
祈りの手法
30歳の夏、僕は弾き出されるようにして都会を離れた。妻と息子はついて来なかった。あと、犬も。持ち出せたのは、せいぜい離婚調停と座骨神経痛ぐらいのものだ。季節はすっかり真夏。日が西に傾くと、次の地上の支配者は我々だという感じで、蚊の群れがどっと押し寄せてきた。
田舎の空気を吸ったのは、大学で都会へ出て以来だった。そのせいだろうか、随分昔のちょっとした失敗の記憶が、執拗に思い出されるようになり、やがて僕の頭を離れなくなった。その些末な後悔の記憶は、日を追う毎に鮮明になり、生々しく僕の胸を締め付けるようになったのだ。
この数日というもの、その小さなトゲのような後悔は、僕を毎朝5時に叩き起こし、パソコンの前に座らせ、熱心にこの文章を書かせた。
パソコンデスクは窓に面していて、正面の松の木にカブトムシがいるのがよく見えた。連中は早朝から熱心に樹液をすすった。
◇◆
僕が生まれ育ったのも田舎の村だった。都会の人間は避暑地だと思っている、夏は涼しく冬は凍える、そういう場所で、母が僕を産み落とした時、両親はまだ若かった。若過ぎたといって良い。それにも関わらず、僕はいつも父のことを酷く年老いているように感じていた。溌剌と若く見える母とは対照的に。
僕はその理由を、父の身体的なハンディキャップのせいだと考えていた。右目の視力を失っている上に、右腕もすっかり萎えていたからだ。
医者が腕を切り落とすよう再三言っても「親からもらった身体に傷はつけない」の一点張りだった。父の右腕はいつも、格子柄のシャツの内側で、しおれた朝顔のように力なく垂れ下がっていた。
僕たち家族は、住み込みで避暑地の別荘管理を任されていた。資産家本人が別荘を訪れるのは数年に一度だった。夏場は、避暑にやってくる都会の客向けに、1週間単位で別荘を貸し出した。
大抵の客は、素晴らしい休暇を過ごし、去り際に「来年も必ず来ます」と言った。しかし、再び来ることは滅多に無かった。
僕の家族は別荘横の離れに住んでいた。その馬小屋のように貧相な建物は、実際に馬小屋として使われていたものだ。資産家が馬をスイスに空輸した後、水回りを整備し、電気を引いて、僕たち家族の家にした。
母は時々都会へ出かけることがあった。両親はそれを出張と呼んだ。大抵は1週間ほど家をあけた。
高校にあがるまで、僕は出張を楽しみにしていた。出張中に別荘の仕事を任されるのが好きだったのだ。仕事を手伝うことで、大人の仲間入りをしたような、誇らしい気持ちになった。働く姿を見せびらかしたい、そういう年頃だった。
その一方で、父と2人きりになるのは苦痛だった。父は普段から寡黙だったが、母の出張中は、ますます口数が減った。二人きりで囲む食卓は、何事もなく審判の日の翌朝を迎えた、終末論者の朝食を思わせた。たまに父が口を開いても「勉強をしろ」「大学へ行け」「この土地を出るんだ」の3フレーズが、正確にこの順番で繰り返されるだけで、それは会話というより、不慣れな祈りのようだった。
◇◆
あれはたしか僕が10歳の夏休みだ。暑い夏で、蚊が多かった。まだ柔らかかった僕の腕やふくらはぎで、連中はいつも食事をしていた。
母が出張中に、都会から客が来ることになった。1週間丸ごと客の相手を任されるのは始めてだった。僕は朝からソワソワしていたが、客の赤いメルセデスが到着したのは、やっと夕方になってからだった。父親、母親、それから娘が2人。
姉の方は、僕と同じぐらいの年齢で、妹の方は2つ3つ年下に見えた。2人はお揃いの、座ると膝が少し見える長さの、薄いブルーのワンピースを着ていた。僕は月の軌道が変わるぐらいの引力で、その姉妹に惹き付けられた。
メルセデスから荷物を降ろす仕事は父に任せ、僕は一家に別荘の案内をした。宿泊客を喜ばせる経路は決まっていて、玄関ではなく庭の方へと誘導する。
美しい芝生と、丁寧に刈り込まれた植え込みが一家を出迎える。テラスには、清潔な白いクッションを置いたウッドチェアと、10人は座れる木製テーブルが置かれている。もちろんハンモックも吊られている。庭に面した大きなガラス窓を開けて、一家を広々としたリビングに案内する。
最新式のダイニングキッチン、2つのベッドルーム、地下にはジム施設があり、トイレは4つ(家族全員が同時に用を足せる)
部屋を巡りながら、エアコンやキッチンの使い方を説明する。客達は、子供を産む場所を探す猫みたいに、家をウロウロする。その間に、僕はダイニングキッチンへ行きウェルカムドリンクの準備を始める。
