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“一芸入社”が会社を救えた理由

皆さんこんばんは。菅原(@sugamori2)です。

本日は僕が東京・森と市庭(森市)に入社当時よく言われていた言葉について。

創業当初の2013年頃、森市のメンバーは外資系IT企業でバリバリの営業マン、外資系メーカーの海外拠点の社長、大手ハウスメーカーの設計担当や国立大出身者など、そうそうたる顔ぶれでした。

そんなメンバーの中で僕はというと、「大学卒業してすぐに奥多摩で起業して失敗した男」。メンバーの中でも一番若く、悪い言えば雑用、何でも屋といったところでした。その当時冗談交じりでよく言われていたのがこの言葉。

“一芸入社”

僕は基本前向きな人間なので、「いや、ほんと一芸(奥多摩のことにメッチャ詳しい)しかないんですよ。でも皆さんの仲間になれて良かった!だから頑張ります!」というスタンスで必死に仕事していたんですが、内心は、「今に見てろよ」とずっとメラメラ燃えてました(笑)

そんなメンバーも一人、また一人成果を出せずに辞めていきました。「親会社の業績が悪くなったから」「成果を出すためのラーニングが多すぎる」など、理由は様々。

そうしてついに誰も営業活動をする人がいなくなり、2015年の後半に、「菅原君、営業やってくれない?」と経営サイドから打診があり、「やりますやります!」と率先して営業を引き受けました。

そこからは2016年から「一人営業部長」となり、2018年からは連続で黒字を出せるような会社に成長を遂げました。

この時に痛感したのは、「誰でも一芸を極めれば成果を出せる」ということです。

会社の雑事を率先してこなしながら、目が覚めてる時間は全て会社を軌道にのせるにはどうしたらいいか?を常に考えていました。

この時に変に他のことを磨こうとしたり、誰かに憧れたりせずに、ただひたすらに奥多摩を愛し、熱量を高めながら自分に出来ることを追求してきたからこそ成果を出せたのだと思います。

そして、今会社にいるメンバーは熱量が同じレベルの人たちなので、会社自身も最高の集団に変革することができました。

おかげさまで育休を1年も取らせていただき、安心して会社を託すことができているのは、今のメンバーのおかげです。本当にありがとうございます。

皆さんは自分だけの❝一芸❞ありますか?是非自分だけの芸を磨いていきましょう。

▼一芸入社が会社を救う物語▼

自分の地域をつくる -ワーク・ライフ・プレイ ミックス-

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