと思う。
よくそんな状況でこの本を読もうと思ってくれましたよね。
本当にありがとうございます。

ざっと簡単に自己紹介。
生まれは大阪。
小さい頃からずっと「たっちゃんは優しい」と周りから言われて育ってきた。「自分で言うな!」って感じでしょ?
でもホントだから仕方ない。
特に反抗期もなく、中学、高校と順調に進んだ。
成績は可もなく不可もなく。
でも、ちなみに中学校では生徒会でもあったんだ。
生徒会長じゃないよ?
生徒会書記。
僕っぽいといえば、僕っぽい。
今だってこうして文章を書いてるからね。

初めての挫折と言えば大学に落ちたことかもしれない。
その後、1年間浪人して関西の私大に行った。
浪人というと「辛かったでしょ?」なーんて言われることが結構あるけど、ぶつちゃけ、僕の場合はむしろ逆で、大切な仲間と出会い、互いに励まし合いながら青春を謳歌していたから、不安ではあったけど、特に「辛かったー」って印象はない。

せっかく入った大学だったけど、色々あって結局のところ最後の1年は中退してしまった。
でも、その判断は今でも後悔していない。

そこから約10年。
現在、僕は31歳になった。

ってか、さっき、「簡単に自己紹介をする」なんて軽々しく発言したことを謝りたい。
簡単になんて出来っこないね。
だって今までの人生を振り返るとホントに色々あったからさ。

今は東京に住んでる。
平日、昼間はアルバイトで生活費を稼ぎながら、夜は脚本を書いて、ブログを書き、ミニラジオを収録する。
睡眠時間は平均2~3時間。
食事は基本的に1日1食だし、ほとんどがやよい軒の「唐揚げ定食」。
そろそろ飽きてきたといえば飽きてきたんだけど食事に関してはあまり冒険出来ない。
だって1日1食なのに、マズイのに当たったらイヤじゃん?
だからおいしいとわかってるものを食べる。
そんな生活だ。

ちなみに、最近、ストーリーテラーと名乗っている。
要は物語を作る人になりたいんだ。
元々は「映画」に強いこだわりがあったけれど、今は少しフレキシブルになった。
小説でもいいし、ドラマでも、舞台でもいい。
なんなら絵本や朗読といったコンテンツでも構わない。
そこに物語さえあれば。

31歳という年齢もあるのかな?
でも決して守りに入ってるというわけでもないんだけと、どんどん柔軟になってきた。
譲っていいところは譲るし、折れる。

でも本質的大事な部分は譲らない。

「人の心を打つ物語を作る」っていうとこだ。

本来、誰しもみんな自分だけの物語を持っている。
でも今の時代はきっと見えなくなっている人が多いんじゃないかな?
繰り返しの日々をただ漫然と生きていく。
些細な変化に気づくことも出来ず、次第に心が乾いていくんだ。

わかるよ。

だってその方が楽なんだから。
でも、それに甘んじれば君の物語はどんどん曖昧になる。
感情のセンサーがバカになるんだ。
鈍感であるということは、極論かもしれないけれど、「考えなくてもいい」ってことを肯定しているとも捉えられる。
考えさえしなければ、疑問を持つこともないし、後悔したり、いわゆるマイナスの感情に襲われることも少ない。
自分の未熟さに目を向けなくていい。

キレイゴトじゃなく、別にそれが悪いと言いたいわけじゃない。
人によって幸せの定義は違うし、価値観も異なる。
そんなことは重々承知しているし、僕の考えを押し付けるつもりは一切ない。
常に前向きに生きる必要なんてないし、悩み続けて潰れそうになってる姿を晒してもいい。
僕はそんな人々が好きだ。
だってその方が人間ぽくていいじゃない。

今の時代、少しおかしくはないかな?
みんな気づいてるかな?
便利になった弊害は確実にあるよ。

スマホが出てから日常的にインターネットに繋がるようになったし、SNSで双方向のコミュニケーションが可能になった。
それを批判したいわけじゃない。
だって、この本だって、実際スマホで書いてるし、僕だってネットは多用する。
ただ、僕らの周りにはあらゆる情報が多すぎるんだ。
選択肢だってそう。
別にそれ自体は悪くない。
上手く利用出来る人にとっては最高の世界になるだろう。

でもここで考えなきゃいけないのは、上手く利用出来ない人達についてだ。
選択肢が増えるということは同時に「迷い」も増えるということ。
この辺りは非常にデリケートな問題で、正論がまかり通りそうで通らない。
だからこそ、彼ら、彼女らをサポートする姿勢がなければ、どこかで社会のバランスが大きく崩れる可能性がある。
もちろん、その頃には、僕らは死んでるかもしれないし、「俺らには関係ないよ!」と割り切ることもできる。
けど、なんだろう……

単純に、そんな奴、カッコよくはないよね。
人として。

勘違いしないで。
あくまで僕の主観だから。
「感情論かよ!」ってバカにされるかもしれないけど、全然構わない。
どんどん批判してって感じ。
だって僕はストーリーテラーで、感情を扱うのが仕事だから。

どうだろ?
この辺で少し立ち止まって考えてみない?
みんななんで生きてるの?
なんのため?

この答えを探し出すためには「過去」に目を向けなくてはならない。
自分の奥底に深く、もっと深く潜っていく。
周囲の雑音をシャットアウトして、自分の声に、あるいは記憶に集中するんだ。

君の心の声は何て言ってる?

「過去を振り返るな」って意見は一見正論だけど、実につまらない。
だってそうだろう。
映画の主人公だって「葛藤」しているし、それを乗り越える過程が物語になるんだ。
この葛藤はどこに存在する?
今か?
いや、過去だよ。

随分、長くなってしまったね。
この本のジャンルはビジネス書じゃない。
もちろん小説でもなければ、自己啓発でもない。
個人的には「旅行記」だと思っている。
実際の土地に旅をするわけじゃない。
脳内で「記憶の中に眠っている過去」へと旅をする。

何かを得るかもしれないし、何も得ないかもしれない。
そんなことどっちだっていいじゃない。
旅の醍醐味はその過程にあるんだから。

僕は今から自分の過去へ向かう。
よければ、ついてきてほしい。
少しの間、一緒に旅をしよう。

いつの日かあなたの過去へも旅に行きたい。
だからもし街中で僕を見かけたら声をかけてほしい。

僕はそろそろいくよ!
準備はいいかい?

小学校時代からの優しさ

杉本くんは優しい子です。
小学校1年生で初めてもらった通知表にそう書かれていた。
くしゃみの音が大きな先生。
元気かな?

「そうか、僕は優しいんだぁ」

漠然とそう感じた記憶がある。
通知表自体は今でも実家の引き出しに大切にしまってある。
嘘じゃないよ?
物持ちは良い方なんだ。

もちろん、小学校1年生の時に、「みんなに優しくしよう!」なんて、とくべつ意識してたわけじゃないし、どこにでもいる子供と同じく、ただ遊んでいただけだ。

誰かの言葉で性格が形成される。

これは正直あると思う。
僕だって先生の言葉を受けて、より優しくなりたいと思うようになったし、誰かの期待に応えれば、喜んでもらえることを知った。
まあ、誰かの期待を裏切り失望させるのがイヤだったのかもしれない。
この感情は31歳になった今でもある。
もちろん良し悪しはある。
誰かの期待を意識するあまり、「これって自分がホントに求めていることなのかな?」なんて疑問を持つことなんて日常茶飯事だ。
日々、葛藤がある。

自分の心の声に従って、好きに生きる。

本来はこうあるべきだろうし、自己啓発本を開けば、この手の教えなんて無限にある。
まあ、現代的な考えなんだと思う。
ここで重要なのは「自分ってホントは...?」と考えることだと思っていて、その結果として出てくる結論は二の次だと思っている。

でもほとんどの人は深く考えようとしない。
なぜだか、わかるかな?

実は、わかりやすい答えが用意されていないからなんだ。
考えても答えなんて出ないし、正直慣れていない人からすると疲れちゃう。
で、こんなことを言う人が現れるんだ。

考えても仕方ないことは考えないでおこう!

確かに一理ある。
だからややこしい。
でも世の中には、答えがないことなんて無数にあるし、そこを否定しちゃうと、人生の幅はどんどん狭くなって、想像力が枯れていく。
それじゃあ、あまりに寂しい。
「考えても仕方ないことは考えないでおこう!」と言った人は、ちゃんと考えた上でその発言をしてるのかな?
ぶっちゃけ軽いノリぐらいのつもりで言ってるんじゃないかな?
だとしたら、どうすべきか。
もうわかるよね?

ルールを設けず自由に書く

こんな感じで進んでいく。
飽きちゃった?
大丈夫かな?

あんまり長々書いても読む方も疲れるだろうし、その時々によって、適度に文章の長さを変えることにする。
ひとつのチャプターで、100行書くこともあれば、1行のこともあるかもしれない。

別にふざけてるわけじゃないよ。
僕にとってもこれは挑戦なんだ。
あらゆる実験をしたいし、なにより自由でいたい。

だから、ルールを設けず自由に書くね。

実はひとつ告白があるんだ。
聞いてくれるかな?
今は11月23日の12時57分なんだけど、この本を書き出したのは23日0時からなんだ。
開始から約13時間、経ってる。

「……ん? ……にしちゃ、分量少なくね?」
そう思った人いるかな?

そうなんだ、少ないんだよ。
実は初めての本を書くもんだから、数日前から結構気を張ってたんだ。
もちろん今でも張ってるよ。
「はじめに」を書くのも一苦労。
スマホで書いているから、正確な文字数もわからない。
この辺は書きながら感覚値として掴んでいくしかないのかな?
なーんてことを、ひとりで考えながら書いてたら、疲れちゃったんだよね。
そりゃ、疲れるよね?
パソコンじゃないから、まあまあ指痛いよ。
確か、記憶が正しければ深夜3時ごろに、「はじめに」を書き終えた。
東京のボロワンルームで。
疲労困憊31歳ヘトヘトおじさんの完成だ。

君ならどうする?
たぶん体力を回復するために寝るんじゃないかな?

集中出来ない頭で書いてもダメだよね。
正しい判断だと思うよ!
だから僕も寝ることにした。
なにしろ、先は長いからね。

ただ、ひとつ誤算だったのは、目覚ましをかけ忘れたってこと。
おかげで、12時に目が覚めた。
9時間だよ、9時間。
普段、2~3時間ぐらいしか寝ない、ショートスリーパーを絵に描いたような僕がまさかの9時間睡眠。
こんなにぐっすり寝るのは、女の子と寝る時ぐらいしかないのに。

しかも、よりによって「3日で本を書く!」と宣言して、時間がないにも関わらずだ。
究極のMかもしれない。

甘いよ!って思うかな?
確かに!
でも、ちょっぴり人間ぽくていいでしょ?

人は完璧な存在じゃないんだ。

ポンコツな部分もあるけど、それでもまた今日を生きてかなくちゃならない。
それはそれで素敵だ。

映画の主人公だってそうだろ?
みんな、欠陥があって、それに向き合う過程で葛藤があって、最後には乗り越える。
それに対して人は「共感」するんだ。
だから、いいんだよ。

……と、最大限の言い訳を並べて、自分を慰めてみる。
あと、約60時間ぐらい?

「集中して、ぶっ通しで書く!」という気持ちと「腹へったなぁ~」という誘惑がぶつかって葛藤が生まれてる。
やよい軒は遠いから、一旦、松屋で牛丼でも食べてくるよ。
話はその後だ。
でも、食べ終わった後は爆速で行く!
準備はいいかい?

人生最初の記憶

幼稚園の園舎の裏に魚の遊具があった。
みんなあまりここまで来ない。
僕だけの秘密基地。

3歳のある日、いつものように魚から外を見てた。
いまにも雨が降りそうな、そんなお昼。

「ぼくはいま3さいかぁ~。つぎは4さいだ」

ふとそう思った。
それが31歳になった今でも残ってる人生最初の記憶。

口だけの男にはなりたくない!

言ったことは体現する。
可能な限りそうありたいと思っている。

「3日間で本を書く」ことだって、確かにブログで書いたとはいえ、引こうと思えばいくらでも引ける。
自分で言うのはイヤだけど、まだ全然読んでくれている人もほとんどいないし、影響力だってほぼゼロ。

「お前、書くって言っただろーが!!」

なんてキレてくる人なんてたぶんいない。
でも、言った以上はやりたいし、例え出来なくてもせめてトライぐらいはしたい。
物事には結果も大事だけど、そこに向かう「姿勢」が大事だと思っている。
ちゃんと向き合ってさえいれば、少しは自分を好きになれる。

いつも読んでいただいている方。
本当にありがとうございます。

ちなみに、この執筆の中で、もう一つ体現したことがある。
さっき書いた「ルールを設けず自由に書く」ってこと。
「人生最初の記憶」はあえて限りなく短く書いてみた。

どうかな?
短く書いた方がイメージが膨らむ?

こんな感じで実験を繰り返しながら書き進めていくね。
書き始めた時はホントにほぼノープランで、完成への道筋はほとんど見えていなかった。
「書こう!」と決意してから実際に書き始めるまで1ヶ月ぐらいあったし、ぶっちゃけ、その間に考えようと思えばいくらでも考えられる。

でも、それだと面白くない。

「ホントに3日で書けんの?」ってとこが1番面白いんであり、そこを含めてのエンターテイメントだ。
なのに事前に内容を考えちゃ、それが成り立たない。
もちろん、内容のクオリティは重要だよ。
だからプレッシャーだし、これを書きながら指が震えてるよ。
あ、ちなみに疲労でだけどね。

別に有言実行がカッコいいと思ってるわけじゃない。
有言不実行はダサい。
それなら、せめて何も言わない方がいい。
でも、今回は「3日で書く!」って言っちゃったから必ず書くよ。

今は11月23日の14時45分。
残り、67時間15分だ。
ちなみに、文字数としては「5557文字」。(今後、修正するだろうから前後するだろうけどね)
原稿用紙で言えば、約14枚だ。
まだまだ先は長い。
着地イメージとしては、60000文字前後。
まだ10分の1ほど。

やべ、間に合うかな?
でも、やるよ、必ず!

