猿は猿を殺さない


ここ3週間のあいだずっと、コーネリアスのことを考えて続けている。今まで生きてきたなかで小山田圭吾、そしてコーネリアスについて思いを巡らせてきたことは何度かあった。ひとつはフリッパーズ・ギターが解散したとき、それから『Mellow Waves』が発売されたとき、そして2年前にコーネリアスにインタビューをしたとき。今回はなかなかヘヴィだ。ピエール瀧が逮捕されたときのことなんて、今となってはもう笑い話にできる。今回のことも時が経てばそうなるのだろうか。でもこの気持ちを書いておかなければならない気がする。何度も言うけれど、私がいまだにだらだらと文章を書き綴っている行為は、そもそも30年前のフリッパーズの解散からはじまったことだから。

先月発売された『FOREVER DOCTOR HEAD'S WORLD TOWER』のコラムでも触れたとおり、フリッパーズ・ギターは90年代の同時期に活躍していたミュージシャンの中でもインタビューがずば抜けて面白かった。口が悪くて生意気で、そのくせ言葉のセンスがよく、視点は鋭くて知識が豊富で、どこまで本気かわからないふざけた態度を貫いては、インタビュアーや読者までもを煙に巻き、本人達が『小学6年生』から『REMIX』まで、と語っていたように、音楽誌だけではなくありとあらゆる雑誌でその魅力を発揮していた。だから彼らが解散してソロ活動を始めてからも、当たり前のようにフリッパーズ時代のインタビューの面白さを求めるような空気が、当時の雑誌を作る側と読む側にもなんとなくあった。ソロになってからも小沢健二はさすがというか、言葉巧みにインタビューやエッセイ、音楽番組などで才気を放っていたのに対し、コーネリアスこと小山田圭吾は持ち前の圧倒的なセンスの良さを音楽に活かす反面、言葉の面では少し苦戦していたように思う。さらに、その頃からいわゆる"渋谷系"という言葉が使われはじめ、フリッパーズの残したイメージを引き受けたコーネリアスが黄色い声援を浴びる状態が続くと、自分の置かれている立場にうんざりして、イメージを変えたがる発言をしているようにも見えた。それが悪い方向に転んで、例の『ロッキング・オン・ジャパン』のインタビューの該当記事に繋がってしまったのではないかと私は思っている。

94年当時は実際に紙面を読んでもいつものふざけた話の延長なのか理解できず、どう捉えていいのか判断に困ったものの、それとは裏腹にコーネリアスの1stアルバム『 The First Question Award 』の出来は非常に良かったもんだから、そこでコーネリアスの評価が自分の中で下がることはなかった。それよりむしろ、ひと足先に1stアルバムをリリースしていた小沢健二の豹変っぷりのほうが衝撃的で、そっちにだいぶ気を取られていたような気がする。けれど今回問題になっているもうひとつの雑誌『クイック・ジャパン』の記事を読んでかなり嫌な気分になったことは覚えているし、95年あたりの悪趣味をひけらかすような振る舞いがどうも苦手で(例えば手元に残っているTVブロスの連載記事では、東京タワーの蝋人形の拷問コーナーが好きだと書いていたりする)、どんどんコーネリアスから心が離れていき、95年に発売された2ndアルバムの『69/96』にもまったく馴染めず、買いはしたけれどほとんど聴かないままで、当時の雑誌は捨ててしまった。ちなみに93年から94年にかけて『CUTIE』に連載されていた「リバーズ・エッジ」では小山田圭吾によく似た山田くんがいじめられていたり、95年といえば阪神淡路大震災と地下鉄サリン事件が起きた年で、岡崎京子が交通事故に遭ったのが96年。これらの出来事を並べるだけで、当時のムードが少し蘇ってくるような気がする。正直こうやって今、コーネリアスを好きになれなかった時期のことを思い出しながら書くのは全然楽しくない。できれば言いたくない記憶だった。でもこの話がなければ私はフリッパーズ時代から追いかけ続けて小山田圭吾を全肯定する信者だと勘違いされるかもしれないし、その後のコーネリアスの素晴らしさを説明することは難しくなる。コーネリアスはそこから時間をかけて着実に変化を重ねていった。

