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真の教養とは 遊学紀行2


教養がある人とは

あなたが思う教養のある人とはどんな人ですか?

・知識が豊富な人
・クイズ番組で全問正解で優勝をする人
・海外の大学へ留学している人
・一流大学に進学している人 など

日本人が思う教養があると思われる人たちに対して
さまざまなイメージがあると思います。

しかし、どれも正解に近いようで間違いです。

知識が豊富な人もクイズ番組で優勝する人にも教養がある人はいますし、ない人もいるでしょう。

それはどういったことか。

なぜ日本人の教養=知識量という勘違いが生まれたのでしょうか?

そこからみていきましょう。


教養がある人=知識量が多い人は勘違いです。

日本人は教養がある人のことを知識量が多く、博識な人と勘違いしている人が多い印象を受けます。

なぜこの誤解が生まれたのでしょうか。

私はズバリ鎖国が原因であったと考えられます。

幕末から明治期の時代あたりが戦犯だと考えています。

なぜなら、当時は鎖国から開国、そして文明開化の時代にあり、

そういった時代において新しい知識の輸入というのは大変価値のあるものであったからです。

日本初の日本車を作った人

海外から入ってくる情報が非常に限られる中、その価値が高く評価されていた時代がありました。

そういった時代に当時でいう西洋諸学の知識というものは莫大なビジネスチャンスの情報であり、それを知っているか、学んだかどうかが最重要視されていました。

例えば、日本に初めて自動車が走ったのは明治31(1898)年です。
そこから日本初の日本車は、明治37(1904)年に製作された「山羽式蒸気自動車」です。この車は電気技師の山羽虎夫によって製作されました。
その際に自動車というものをゼロから発明するのではなく、理解し、模倣から再現し、オリジナリティに入ったはずです。

つまり、最も大切なのは知識がある前提でいかに情報を得て活用するかが重視されていたといえるのではないでしょうか。

知識を持っているだけではなく活用した事例の紹介でした。

教養を外国語で見てみる

教養≠知識量をさらに見ていきましょう。

・教養を英語にすると「liberal arts(リベラルアーツ)」となります

教養をドイツ語にすると「Bildung(ビルドゥング)」となります。

どちらの言葉にも知識量の多さを評価することや博識であることという意味はありません。

「Liberal arts(リベラルアーツ)」

意味

幅広い学問分野を横断的に学ぶ教育概念です。

人文科学、社会科学、自然科学、芸術などを包括的に学習し、批判的思考力、コミュニケーション能力、創造性を育成することを目指します。

特定の職業訓練ではなく、変化する社会に対応できる柔軟な思考力と幅広い知識基盤の獲得を重視します。生涯学習の基礎となる能力を養い、自由な探究と知的成長を促進する教育理念です。

「Bildung(ビルドゥング)」

意味

全人的な自己形成と教養を重視するドイツ発祥の教育哲学概念です。

知識の獲得だけでなく、精神的、道徳的、文化的な成長を含む人格の総合的な発達を目指します。

生涯にわたる自己啓発のプロセスを重視し、個人の内面的成長と社会への貢献を結びつけます。さらにBildungは日本語で「陶冶」とも翻訳可能です。人格を丹念に磨き上げていく過程を意味し、批判的思考力と文化的理解の深化を通じて、個人と社会の調和的な発展を目指す教育観です。

Liberal artsとBildungの比較

Liberal artsとBildungは、ともに幅広い知識と深い教養を通じて人間性を豊かにし、社会に貢献できる個人を育成することを目指す教育理念です。

しかし、Liberal artsがより学際的な学習と実践的スキルの獲得に重点を置くのに対し、Bildungは個人の内面的成長と人格形成により焦点を当てています。

両者はともに単なる職業訓練を超えた、人間としての総合的な成長を重視する点で共通しており、現代社会において、柔軟で創造的な問題解決型の思考力を持つ個人の育成に注力する重要な教育概念といえます。


教養とは

ここで本当の教養について考えていきましょう。

前提として教養について哲学する必要があります。
教養を哲学すると別のシリーズの哲学散文のような感じになってしまうので、そうならないようにサラっといきましょう。

教養の本質

教養の本質は知識量ではなく、その知識をいかに活用し、深め、実生活に結びつけるかにあると言えます。

教養とは「知識の活用」です。

「生きる力」とも解釈できるかもしれません。

幅広い知識を基盤とするのが前提

幅広い知識を批判的に思考し、実践的に活用する能力を重視しなければいけません。

ですので、教養の幅広い知識基盤の中心には哲学がなければなりません

しかし、活用することに重きを置くのではなく、知識のインプットも知識の活用において同じくらい重要です。

現代においても正確で信頼性の高い知識を獲得することが教養を育て上では最重要といえます。

その目的は単なる知識の蓄積ではなく、それを深く掘り下げ、関連付け、現実社会との接点を見出すためです。

圧倒的に足りないのはインプット

教養がない人にとって一番足りないのはアウトプットではなく、圧倒的にインプットが足りません。

歴史的事実を学ぶ際に、その出来事が社会をどのように変えたのか、その教訓を現代にどう生かせるのかを考えなければなりません。

これは先ほど言及した日本初の自動車製作の例と同じです。

単に海外の技術を知るだけでなく、それを理解し、日本に適用し、さらに独自の発展を遂げた点が重要です。

さらに知識を深く掘り下げ、関連付けることで、社会の一員としての自覚を持ち、人生の困難を前向きに乗り越える力を得ることも重要です。

結論


真の教養とは

質の高い知識のインプットを基盤としつつ、その知識を深く考え、関連付け、実生活に活かす能力を育成することで、現代社会を賢明に生き抜くための総合的な力を培うことだと言えるでしょう。

単なる知識量ではなく、知識の質と活用能力、そして個人の内面的成長と社会への貢献を重視する点で、Liberal artsやBildungの理念と一致します。

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