草野球に明け暮れた日々

住んでいたマンションのすぐ目の前にグラウンドがあった。
確か小学校3年生から4年生ぐらいだったと記憶しているけど、同じマンションに住む友達から野球に誘われ、仲間に加わった。
以来、小学校を卒業するまでの数年間、ほぼ毎日、野球に明け暮れることになる。

ラッキーだったのはそれなりに野球が上手かったこと。
いや、特別「ヘタ」でもなかったと言う方が正確かな?
劣等感を感じることもあまりなかったし、単純に楽しかった。

でもそれはあくまで「野球」に限ったことで、サッカーは全然ダメだし、バスケットボールに関してはさらに壊滅的だ。
身長が普通の人より高い(現在189cm)こともあり、バスケットボールをしている友達からもよく誘われたりした。
でも、ドリブルが出来ず、すぐにパスしてしまうことからバスケに向いていないことは誰の目にも明らかだった。
だって、例え相手チームの人に対してもパスしちゃうぐらいだったから。

そう考えると、やっぱり、なるべく得意なものに打ち込むのが良いかもしれないね。
技術的なこともそうだし、知識的なこともそう。

もちろん、それはひとつの考え方で、本当に好きなら苦手なものに打ち込むのもいい。
それはそれで素晴らしいことだし、尊いことだと思う。
僕の例で言えば、バスケットボールに挑戦してもいいわけだ。
でも僕は野球が好きだったから、日々草野球に明け暮れた。

得意だったから好きになったのか。
好きだったから得意になったのか。

正直、ここはわからないし、どっちでもいいような気がしている。
大切なのは、野球を好きになったという事実。

誘ってくれた友達には感謝してる。
今でもたまーに、連絡を取り合ってはサクッと互いの近況を報告し合う、そんな間柄だ。
彼のおかげて、「プロ野球選手になる!」って夢が出来て、トータル100個程のボールを草野球でなくした。

ありがとう。

夢があることなんて当たり前

「やりたいことが、なくてさぁ~」

友達と話してると、まれにそんな言葉を聞くことがある。
誤解を恐れず言うね。
今までは、「ちゃんと探してこなかっただけでしょ?」って思ってた。

だって僕は死ぬほど自分と向き合ってきた自負があったから。
ほんとに、ほんとにね。

でも、この本を書く中で少だけ考え方が柔軟になってきた。
確かに、僕は僕の意思で自分と向き合い続けてきたし、妄想を膨らまして、あらゆることを真剣に考えてきた。
ただそれはあくまでプロセスの話で、最初のきっかけは別の人に与えてもらってたんだ。

さっきの話で言えば、プロ野球選手になろうと思うきっかけになったのは友達からの誘いだったし、実は小学校の低学年のころは医者になりたかった。
親戚にお医者さんがいたこともあったけど、母親が買ってくれた「野口英世」の自伝に影響を受けたんだ。
他にも「ヘレンケラー」や「エジソン」、「ファーブル昆虫記」など色々な本を買ってもらった。
本を読むクセはこのころに培われたんだと思う。

そういえば、野口英世は医者じゃなくて、研究者だっけ?
ま、いいや!

つまり、自分以外の人が与えてくれた機会のおかげで、夢を持つキッカケを掴んだ。
人は1人では生きていけないって言葉の意味がよくわかる。
捉え方を変えれば、僕は幸運だったということ。
にも関わらず、夢がない人をどこかで下に見ていたんだ。
最低かもしれない。
大きな勘違いだった。
ごめんね。

でもどうせなら、夢があった方がいいと思う。
だって楽しいじゃない?
しんどいこともあるけど、それも含めて人生だから。

重要なのは、人生は1回しかないという事実。
最後に待っているのは「死」という終着点で、ここから逃れた人は誰もいない。

夢は叶った方がいい。

もちろん、そう思っているし、そのために僕はこの本を書いてる。
3連休だよ?
ホントなら遊びたい、僕だって。

でも、仮に叶わなくてもいいじゃない。

夢を見て追いかける日々こそが尊いんだ。
それが青春でしょ?
年齢なんてどうでもいい。
20歳で悲観的なことばっかり言ってる人より、90歳で夢を語っている人の方が好きだ。

結果第一主義なんて蹴飛ばせばいい。

もう一度言うよ。
夢は叶った方がいい。

でも、例え叶わなくても見ることこそが尊いんだ。
人はその想い、熱量に吸い寄せられるんだよ。
見た目がどうとか、仕事がどうとか、お金がとか、そんなのどうだっていいよ。

どうかな?
少しは「夢」について向き合う気になっただろうか?
とは言っても、今まで見つからなかった夢がそう簡単に見つかるとも限らないよね。
でも不可能じゃないんだ。
時間はかかるかもしれないよ。
「すぐ見つかる!」なんて安易なことは言えない。
だって、それは嘘をつくことになるかもしれないから。
もしかすると、10分後に見つかるかもしらないし、10年後かもしれない。
そこは僕にもわからない。

でも、大丈夫。きっと見つかるから。

ブログの閲覧者が増えてきた

今、24日の0時21分。
残り48時間を切ってしまった。

夕方からブログを書いたり、その他にも済ませなきゃいけないことをしてたらこんな時間になってしまった。
ペースが良くないな。
でも、大丈夫。
焦らず目の前のことに集中すればゴールにたどり着くことができると信じてる。

ここ最近、書くことへのモチベーションが変化してきている。
元々は手書きのノートに自分が感じたことや、気づいたこと、あとは書いている脚本についてのメモ書きなんかを残していた。
どちらかと言えばアナログ人間で、パソコンに書くよりは、実際ノートを買いに行ってそこにガリガリ書く。
ノートを選んでる時間とかも楽しいじゃない。
僕以外、誰の目にも触れることはない。

でも、それって言いかえると、サボることも容易だってこと。
誰かに咎められるわけじゃないし、変なプレッシャーもない。

けど、僕みたいな文章を書こうとしている人間はある程度ストイックにならないといけない。
だって書かなきゃ始まらないから。

そういった意味では、ブログやSNSは役立つ。
特にブログの場合は閲覧者の人数やPV(ページビュー)の数も一発でわかる。
自分が書いた文章を誰かが読んでくれてるという実感を得やすい。

つまり「繋がり」ってやつ。
みんな「いいね!」が欲しくて投稿したりしてるでしょ?
まあ、承認欲求とか色々言われるけど、単純に嬉しいし、無意識に誰かと繋がりたいと思っているんだろうね。

ちょっと、話が逸れたけど、要するに「他の誰かの目を意識して」書くようになった。
影響されるとかそういうことじゃなくて、シンプルに読者像をイメージするようになったってこと。
結果的にもっと上手く書きたいと思うようになるし、それに向けて勉強しようという意欲が湧く。
もちろん「自分が何を書きたいのか」ってことはずっと考えていかなきゃいけないけど、そこに囚われてマスターベーションばっかしててもダメだ。
バランスだね。

僕の場合、その過程で、ミニラジオに挑戦してみたり、ちょっぴりYouTubeに動画をあげてみたりするようになった。
上手くいくとは限らないよ?
でも表現の幅は広がるし、経験としては確実に蓄積する。

若くて、尖っていれば問題ないかもしれないけど、僕はもう31歳。
もっと貪欲に学んで実践しなくちゃと思ってる。

でも、その結果、今回「本」を書くということも決意できた。
正直、下手くそかもしれない。
でも書けば書くほど上手くなるし、そのことを証明する。
だから、可能な限り最後まで付き合ってほしい。

言い忘れてたけど、今、やよい軒で唐揚げ定食を待ってる。
そろそろかな?
食べた後、新宿のマクドナルドまで歩くから、またその時に続きを書くよ。

まだ君を連れていきたい過去はたくさんあるんだ。

大人になる寂しさを感じた15歳

中学では野球部に入って結果的にレギュラーにもなれたし、学びが多い時間だった。
でも今回は書かないでおく。
正直、野球部時代の出来事や葛藤を語り出すと、1冊まるまるどころの話じゃない。

引退した後の中学生活は全く違ってみえた。
今まで授業が終われば急いで着替えてグラウンドへというお決まりコースだったのに、突如としてその日常が消える。
当然、寂しい気持ちもあったけど、それよりも正直ワクワクの気持ちが大きかった。

やがて文化祭の季節が始まる。
僕のクラス、3年5組は「ルパン4世」というミュージカルをすることになった。

実はそれより前に行った修学旅行でショートコント「喫茶店」を上演した。
文字通り喫茶店を舞台にはちゃめちゃ劇が展開されるんだけど、これが思いのほかウケがよくて、きっとみんな「演じる」ってことに味をしめたのかもしれない。
ちなみに台本を書いたのは当時の担任の先生。
誰よりも楽しそうだったのが今でも印象に残ってる。
あの当時は、まさかそれから10年後に東京で舞台の台本を書いて、演出してるなんて思ってもみなかった。
人生って本当にわからない。
あの頃の年齢、15年より長い16年をさらに生きて31歳になったし、楽しそうに台本を書いていた先生の年齢もこえた。

さて、ルパン4世へと話を戻す。
僕はメインどころの役ではなくて、バックダンサーになった。
そこそこ目立つし、モテるんじゃないかと思ったんだ。
15歳の少年が考えそうな発想だろ?

でも結果から言えば、あえなく撃沈。
僕はまったく目立たず、モテなかった。
代わりにモテたのは不二子役を演じたクラスの美男子。
もし、これを読んでくれてる地元の友達ならわかるよね?

文化祭当日は、後輩女子たちの怖いぐらいの熱狂が体育館を包んでいた。
ちなみに言っておく。
クラスのその美男子、すげーいいやつ。
そんなこんなで徐々にイベントが終わっていく。
楽しければ楽しいほど後から感じる寂しさが強烈だった。

もうすぐ高校受験が始まる。
僕は南港という大阪の埋立地に住んでいた。
高校に行くということは必然的に南港から離れることを意味する。
もう本当にみんなと離れるんだなと、言葉には表せない程の寂しさを感じてた。
15歳の自分に会えたら言ってあげたい。

「大丈夫だよ」って。

スタバの帰りにきいたアメリカ留学

「たっちゃん、俺、アメリカ行くわ」

卒業が迫った15歳の冬、クラスの仲の良い友達カズからそう聞いた。
一瞬、「えっ?」って感じで状況を飲み込めない。

僕とカズは、スタバの帰りにマンションの前のベンチに座っている。
この地元感満載ののどかな風景と、アメリカという言葉がどうしても結びつかなかった。

聞くところによれば英語を本格的に勉強したいと思ったらしい。
今でも思うけど、15歳で単身アメリカに渡るって言葉じゃ簡単に言えるけどなかなか出来ることじゃないと思ってる。
彼の父親は地元で会社を経営していたし、いずれはカズが跡を継ぐんだと思っていた。
だから英語も勉強するんだろうって。

「頑張れよ」

そんな気の利かない言葉を伝えたような気がする。
その時も1番強烈に感じた感情は「寂しさ」だった。
どうやら僕は生粋の寂しがりやらしい。
31歳になった今でもそれは感じる。

「俺はアメリカで頑張るからさ、たっちゃんは日本で頑張れ」

その言葉を発したカズと、あの瞬間のことは永遠に忘れることはない。
僕はどこかで「永遠の別れ」だと思っていた。

でも違ったんだ。
彼の言葉には「再会」というニュアンスが含まれていた。
寂しさと不安で押しつぶされそうな日々を過ごしていた僕にとって、その言葉はまさに希望だった。

「お互いに頑張ろう」

そう誓い合った。

結論から言えば、16年経った今でも連絡を取り合っているし、会えば酒を飲む。年末年始は厳しそうだけど、3月までには大阪に1度戻るからその時に飲もうと約束している。

ホント、人生何があるかわからない。

台本を書き続けた西新宿のマック

やっと到着した。
西新宿5丁目のマック。

今は24日土曜日の午前2時7分。
寒さで手がかじかんだ。
目の前には熱々のホットコーヒー。
幸せだ。

些細なことに幸せを感じる。
そうありたい。
周囲のお客さんの睡眠率が高い。
みんな疲れてるんだね、お疲れ様です。

今、どれぐらい書けているんだろう?
だいたい5万字から6万字ぐらい書こうと思っている。
さっき、夜21時ぐらいの段階で8000字ぐらいだったから1万字ぐらいはいってるかな?
行っててほしいな。

なんだろ……こんなテイストの本もいいと思わない?
僕の過去と、本を書いてる3日間が交差するストーリーライン。
ドキュメンタリー的でなおかつ過去を振り返るスタイル。
革新的かな?
少なくとも僕は読んだことがないような気がするんだけど、もしかしたら知らないだけかもね。

「同じテイストの、もうあるわ!」

って思ってる方、許してね。
僕ももう深夜のテンションだから、少々気が大きくなってる。
言っとくけど、飲んではないからね。
そこだけは頼むよ。

この西新宿のマックに来たのは久しぶりだ。
昔、舞台の仕事をしてた頃は夜中によく来て、翌日の稽古プラン、演出を考えたり、台本を直したりしてた。
もう5年ぐらいになる。
懐かしい。
やっぱり、実際に場所に来てみると色々な感情が蘇るね。
舞台の日々についてはまた後で書くことになると思う。

店内には全然知らない洋楽が流れてる。
南国の浜辺で聴きたいような曲だ。
ここ東京とはまったく違う速度で時間が流れてるはずだ。
いいね、悪くない。
今、自分が東京にいて、南国とはまったく正反対の冬であることを忘れそうになる。

人は複数の世界を生きてる。
みんな共通してるのは、現実世界だ。
毎日、目覚めて眠りにつくその瞬間まで身体が存在してる世界。
でもそれ以外にもある。

空想の世界だ。

みんなの頭の中に無数にある。
僕はその世界で生きるのが得意だ。
さっきも洋楽を聴いた瞬間に空想の世界に飛んでた。
空想に浸るのは本当に得意なんだ。
だって僕はストーリーテラーだから。

おっと、コーヒーが冷めそうだ。
もったいないね。
続きはまた後で書くよ。
みんなも少し休んで。

マット運動に苦戦する体操部員

何を血迷ったか高校では全く未経験だった器械体操部に入った。

周りはほとんどが経験者で、バク転、バク宙は当たり前。
すご技をいとも簡単に決めまくる他の部員を横目に、僕はひとり前回りを練習してた。

幼い頃、バスケットボールはしなかったのに、なぜか体操部には入った。
理由は簡単で「バク転が出来たらモテる」という誰もが考えそうななものだった。
で、結果、モテたか、モテなかったか。
おそらくこの問題の正解率は限りなく低いと思う。

なぜなら、そもそもうまくバク転が出来るようにはならなかったから。
正直、誤算だった。
しかも、誤算はそれだけにとどまらない。
床運動を含め男子は6種目もあった。
もしかしたらオリンピックとかで見たことがあるかもしいね。
あん馬とか、平行棒とか。
最初、特にこの世のものとは思えない筋肉痛に苦しめられ、手の豆は裂けまくり。
指の付け根の部分が裂けると特に痛いんだ。
でもそのおかげもあってか、モテたいという邪念は消え失せ、次第に練習に打ち込んでいる自分がいた。

もちろん時にはサボった(先生、ごめんなさい)。
でも基本的には真面目に取り組んだし、全然上達しない種目もあった……ってか6種目全部だけど、苦手なものに向き合う中で学んだことも色々ある。

正直、辛いこともたくさんあった。
でも乗り越えて楽しむことが出来るようになったのは、同期のメンバー、先輩方、後輩のみんな、顧問の先生に恵まれたからだ。

これはキレイゴトなんかじゃない。
嘘偽りない僕の本心。

特に何か才能があるわけでも、ずば抜けた能力があるわけじゃない。
でもしいていうなら、人に恵まれた人生だし、過去の出来事をよく覚えてる。
たぶん、君が想像してる何倍も、もしかしたら数十倍覚えてるかも。

