見出し画像

結婚しろとか、子供を産まないから何かを言われるお正月について。


私は長女。
私の両親も、長男長女なので
親族の中でも1番上。

ここ最近、私の妹が結婚して子供ができた。

初めて子供ができるので、皆がわくわくしている。
私も、久しぶりに手作りのお洋服を作ってあげたいと思ったりしている。


その妹に続いて、いとこも結婚や妊娠が

立て続いていて、次の夏休みにはもう子供たちがワンサカいるようになるんだなと思うと、

景色の移り変わりと新しい世代がやってくることに、生命の流れを感じてなんだかじ〜んときてしまう。


今回のお正月で久しぶりに会った祖父は
本当に昔ながらの人で厳格で頑固で
近所の目を凄く気にする人だ。

祖父は三女に向かって「お前はいつ結婚するんや」

何度も何度も何度も何度も言う。

元気なうちに結婚祝いをあげたいからだそう。

それは凄いことだなぁと思う。

祖父は、
戦争で全てが無くなって本当に貧乏だった頃から、孫に結婚式代を渡せるようになるまで働いて貯めてきた。

本当にすごいと思う。

生活は質素だし、本当にコツコツ貯金してきたんだと思う。


そんな祖父は、私には直接言わず遠回しに

「誰かがせんもんで、お前(三女)にあげるしかない」

とか

「誰かが生まんもんで」
みたいなことを言ったりする。


今時そんなこと言う人まだいるのだと
びっくりしてしまうので
私はそれをずっと観察している。

私自身は正直全く傷ついたりしない

私は私の人生がほんとに楽しくて
自分のペースで好きなことをしていて
私は私らしいパートナーシップがあって
私は自分の人生を
自分でデザインしている感覚が強くある。

私は私のタイミングで
全てが行われていることに信頼してるので、
いちいち傷つくこともない。

祖父がそんなふうに言うことは、
時代がそうさせているなと思ったら別にしょうがないと思う。


「誰かさんが」と何度か言われた後に、
私は自分の感覚をじーっと観察してた。

そこで見つけたのは
私を傷つけることができる”思考”と”意識”

どこか私の後に、"違う意識"のようなものがいて

その意識が必死に何か「傷つけ」とか
自分を「可哀想とする」みたいなのが
もやっと隠れているのが感じられる。

それは多分集合意識なのだと思う。

「結婚しないのか」と言われたら傷つきなさい。

「子供を生まないのか」と言われたら傷つきなさい。

「女なんて」と言われたら傷つきなさい。

そーゆー被害者意識が根底で始まる
何か集合意識の気持ち悪いものがあって

そこに私が後から、のそのそと入ろうとすることもできるんだなぁ。
ドラマに入って、可哀想な長女を演じることもできるんだなぁ。

と。



本当にそんなの御免です。
そんな前時代のドラマ見飽きたよ、私を連れ込むな。
と私は私に言う。

気持ち悪い意識だなぁと思って感じていた。

この社会的な意識は、女性に限らず沢山ある。

人が死ぬ=悲しい
とかと同じ。

寂しいのはいけないとか
孤独はいけないとか
稼がなくてはいけないとか
無職だとだめとか
権力がなくてはいけないとか
テレビに出てるとすごいとか
有名人だとすごいとか

自動モードでみんなが感情を決めつけてしまうことがたくさんあって

そういうことの中に組み込まれている1つだと思う。


私はそういう意識から出たいのだ。

「結婚しないのか」と言われたら、
「そうです、その予定はありません」

ただそれだけでいい。

そこに、加害者も被害者も存在しないのに
多くの女性はすぐ被害者になりたがる。

自分を傷付けられるのは、自分しかいないのだ。

それだけなのにいちいち傷ついたり、
私は無能だと言われてると勝手に感じたり
もうそういう勝手な妄想の傷や
古いドラマや
被害者意識の反応からほんとに抜けたいのだ。



私は私だけの感覚でいたい

私は集合意識や

一般常識や

そういうものから抜けたところで

本当に私は何を感じているのかをいつも感じていたい。

みんなが悲しむものや
みんなが怒るものや
みんなが面白いものや
みんなが素敵だと思うもの

本当に私はそうだろうかと細かく観察して
私の中にある鮮やかな感覚を毎瞬感じたい。


そんなことを感じながら、
私は常に私の感覚を大事にしよう。

私は私と共にいようと
新たに決心している。

これも祖父のおかげだ。

ますます私の世界が面白くなりそうなお正月。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?