97年に発売された3rdアルバム『Fantasma』は90年代を顕著に表すようなリスナー気質をポップでドラマチックな音に変換させた名盤で、アメリカの名門インディーレーベル(Matador Records〉からもリリースされ、コーネリアスはそこから一気に海外での評価を獲得していった。私も『Fantasma』を初めて聴いたときは、なんて小山田圭吾のいいところだけが反映された音楽なんだろう!とまるで魔法にかけられたように夢中になった。そして自分の中で一旦評価の下がったアーティストが、音楽を通して信頼を回復してくれたことが何よりも嬉しかった。それでも小山田圭吾への関心はもう薄れていたし、熱心にインタビューを読んだりライブに通ったりグッズを購入したりすることはなく、『Fantasma』は他のお気に入りのアルバムと同じようにCD棚に並べられた。

そこで終わればよくある青春時代の思い出の音楽の話だ。3rdアルバムがいちばん評価されるアーティストなんて掃いて捨てるほどいる。コーネリアスが凄いのはそのあとからだった。2001年に発売された4thアルバム『Point』への変化はさらに驚かされた。それまでの手法をさっぱり捨てて、音を設計して組み立てながら遊び心を用いて作られたミニマムな音は、ゼロ年代に入ったばかりの鬱屈とした雰囲気に風穴を開けるように新鮮な空気をもたらしてくれた。なんとなくだけれど、このアルバムを境にコーネリアスは大人になったのだ、と思った。『Point』がきっかけで久しぶりにコーネリアスのライブに足を運び、音とシンクロさせた映像の数々に魅了され、興奮気味に帰ったことは今でも忘れられない。「Tone Twilight Zone」の演奏中に映し出された映像を眺めながら、もしいつか自分に子供ができたら一緒にコーネリアスのDVDを観れたらいいな、とぼんやり考えたこともちゃんと記憶に残っている。離れていた心の距離は、そこでまたぐんと縮まった。

『Point』以降の20年間の小山田圭吾は真摯に音楽のみでリスナーを驚かせ、楽しませることに専念してきた。SNSのアカウントで個人の思想を語ることもなく、オフィシャルのインフォメーションを発するためだけに使用し、ライブの本編では余計なMCは一切挟まず、ただひたすら演奏に徹する。代わりに「Brand New Seoson」の途中で客席から選んだ人をステージに上げて一緒にテルミンを演奏させてみたり、アンコール曲でお馴染みの「E」では観客から叫ばれる数をもとに音を即興で鳴らす掛け合いをしたりと、音楽を使って喜ばせる様々な体験をずっと与え続けてくれた。2年前の『The First Question Award』と『Point』の再発に伴うインタビューの際、なぜ『Point』から抽象性に向かったのか?という問いに、小山田圭吾は言葉を選びながら、静かにこう答えている。

『Fantasma』を出して、聴いてくれる人たちが世界中にいるんだということがわかったから。あとは、言葉だけではないところで伝えられることというか、時代も場所も限定しないで聴かれる音楽みたいなものに興味が移っていった、と。

