お気持ち表明してみたい(前編)

お気持ち表明してみたい!!!

今回のnoteを書くにあたり大切なことなので2回言いました。

突然ですが、皆さん。
筆者は“お気持ち表明”というものに非常に興味があるのです。

なんでも最近note等ブログ媒体で「お気持ち表明をする」ことが流行っている(?)そうな。

そもそも「お気持ち表明」とは一体何なのか?


☆お気持ち表明とは☆

お気持ちとは、心にいだく感情や考え方の事。
気持ちに、「お」をつけて丁寧語にしたもの。
ここ数年では2016年の「天皇陛下(2020年では上皇陛下)」が、御自分の御老衰によって天皇の身分を維持することに難があり御身分を辞すると言うことを放送を通じて表明した内容で、「お気持ち」という事で報道などを駆け巡った。
 この出来事をふまえて、自分の意見を当人が思っている意見や心の感情や心境の変化を言葉に表しブログやSNSで表現する事を「お気持ち」または、「お気持ち表明」と言うようになった。なお誰に対して丁寧になっているのかは不明。
 なお、政治やゲームなどの出来事をきっかけとしたブログやSNSなどのお気持ち表明は、当人が抱いたいた理想と異なる事を発端とする事が多い。

(引用: ニコニコ大百科「お気持ち」より)


なるほど。

平成天皇陛下がTVで我々国民に肉声でお言葉を下さったことは記憶に新しい。オバサンなので。
「無理があろうと思われます」のセリフをキャプチャーしたものはTwitterでもよく見かける。それほど有名である。

.......だが今回はお気持ち表明の中でも
筆者は太字の部分について興味がある。

※決して上皇陛下を蔑ろにしているわけではない。
激動の平成時代の象徴であられる立派なお方あそばされる。

そもそもなぜ興味があるのか?

理由は3つ。

①おもしろそうだから
なんとまあザックリした理由かと思われただろう。
しかし面白くなさそうなものにわざわざ時間をかけようとも思わないことも事実である。
あまりにもモンヤリした理由なので、これ以上掘り下げることも不可能。

②実はブログを書くことが好きだから
皆さんは“DECOLOG”というものをご存知だろうか?
筆者が中学生の頃に流行ったブログサイトである。
アレのせいで筆者は「ネットで物を書く」ということへの沼へハマる(文章力はさておいて)。
この記事を読んでいるであろう筆者のTwitterのフォロワーの皆さんもお察しの通り、筆者はツイートがものすごく多い。botか?というレベルである。
これは元々「ネットワーク上で発言することが好き」なことに由来する。好きこそ物の上手なれ。
.......さすがに驕りすぎかもしれん。いつもすみません。

最後、3つ目

③承認欲求が満たせそうだから

これに尽きる。
上の①と②はどうでもいい。マジでどうでもいい。
DECOLOGとかTwitterとか好きとか嫌いとかホントにどうでもいい。
筆者はこの記事を読んでもらい、記事最後のリンク先からTwitterのフォロワーを増やし、女を利用して(?)あわよくば囲われて貢がれたい。安全にお金が欲しい(??)。
人間は承認欲求を満たすことで満足感を得、他人に認めてもらうことで、愛情を注がれることで自分を肯定し人格を形成するのだ。
有名な心理学者アドラー(1870-1937)は承認欲求を否定(※1)していたが、その考えは実に愚かである。学者あろう者がそんなことを言っていいのか?非常に憤りを感じる。論文読んでないけど。

——というわけで
「私もお気持ち表明書きたい!」
ということになったわけである。

ところがこの「お気持ち表明」、
どうやら書き方というか“構文”がありそうなのである。

その書き方については次回の『お気持ち表明してみたい(中編)』で色々調べて記事にしようと思う。

というわけで前編はこれにて終了。
お粗末さまでした。

(※1)アドラー(1870-1937)の承認欲求の否定「人は、他者の期待を満たすために生きているのではない」
人生の主導権は自分にあるはずなので、他者のために生きることや他者の価値観に合わせることは自分の幸せには繋がらないという考え。
筆者もそうおもう(テノヒラクルー)

Twitter: @suesuiside
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