牛一頭を丸ごと冷やせそうな冷蔵庫から、予め準備していた材料を取り出す。小川で汲んだ水、庭で摘んだたっぷりのミント、新鮮なライム。大声でハチミツを入れるか尋ねると、娘2人と母親はハチミツを希望した。父親は甘くない方がいいと言った。
ドリンクを飲む4人に説明を続ける。近くのスーパーマーケットやカフェスタンドの場所、小川で泳ぐ際の注意、蚊が入らないようにすること、水回りのコーナーには殺鼠剤が置いてあること、ゴミは別荘の裏手に分別して置くこと。僕たちが住む小屋の裏には家庭菜園があり、トマト、キュウリ、アスパラガス、それから数種類のハーブがあるので、自由に採ってよいこと。ただし、アスパラガスだけは1日5本までの制限があること。
◇◆
僕たちの小屋と別荘は、植え込みで仕切られているが、葉の間から様子を窺うことができた。声も聞こえた。彼らはガラス窓も開け放していたので、リビングの声も僕の耳まで届いた。
例の姉妹のことが気に掛かっていた僕は、さも気に留めていないという風情で、わざとゆっくり洗濯物を干したり、先週抜いたばかりの雑草を抜き直したりしながら、別荘の気配を窺った。
到着の翌朝、彼らは早速、トマト、キュウリ、それから5本のアスパラガスを収穫しているようだった。しばらくすると、植え込みの向こう側から、父親と母親が話す声が断片的に聞こえた。
「オリーブオイルが無いわ」
「塩は?」
「お塩だけでも美味しいわね」
「何も付けなくても甘みがあるな」
「新鮮ね」
朝食を終えてしばらくすると、父親と娘2人が水着に着替え、小川に出かけるのが見えた。母親は村のスーパーマーケットの方へ出かけていった。
昼過ぎになって、ベーコンの焼ける匂いが別荘からした。一家そろって庭のテラスで大きなサンドイッチを食べていた。姉妹が興奮気味に、川の様子を母親に伝えるのが聞こえた。
「水が信じられないぐらい綺麗なの」
「良かったわね。危なくないの?」
「ぜんぜん。ママも一緒に来たらいいのに」
「水着がないのよ」
「スーパーで買ったら?」
「日焼けしちゃうから」
昼食の後片付けが終わると、父親はウッドデッキに寝そべって小説か何かを読み始めた。2人の娘は芝生の上でビーグル犬みたいに走り回った。
「天気もいいし、手で洗うのも気持ちいいわ」
洗濯板のようなもので水着を洗いながら、母親は言った。ハミングしながら洗濯を終えると、ハンモックに寝そべってイヤホンをし、音楽を聴いた。
4日目になると、父親は朝食後に村のカフェスタンドへ行くのが習慣化した。帰りには、コーヒーと新聞、それからスーパーで買った何かしらを手にして戻ってきた。
「ドレッシングを買ってきたぞ」父親が母親に言うのが聞こえた。
「いいわね」
「今日も川へいくの?」母親が聞く。
「いく!」姉妹の鈴のような声が聞こえる。
「3時までに戻れるかしら?」母親が父親に聞く。
「どうして?」
「そろそろクリーニングを出そうと思って。3時までなのよ。水着も一緒に出したいから」
◇◆
僕がそこそこ名の通った大学から合格通知を受け取った日、父は僕を狭いキッチンに呼び出した。そして、右目と右腕をどのようにして失ったのか語った。
僕の両親は都会で出会った。2人には共通点が多かった。田舎を家出同然に飛び出してきた18歳で、金がなく、無学で、街には知り合いが1人もいなかった。
彼らが幸運だったのは、都会に出てすぐに出会い、恋に落ち、生活を共にし始めたことだった。そのおかげで、お互いに身を持ち崩すことなく、懸命に働くことができた。
21歳になったとき、貯金をはたいて古いフォルクスワーゲンのバンを買い、移動式のカフェスタンドを始めた。朝と夕は駅前でコーヒーを売り、昼はオフィス街でコーヒーを売った。母が僕を身ごもると、父が1人でバンに乗るようになった。
僕が生まれる少し前のことだ。父が駅前でコーヒーを売っていると、2人組の警察官に移動するよう注意された。
路地裏にバンを移動させたが、立ち寄る客も少なく、諦めて店を閉める準備をしていた。そのとき、酒に酔った4人の若者がやってきた。
「コーヒー、4つ」若者の1人が言った。
「今日はもうお仕舞いなんですよ」父は答えた。
「閉店って書いてないだろ?」若者特有の、仲間と一緒にいる時の気の大きさを感じさせる声で言った。
「今から淹れるので、お時間頂きますけどよろしいですか?」
「はやくね。4つ」
父はコンロに火を付けて湯を沸かし、豆を挽き、フィルターを準備した。ポットから湯を注ごうとすると、若者の1人が声を荒げた。
「いつまで待たせるんだよ」
返事をする間もなく、若者がミニバンの横腹を強く蹴った。車体が揺れ、湯が手にかかり、父はポットを落とした。
「やめてください」父は言ったが、若者がやめるはずもなかった。