だから、ストーリーテラーをしてる。
そこは誇れるよ。

頭から離れないアイディア

24時間営業だと思い込んでた西新宿のマックが3時に閉まって歩いて帰ってきた。
今は24日の午前4時54分だ。

少しばかり眠くなってきた。
眠気を吹き飛ばすためにコンビニでブラックコーヒーを買った。
温かいのを買えばよかったかなって若干後悔してる。
あと、ピーナッツチョコレート。
頭が糖分を欲してる。

実は西新宿のマックからの帰り道で2つのアイディアが浮かんだんだ。
よく歩いてる時に閃く。

ひとつはこの本のタイトル案だ。

どんなのが合うかな?
僕的には「アフタークリスマス」にしようかなと思ってる。
でも、もっとわかりやすい方がいいんじゃないかな?とも思ってる。
まあ、完成までに考えをまとめるよ。
いまのところの第一候補は「アフタークリスマス」だ。

もうひとつのアイディアはこの本を販売した後の収益について。

これについてはもう少し自分の中で考えをまとめて、「さいごに」で発表しようと思う。
最後まで読ませようとしてるんだろ、って?
本当にもう少し考えをまとめたいんだ。
ドキュメンタリー型、書籍だから今書いたけどね。
ま、でも最後まで読ませようとしてるってのもあながち間違いじゃないよ。

夢を共有する仲間との出会い

高校時代、3年間同じクラスだった友達に三谷ってやつがいる。

実は彼が結構、僕のこれまでの人生の中で重要な瞬間に立ち会っている。
最初はぶっちゃけヤンキーだと思ってた。
髪も少し長めで、若干の闇を抱えてる。
そんな印象だった。

ま、それは大きな勘違いだったんだけど。
実際のところ優しくて、お調子者だけどあまりその姿は人には見せない。
そんなやつだ。

三谷とは高校3年生の時に1番喋った記憶がある。
当時、体育祭の応援団にお互い入っていた。
応援団では、運動会当日を盛り上げるため、数週間前からダンスやパフォーマンスを練習する。
そこには絵に描いたような青春があるし、男女の恋愛もある。
大学で言うところのサークルに近いような感じかな?
まあ、僕は大学時代にサークルには入っていないので、なんとなくのイメージだけど……

ある日、ひょんなきっかけから一緒に帰ることになった。
自転車通学だった三谷の後ろに強引に乗り込む。
自転車の2人乗り。
今でこそまったくしなくなったけど、当時はよくしてた。
度々、警察から注意を受けたし、ある日なんて、いかにも悪さしてますって感じのお兄さんが乗った車に当たりそうになってガチの勢いでどやされ、ここぞとばかりの超絶スピードで逃げた。
今、思い返しても怖かったな。

三谷との帰り道、お互いダンスで気分が高揚してたのか、好きな人の話で盛り上がる。
それからというもの、時々互いの近況報告をしたり、相談をしあったりと、次第に一緒に過ごす時間が増えていく。

ある日なんて、「三谷をオシャレにする」という名目で2人でジーンズメイトという当時、天王寺にあった服屋さんに行ったこともある。
「オシャレにする!」と息巻いてる僕がオシャレからは縁遠いので、彼からしたらいい迷惑だったかもしれない。
でも優しいから付き合ってくれた。
そんな日々がただただ青春だった。

もちろん、お互いの恋愛は実らず、歩幅を合わせて大学にも落ち、共に浪人する羽目になった。
そんな彼、三谷とは大学に入学した後の人生で、夢を共有していくことになる。

河合塾での浪人生活開始!

大阪中津にある河合塾で浪人生活をスタートさせた。

中津知ってるかな?
俗に言う北(梅田)のすぐ隣。
御堂筋線で1駅の場所。

実は地元に石本っちゃんっていう友達がいて、彼も浪人することになってたから一緒に行くことになった。
彼は文系の3Lクラスで、僕は理系のA3。

今でこそこうやって文章を書いているけど、元々は理系だった。
だって宇宙飛行士を目指してたからね。
理系大学に入ることは必須だったんだ。

ここから1年、どんな生活が待っているのか、どこか楽しみで、もちろん不安もあった。

でもここは先に言っておくね。
もし、この本を読んでくれている人の中で学生さんがいて、こらから浪人生活に入る、あるいは浪人生活真っ只中の人は是非聞いてほしい。

たぶん、焦りと不安があるよね?
だって、同級生の友達は一足先に大学に入ったり、就職したりしてるから。
君は置いてけぼりを食らってるような気持ちになる。
人生で取り返しのつかないような遅れに感じるかもしれない。

でも、大丈夫。
その1年はきっと君にとっての「財産」になる。
誰にもそれを奪うことは出来ない。
僕も先の見えない不安にかられていたよ。

でも、今だからわかる。
浪人は決してマイナスなんかじゃないし、むしろしてよかったとさえ思ってる。

不安の中に身を置くことの大切さを考えてみてほしい。
毎日、充実して楽しいことしかないって状態は一見素晴らしいし、僕だって「いいなぁ~」って思うことがある。
でもね、言いかえると、悩みがないぶん、色んなことに対して「思考が停止」しちゃうんだ。
だって考えなくても楽しいんだから。

でも、生きてると、良いときばかりじゃなく、しんどいときも必ず来る。
僕もまだ31年しか生きていないから、「何、偉そうなこと言ってんじゃねーよ!」って思われるかもしれないけど、色んな時期があった。
もちろん、毎日が楽しいときもあった。
でも、仕事から逃げ出して、自分を責めて、ほんと絶望感に苛まれていた時もある。(ここはまた後で詳しく書くことにするね)

その時に助けてくれたのも浪人時代に出会った友達だったし、浪人の不安な時期を乗り越えていたからこそ、考えにも幅を持つことが出来たし、結果的に乗り越えることができたと思っている。

ほんとのところはわからないよ?
まったく関係ないかもしれないからね。
でも、大事なのは自分がそう思うかどうかってことだと思う。
人生、何がどこで作用するかどうかなんて誰にもわからないものだよ。

スタバでの自習の日々

河合塾の最寄駅である中津に駅直結のホテルがあって、そこの1階にスタバがある。

厳密に言えば現在はもう無いので、あったと言うほうが正しいかもしれない。

僕は早々に授業に出なくなって、さっきも登場した石本っちゃんと自習を始めた。
今思えば、ちゃんと授業で基本的な部分も学んで、自分なりの自習をすれば良かったかもって思うんだけど、当時は受験に関するテクニック本なんかを読み漁ってて、「こうすれば受かる!」なんてロジックを自分で勝手に組み立てて、それに従って日々行動してた。

キャラメルマキアートを注文してソファに座ってテキストを開く。
でもほとんどの時間、集中なんて出来ていなくて、ホテルにやってくるビジネスマンをぼんやり眺めたり、梅田の紀伊國屋で購入した本を読んだりして時間を過ごした。
もちろん、隣にいた石本っちゃんもだいたいそんな感じ。

しかも、当時は「寝ない自慢」みたいなものが僕たちの中で流行って、「昨日は2時間しか寝ていない」だの「週末は徹夜」するだので盛り上がっていた。
別に「寝てない=勉強してる」ってわけじゃないんだけれど、たぶん、なにかわかりやすくて、自分を支えるものが欲しかったんだろうね。

それが次第にわけのわかんない方向に進んで行って、夜中は徹夜して昼間はスタバで爆睡したりしていた。
時々、石本っちゃんと会っては、その頃について笑いながら語るし、今となっては良い思い出になってる。

最高の友との出会い

今でも言われることがある。

「こいつとは絶対友達になりたくないと思った」

そう言うのは河合塾の3L(文系クラス)にいた、アッキーだ。
彼との出会いは、河合塾の近くにあるタコ公園だった。
アッキーいわく、石本っちゃんに「会わせたい人がいる」と昼休みに連れ出されたそう。
僕はそんなこと知る由もなく、タコ公園の滑り台に座り弁当を食べていた。

お互い出会った時の印象は最悪だった。

僕は金髪タンクトップで滑り台を占領して弁当を食べていたし、アッキーはどこか斜に構えた感じで黒髪に確かピンクのメッシュが入ってた。
お互いまだまだ若かった。

それから事あるごとに石本っちゃんを間に挟んで、アッキーとも会うようになった。
そこに、とっくん(彼も3L)という歌うま爽やかボーイも加わって、よく4人で話すようになった。

気づけばいつの間にか自分のクラス(A3)には一切顔を出さず、3Lに入り浸るようになった。
そこでも色んな人と仲良くなったし、その付き合いは卒業して10年以上経った今でも続いている。

特に4人組に関しては、互いの誕生日をサプライズで祝いあう中で、更に絆が深まっていった。
どう驚かすかについて作戦会議をしたり、タコ公園に集まってひたすら語り続けたり。

「いやいや、勉強しろよ!」って声が聞こえてきそうだし、僕もそう思うけど、でもその時もそれなりに必死だった。
みんなの名誉のために言っておくと、勉強する時と、勉強以外の時と、結構メリハリはあった気がする。

でも、僕と石本っちゃんは比較的フラフラしていた気もするけど。

ペースが悪いなぁ

今、24日の16時5分。
さっき文字数を調べてみたら15000文字ぐらいだったので、まだ3分の1程度。

いやいや、マジすか?

って感じ。
結構書いてる気がするのに、思ったようにペースが伸びない。
作家さんて大変なんだね。

たぶん、今の文字数を本にすると70ページ弱ぐらいかな。
自分的には200ページぐらいを想定して書き出したので、やっぱり5万字ぐらいの着地になるのかな?
まだまだ道は遠いね。

実はずっと静寂の中で書いてたんだけど、逆に集中が途切れそうになるから、今はYouTubeで音楽を聴きながら書いてる。
歌詞がないやつ。
歌詞があると歌の世界に集中しちゃって、ますます書けなくなるだろうからね。

この本とは全然関係ないんだけど、3ヶ月前から始めたブログが今日初めて100PVいったよ。
しかも午前中だけで。
読んでくれた人、本当にありがとう。
ずっと続けてると、やっぱり徐々に伸びてくるもんだね。
最近は特に「継続は力なり」ってことを痛感させられるよ。
やっぱりコツコツやる。
これしかないのかもね。

よし、なんとかこの本も書き進めるよ!
更にペースを上げないと間に合わないからね。

あと31時間とちょっと。
でも、その前にコンビニでチョコ買ってくるよ。
頭がパンクしそうだ。

受験直前の焦りと追い込み

早々に授業を放棄して自習を重ねていたこともあり、この1年間は自分のペースと方法論で自由に勉強することが出来た。

でもこの自由という状況には当然ながらリスクもあるわけで、例え成績が伸びなくても全ては自分の責任になる。
言い訳は一切通用しない。

勉強を続けていると突如として伸び悩む時期がやってくる。
その時に我慢して継続出来るかがポイントになってくるんだけど、先の見えない暗闇に放り込まれ、永遠にさまよい続けなくてはならないような錯覚に陥ることも珍しくない。
僕自身がそうだった。

年末年始前後だっただろうか、合格するイメージがつかめず焦りばかりがつのる。
もちろん今更授業に出るわけにもいかなかったから、(5月頃にはすでにドロップアウトしてたから今更出ても、誰?ってなる)ただひたすら不安と向き合いながら目の前の問題に向き合った。

その時はただひたすら問題のパターンと解法を暗記していた。
本質的な勉強、もっといえば学問の概念から言えば、もしかすると邪道だったかもしれない。
解くというよりは単なる丸暗記に近い。

この辺りも結構難しいよね。
色々な意見や解釈がある。

でも、当時は必死だった。
勉強の本質がどうとか、そんなことを考えている余裕は一切なかった。

年が明けて、いよいよ受験が迫ったころは、予備校にも行かず、ただひたすら自宅にこもり勉強を続けた。
移動に費やす時間がもったいなかったのだ。

ここも浪人をして良かったと思う部分のひとつだ。

これほどまでに何か一つのことに全力で打ち込んだことがあっただろうか?
脇目も振らずただひたすらガムシャラに。

この鬼のように追い込んだ時期は自分の中でかけがえのない財産になっている。
でも、それゆえ、いや、そんな時期があったからこそ、今の自分に失望することもある。

「今のお前は、それ以上に頑張れてるのか?」

恥をしのんで言う。
答えは恐らくNoだ。

ここは本当に意識と行動を改善すべきポイントだと思っているし、それに向けて日々取り組んでいるけど、あの時ほどの必死さはたぶんない。
それによって今の自分を責めることも出来るんだけど、見方を変えれば、それほどまでに自分を追い込んでいたとも言える。
大袈裟じゃなく、緊張でペンが持てないなんてこともあった。
寝ることに対してもある種の強迫観念を感じていたし、受験直前なんて、ほんとに1時間とか2時間程度しか寝ていなかった。
ご飯を食べた記憶もお風呂に入った記憶もない。
まあ、もちろんその辺はある程度ちゃんとしてたんだろうけど。

睡眠が極度に不足して体調を崩してしまったら本末転倒だし、誰かに「寝ずにやれ!」と勧めているわけじゃない。
ここは本当に誤解しないでほしいところなんだけど。
まれに「寝ないと頭が働かないし、効率が悪い」って忠告してくれる人もいた。
正直、そんなことはわかっていた。
ぐっすり寝た方が疲労感も取れるし、集中力も持続すると思う。
確かに効率的かもしれないし、スマートで賢いやり方だ。

でも、当時の僕には効率的かどうかなんてどうでも良かったし、どっちが正しいかを考えるヒマがあれば、ひとつでも解法を暗記したかった。
頭が働くか、働かないかなんて知ったこっちゃないし、働かせないと受からないわけで、受からないわけにはいかないから働かせる。
それしかなかった。

自分を嫌いになった日

普段よく冗談で「いやー、自分のこと好きなんで~」なんて言うことがある。
これは半分本気だけど、半分嘘でもある。

自分の好きなとこなんて書いても仕方がないので、嫌いなところを1つ書くことにする。

受験の追い込み時期、僕は明確に自分が嫌いになった瞬間がある。
その日のことはこれから先も忘れることはないし、忘れちゃいけないと思っている。

今からそれを書くね。

僕が第一志望に掲げていた関西の私立大学は実は石本っちゃんの志望校でもあった。
「俺たち絶対受かろな!」そう言い合ってはお互いを鼓舞していた。
一緒に合格して、キャンパスライフを送る。
そのためにも必死に勉強した。

受験直前はさっきも書いたように、僕もほとんど家にこもっていたし、石本っちゃんも予備校には顔を出していないと友達伝いに聞いていた。
恐らく自宅で追い込んでいたに違いない。
あれだけ毎日スタバで顔を合わせ、くだらない冗談を言い合ってサボり続けた日々が嘘のようにパタリと会わなくなっていた。

受験は前期と後期の2度チャンスがあり、僕は前期試験に落ちてしまう。
「あれほど頑張ってきたのに」って気持ちが無かったかと言えば嘘になるけど、集中力は途切れなかったし、後期試験まであと1ヶ月ある。
このペースで走りきればなんとかなるかもしれないと思った。
だから不思議と悲壮感はなかった。

そんなある日、石本っちゃんから電話がかかってきた。

久しぶりに聞く声にどこか安堵の気持ちが広がる。
これから後期試験に向けてお互い頑張らなければならない。
その為には、少し時間をとって互いの気持ちを整理しなければ。
そう考えていた。
今、思うと、ほんとに自分の浅はかさに嫌気がさす。

石本っちゃんはちゃんと合格していたのだ!