『Point』のサウンドを突き詰めて、感情的な歌詞は使わずにシンプルな言葉を音のイメージと密接に繋げた結果、2006年の5thアルバム『Sensuous』が生まれ、その流れの延長線上にEテレの『デザインあ』の音楽が現れたのは見事だったし、はたから見ていてもすごく誇らしい飛躍だった。結局『Point』から数年後に生まれた我が家の長男はコーネリアスには目もくれず、くるりの「赤い電車」のDVDばかりに夢中なっていたけれど、下の子供たちが生まれていちばん子育てに追われていた2012年頃、毎日お世話になっていたEテレを通じてコーネリアスの音楽に触れることができた時間は、子供はもちろん大人の私にとっても何かを育む手助けになっていた。そして様々なミュージシャンのサポートやコラボレーションを経て11年ぶりに発表した2017年の6thアルバム『Mellow Waves』で、コーネリアスはさらに進化した音楽を見せてくれた。それまであらゆる面でセンスに長けていた小山田圭吾が唯一と言っていいぐらい弱かったのが言葉の面で、それを敢えてうまく音に活かして作られたのが『Point』と『Sensuous』という作品だったけれど、その手法をいったん手放し、歌詞を坂本慎太郎という日本屈指の優れたソングライターに委ねて、普遍的なラブソングに挑戦したからこそ「あなたがいるなら」は本当に素晴らしかったと思う。『Mellow Waves』は新たな境地に辿り着いた到達点といえる作品で、コーネリアスはこうして20年以上もずっとアップデートを何度も繰り返し続けてきた。そしてもちろん消費していたリスナー側だって、何十年もかけてゆっくり見届けてきたのだ。

なのにどうして。どうしてこうなった。
オリンピック・パラリンピックの開会式の音楽を担当するのにふさわしくない。ことの発端はそうじゃなかったのか。騒ぎを受けてコーネリアスは辞任した。問題はそのあと。

10年ものあいだコーネリアスが音楽を担当していた『デザインあ』は放送休止になり、奇数月の毎週水曜日に選曲を担当している京都α-STATION『FLAG RADIO』も7月の半ばで急遽放送が休止、主題歌を担当していたドラマ『サ道』は差し替え、8月に発売予定だったMETAFIVEのアルバムは発売中止のアナウンスがあり、遂にフジロックフェスティバルの出演もキャンセルになった。さすがにこれは異常だと思う。コロナ対策の一環として払い戻しの対応を整えたタイミングで、METAFIVEの別編成への変更とコーネリアスの出演キャンセルを発表したフジロック側の配慮には敬意を示したいけれど、それでもやっぱりこの事態は異常だ。たとえコーネリアス側が辞退したとしても、なぜそんな状況にまで陥ってしまったのかがすでにおかしい。

立場を明確にするために記しておくが、私は過去にいじめられて仕事を辞めたことがあるし、障害者手帳を持つ者が身内にいる。数十年経って昔の該当記事をいま改めてしっかり読んでみてもあれは無しだったと思うし、辞任は妥当だと思っている。でもだからといって、コーネリアスと小山田圭吾の関わる仕事が世の中から次々と消されていくのを黙って見ていることはできない。コーネリアスの音楽は自分にとって替えの利かない大事なものだ。そう思っている人が世界中にたくさんいることも私は知っている。時間をかけて見てきたうえで、培った特別な思いがそれぞれにあるのだ。

音楽を続けるうえで言う必要のなかった未成年の頃の出来事を若いミュージシャンがインタビューでぽろっと話し、それを商業誌が面白がって記事にしたものが拡げられ、消費されて、当事者から訴えられたわけでも犯罪を犯したわけでもないのに、何十年も経ったのちに正しい検証もされないままインターネットの偏った意見をもとに糾弾され、それまでの経歴なんてまるっきり無視されて、周りで関わってきた人たちの分も含めたすべての仕事が一瞬で奪われる。そんなことが本当に起こっていいのか。コーネリアスは20年以上の長い年月をかけてずっと地道に変化を遂げ、時代も場所も限定しない素晴らしい音楽を創り上げてきたのに、世の中は一向にアップデートせず、それどころかテクノロジーの進化のせいで最悪になってしまった。誰が、何が大切なものを奪ったのか。「あなたがいるなら」の演奏を初めて観た、2017年の7月のことを思い出しながら、2021年の夏、私はそのことをずっと考え続けている。


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