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コントラスト

毎年いろいろあるのだけれど、今年は本当にいろいろあった。いろいろのレベルが昨年とは比にならない。去年はほとんど寝て過ごしたので、それに比べたらとても活動的なわけだけど、世界もさわがしく、一寸たりとも休む暇さえ与えてくれない年だったように思う。今年のことだけで一冊本が書けるだろうなという出来事のオンパレードで、(また落ち着いたら書こうと思う)生きてりゃいろいろあるのはわかっていながらも、時々吹き荒れる突風が厳しいなあつらいなあ泣きたいなあとやはり思うものだ。きっとほとんどの人がそうだったろうな。この苦境の時期のことをみんなでそれぞれ本にしたら、一体どんなことになるだろう。この長い長い自粛生活のはなし、さまざまな職業の人の穏やかではなくなってしまった暮らしのはなし、コロナ関係ないけどいろいろ大変ですってはなし、しにたくなっちゃったはなし、これからどんな新しい世界になってほしいのかの希望のはなし。そういうのを読んだら、みんなでこの地球を運営してるんだなと思うはずなんだよな。

最近よく目にするのは「何でもないあたりまえの生活が一番しあわせ」ってセリフ。私もつよく実感した。なーんにもなくてさ、明日の夜は何食べてようかなとか、そんなことを考えるくらいの日常って遠い昔にどこかへ消えてしまった気がして、毎日なんかしらで煩わしい。常に悩みや不安があって、それについ焦点あてちゃって、うわ〜しんど〜ってなるんだよね。とりあえずカバーかけちゃって見えないところに一旦しまっちゃうけど、ちらちら視界に入ってしまうから、どうしたもんかなと思うね。今年は何度かそんなことを経験して、その度に、しにたー!ってなったけど、ぐちゃぐちゃに泣きながらも日々をやり過ごして、知らず知らずのうちにどんどん図太くなっている気がする。これが生きるってことかあと思ってる。視点を変えてポジティブにー!とか、ハッピーに!とか、自由にー!とかよく言われるけど、いやいやそんなの無理無理って思う最近。もうころしてくれ!って笑ってる方が楽な時あるもんな。

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哀しかな本当にいろいろある時が一番筆がすすむので、こんなことばかり書いてる気がしてならないんだけど、そういう時は感覚もスローダウンするので、何を読んでも聞いても見てもゆっくり取り込もうとしたりして、アウトプットとインプットのはざまをうろうろしている。発散したい。けど、吸収したい。みたいな。

このあいだは、ロイアンダーソンの新作を夫と観に行った。とても良くて観賞後になみだがじんわり目に滲んだのに、ちょっと途中眠くなってしまった。でもそれも個人的にすごく良かった。ここ数年でかなりの神経過敏になってしまったので暗闇大音量が苦手で、映画館なんて安心して過ごせる場所ではないのだけど、全身のちからが全部ぬけて眠くなってしまったのだ。退屈とかではなくて、あの特有の安心感に包まれてしまうと、気持ち良くなってしまう。「生きる」がこんがらがってわからなくなった時に観たので、生きるって実はとんでもなくシンプルなもので、嬉しいも悲しいも憤りもすべて良いも悪いもなく、ただそこにあるだけのことなんだと思い出させてくれる。私たちの日常のコントラストも渦中にいれば一喜一憂するけど、遠くから見たらきっと「ただそれだけのこと」に過ぎないだろうな。でもそれを思い切り、泣いて笑って怒ってをしていきたい。全力でおかしみを持って生きようじゃないか。そんなことを思う夜である。

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生きるぞ!という意気込みと生活のことを書いています。写真と創作のこともポツポツと。