失礼すぎる話だけれど、全く想像していなかったんだ。
直前まで模試の判定も僕の方が良かったから。
結果はどうあれ互いに報告し合あおうと約束してたにも関わらず、僕はすっかり忘れていた。
遠慮がちに電話してきた石本っちゃん。
ごめんよ、気を遣わせてしまって。

合格報告を聞いた時、もちろん、嬉しい気持ちはあったけど、心の底から喜んでいたのかと問われれば、躊躇なく「もちろん」とは言えない。
だって自分が合格してなかったから。

この辺はホントダサいなと思う。
でも、当時はこれが本音だったんだ。
そこに嘘をつく方が格好悪いと思うから正直に書く。

この時、僕は自分の一部を嫌いになった。

結果的に1ヶ月後の後期試験で、僕も合格することになるんだけど、その時初めて心の底から喜べた気がしたんだ。

そして、そんな自分をまた嫌いになった。

誰かの成功、特にそれが友達なのにも関わらず、心の底から喜べないなんて、本当に人間として小さいなと思うけれど、ある意味で僕の本質的な部分に気づけた気がした。

この時の感情は生涯忘れない。
だからキレイゴトは極力言いたくない。

これからの人生で少しでも自分を好きになりたいし、自分以外の誰かの幸せを願えるようになりたい。
そうすることでしか、あの時の自分を許すことができないし、決して利己的な感情ではなく、そうありたいと純粋に感じている。

ヤベー、残り30時間をきった!

今、24日の18時26分。
「3日間で本を書く!」と言っていたタイムリミットまで30時間をきった。

ペースはあまりよくない。
間に合うかな?
いや、間に合わせる。

どう?
ドキュメンタリーっぽいかな?

たぶん、これを読んでくれてる人が想像してる3倍ぐらいは焦ってる。
手にはずっとスマホ。
こんな長時間スマホを持ってたことはない。

早く手放したい気持ちもあるけど、いざ手放すと寂しくなるのかな?
ずっとイチャイチャしてるカップルみたいに。
てなことを書いてる内に文字数は増えるけど、時間が減ってく。

このまま、ずっと書きたいとこなんだけど、今からブログを書いて、毎日地元の友達に書いてるミニコラムも書いて、ミニラジオも収録しなくちゃならない。
あ、ちなみに、地元の友達の1人はさっきから登場してる石本っちゃん。

頑張るよ。

幸運の女神が微笑む条件

受験当日まで少し時計を戻す。

試験開始直前、ふと数学の問題についていくつか気になった点があった。
もちろん何度もやり込んだ問題だし解けないようなものじゃないんだけど、細かい解き方の部分が少し曖昧な気がしたんだ。

もうすでに試験が始まる直前で、周囲を見渡せば、すでにリラックスモードに入っていたり、たぶん集中を高めるために目を閉じている受験生の姿が見える。

刹那、ふと迷った。

「大丈夫、どうせ、今自分が気になっている疑問は大したことじゃない」

心からその声が聞こえた時、胸騒ぎを感じた。
同時にこんな感覚を覚えた。

「これはきっと自分の声じゃない」と。

すぐに自己流に分解していた問題集の一部を取り出し、サッと目を通す。

結果的に、同系統の問題が直後の試験に出た。
もちろん、直前に問題集を見直していなくてもその問題は解けていたかもしれない。
サッと確認したことと、問題を解けたことに対する因果関係は正直なところわからないし、後付けの理屈かもしれない。

でも、ひとつ言えることは、問題を解いている際の精神的な余裕は確実にあったと思う。
だって直前に確認して再度頭の中で反芻してたから。

問題は解いている際に若干の疑問点が出てくると、途端にストレスに変わったりするケースがある。
だからといって解けないかと言えば話は違うんだけど、何かしら影響がある。

例えば、苦手な人に会うと、なんとなく気分が重くなったりする感じに似ているかもしれない。
直接的な影響はないんだけど、間接的に影響してくる。
しかも、これの厄介なところは、どこにどう影響が出てくるかわからないというところ。
それらを避けれたと考えると、直前に問題集を見返した判断は正解だったと思う。

何度もくどいかもしれないけど、見返さなくても問題は解けていたかもしれない。
ただ、見返したからこそ解けたかもしれないのだ。

それ以降、僕は可能な限り「直前まであがく意識」を持つようにしている。
これは試験直前の睡眠に対する考え方にも精通している。

「試験当日の体調を整えるためにも睡眠はしっかりとる」

この哲学は僕の中には皆無だ。
あくまで「僕の中」での話だから、みなさんはそれぞれで考えて欲しい。

大学時代に覚えたタバコと人生観

無事に大学に合格した僕は勉強にも燃えていたし、すぐにアルバイトも開始した。

バイトは地元にあるスーパーで、そこで出会った先輩から「仕事とはなんぞや?」ということをゼロから教えてもらった。
仕事の内容は「品出し」と比較的単調な作業だったけれど、全部が初めての僕にとってはあらゆるものが新鮮だった。

まあ、そこでタバコなんてものを覚えちゃって29歳最後の日の夜まで吸い続けることになるんだけどね。
ちなみに、それ以来、一本たりとも吸っていないし、今後吸うこともない。

元々は「太くさえ生きてれば人生は短くてもいい!」なんて粋がってた。
もちろんその当時は本気でそう思ってたから健康に気をつけたことなんて一切なかったし、タバコだってバンバン吸ってた。

「やりたいことさえやれれば早く死んでも問題ない」

そんなキレイゴトが僕の中で一人歩きして、「命を大切に生きる」ということに対して思考を停止させてた。

この辺りは人それぞれの価値観だし、何が正しいとか、正しくないとかを論じるのはあまり意味がないような気もしている。
あくまで「自分にとって」何が大切かを考えることが重要で、その思考を掘り下げ、周囲からの様々な影響を受け、結果的に蒸留されたものが各個人の人格、哲学を形成すると思っている。

だから、僕の常識があなたに当てはまるとは限らないし、逆もまた同じ。

でも、大切な人、特に家族や恋人、友達の間では相手のためを思うがゆえ、つい押し付けがましくなって衝突してしまったりする。

僕は31年の人生の中で大切な人を何人か亡くしてきた。

彼ら彼女らの死に直面した時、「自分は早く死んでも問題ない」なんて口が裂けても言えないと思ったんだ。
もし、次にまた人生があってそこで再会出来るなら勝手にすればいいと思う。
大酒を食らってタバコをバンバン吸って寿命を縮めても問題ない。
だって次の人生で会えるんだから。

確実なことは言えないよ。
もしかすると生まれ変わるかもしれない。
確認した人がいないんだから、本当のところはわからない。

でも、おそらく、ないわけじゃない。

人生は一回の可能性が高いし、例え生まれ変わったとしても、別の存在として誕生して、今あなたが大切に思ってる人はそこに存在しない。

だから、人生はかけがえのない存在なんだ。

なのに、やりたい事さえやれれば早く死んでも問題ないなんて意見、あまりに乱暴だと思うんだよ。
まあ、僕が前まで持ってた考え方なんだけどね。

心の底から思う考えをひとつ。

「たった1回の人生、死に急ぐ必要はない」

やよい軒、再び

現在、25日の午前1時4分。

やよい軒で遅めの夕食を摂ってた。
メニューは唐揚げ定食。
もう何回食べたっけな?
150回ぐらいかな?

ちょいとコーヒーでも飲んで帰って続きを書くよ。
タイムリミットまであと22時間56分だからね。

夢が変化し始めた

大学2年か3年ぐらいの時だったかな。
気がつくとあまり「宇宙」のことを考えていない自分に気づいた。

相変わらず大学のロシア語の授業は受けていた。
でも、カフェでタバコを吸いながら小説を読んだり、人を観察したりする時間が増えてる。
最初はあまり気にもとめてなかったんだけど、次第に無視できないところまで来て、一旦立ち止まって考えてみた。

僕は一体、何をしたいんだ?

もちろん、答えはすぐには出なかったし、15歳の頃から宇宙飛行士になりたいって想いがどこかにあった。
まあ、その割には授業をサボったり適当なこともしてたから今思えばもちろん甘いんだけど。

この時期はなかなか苦しんだ。
もちろん生きてれば夢が変化することもある。
僕だって、医者、プロ野球選手、宇宙飛行士と3つあった。

でも、宇宙飛行士の夢は変えたくなかったんだ。
なぜだと思う?

実はこの理由を考えることが結果的に最も大事だった。

宇宙飛行士になりたかった理由

なぜ宇宙飛行士にこだわっていたのか?

なりたいって言い出したのは15歳、中学3年生のころで、ルパン四世を文化祭で上演し、カズがアメリカに行くと言った頃だ。

周囲の友達にも「宇宙飛行士になる」って宣言してたし、当時の卒業アルバムには「頑張れよ」の激励をたくさんもらった。

月に行きたくて、ほんとによく眺めていたし、もし本当に行くことが出来たら月からみんながいる地球を眺める。
その頃、地球のみんなは僕がいる月を眺める。
その時はみんな大人になっていて……

遠く離れていても、例え姿が見えなくても、お互いの存在を感じていたかったんだと思う。
忘れることなく。

だって、僕は寂しがりやだから。

それから、きっと、みんなの希望になりたかった。
少なくとも本当に月に行けば、地元の友達は月を見上げてくれると思う。
卒業して大人になって、どれぐらいの年月が経過しているかわからないけど、その瞬間はだけは、15歳の頃に戻れる。
どれだけ仕事が忙しくても、子育てが大変でも、人生に絶望してても。

そう、みんなで同時に過去を振り返って、同時に過去を共有したかったんだ。

2度戻れないから振り返らないんじゃない。
2度と戻れないからこそ振り返るんだ。

だからこそ、宇宙飛行士を諦めることは、みんなで過去を共有することを放棄することになると思ってた。

でも、1度頭に浮かんだモヤモヤはなかなか消すことが出来ない。
今、思い返しても、結構葛藤してたなと思う。
だって、そのために理系の大学に入って、ロシア語を勉強してたから。
全てではないにしても、15歳からの5~6年は最終的には宇宙飛行士になるために生きてたと言ってもいい。

でも僕は立ち止まった。

自分の感情に目を背けず、もう1回根っこの部分から見直そう。
そう決意した。

物語を作る人へ

まず考えたのは、みんなで過去を振り返りたいのはわかったけど、それって、ほんとに月に行かなきゃ達成できないことないの?ってこと。

実はこの質問が案外、盲点で、月に行きたいけど、じゃあ絶対月じゃなきゃダメか?と問われるとそうでもないような気がした。

「おい、おい」

って思うかもしれないけど、完全にもう月に行くもんだと思ってたから、月以外でもいいんじゃね?なんて考えたこともなかったんだ。

ポイントを整理すると、みんなで過去を共有したくて、なおかつ希望でありたいってことになる。

ちょっと待てよと。
ここで、過去を共有するってことと、希望でありたいってことの関係性を考えることにしたんだ。

難しいかな?
簡単に言えば、この2つを同時に達成する方法はないかって考えたんだ。

過去を共有すれば、希望になれるかな?
うーん、よくわかんないよね。
仮にみんなで、どこかに集まって、思い出話をしたとして、誰が希望かなんて意味わかんないじゃん。

でも、ちょっと待って。
一旦、もうひとつのパターンを考えてみよう。

希望になれば、過去を共有できるかな?

どうだろう?
さっきよりはなんだかしっくり来ないかい?

ここで言う希望っていう言葉の意味は皆んなに知られた存在であるって意味に近くて、言うなら「著名」であるってことと限りなく同義だと思ってる。

じゃあ、なぜ、著名である必要があるのか?

考えてみてほしいんだけど、仮に「同窓会」をしようってなったとして、みんなそれぞれ事情がある中で、少しでも気分が乗らなかったら「悪い、今回はやめとくわ」ってことにならないだろうか?

でも、そこに、例えば最近メディアに登場するやつとか、露出の多い仕事をしてるやつがいれば必然的に「ちょっと行ってみるかな」ってなりそうな気がするんだ。

これも僕の感覚値だし、絶対ではないことは重々わかっているんだけど、集まる人数は増えるんじゃないかなって。
僕だって、もし仮に同級生に芸能人なんかが居たら「行くか!」ってなるしね。
人数が集まれば集まるほど、過去を共有できる人数が増えるし、寂しくない。

まあ、ざっくり言うとこんな感じ。
だいたいイメージはつかんでくれたかな?

これで「著名(希望)」になれば過去を振り返って共有できる確率が上がりそうなことはわかった。

次の問題は、じゃあどうやって著名になるかってことだ。

方法はいくつかあると思う。
芸能人になってもいいし、政治家になってもいい。
歌は下手くそだから歌手にはなれないけど……
てな感じで考えていくと、「でも、やっぱりやりたいことをやりたいよね?」ってなる。

自分のやりたいことで、かつ著名になれる可能性があるもの。
自分のやりたいことは、過去を振り返ることで……あ、そっか!

