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00年生まれ、わたし

「82年生まれ、キム・ジヨン」の映画を観た。

わたしは2000年にとある田舎の街で生まれ、父は会社員、母は専業主婦の家庭で育った。田舎だからか祖父母や親戚との関わりも強く、母はよく昔の家族間での男尊女卑の思い出や自分が受けた性差別について話した。しかし、母はそれを愚痴りつつも、そんな男性社会の中で生きていくために怒りを諦めたところもあり、「痴漢も下着泥棒も、あんたが防衛しなさい」と16歳のわたしに言い放った。

わたしは、それくらいの時にフェミニズムを知った。世の中の性差に対するぼんやりした違和感が解決された時だった。そして、少し顔馴染みになっただけの男性に体に触れられたとき、1人暮らしをするアパートを決める時に「女の子だから」という理由で2階以上の部屋を選んだとき、「いつかお嫁に行くんだから」と言われたとき、大学入試の男女差別について「これは仕方ないわ。だって、女は男みたいに働けへんのやから」と身近な女性が言ったとき、自らの存在が女として性的に消費されたとき、心ないセクハラ発言をされたとき、これは傷ついても愛想笑いで流すのではなく、傷ついたから怒って、悲しんで良いものだったのだと気がついた。そして、フェミニストの活動を知り、女たちが闘うこともできるのだと知った。

一方で、「女の敵は女」という言葉がある。映画では、ジヨンの就職を咎めた義母、弟を甘やかす叔母たち、それからひたすらに男を立て「女の子なんだから」とジヨンと姉に家事をさせるジヨンの父方の祖母がこれに当たる。そして、わたしの周りの女性にもこんな人たちがいる。母もそうだった。わたしは、女はせめて女の味方であってほしいと思うが、この「女の敵の女」も男性優位の社会が作って連鎖させた存在であり、女たちが生き抜くためのものでもあったので、ただ責めることはできない。

また、この映画には「無意識な男」が登場する。

まず、ジヨン父、ジヨン弟。特にジヨン父。お土産と漢方のエピソードでそれが顕著に現れている。弟には良いお土産や漢方を準備して、ジヨンとジヨン姉には無関心。自分の子どもに対してですらそんなことをする。無意識に。ただ、ジヨン父は、ジヨン母に指摘されて少しずつ行動を改め始めたとこから少し救いのある存在だとも感じた。しかし、映画内で完全には変わりきらなかったところが現実的で好きだった。そして、世の中にはジヨンの父のような人がたくさんいるのだろう。人が変わるには大変な時間がかかるが、この、自分の中の無意識な差別感情に気づくということはかなり大きな成長である(それと向き合えるかという課題もあるが)。だからと言って過去にジヨンにしてきたことは消えないけれど、ジヨン父がこの物語の後も何かしら考え続けていたら良いのに。

もう一人の「無意識な男」は、ジヨン夫だ。彼はとんでもない人。ジヨン夫はジヨンを大切に思い彼なりに行動するが、ジヨンに起こっていることの本質を何も理解していない。彼も、無意識にジヨンを下に見る。鳥肌ものだった。特に、自分が育休を取ると言った後に「勉強と読書がしたい」と続けたところ。え……?自分が晩酌をしている横で洗濯物を畳むジヨンを見てきたはずなのに、よくそんなこと言ったな。ああ、それを見ても何も思ってこなかったから、そんなことが言えたのか。考えてる風で何も考えてない人間というのが、わたしの彼に対する感想。

少し話が飛ぶけれど、作中、ジヨンの家はずっと綺麗だった。ジヨンがどれだけ頑張っていたかを思うと胸が痛い。

ところで、先日、友達が「正月に帰省したら男座ってるくせに女は働かされるから嫌」とツイートしていた。わたしにも身に覚えがある光景だ。男は居間でテレビを見て、女はキッチンに立つ。ものすごく時代遅れのように見えるが、実際まだこの風潮が残るところはある。外から見れば「今時こんなことする?」と思われるかもしれないが、これも現実だ。おとぎ話ではない。2020年の現実だ。

「82年生まれ、キム・ジヨン」を観ることは、わたしにとっては精神的な自傷になった。70年生まれの母が受けた女性差別の話、そして00年生まれのわたしが生きてきた社会での女の苦しみが、再び心の中に蘇って、悔しくて泣いてしまった。そして、映画の結末をハッピーエンドだとは受け止めなかった。ハッピーエンド風の絶望だ。

わたしは、この映画がたくさんの人に観られることを願っている。高校生の時のわたしのように、ジヨンの父のように、誰かが気づくきっかけになれば良い。


実は、これをfilmarksに載せようかと思っていたのだが、あまりにも私的な話が多いのでnoteに。



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