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街で評判の探偵

 朝からひどく曇っていた。2階の窓から通りを眺めていると、事務所の前に1台の車が停まった。新型のポルシェ911。色は赤。
 運転席からスレンダーな女が出てきた。艶のある髪、ブルーグレーのワンピース、鮮やかなオレンジのショール。

 エスコート無しでは階段を一段だって登ることはできないといった気品がある。それと同時に男勝りの意思の強さも感じさせる。それは新型の911が彼女に与えたものだ。結局のところ、それが彼女が911に乗る意味なのだ。

 ハイヒールがコツコツとリズムよく階段を打つ。僕はネクタイを締めなおし、ワイシャツの袖をカフスボタンで留め、濃紺のジャケットを羽織った。
 女が事務所のドアをノックした。15時、約束の時間ぴったり。

 「アニー・ランドです」女はそれだけ言うと、僕に名乗る暇も与えず、そのまま来客用のソファへ腰をおろした。所作に自信が滲み出ている。いい女だけが自然と身につける自信。僕と同年配、30歳前後。薬指には巨大なカルティエのリング。
 ドアを閉めながら彼女に話しかける。「コーヒーをいれましょうか?」
 「お願いするわ」
 「ミルクと砂糖はどうします?」
 「結構よ」
 
 僕はブラックコーヒーがたっぷり入ったマグカップを2つテーブルに置いた。彼女の正面に腰を降ろして話しを切り出す。
 「はじめまして。アニー・ランドさん」
 「アニーでいいわ」
 僕が右手を差し出すと、彼女は握手を返しながら愛想よく微笑んだ。
 愛想は良いが態度にかたさがある。膝をぴたりと閉じていて、両腕は身を護る処女みたいにしっかり組まれている。
 僕への警戒を解いていない証拠。依頼主との間に信頼関係を醸成できなければ、探偵業は上手くいかない。
 腕利きの探偵と呼ばれたいなら、ハイヒールの先に付いた泥からアレコレ推理する必要は無い。仕事の出来映えは推理力では決まらない。

 「それでは、アニーさん。さっそく用件を伺ってよろしいですか?」
 「その前にいくつか質問していいかしら?」
 「もちろん」
 「秘密は守って下さる?」
 「もちろん」
 「弁護士みたいに?」
 「守秘義務があります。弁護士みたいな」
 「この事務所はいつから?」
 「3年になります」
 「ずっと探偵を?」
 「ええ、ずっと」
 「『ホームズズ探偵事務所』って変わった名前よね」
 「シャーロック・ホームズへの憧れです」
 「どうして『ホームズ』なの?」
 「複数形です」
 「複数形?」
 「ホームズみたいな探偵が沢山いる事務所ってことです」 
 「あなたの他にも探偵がいらっしゃるの?」
 「いえ、まだ僕だけです」
 「あなた変わってるわ」
 「ちょっと真剣に生きすぎなのかもしれません」
 「真剣に生きすぎ?」
 「今の時代、10人にいれば9人は隷属先を必死に探しています。僕はそういう生き方はしないし、できない。だから探偵をやっています」
 「ちょっとお話が分からないわ」
 「隷属と探偵業の関係について説明するのは少し骨が折れます。どうしても神に触れる必要があるんです」
 「また今度でお願いするわ」
 「皆さんそうおっしゃいます」
 「変わってるわね、本当に」
 「人はどこかしら変わってるもんです。自分では気付きませんが」
 「やっぱり教えてくださる? さっきの探偵と神様の話し。一言で」
 「一言で?」
 「長い話しを聞くのは我慢ならないのよ」
 「ふうむ… 左手で聖書を1ページずつ破り捨てながら、右手で超弦理論の論文に1行ずつ書き加える連中との決別。とでも言えば雰囲気はつかめますか?」
 「さっぱりね。でも、なんとなく、あなたが真面目な人というのは分かったわ」
 「そうありたいと思っています。少なくても可能な限り正直でありたいと」
 「そういうの嫌いじゃないわ」
 アニーが足を組み替えた。左足が上。ワンピースの裾から膝頭が見える。マイセンの磁器のように白く眩しい。
 「相談を始めてもよろしいかしら?」
 「もちろんです」