突如として閃いたんだ。

過去を振り返りたいのは、過去に戻りたいって気持ちがどこかにあるから。
でも戻れないわけじゃん?
じゃあ、どうして戻れないのかってかんがえる。
時間が進み続けるから。
そうだよね。
じゃあ、時間を止めちゃえばよくね?ってなって……

どうやって?ってなるんだけど。

幸運にもいつでも同じ日に戻れる方法を見つけたんだ。
それが映画のフイルムに記録を残すこと。
見返すことで何度も同じ場所に戻れる。

「オレ、映画監督になる!」

生涯の道が決まった瞬間だった。

大学を辞める

そこからの行動は自分でもびっくりするほど早かった。
大学は後、1年残っていたけど、「やめる!」って即決して、映画の専門学校に行くためにお金も貯めなきゃと思った。

その頃、運良くというか、タイミングがいいというか、高校の頃、一緒に自転車を2人乗りしてた三谷が俳優を目指していて、芸能プロダクションのような会社に所属してた。
で、彼が仕事でよく行くスタジオがあって、そこがスタッフを募集してるみたいな話になって……
で、働くことになる、てな感じ。

大学もやめる半年前から研究室に所属していて、先生を含め、同級生もみんな好きだったから辞めるのは正直辛かった。
自分で判断しといて辛いなんて甘いと思われるかもしれないけど、僕は生粋の寂しがりやだ。
仕方ないと言えば仕方ない。

研究室に、山藤ってやつがいて、僕より歳は1つ下なんだけど、現役で合格したから同い年なんだけど、本当は辞める前少し迷ってた、というよりビビってたんだけど、彼の後押しもあって大学を辞めた。
辞める直前は一緒に過ごす時間も多くなって、暗くなった大学で熱い缶コーヒーを飲みながらタバコを吸い続けた。
お互い特に何か大切な話をするわけでもないんだけどこの時間がもうすぐ終わるってことを理解してたんだと思う。
まるで、弟みたいで、慕ってくれてるのがわかったから寂しかった。
この文章を彼が読んだら「慕ってる? それ、杉本の勘違い」なんて言うだろうなと想像するとなんだか笑えてくる。

今でもたまに山藤に会うと
「俺の大学生活にピリオドを打ったのはお前やからな!」
と言ってやる。
「やめろやー!」
なんていうのがお決まりのパターンだ。
その時、僕もそうだし、たぶん彼の記憶も大学時代のあの別れの直前に飛んでいると思う。

大学最終日、21歳になった大人の男が恥ずかしいけど、研究室の前から門までの道、涙をとめることができなかった。

撮影会の仕事とカメラを学ぶ日々

三谷が俳優を目指してた頃、僕は撮影会のスタッフとして日夜奮闘してた。

撮影会っていうのは、タレントさんやモデルさんをスタジオに呼んで、一般のお客さんが写真撮影をすること。
平日はお客さんからの問い合わせや予約メールに対応して、土日は撮影会の運営という日々だった。
慣れないパソコンに悪戦苦闘しながら、上司に仕事を教えてもらいながら少しずつ慣れていった。

僕はいつの時代も本当に人に恵まれている。

その会社には1年間限定の契約で雇ってもらった。
その後は専門学校に行くつもりだったから。

社長を含め、社員の方々もみんな可愛がってくれた。
決して仕事が出来たわけじゃなかったけど、自分なりに向き合って頑張ったつもりだ。
少しずつモデルさんやお客さんにも認知してもらえるようになり、「ナルちゃん」ってあだ名をつけてもらったり(語源はナルシスト)、ロン毛だったこともあり「ジーザス」って呼ばれることもあった。

土日の撮影会には、よくフリーランスで仕事をするカメラマンの方々たちが手伝いに来てくれて、僕は時間を見つけてはカメラについて教えてもらってた。
映画監督になる以上、写真の知識も絶対に役に立つと思ってたから。
自分でも一眼レフを買った。
もちろんお金なんてないからローン。
時にお客さんが撮影してる横から邪魔にならないようにモデルさんを撮影させてもらったりした。

その頃、三谷も俳優を目指して頑張っていたし、たまに仕事が終わってから集まっては三谷の家で芝居の練習に付き合ったこともある。
お互いぺーぺーながらも、夢について熱く語ったり、演技論をぶつけ合ったりする日々。
時には熱くなってケンカ寸前なんてこともよくあった。

「いつか俺が監督する映画にお前が出演してたらなんかいいよな」

そんなことを語りあってた。

「何夢みてーなこと言ってんだよ!」
なんて言われるかもしれないけど、あの時期、何者でもない時期に、夢を語った時間は何ものにも代え難いんだ。

今思い返しても間違いなく青春だった。

専門学校とテレアポとルームシェア

1年間の勤務を終え、大阪梅田にある専門学校の夜間部に入学した。

そこでは主に映画製作に関する全般的なことを学んだ。
授業は夜だったので、日中はテレアポの会社でバイトをしたり、スタジオ時代からお世話になっているカメラマンの方の仕事を手伝ったりして、それなりに忙しい毎日だった。

4月から新大阪でルームシェアを開始した。

相手は可愛い女の子……
ならよかったのですが、地元の友達である悠一という男。
僕の人生は彼抜きでは語ることは出来ないと言っても過言ではないと思っている。

出会いは小学校1年生のころで、以来、マンションの前のグラウンドで野球をしていた頃も、野球部時代も、高校も同じだった。
要するに仲がいい。

もちろん、互いのイテーとこなんかも把握しあってるんでどちらかが相手の秘密をバラすようなことがあれば、こりゃまた大変なことになる。
互いに押してはいけないボタンを握り合っている状況。
なのでここではこきおろさず、適度に褒めておくことにする。

そう、僕の親友です。

当時、彼も「デザイナー」を目指して専門学校に行くことが決まっており、「えっ、じゃあ、デザイナーと映画監督、ともに住んで青春しね?」ぐらいのノリでルームシェアを開始することにした。

最初、ルームシェアの案を出した時、悠一は迷っているように見えた。
そりゃあそうだろう。
当時、互いにお金もなく(今もないけどね)、ほぼ勢いだけで決めようとしてたから。

忘れもしない、地元近くにあるマクドナルドで彼を説得した。
充分に時間をかけた説得のかいもあり、最終的には悠一が折れる形でルームシェアが決まった。
そう、自分で言うのもなんだけど、僕は説得が案外得意なんだ。

お互いの専門学校から近くて、住める範囲の家賃という条件から導き出された場所は新大阪だった。
すぐに不動産屋で契約を済ませ、リサイクルショップでなんじゃかんじゃアイテムを揃え、突貫工事状態で入居した。

あの勢いは今思い返してもおかしくなるほどだ。
しかも、男2人のワンルーム。
お金のない状態で個人の部屋なんて贅沢は言えなかったし、何よりお互い夢を叶えるために一緒に住むんだからそもそも快適さなんて必要ない。
必要なのは燃えることが出来る環境だ!

なんて、なかば強引なテンションで突っ走った。
ワンルームに机2つだけっていうのもなんだか異様な光景だった。
生活感がまるでない。
初日の夜は布団さえなく、互いに床に寝た。
背中の痛さと、壁の上で踊る外の車の光。
あの光景、瞬間はたぶん一生忘れることはないだろうなと思う。

そんなこんなで僕らの新生活は始まった。

やべ、本当に間に合うのかな?

今、最終日の朝、10時20分。
残り、13時間40分だ。

なかなか辛い状況になってきた。
思うようにペースが上がらない。

さっき、計算してみたんだけど、仮に1秒に1文字書いたとして、1分間で60文字、1時間で3600文字。
ちゃんと数えてはないんだけど当初目標としていたのは、50000文字で、今のところ30000文字ぐらい書いてる。
昨日の深夜、結構頑張ったからね。
つまり、あと20000文字必要で、となると、仮に1秒に1文字書いたとしても、6時間程度はかかる計算になる。

現実を見つめることは大事だと思うけれど、この現実に気づいてからはなんだか怖くなってきた。
若干ではあるけれど、なんだか震えているような気さえする。
改めて数字の恐ろしさを痛感してるよ。

正直、50000字っていうのも最初のざっくりした目標だし、本さえ完成すれば別に50000字に届こうが、届かまいが、どっちでもいいのかもしれない。
でも、そこはなんだか変なプライドもあって、50000字も達成しつつ、本も完成したいという欲が出ている。
二兎を追う者は一兎をも得ずという言葉があるから、そこは注意しなくてはいけないけど、どーせやるなら、極限まで自分を追い込んでみようかななんて思ってる。
にしても、50000字は遠い。
さっきから、50000字を連発してるのは、決して文字数を稼ごうとしているわけじゃない。
50000字という数字を自分の中に何度も刻みつけ、鼓舞するためだ。

僕が本当のことを言っているのか、はたまた文字数稼ぎなのかどうかは読者の方々の判断に委ねたいと思う。
こんな風にドキュメンタリー風に文字を書きながら、次に書く内容を頭の中で考えているのだ。
立ち止まると、おそらく50000字(また書いてる)に到達しない。
指を止めることなく、1秒に1文字程度のペースを数時間継続する。

ちょっと想像してみてほしい。
どうだろう?
ちょっとは怖くならないだろうか?
僕は書きながらその事実を再度認識して完全に震え上がっている。

そうこうしてるうちに、10時33分になった。
この章を書き出したころは10時20分。
つまり13分が経過したわけだ。
この文字数と13分という時間に想いを馳せてみてほしい。

すると、だいたい僕の書くスピードをイメージしてもらえるんじゃないかな?
パソコンを使いたい衝動にかられるけど、そこはスマホで挑戦すると言った以上、最後までスマホで書く。
良かった、手書きを選択しなくて。

次に書く内容はぶっちゃけあんまり決まってないし、曖昧なんだけど、あんまり、この章をくどくど続けて読者のみんなをうんざりさせてもいけないので、そろそろ先にすすむことにする。
どうか、無事に終わることを祈っててほしい。

映画を撮る!でもボロカス

専門学校の2年目、前期に映画を1本撮った。

同じクラスの子が書いた脚本を僕が監督したんだけど、なかなか難しい。
「当たり前だろーが!」
なんて意見が聞こえてきそうなんだけど、やっぱり自分の頭の中で誕生したものではなく、別の人の想像を具現化するのは想像以上に困難だった。

世の中には脚本家と監督が別の映画ってたくさんあるけど、単純にすごいなぁと感心する。
僕はどっちかと言えば、自分で生み出した物語を立ち上げていくほうが好きだし、得意だ。
たぶん、みんな、そのタイプの人が多いんじゃないかなと思っている。

脚本は普段の僕にはない発想がたくさん散りばめられていたし、最大限努力はしたんだけど、結局納得できるクオリティまで引き上げることができなかった。
参加してくれた役者陣、スタッフ、脚本家たちに対して申し訳なさでいっぱいだった。

担当の先生にも散々ダメ出しを受けたし、前期で1本学内で上映出来る作品が決まるんだけど、もちろん僕が監督した作品は落選して、クラスメイトの作品が決まった。

ふがいなさで、いっぱいだったね。
申し訳なさと同時に、単純に悔しかった。

口ではデカイことをいいながら、なにひとつ自分の満足出来るクオリティに持ち上げることができない力不足に。
やっぱり見てる側と、実際やってみる側では全然違う。

たまに、映画を観てて「全然面白くないなぁ~」なんて感じることもあるけど、じゃあ実際に自分が台本を渡されたとして、このシーンを演出しろって言われたとき、プランはあるのか?って考えるようになった。

監督ってのは本当に大変な職業だと思うよ。

同時並行で考えないといけないことが多すぎる。
常に冷静であることが求められるし、精神的にタフじゃなきゃ務まらない。
スタッフと衝突することだってあるし、例えどういう状況に陥ったとしても、「俺はこうだ!」って突き通す強い意志と、作品のクオリティを突き詰め続け、周囲の意見を受け入れる柔軟性も必要になる。
そこには矛盾が生まれるんだけど、その引っかかったものを無理に飲み込もうとせず、どう処理するか、そのあたりも試されてくる。

もし、映画関係者の方や監督経験者の方が読んだら、「何、わかったようなこと言ってんじゃねーよ」ってなるかもしれないけど、僕が学んだことはこんな感じだった。

卒業制作「朝がくる夜」

いよいよ卒業制作の時期が近づいてきた。

前期の苦い経験があったので、自分的にはガッツリ覚悟を決めて臨んだ。
卒業制作の作品に関しては、優秀作品のいくつかは実際映画館で数日上演される。
僕は完全にそこを見据えて動いていた。
ま、もし、見据えていなければまた監督なんてしなかったと思う。
だって大変だからね。

ま、もちろん、色々あったんだけど、最終的には脚本も書いて監督もすることになった。

タイトルは「朝がくる夜」

どうだろう?
僕は悪くないと思ってるんだけど。

卒業制作の作品時間は最大30分と決まっていた。
当然予算や規模の問題もあるので物語の内容に関しては慎重に考えた。

僕の中で最も重視していたのは「芝居をしっかり成立さること」

当たり前だけど、それなしに物語にリアリティは宿ってこない。
だから、極力芝居の演出に集中出来る環境を作ろうとした。
そのためには他に考えなきゃいけない要素を減らしていく必要がある。
ハリウッド並みの超大作であれば、数百名のスタッフがいて、それぞれに仕事が分担されるんだろうけど、こっちはわずか数名のチームだ。
仕事量にも限度ってもんがある。

考え続けた結果、あるひとつのアイディアが浮かんだ。
それは今後、僕の脚本に大きな影響を与えていくことになる。

それは、「ワンシチュエーション」ものの物語を作るということだった。

要はひとつの場所で展開する物語のこと。
舞台を想像してもらえればわかりやすいかな?
それを映画でやるイメージ。
そうすることでロケ地を移動する手間が一気にはぶける。

決まりだ!

ただ、物語の舞台を1つに絞る以上、そのロケ地がちゃっちい(ショボいってこと)と一気に陳腐に見える可能性がある。

「じゃあ、高級ホテルにしよう」

いかにも安易に聞こえるかもしれないけど、こっちは大真面目だった。
実際、ロケ地はホテルにしたし、芝居の演出に集中する必要があったから、登場人物も限りなく少なく男女合わせて2名にした。

深夜、男が目を覚ますと、そこは高級ホテルの一室で、隣には見知らぬ女が眠ってる……てな感じのストーリーだ。

どう?
ちょっと面白そうじゃない?