今や若者達は、4人全員でバンを蹴り、横転させようとしていた。父は何よりもまず、バンを守ろうとして外に出た。そして、顔の形がすっかり変わるまで若者達に暴行された。
気を失った父が発見されたのは、随分時間が経ってからだった。右目は視力を失い、右腕に力が戻ることは無かった。犯人は見つからなかった。違法な路上販売をしていたカフェスタンドに対して、警察は冷淡だった。
片腕でコーヒースタンドを続けることはできなかった。しばらくして、生まれてすらいない僕のことで頭が一杯だった母が、別荘の仕事を見つけてきた。賃金は極端に少なかったが、家賃は不要で、家庭菜園も持てた。他に生きる術もなかった両親は、都会から弾き出されるようにして、避暑地に移り住んだ。
キッチンで語る父は珍しく饒舌だったが、それはやはり会話というよりは長い祈りのようだった。父は最後にひとつ大きくため息をつき、次のように話を締めくくった。
「あの日は、店を畳んで帰るべきだった」
話し終えた父の顔は、僕に話すことで長い後悔から解放された、そういう顔をしていた。
◇◆
別荘から苦情の電話が入ったのは5日目の夜だった。電話を掛けてきたのは父親だった。
「トイレの水が止まらないんだが」彼は不満そうに(或いは不安そうに)言った。
僕は夕飯を中断し、鏡の前でひとしきり髪をいじり回してから別荘へ走った。小型の懐中電灯を持って。
玄関を開けると、チョロチョロと水の音が聞こえた。倒れた仲間を心配する象の群れのように、家族4人が2階奥のトイレに集まっていた。皆寝巻きを着ていた。
姉と妹は色違いのおそろいのパジャマで、姉はグリーン、妹はイエロー。光沢のある生地だった。僕は惑星の配列が変わるぐらいの引力で姉妹に惹き付けられた。
「水が止まらないんだ」父親が言った。
「ちょっと見ますね」
僕はそう応えると、タンクの蓋を外して、中を懐中電灯で照らした。水位によって浮き上がってくるはずのプラスチックのブイが、錆びたチェーンに引っかかっていた。僕はチェーンをほぐし、ブイを解放してやった。
「これで大丈夫です」
「もうなおったの?」姉が言った。
「大した問題じゃないんです。ちょっと錆びてるだけで」
やがてチョロチョロという水の音が止まった。
「すごーい」妹の方が僕に尊敬の眼差しを向けた。
「簡単だよ」
「私にもできる?」
「練習すればできるかな」僕はもったいぶって答えた。
それから、僕は誘われて彼らと一緒にトランプをした。随分と遅い時間まで。主にポーカーをして、勝ったり負けたりした。
その翌朝、僕は植込みの間から声をかけた。
「トイレの水は大丈夫ですか?」
「ええ、もう大丈夫よ」母親が言った。
「何かお手伝いすることありますか?」
「ありがとう。大丈夫よ。それにしても、ここは素晴らしい場所ね」
「ありがとうございます」
「明日で終わりなんて、本当に悲しいわ」
「来年も是非きてください」
「一緒に川にいく?」姉の方が大きな声で僕に尋ねた。
「午後は仕事があって」僕は答えた。特に仕事なんて無かったのに。
7日目、彼らは赤いメルセデスに乗り込む前に言った。
「素晴らしい休暇になった。来年また来るよ」
彼らは2度と来なかった。もちろんあの姉妹も。
◇◆
僕はこのささやかな文章を書き終え、ひとつ大きくため息をついた。顔を上げると、真夏の太陽が高い位置にあった。カブトムシ達は消えていた。
こうして文章を書くことで、僕はどこか晴れやかな気持ちで、あの触れることが出来なかった薄いブルーのワンピースを思い浮かべることができた。そして、同じような失敗をした何人かの女性達を思い浮かべ、最後に別れた妻を思った。
ベーコンエッグとトーストの軽い朝食を終えたら、久しぶりに父へ連絡をしようと思う。まずは引っ越しの報告をしなくてはいけない。父は僕が都会に背を向けたことを悲しむかもしれない。しかし、たとえ悲しんだとしても、心配は要らない。父には父の祈り方があるからだ。
僕は父から祈り方は学ばなかったが、祈ること自体は学んだ。父は語ることで、僕はこうして書くことで祈る。僕は、まだ父ほど上手く祈ることができない。それでも、こうして文章を書くことで、別れた妻を思うことさえできるのだ。
遠い将来、身一つで田舎へ逃れたことが、じくじくと胸を刺すようなことはあるだろうか?あるかもしれない。だが、きっと僕はベテランのパイロットのように、上手くコントロールするだろう。こうして文章を書くことで、あるいは、歌うことで、描くことで、奏でることで。
END
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