◇◆

 子供の頃から探偵に憧れていた。それにも関わらず、僕は長い間、自動車の修理工場で働いていた。やっと辞表を叩きつけたのは30歳になってからだ。
 同僚に理由を聞かれ、僕は次のようにこたえた。
 「探偵になりたくない奴なんているかい?」

 開業から3年、106枚の会員証を作った。レンタルビデオ、スーパーマーケット、コーヒーショップ、ガソリンスタンド、歯医者、ヨガ教室…
 無料で会員になるチャンスがあれば、僕は機を逃さず会員登録した。会員申込書の職業欄に「探偵」と書きたかったのだ。

 「ホームズズ探偵事務所」と名付けたとき、僕の頭の中にあったのは、最高の頭脳を持つ探偵達が、ズラリと机を並べて難事件に立ち向かう、そんな大探偵事務所だった。
 しかし、開業して間も無く、僕は思慮の浅ささを咎められた。優秀な探偵どころか、難事件さえ見当たらなかったのだ。
 まれに難事件が発生しても、それは警察の管轄だった。事件解決に必要なのも推理力ではなくDNAの鑑定能力だった。
 今の時代に生まれていたら、ホームズよりワトソンの方が活躍したかもしれない。

 僕に持ち込まれる依頼の大半はペットを探す話しだった。飼い猫、飼い犬、それからインコ。町中のペットたちが飼い主から逃げたがってるようだった。
 動物探しの次に多いのは浮気調査、それからエアコンと風呂の掃除。掃除の依頼は断った。僕には探偵としての誇りがあった。

 探偵業を始めてからというもの、僕は起きている時間の大半は動物を探していた。
 見つかることの方が少なかった。脱走から10日が経過した小型のトカゲが生きてると考える方がどうかしていた。しかしながら、総じて言えば、僕の探偵としての評判は良いのである。

◇◆

 アニー・ランドはソファから身を乗り出し、テーブルにかがみ込むようにして、僕に顔を近づけた。香水の香りがする。
 「素晴らしい香りです」僕はすかさず褒めた。推理するぐらいなら、褒めた方がずっと良い。
 「シャネルのガブリエルよ」とアニーは答えた。
 「覚えました。素晴らしい香りは時として事件解決の鍵になる」
 「過去にそういう事件があったのかしら?」
 「いえ、まだありません」
 「やっぱり、あなた変わってるわ」
 「話しの続きをお願いします」
 「レイプなの」アニーは声を落として言った。僕は落ち着いた所作でメモ帳を取り出し、続きを促した。
 「レイプされたのはトラヤヌスの凱旋門」
 「ペットの名前ですか?」
 「どうして分かったの?」
 「プロメテウスの火という名前の犬を探したこともあるし、ホーリーグレイルと名付けられたインコを探したこともあります」
 「うちのは猫よ」
 「トラヤヌスの凱旋門がレイプされてる現場を見たのですか?」 
 「見てないわ」
 「どうしてレイプされたと?」
 「子猫を産んだの。茶トラの。トラヤヌスの凱旋門は真っ白の美しい猫よ。それが茶トラだなんて」
 「白猫から茶トラ」
 「レイプされたのよっ」アニーは語気を強めた。
 「同意の上だった可能性は?」
 「まあっ、それは無いわ。野良猫に、まして茶トラとなんて…ありえません。それは断じてありえません」
 「落ち着いて」僕はそっとアニーの肩にを手を掛けた。
 「ごめんなさい。取り乱してしまって」
 「いえ、よくあることです。僕の事務所をノックする方は、大抵タフな問題を抱えています。今のあなたみたいに。そういう人の力になるのが仕事です」
 「ありがとう」
 「少しを気を落ち着けた方がいい」僕はキャビネットを開けウイスキーを取りだし、ロックグラスにきっちりダブルで注ぐ。一杯は彼女に、もう一杯は自分に。昼から気の利いた女と酒が飲める。これは探偵業の魅力の一つだと言ってよい。
 あの時、僕はアニー・ランドを抱けただろうか? 恐らく抱けた。だが、僕は初対面の女は抱かないし、事務所で女を抱くこともない。