女性の役者さんは前期の映画に出演していただいた方にお願いして、男性の役者は……そう、高校の同級生、三谷だ。

運良く撮影に協力してくれるホテルも見つかり、ジュニアスイートを使わせてくれることになった。
合計2泊で撮影したんだけど、たぶん専門学校生でお金もないと思われたのか、1泊分の料金にしてもらった。
この時のホテルの担当者さんには、随分協力していただいたし、今でも感謝している。

残念ながら、今はそのホテルは無くなってしまったみたいだけど、「朝がくる夜」を観ればそこにはちゃんと存在してる。

実際には姿、形はなくても、映像の中には空気感も含めてちゃんと残っている。

この時、改めて実感したんだ。
自分がこの道に進んだのは間違いじゃなかったって。

映画館での上映

「朝がくる夜」は学内選考に選ばれ、映画館での上演が決まった。

前期の悔しさがあったから、言葉に出来ない嬉しさがこみ上げる。
役者の2人も忙しい中スケジュールを合わせて事前稽古にも励んでくれたし、タイトな撮影スケジュールを支えてくれたスタッフのみんな、ホテル側の関係者の方々、学校の先生には感謝してもしきれない。

映画製作を通して様々なことを学んだけれど、何より痛感したのは、自分は自分で思ってるより未熟であり周囲の支えに助けられているってこと。

僕もどちらかと言えば頑固な性格だし、よく「でた! B型!」なんていじられたりするけど、どれだけ自分の夢を叶えようが、どれだけ成果を上げようが、決して偉ぶったりしたくない。

だって、シンプルに、別にえらくないじゃんって思う。

みんな誰かを支えてて、誰かに支えられてるんだから。
可能な限り、謙虚さは忘れたくない。

東京での孤独

映画館で上映したことに関しては、「映画館で上映した」という事実が残っているだけなので、ここではあまりうじゃうじゃ語りませんが、普段お世話になっているたくさんの方々に観に来ていただいたことは感謝しています。

上映を通して「客観性」を持つバランス感覚の難しさを感じました。
実際、「ここ、良いシーンなんだよなぁ」ってとこであまりお客さんの反応がなかったり、全く予想していない意外な場面で反応があったりと、わからんもんだなぁって。

もちろん、とはいえ、お客さんの好みにだけ合わせていくと、作品の個性は死にますし、エッジもなにもないんですが、ただ、自己満になってもそれはそれで違うと思うので、その辺りは今後、脚本を書くうえでも掘り下げていこうかなと思います。

さて。

実は僕は1度就職した。
東京にあるとある制作会社だ。

専門学校の卒業式当日の夜、まだ皆んな飲み会の宴会騒ぎの中、僕は小さなカバンひとつ持って夜行バスに乗り込み東京に向かった。

翌日、面接があり、そのまま採用が決まって、すぐに家を探せってことになった。
あまりの急展開に若干戸惑ったものの、不動産屋を周り、その日から会社に寝泊まりする日々が続いた。

面接の後はてっきり大阪に戻るものだと思ってたので当然荷物なんかもない。
風呂に入りたくても着替えすらなかった。

しばらくして大阪に戻るタイミングがあったんだけど、荷物だけ準備してすぐに東京に戻った。

当時、予想をこえるスピードで急展開する状況と疲労で若干、心が壊れ始めてた。
この時にもっと「自分を癒す」ことに時間を割くべきだったと後になって気づいたけど、当時は仕事先の人に迷惑をかけてはいけないと思っていたし、自分でいうのもなんだけど案外真面目な性格だったので、止まることを自分に許さなかった。

それは後になって何倍にもなって返ってくることになる。

簡単に言えば、これから先、AD業務を行うことになるんだけど、正式に配属番組が決まるまでは会社の事務所みたいな場所で仕事をしながら眠った。

数日して、とあるバラエティー番組への配属が決まった。
慣れない作業の連続で、常に心も休まらないし、極度のプレッシャーの中、毎日を過ごしていた。
徐々に精神的、体力的に参ってくる。

仕事がキツいのは今となっては理解出来る部分はたくさんある。
当然ながら番組の放送日は決まってるわけで飛ばすわけにはいかない。
間に合わないということは許されないわけだから、必然的に激務になっていく。

今この年齢になって思えば、自分が壊れる前に、さっさと辞めればよかったんだ。

でも、社会人の人ならわかると思うけど、仕事を飛ばすってイメージ出来る?
少なくともその時の僕はできなかった。

だから、なんとかくらいつこうとしたし、個人的には必死だった。
でも帰れない日なんでザラだし、風呂に入る時間すらままならない。
たしかに僕の仕事の要領にも問題があったのかもしれない。

あの頃は、深夜、外に出て東京タワーを眺めては壊れそうになる自分を何度も支えてた。

なににそんなに怯えていたのか?
正直、よくわからない。

格好悪いけど毎日実家に電話して親の声を聞いたし、でもそうすればするほど、「もう2度と大阪に帰れないんだ」って感情に襲われる。

よくわかんないよね?

僕も今、これを書きながら、よくわかんねーな、と思ってる。
でも、当時はそう感じていたし、それが心が壊れ始めてる証拠だったんだと思う。
結局、逃げ出す形で東京を飛び出した。
全ての仕事を放り出して。
俗に言う「飛ぶ」ってやつ。
正直、まさかだった。
だって、ほんと自分でいうのもなんだけど真面目な方だったから。
最終的には自己防衛の感情が働いたんだと思う。
これ以上いたら、本当に壊れると思った。

品川駅から新幹線に飛び乗り新大阪へ向かったあの時間は永遠に忘れないね。
かかってくる電話すべてに無視を決め込み、あえて自分を落ち着かせるために食べれもしない弁当を車内販売で買ってみる。
窓から見える夕日は窓の汚れを際立てて、京都駅のホームがやけに無機質に見える。
不謹慎かもしれないけど、逃亡する指名手配犯の気分だった。
周りの誰かが自分を見ているような気がする。

新大阪駅についた。
あれほど、2度と帰れないような気がしていた大阪の景色が目の前にあった。
見慣れた光景。
悠一とルームシェアをしてた街だ。

散々、みんなに応援してもらって上京したにもかかわらず、蓋を開ければ、結局は逃げ帰ってきた。
その事実が自分を苦しめた。
もう誰にも顔向けできない。
当時の自分はそう思ってた。

……と、本当はここで、この章をしめたいとこなんだけど、最後に。

もし、今これを読んでくれてる人の中で、当時の僕のように追い詰められている人がいたら聞いてほしい。

「逃げてもいいよ」

すぐには自分を許すことは出来ないかもしれないけど、受け入れるんだ。
時間はかかるけど、それでいい。
壊れてしまうよりはずっといいよ。

勝手な言い草に聞こえるかもしれないけど、今になってみればあの時に逃げて良かったと思う。

結果として多くを学んだし、大切な人にも出会うことが出来た。
あのまま東京にいたらきっとそうはいかなかったよ。

たぶん、君は周囲の人に迷惑をかけることを恐れてるんだよね?
わかるよ。
僕もそうだったから。

でも、また時期をみて謝ればいい。
別に10年後でも50年後でもいいじゃない。

結果的に、僕は当時散々迷惑をかけた仕事先の人からたまに連絡をもらったりしてるよ。
不思議なことに彼らは全然、怒ってないんだ。
でも、いつかちゃんと謝るつもり。
そのためにも頑張らなきゃいけない。

まずはゆっくり自分を癒して。
それからで大丈夫だから。

無理矢理感ハンパない友達

と、さっきの章では格好をつけてみたものの、当時は実際どん底で、ばあちゃんの家でゆっくり過ごしてみたり、夜中に繁華街の椅子に座って、ボケーっとタバコを吸ったりして過ごしてた。

特にやるべきこともなく、ただ日常をやり過ごす日々。

その頃も会社からは携帯に連絡が入ってくる。
まあ、当然だよね。
見るのが嫌で目の届かない場所に置いてた。

でも、ある日、なんでだっけな、理由は忘れたんだけど、ふと携帯を見ると「アッキー」から連絡が入ってた。

ほら、河合塾で知り合った黒髪ピンクメッシュのアッキー。
彼はすでにその頃、東京で仕事をしてた。

「おー、ヒマ?」

電話にでると、いつものように唐突に予定をきいてくる。

「まあ、ヒマってか……」

彼には大阪に戻ったことを伝えてたから電話をしてきてくれたんだろう。
「ちょ、お好み焼き食いたいから大阪行くわ!」
「えっ?いつ?」
「今から」
「は?」
「あー、もう駅やから、ほな後で」

と、電話が切れる。

夜、梅田で一緒にご飯を食べた。
特に理由を聞いてくるわけでもなく、ただ浪人時代の話とか、他愛もない話をした。
諸々あって朝まで語り明かすことになるんだけど、結局のところ、僕は彼の優しさに救われたんだ。

つくづく人に恵まれてるでしょ?

そのあと、実はアッキーが東京に戻るタイミングで一緒に東京に戻って、アッキーの自宅に転がり込んだ。
俗に言う居候ってやつ。
そこで自分を癒しながら、これまでを振り返ることに時間を費やした。
幼い頃からこれまでのすべて。
何回も何回も過去の記憶を紐解くなかで、忘れていた記憶が蘇り、懐かしい友達を何人も思い出した。

今頃どうしてるのかな?
みんな元気にしてるといいな。

寄せては返す波のようにいろんな感情がやってきては引いていく。
週末になるとアッキーと近くのBarに行くようになり、徐々に外の世界との繋がりも戻ってきた。
そこでも色んな出会いがあったし、人の暖かさに触れた。
いつのまにか、1人でも行くようになり、話をしては、飲めないお酒をちょくちょく飲むようになった。

トータルで言えば3ヶ月ぐらい居候してたのかな?
もっとかもしれない。

僕はその街が好きになったし、勝手に第2の故郷だと思っている。

ドラマの助監督をやることになった!

AD時代の同じ会社の同僚のすすめで、とあるテレビドラマの助監督をすることになった。

久々の仕事復帰だったこともあり、不安だらけだったけれど、幸い優しい人が多く(もちろん仕事中は厳しい)、ドラマをつくる過程をイチから学ばせていただいた。
助監督といっても3人いて、僕はその3番目、サードと呼ばれるポジションだった。
各パートによって仕事内容が違うんだけど、サードの仕事で1番わかりやすい仕事で言えば「カチンコ」だ。

「よーいスタート」の時にカチンとならす、あれ。

思ったより難しくて、スタートの時は1回、カットがかかると2回鳴らすんだけど、何回もミスってよく現場で怒られた。
ほんと難しいのよ。

実際に普段テレビで観る方が普通に目の前に居て、「やっぱ東京はすげ~な」なんて思っていた。
第一線で活躍している俳優さんの演技を目の前で観れるのは貴重な体験だったし、何より現場の空気を肌で感じることができたのが良かった。
僕はフリーランスとして現場に呼ばれてるんだけど、ドラマを作っているテレビ局のADさんたちとも親交が深まったし、夜時間を見つけて外に散歩に出かけたりもした。

AD時代、自分が病んでいる時に感じた、この世界の暗い空気が、一気に払拭されていった。

ドラマの放送時には大阪に居たんだけど、テレビの前で今か今かと待った。
全国放送で自分が関わったドラマが放送されるのは嬉しかった。
現場で目の前で起きていたことが、編集されひとつの物語の中に溶け込んでる。
それを、テレビを通して観てる。

これはね、なんとも言えない不思議な感覚だったなぁ。

舞台への挑戦

助監督をやる時に声をかけてくれた同僚の女性が舞台のプロデューサーをすることになり、僕が台本と演出を担当させてもらえることになった。

なんとなく物語の構想は決まっていたものの、台本もゼロから作る状態だったので、急いで書き始めた。
でも、タイトルだけはすでに決まってた。

「Good Day Sunday」

どうだろう?
韻を踏んでる感じがいいと思わない?

舞台なので場面転換せず、最初から最後までぶっ通しの台本を書いた。
卒業制作「朝がくる夜」でワンシチュエーションものを経験してたから、特に問題なく書き進めることが出来た。

もちろん、とは言っても、台本を書く作業は楽じゃないし、それなりに悩んだ。

今もこの本を書きながら苦しんでいるけど、結局のところ地道に1文字ずつ積み重ねていかないといけないし、わけがわからなくなったら前に書いた部分を読み返して整理するしかない。
台本作りもそれと同じだった。

余談だけど、「Good Day Sunday」の公演が終わった後、3年間ほど台本を1度も読むことなくずっと自宅の引き出しにしまってた。
もちろん誰にも見てせいない。
3年経って読み返した時は、当時の状況、例えばオーディションの様子だったり、稽古風景だったり、泊まり込みで準備したこと、公演当日、俳優陣より緊張してしまって今にも吐きそうだったことを思い出した。

台本の感想としては、正直荒削りな部分はたくさんあるし、技術的に言えば当然3年後の自分の方が向上してたと思う。
でも、たまに、今のじぶんじゃ書けないなってセリフが出てくる。
偉そうに聞こえるかもしれないけど、それは技術的なことじゃなくて、当時の自分の感性だから書けたんだと思う。
その感覚は生き物で、常に変化を繰り返す。
過去に戻れないのと同じで、その感覚を完全に再現することは残念ながら出来ないんだ。
でも、台本という紙の上に、その感覚の痕跡を残せていることが幸運で、これ自体、ある意味では過去を振り返ってるってことになる。

プロデューサーに締め切りを伸ばしてもらいながら、なんとか台本を書き上げた。
よし、ひと段落か。
じゃない。
演出もある。

次は?
そう、俳優陣のオーディションだ。

ニュースタイルオーディション

一般的な劇団は、俳優陣を抱えていて基本的に同じ俳優で舞台を作っていく。(合ってるかな? 間違ってたらごめんなさい)

ただ、「Good Day Sunday」に関してはゼロから俳優陣を探していくことになっていた。
プロデューサーが各プロダクションに声をかけ候補者を募る。
数日に分けてオーディションを行った。
内容とか方針はある程度任されていた部分もあったので、内容を練りに練り、出した結論は非常にシンプルなものになった。

「フリートーク」にしようというもの。

芝居のレベルは一切見なかった。
というより、そもそもオーディションで芝居をしてもらう瞬間を設けなかったので見たくても見れない。

普通、そんなオーディションってあるのかな?

ぶっちゃけ賭けといえば賭けだった。
だって上手いか下手か全くわからなかったから。
でも、もちろんそれにも理由がある。
芝居レベル云々じゃなく、その人が持つ素の空気感がどれだけ登場人物に近いかを知りたかったんだ。

芝居は上手い!
でもイメージと全然違う!

これだけは何としても避けたかったから。
もちろん、超絶演技レベルが高ければ、無理矢理にでも役の空気感に合わせることが出来るかもしれない。
でも、その可能性に頼るのは芝居を見ずにキャスティングすることよりも更にリスキーな気がしたんだ。
はたからみれば、ただのお喋りタイムに見えたかもしれない。
でも、真面目なキャラクターにキャスティングしそうな人には真面目な話題を、少しおどけるキャラクターにキャスティングしそうな人には冗談っぽい話題をふったりした。

そこである程度の方向性を固め、予想とのずれを洗い出していった。
だから案外すんなりキャストが決まった。

ノンストップだからこそ空気を支配

舞台の醍醐味は目の前で「リアル」に展開されることであり、俳優陣が発するパワーで場の空気感が変化する瞬間を感じ取ることが出来ることだと思っている。

当然、物語の内容自体が重要なのは言うまでもないよね?

でも、そこにフォーカスを当てすぎると、じゃあ映画でもいいんじゃない?
ってなる。
それだと舞台でやる意味が弱まってしまうので、あえて舞台特有の強みにフォーカスすることにした。

でも、じゃあ空気感の変化ってどういうこと?ってなるよね。

例えばイメージしてほしいんだけど、君は友達数人と部屋で喋ってて、誰か1人が急に泣き出したとする。

周囲は「えっ?」ってなる。
その時の「なになに?」って互いの様子を確かめ合う瞬間の空気感を人工的に作り出すってことなんだ。

これがなかなか難しい。
日常生活では自然に起きていることを、意識的に再現しようとすると超高度な技術が要求されるんだ。
だから、俳優って職業は奥深いし、誰もがなれる職業じゃない。

シンプルになぜ難しいかってことなんだけど、どうしても予定調和になってしまうからなんだ。

まあ、台本があって、物語が決まってるから当然と言えば当然なんだけど、俳優はあたかも目の前で起きていることが「初めて」起きているかのように感じないといけないし、それによる感情の変化をリアルなものにしなくちゃいけない。

難しいよね。
もう少し噛みくだいて説明するね。

台本にはこう書かれてるとする。

目の前に机があって、その隅にガラスのコップがある。
君は手に取ろうとするけど、誤って落として割ってしまう。

この時、君ならどう演じるだろうか?
ここが本当に難しい。

コップは落とさなきゃいけない。
でも、落とすことを予め知ってちゃいけなぃだ。
なぜか?
落とすことを予め知っている所作が無意識に出てしまって、その違和感がリアルさを消すから。

だから、究極に難しいわけ。
台本は覚えてるんだけど、覚えてちゃいけないってことになる。

そう、「矛盾」が生まれるんだ。

この問題を俗に言う「技術」ってもので乗り越えられると思うかい?
僕はどう頑張ってもそうは思えないんだ。

どうして、こんな演技論の話になってんだっけ?
つい、熱く語っちゃったみたい。

よし、強引にまとめるよ。
要するに、リアルな空気感を作り出す。
これを最重要課題として稽古を進めたんだ。

いよいよヤバくなってきた!

現在25日の16時23分。
あと7時間37分。

で、残り12000字。

いや、マジでこれやべーすわ!
ホンマ冗談ぬきで。

間に合うか間に合わんかの瀬戸際感がハンパなくて正直、目標50000字を帳消しにしようかなというセコイ考えも出てきてるんですけど、まあ例え目標に到達しなくても目指した事実が重要だと自分を慰めながら全力で突っ走ってます。

あーキツイ。
このドキュメンタリー的な書き方を思いついてからずっと実践してますけど、ドキュメンタリー感出てますかね?

正直、今その判断が出来ないぐらい追い詰められているのと、もし今ここで「いや、あんま、ドキュメンタリー感ないで? だって読んでる時はすでに書き終わってるやん?」なんて言われた日には、ここ数日のすべてが無に帰すという絶望的な状況に陥ってしまうので、まあまああたたかい意見をいただきたいななんて思いつつ、僕はしたたかに、次に書く内容を模索してます。

このドキュメンタリーパートに関しては、その時の感情をダーってぶちまけてるだけなんで凄く楽ってか、早く書けるんですけど、過去振り返りパートに関しては、そうもいかずなかなかそのペース配分に苦しんでます。

ただ今、16時30分。
いやー、ホンマに時間戻されへんかななんて思いつつ、東京のワンルームにこもってるんですけど、とりあえず書ききらないといけないですし、次なんとなく書くことが思い浮かんだんで、この辺にして先に進みます。

無事終わるよう祈っててください。
では。

細部への想像とたった1人の涙

芝居の稽古をするなかで、もうひとつ徹底的に共有してたことがある。

それが「細部への想像」を膨らませるってこと。

結局のところ、本番が始まったら舞台上には俳優陣しかいないわけで、もちろん照明や音響によって場面の印象はかわるけれども、基本的には俳優陣にかかってる部分が多い。
だから、1人1人がしっかりと完全に役に入っている、もっと言えば「役そのものである」ってことが重要になってくる。

実は稽古の時に、こんなやりとりがあったんだけど、舞台自体は、とある事務所の部屋という設定になってた。
そこに色んな人が集まってくるんだけど、とある人物のセリフで「外にコンビニがある」
ってのがあって……
もちろん直接、物語の中にそのコンビニは出てこないんだけど、じゃあそれがどんなコンビニかってのはちゃんと把握しておく必要があると思っている。

売り場はどんな感じ?
雑誌のスペースは?

外から見たなら店内の様子は限定的にしかわからないだろうし、もしかしてトイレを借りに行ったとしたなら、外から見るよりは中の様子がわかる。

だから、「コンビニがある」ってセリフを言う時は、少なくともどんなコンビニかわかった上でセリフを発する必要がある。

ただ、さっきも書いたけど予定調和になったゃいけないから難しいんだ。
俳優陣は常にフレッシュな気持ちをずっと維持し続け、稽古期間に何度も見たものをあたかも初めて見たかのように演じなきゃならないし、また実際そう感じなきゃいけない。

大変だろう?

ちょっとやそっとで出来ることじゃないよね。
だから難しいし、終わりが無いんだ。

でも、だからこそ生涯をかけて深めていく人が多いんじゃないかと思う。
「キャーキャー言われたい」
「チヤホヤされたい」
そんな気持ちじゃ、当然つとまるような仕事じゃない。
僕はそう思ってる。

さて。

あんまり演技論ばかりでも退屈するといけないから、最後に別の話を1つ。
物語を作ることの醍醐味について軽く語らせてほしい。

正直、僕は「物語を作る」って作業に取り憑かれてしまった人間の1人だ。

楽しそうだろ?
たしかに楽しい。

でもそれ以上に辛いことももちろんたくさんある。

昨年12月から書き始めた映画のオリジナル脚本は第4稿目の修正をしてるんだけど、これがなかなか大変で、もうどこをどう修正したらいいのかわからなくなってる。
でも、単純な話、いま映画化されたとして人の心を打つかっていえば正直微妙だと思ってる。
自分で言うのは案外辛いけどね。
まあ、でもだから書きなおしてるんだけど、どうだろ?
もし、自分が完璧だ!って思うまで書き直したとして、それが映画化される保証はあるのか?

答えはノーだ。
もし仮に僕が売れっ子作家、あるいは売れっ子脚本家なら「先生、次の作品を!」なんてことになってたかもしれないが、残念ながら現実はそうではない。
住んでるのだって東京のボロワンルームだし、車だってない。
僕の夢物語では、タワーマンションに住んで愛車はフェラーリだったはずが、ものの見事に何一つ叶っちゃいない。

保証ないんだよ?

だから、いまだってバイトをしてる。

でも、もうやめることは出来ないんだ。
なぜなら、人の心を打つ快感を知ってしまったから。

舞台「Good Day Sunday」は新宿にある画廊を使わせていただいて上演したんだ。
自分たちで客席を組んで、お客様を迎える。
1回あたり入れるお客様の人数はマックスで30人程で、ありがたいことに連日多くの方に観に来ていただいたので、全公演合わせて200人ほどの方に観ていただいたのかなと思う。

もちろん「面白い!」って言ってくれた人もいれば「うーん、微妙かな」って言う人もいた。
僕からすると、もちろん、全ての人に楽しんでもらいたいし、そのために作ってるんだけど、なかなかそうはいかない。
だから、「微妙」だって言う意見もちゃんと聞いたつもり。

実はラスト近くのシーンで、男女が停電になった事務所で話すところがあるんだけど、自分的には思い入れの強いシーンで正直、お客さんを泣かしにかかった場面だった。

自分が紙に書いたセリフを俳優が形にして、お客さんの心を打ちにいく。

でも、そんな簡単じゃない。
なかなか泣くひとは現れない。

でも、1人だけいたんだ。
全公演でたった1人。
200人の内の1人の女性が、泣いてくれたんだ。

たった1人。

でも、この女性が泣いてくれたという事実が、何の保証もない道に進む自分を支えてくれてる。

彼女がいなかったら、どこかで諦めてたかもしれないし、今後どこかで諦めるかもしれない。
でも、僕の中でその「諦める」って選択肢は完全に消えたんだ。
仮に無名のまま死ぬことになったとしても、この道はまっとうしようと思ってる。
名前も知らない誰かの涙によって、人生を「物語を作る道に捧げてもいい」って完全に思うことができた。

もし、その方がこの本を読んでくださっていたら心からお礼を言いたい。
ありがとうございます。

まあ、散々こうして、カッコよく語ったつもりだけど、僕も人間で弱いから、たまには「グェー」とだらけてるかもしれない。
そんなときは、「おいおい、口だけか?」とハッパをかけてほしい。
たぶん、シャキッ!として再び頑張るに違いない。

20代はテレアポのバイト

実は本当は2度舞台の演出をして台本を書いたんだけど、また舞台の話をするのもあれなので違う話をする。
また別の機会に語れればいいな。

今まで色々バイトをしてきたけど、1番長く勤めたのはテレアポの会社だった。
トータル5年ぐらいはいたかな?
自分の20代を振り返ると、欠かすことは出来ない存在だし、多くを学んだ。

何より、営業だったからメンタルが……
辛かったけど、鍛えられたなと思う。

実は専門学校に入った時に始めたバイトで、ADの時に1度辞めたんだけど、大阪に戻ってきた時に戻った。
当時の上司から電話で「戻っておいでー」って言われてたのもあるけど、やっぱりそこで働く人たちの人柄が最高だったから。
でも、仕事はホントに辛かったけどね。
毎日、「行きたくねーな」なんて思ってた。
でも、それでも続けてたのは、会社の雰囲気と人のノリ。
ホントに最高だった。

もう辞めてから、1年半ぐらいになるけど、もっと昔だったような気がしている。
一緒に働く仲間もそうだし、社員の方々からも可愛がってもらったな。
やっぱり、寂しいもんですね。
仕事を辞めるってことは。
みなさんに多くを教えていただいたこと、心から感謝しています。
本の中で伝えることかどうかはわかりませんが、やっぱり今伝えておきたいと思いました。

かけがえのない出会いがたくさんありましたし、それとおなじ別れもありました。

たまにみんなの顔を思い出しては寂しくなることもありますが、我慢して大人になりますね。
俺は東京でしっかり頑張ってきますので、みなさんも頑張ってください。
よければ、ほんの少し、応援してください。
それは僕にとって大きな力になります。

「アカデミー賞最優秀脚本賞」

ガチで狙いにいきますね!

ちょいと休憩

このままカッコよく去ろうと思ったんですが、マジで疲れたのでちょいと休憩します!って言いながら文字打ってるんですけどね。

現在、17時41分。

ついさっき、文字数を確認したら41554文字でした。
ついに、40000字行きました!

「おめでとうございます」
「ありがとうございます」

今、ふと思ったんですけど、よくCDとかでミリオンセラーなんて言いますけど、量ハンパないっすね。
だって、この1文字が1CDやとして、今まで書いてきた分量の25倍がミリオンでしょ?
それ売れてるってことですもんね。
やっぱスゲーな!
この3日間まあまあ書いて、40000字ですからね。
ちょっと怖なってきました。

この後、もう書くことが少なくて、あと、ちょこっと書くのと「おわりに」ぐらいなんで、50000字乗るか心配なってきました。

ま、でも、時間との戦いでもあるんでとりあえず最後まで突っ走ります。

再び東京へ

2017年の年末は、実家に居て、たまに派遣の仕事しながら、「これからどうしよーかな?」なんて考えてた。

東京に行くつもりではいたけど、具体的な日程は決まりきらず、なんかダラーっとした日々。
でも、ここでもお得意の振り返りを自分の部屋でしてたときに、「もう行くしかない!」と思い立って、そのあとすぐに行動に移した。

東京に大雪が降った日があって、実はその日に不動産屋に来てたもんやから、もう大変。
内覧行くのも徒歩で、滑るし、寒いし、軽トラ電柱にぶつかってるし、部屋ボロいしみたいな感じ。
でも、いつまでもくすぶっててもダメなんで、2つ内覧した内、まだGoodな方の家に決めて即引越し準備。

東京に出発する朝、天王寺のカフェで石本っちゃんと語ったなぁ。
仕事前やのに、わざわざ時間とってくれて。

ほんと、何回も言ってるけど、つくづく人に恵まれてるなと思います。

東京に着いてからは最低限、生活に必要なものを揃えてないといけないので、机と寝袋を購入。

「戦いに来てるんやから、寝てる時間はねえ!」

なんて、思ってたけど、たまにはちゃんと休もうかなと思ってます。
何より、寝袋は、冬寒すぎるんでね。

家も別に汚いわけじゃないんですが、若干ボロいので、家のドアの下に隙間あいてて、そこから冬の冷気が容赦なく入ってくる。
たまに起きたら、スマホの画面に水滴ついてます。
えーっと、これ、防水なんかな?

あとは食事問題。

「食事? あー、俺、外食でOK! 外食好きやし!」

なんて、思ってましたが、ずっと外食はヤバイすよ、マジで。
さすがに飽きてくる。
特に僕は冒険出来ないタイプなんで、もう少しで東京来て1年になりますけど、ほぼ、やよい軒の唐揚げ定食。
そろそろ、手料理食べたいっす!
誰かよろしくおねがいします。

まあ、次に引越しするときは、ちゃんとベットも買って、調理器具も揃えようかなと思ってます。

そのためにも、アカデミー賞……獲る!

日記を書くということ

たぶん、もう少しで書き終わることになると思うからその前に日記について触れておきたい。

僕は2016年の3月から日記を書き始めた。
すでに2年以上。
なんならもう少しで3年になる。

絶対に継続出来ないと思ってたから、最初は1日3行だけっていうルールで書き始めた。
それでも、なかなか辛かったことを思い出す。
継続するクセが何に対してもついていなかったんだ。

みんなも考えてみてほしい。
自主的にやってることで、ずっと継続してることはあるだろうか?

僕は日記を書き始めるまで全然なかったことに気づいたんだ。
継続は力なりって幼い頃に習ったはずなのに何一つ継続してなかったんだ。
もちろん、たまーに筋トレを始めてみたり、英語の勉強を始めてみたりするんだけど、全然続かない。
なんとなくポーズで始めて、なんとなく終わっていく。
そんなことを嫌という程繰り返してたんだ。

たぶん、少しずつ無意識的に自分のことを嫌いになっていた気がする。
だって継続できないから。

継続は力なりって言葉を大人に習ったから、大人は継続出来るんだと思ってたのに、実際大人になってみたらまるで、出来ないし、継続してる人がいるように見えない。

でも、ずっと言い伝えられてきてるってことはたぶん大事なことなわけじゃない?
だから、継続するために、1日3行の日記を始めたんだ。
最初は「なんだ、余裕じゃん!」って思うんだけど、これが案外落とし穴で、徐々に簡単にできるし後にしよ!ってことになる。
んでもって、一回でも飛ばそうものなら「あー、飛ばしちゃったし、このままやってもなぁ」ってことになる。
僕も何回もなりかけたし、実はこれも罠、継続を妨害する罠なんだって気づいたのは随分後になってからだった。

この罠はたぶんほとんどの人に訪れるんじゃないかな?
もちろん確実なことは言えないよ?
僕は君じゃないし、無責任なことは言えない。

でもどうだろう?
なんか、そんな気がしてこないだろうか?
少なくとも僕は何度も何度もこの感情に襲われてきた。

でも、考え方を変えれば、ここさえ乗りこえることが出来たら、継続出来る可能性はグンとあがるわけじゃない?

じゃあ、どうすればいいかな?
何かアイディアある人はいるだろうか?