◇◆

 周囲の家々がみすぼらしく見える豪邸、アニー・ランドはそこに住んでいた。車庫には彼女のポルシェ911。それから夫の巨大なメルセデス。
 僕はインターフォンを鳴らしてアニーに調査開始を報告をする。
 「今日から調査を始めます。猫の行動半径は200メートルから500メートルです。トラヤヌスの凱旋門は外に出ますか?」
 「ええ、外に出るわ」
 「なるほど。それでは調査半径ですが、トラヤヌスの凱旋門が被害にあった場所を、アニーさんのお宅から最も遠い500メートル地点とします」
 「ええ」
 「さらにその地点は、問題の茶トラの猫側から見ても最も遠い外周、つまり500メートル地点とします」
 「結論をお願いできます?」
 「茶トラの猫は、アニーさんのお宅から半径1.5キロ圏内に必ずいます」
 「なんだかよく分からないけど、お任せします」
 「分かりました。アニーさんのお宅から半径1.5キロ圏内をくまなく探します」
 「ありがとう。何か分かったら教えてちょうだい」

 僕はキャットフードを片手に、朝から晩まで半径1.5キロの円周内をぶらついた。秋晴れで散歩するには丁度良かった。
 初日はなんの手がかりも無かった。猫を一匹も見なかった。2日目になっても、相変わらず猫を全く見なかった。町中の猫がバケーションを取ってハワイにでも行ってしまったようだった。
 調査開始から3日目。街を歩き回るのに疲れて公園のベンチに腰を降ろした。なんだか馬鹿らしくなってキャットフードをゴミ箱に向かって放り投げた。入らない。散らかったキャットフードに鳩が群がった。

 鳩を見ているうちに僕は冷静さを取り戻し、いつもの悪い癖が出ていることに気づいた。依頼人に言われたとおり、茶トラの猫を探そうとしてしまっている。
 論理を組み立て、推理をし、足を使って真実に迫る。それは探偵の本能のようなもので、抗えない魅力を持っている。ついやってしまう。しかし、やれば必ず咎められ、深い虚無に襲われる。

 「理性的にやらなくちゃいけない」僕は自分に言い聞かせるように呟いた。

 白い猫から茶トラの子猫。単なる隔世遺伝では?本当にレイプなのか?合意の上では?いや、それどころか、僕は生まれた子猫の存在すら確認してないじゃないか。オーケー。それで、いいんだ、確認なんてしなくていい。
 視線を上げると、もう鳩はいなかった。

 僕は隣町のペットショップへ足を伸ばした。茶トラの猫が一匹だけいた。まだ子猫だった。狭いケージの隅で下痢をしていた。長たらしい品種名と、途方も無い金額の値札がついていた。これではダメだ。
 僕は郊外の保健所まで足を伸ばした。おあつらえ向きの茶トラがいた。身体が大きく、毛並みが悪い。怪我をした右目には目やにがビッシリついていた。素晴らしい、これだと思った。
 僕はその汚い猫を連れてアニーの家へ向かった。
 「猫です」僕は玄関先でケージを差し出した。
 「この猫なのね」
 「ええ、間違いない。顔を見て下さい」
 「ひどい顔つき。こんな汚い猫にうちの子が…」

 アニーがケージを床に叩きつけると猫が変な声を出した。泣き崩れる彼女を支えながらリビングへ運び、気付け代わりのウイスキーをダブルで注いだ。
 僕の腕の中でアニーは涙を流した。彼女の柔らかな髪を3回撫でたところで、報酬を受け取り事務所へ戻った。僕は猫に乱暴する女は抱かない。
 茶トラの猫がどうなったかは知らないが、またしても首尾良く依頼を片付けた。僕は街で評判の探偵なのだ。

END

◇◆人気のあった短編小説◆◇
僕らはこうしてパスタに襲われる
頼むから返事をしてくれ
人生の大半をラブホテルで過ごした女の話し

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パンを買います

ありがとうございます!好きなお肉は豚肉です。
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コメント (2)
kumi様
コメント有り難うございます。ボクももう一つぐらい事件が起こるような気がしていて、実は書いてるときに、もう一つ事件を足そうとしたりしていました。ただ、ちょっと話しが冗長になるのと、これはこれで終わった方が広がりが出るかなと思って、もう一つの事件は途中でやめました。今回のお話は主人公もアニーも気に入ってるので、いつか続編みたいなのが書けたらなと思います。
saki39様
お読み頂き有り難うございます。ボクは文章で生計を立てているわけではないので、文筆家ではないのです。
スラスラと読んで頂けたようで良かったです。石にかじりつくように読むテキストではなく、サラっと読み流せる楽しい文章を書きたいと思っています。
コメント有り難うございました!
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