僕なりに散々考えた結果なんだけど、やっぱり「一回も飛ばさない」ってことが重要だと思うんだよ。

「結局?」ってなるよね。
わかるよ。

だって、僕も書きながらそう思ってるから。
でも、少なくとも継続って観点においては、ある程度の「気合い論」というか「根性論」は必要だと思ってる。
なんだろうな、もし小手先のテクニックとかでいけるなら、もっと継続出来る人が増えてても不思議じゃないだろ?
でも、ほとんどの人が出来てないわけじゃん?
小手先のテクニックじゃ対応できないから。
ほら、この辺りは理にかなっているようにみえるけどどうだろうか?

ただ、日記に関して言えばちょっとしたテクニックはあるにはある。
ただ、それがほかのことで通用するかどうかは正直わからないので、そのあたりはご自身の判断で考えていただくように思いたい。

じゃあ、そのテクニックって何か?

答えは、まとめ書きだ。

「えー!」

って思った人、感じた人もいるかもしれない。
これはあくまで考え方であり、絶対に当日に書かないとそもそも意味をなさないという人には残念ながら役に立たない。
でも、僕の場合は大丈夫だし、これまでもまとめ書きは多用してきた。
ま、邪道だと感じる人もいるかもしれないね?
でも僕は正直そうは思ってなくて、日記を書く「目的」が重要だと思ってる。

「目的? その日の出来事を書く以外に何かあるの?」

って思うかもしれない。

例えば、その当日の感情がフレッシュな間に書きたい!っていうのであれば必ず当日に書くべきだと思う。
だって「感情がフレッシュな間に」っていう明確な目的があるから。
でもその代わり、飛ばしてしまった時は一発アウトっていうリスクがついてまわる。
これはこれで仕方がない部分でもある。
別に誰に決められたわけじゃない。
自分で「フレッシュな間に」って条件を決め込んでいるわけだから。
ただ、もし本当にずっと継続することができたとしたら、「フレッシュさ」という意味、あるいはカテゴリーにおいては唯一無二の存在になれるかもしれない。それはそれで素敵なことだし、おおげさかもしれないが、王道という意味においては他の追随をゆるさない可能性がある。

ただ、僕の場合は少し違った理由だった。

日常の記録をある程度の機械的に残していくってのがコンセプトだった。
この「ある程度」機械的っていう部分がミソだ。
完全に機械的だと日記の場合はつまらないし、あじけない。
もちろん積み重なっていくって意味においてはある種の達成感、満足感は得られるかも知れないけど、それだけで数年間のあいだ継続していけるほど日記は甘くはない。

ましてや今まで何かを継続するクセなんてついてやいない。
んなものいきなりできるぐらいなら苦労はしないし、むしろとっくの昔から何かを継続してるハズだ。
やはり楽しむという気持ちが皆無だとなかなか続かないし、そもそも根底から覆される可能性もある。
「え? 別にそもそも何も継続しなくてよくね?」ってな感じだ。
この辺は人によって価値観、解釈が変わってくるから一概には言えない。

しかも、僕が継続できている理由としは「忘却に対して抵抗する」っていう明確な目標があるからだ。

ん?

となった方もいると思うのでもうすこし噛み砕いて説明していく。

大丈夫?
疲れたかな?

僕もまあまあ疲れてるよ。
でも大事なとこだから、もう少し頑張って!

この本を書き始めた頃から僕はずっと自分の過去について振り返っている。
そうだよね?

もちろん、ストーリーテラーとして過去に向き合う作業は必須だし、むしろ、過去を振り返らないのであれば物語をつくろうとはしなかったに違いない。
でも振り返る中で、ある重大な事実に気づいてしまったんだ。

なんだと思う?
少しかんがえてみて?

実は今まで生きてきた時間の中のほとんどを忘れてしまっているってことなんだ。

どうだろう?
昨日のことは思い出せる?

ここは大丈夫かもしれないね。
じゃあ、10日前はどうだろう?
1ヶ月前は?
覚えてないんじゃないかな?

この事実をどう考えるか。

もっと衝撃的なことを言っていいかな?
じゃあ、ここ最近のことでちゃんと思い出せる日はどれくらいある?

もうわかったかな。
そう、ほとんどの時間を覚えていないってことなんだ。
たしかに存在してたんだよ?
いつものようにご飯も食べただろうし、仕事にも行って、睡眠もとった。
別にその日のだけが空白だったわけじゃないんだ。
いつものように一日が始まっていつものように一日が終わる。

不思議だよね。
そう、僕もこの事実に気づくのにはすごく時間がかかったんだ。

「人間は忘れる生き物」だってこと。

これはおそらくさけられない。
たぶん全ての日を覚えている人はいないし、もしかすると脳の中にそれほどの情報量が入らないのかもしれない。
ただ、深い部分に隠れている可能性はある。
なにかのキッカケで思い出したりすることがあるのは、むしろそういうことかなぁなんて思ってる。

脳は2~3%ぐらいしか使われていないって説もある。
つまり、ほとんどの部分は眠ってる。
もしこの部分を起こすことができれば新たな可能性が広がるかもしれない。
でもどのようにして起こすかって問題があって、ここはシンプルに刺激を与え続けていくしかないってこと。
つまり、忘れ行く部分を強制的に刺激することで、脳の奥に刺激を与える。
そうすることで覚醒する範囲が若干量増えるかもしれない。
若干だからといってあなどっちゃいけない。
元々、利用しているのは2~3%だ。
でも、人間は忘れていくわけだから、記録するしかない。

つまり、わすれゆく全ての記憶、日々を記録するために日記を書いている。

もちろん「覚醒させてやろう!」なんてギラついてるわけじゃない。
年老いた時に、過去の記憶を振り返りたいからに他ならないんだけど、結果としてこういう可能性に繋がるかもしれないというのを書いた。

だから、僕の場合はまとめ書きはオッケーだし、フレッシュかどうかは二の次なんだ。
記憶がある間であれば後から書いてもいいわけ。
でもあまり日数が空いちゃうと忘れてしまうから、その辺の油断だけは禁物だけどね。

人生最期のとき

たまに考える。
自分は何歳まで生きるのかな?って。

実はちょっとした夢がある。
歳を取ったら、北欧で暮らしたいな、なんて思ってる。
もちろん、日本が好きだし、どうなるかはわからないんだけど。

なんか空気が澄んでるイメージがない?
余計なものがなくて自然体で。

そんな雰囲気にどこか惹かれてる自分がいるんだ。

自然の中に木の家を建てる。
朝は好きな時間に起きる。
早く起きることもあれば、ずっと寝てることもあるかもしれない。

起きたらコーヒーを入れる。
ゆっくり時間をかけて。
大丈夫。
特に他にやらなきゃいけないことなんて何もないんだから。
お湯を沸かしてゆっくり注ぎ込む。
うん、いい香りだ。

壁一面は本棚になってて、今までの人生で集めた本がぎっしり並んでる。
随分陽に焼けてしまったものもあるけど、大丈夫。
君の居場所はちゃんと空けてある。
全ての本に思い入れがあって、僕らの想像をはるかに超える物語がその中に眠ってる。
僕らがすべてだと思ってるこの世界、日常はほんのちいさな一部分に過ぎない。でも悲観することはない、それはそれで大切なことだ。

数冊の本を選んでテーブルに置き、ソファに腰掛ける。
窓の外には雪がちらついている。
「夜も雪なのかな?」
犬は相変わらず暖炉の側で寝ていて答える気配はない。
そっとなでてみようかとも思うけど、せっかく座ったんだ、また後にしよう。

ゆったりとした午後の時間が流れる。
現実をわすれて、深く、物語の中に入っていく。

ふと我に帰った時、外はすでに陽が落ちかけていて、犬は相変わらず眠っている。
起こすのも可哀想に思えて、なでるのは更に後にすることにする。

コートを羽織り、マフラーを巻いて一歩ずつ道を下っていく。
冷たい風にも随分慣れた。
若い頃、あれほど寒さが苦手だったにもかかわらず、今では心地よく感じる。

人生は変化の連続だ。

好みが変わることもあれば容姿もかわる。
何一つ変わらないものがあるとすれば是非教えてほしいものだ。

そうこうしているうちにパブに着く。
ウッド調に統一された店内は決して洗練されたとはいえないけれど、なぜか落ち着く。
言葉で説明出来ない感覚が好きだ。
そこには矛盾の存在を認める優しさがある。
店内には数名の客がいてちらほらと呑んでいる。
ウイスキーを頼む。
そうか、ウイスキーが似合う年齢になったんだなと思う。

日本にいるみんなは元気だろうか?
地元の友人は?
東京の友人は?

遠く離れたこの街で、みんなを想ってるけど、みんなは自分のことを覚えてくれているだろうか?
そういえば、昔、月に行きたいって言ってたっけ。
宇宙飛行士を真剣に目指してたなぁ。
遠い昔の話だ。

自分は誰かの希望になれたのだろうか?
たった1度しかない人生の中で、誰かに希望を与えることができたんだろうか。

物語を書き始めて何年経った?
今でも僕の物語を読んでくれている人はいるのだろうか?
たった1人でもいい。
もし読んでくれている人がいれば、僕が生きた意味はあるんじゃないかな。

「どうした?」
常連客が声をかけてくる。
「ん?」
「ずいぶん、真面目な顔してるから」
どうやら、若い頃を思い出して感傷的になってたようだ。
心配して声をかけてくれた常連客の目を見た時、昔、友達から貰った手紙の一節を思い出した。

いくつもの時間のなかで
見失うことがたくさんある
大切なものや
大切な人
自分のことですら

どれくらい歩いてきたのかな?
きっと
いくつもの時間のなかで
繰り返しの日々のなかで
ありがとうも
愛してるも
いま、言うから
意味があるんじゃないのかな?
まっすぐで
一途な想いを
偽ることなく言える
そんな大人になってください……

「ありがとう」
「なんだよ、急に。死ぬわけじゃあるまいし」
そう言って笑う常連客。
純粋に思う。
いい笑顔だなって。
ウイスキーで乾杯しよう。

夜は随分冷え込む。
コートの襟を立てて、ゆっくり、ゆっくり滑らないように歩く。
随分、静かだ。
星の煌めきが聞こえそうな気がする。
湖さえ凍ってる。

完全な静寂に包まれた時、ふと空を見上げてみた。
大きな石ころ。
地球の1番近くに浮いてる大きな石ころ。
月。
満月。
随分遠いなぁ~なんて。

家に帰ると犬が起きてる。
エサを与え、水を入れ替える。
やっぱり暖かい家はいい。

あと少しで読み終える本をテーブルに置いたままだ。
結末が気になった。

でも、なんだか今日は疲れたから明日読むことにしよう。
そっとベットに横になる。
その昔、寝袋で寝てた日が懐かしくて、笑った。
いくつになっても過去を振り返るのはいい。
いつの時代にだっていける。

幼稚園の裏の魚にも、野球に明け暮れたグラウンドも、ルパン四世を上演した日も、体操部に入った日も、大学で過ごした最後の日も……

いつ、どの瞬間にだって自由に行き来できる。

過去に目を向ければ、失ってしまった多くの人のことも思い出すことになる。
物理的に離れてしまった人もいれば、永遠に会うことが出来ない人もいる。
もちろん、心の中にはずっと存在していて、いつでも会うことができるんだけど、時間の経過とともに曖昧になっていくのが怖いんだ。
人は大切なことでさえ、どんどん忘れていくから。

犬がベットに入ってくる。
めずらしいこともある。
いつもならそんなことはない。
眠る様子もなく、ただ、じっと見つめてくる。

「おやすみ」

そう言って僕は犬を撫でてから目を閉じた。

おわりに

なんとかここまで書き上げることが出来た。
最後まで読んでくださった方、本当にありがとうございます。

「旅行記」なんて言っていたにも関わらず、たぶん全然、旅行記になんてなっていないかもしれない。
自分なりに、この3日間、過去を振り返り、特に人生の中で印象に残っている部分について書いてきた。

少しは楽しんでもらえたかな?

たぶん、格好悪いところもたくさんお見せしたと思う。
ちっぽけなプライドかもしれないけれど、自分なりに勇気を振り絞った部分もある。
正直、この本がみなさんの役に立つかどうかはわからないし、自分が書きたいことを「バーっと」書いてきたにすぎない。

「3日間で本をかく」

なんてバカげた挑戦かもしれないし、作家さんからは「甘くみてんじゃねえ!」なんて怒られちゃうかもしれない。
でも、挑戦する姿勢はみなさんに見せることが出来たかなって思う。

今の時代は情報が溢れてる。

誰も他人のことなんて気にしちゃいないし、自分のことばっかだ。
一瞬で情報は消費され、次から次へと新しいものが生まれてくる。
たぶん、僕の今回の取り組みだって、もしかすると、誰の目にも、とまってないかもしれないし、誰にも気付かれずに埋もれていく運命かもしれない。

でもね、僕はそんなことには慣れっこだし、負けたりしない。

だって、なんの保証もない脚本を書き続け、「アカデミー賞最優秀脚本賞を獲る!」って言ってるんだから。
普通の頭で考えたら、「あいつ頭おかしいんじゃねえか?」ってなるかもしれない。

僕だって批判されるのは怖い気持ちは正直あるし、できることならバカにされたくない。
でも、デカイ夢を追いかけるならやっぱり覚悟が必要なんだと思う。
今もここに、その想いを熱く書きなぐってるけど、書けば書くほど自分の首が絞まってく。
でも、仕方ないよね。
自分が選んだ道だから。

今まで笑われる機会が無さすぎたんだ。

たぶん、それは僕に才能があったからじゃなく、単に挑戦を避けてたから。
自分の才能の無さに、自分で気づくのが嫌でずっと目をつぶってた。

でも、本当はとっくに気づいてた。
自分に特別な才能はないってことは。

でも、じゃあ、諦める?

いや、諦める選択肢はもうない。
人生を物語を作ることに捧げていこうと思っているし、おそらくそれがブレることはない。
ちなみに、アカデミー賞最優秀脚本賞ってのは日本じゃないよ。
どこかわかるよね?

僕は人には恵まれてるから、応援してくれる人もたくさんいると思う。

でも、批判する人、笑う人もいるかもしれない。
でも、僕はそんな人々を批判しない。

代わりに必ず、心を打ちにいく。
代わりに必ず、心を震わせにいく。

そのために自分にくどいぐらい向き合って、くどいぐらい過去を振り返って、物語に落とし込んでいく。

こんな僕を見て少しでも勇気を持ってもらえる人がいたら嬉しく思います。

正直、ここに書いたのは自分の人生のわずか一部です。

最後になりましたが、正式発売までには決定しますが、この著書の印税は全額寄付、あるいは別の形で何かしら社会へ還元させていただこうと思っています。

僕の人生が、ほんの少しでも誰かの役に立てればと、そう心から願っています。

いつかどこかで会ったら、本の感想を聞かせてください。
そして、お酒でも飲みながらお互いの人生を語りあいましょう。

楽しみにしています。

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ブログ・脚本・日記・Noteを書いています。1987年生まれ、現在32歳。
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