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女しかいない

 冷たい雨が降っていた。クローゼットに仕舞い込んだスプリングコートを引っ張り出したくなる寒さ。大通り沿いの入り口から、急ぎ足でメトロへ降りた。
 通勤客に押し流され、私が駆け込んだ先は、不運にも女性専用車両だった。女たちの視線が刺さる。男は私ひとり。逃げるように隣の車両へ向かう。

 連結部のドアに手を掛けると女の声がした。
 「行ってはだめ」

 手を止めて女を見た。30代半ば、抜群にいい女。3人掛けのシートの中央に1人で座っている。肩にはゴージャスなスカーフ。
 「私のことですか?」
 女に聞いたが、返事は無い。
 電車が急なブレーキをかけ、私はよろめく。アナウンスが流れる。
 「前の車両との運転間隔調整のためしばらく停車します」

 「行きますね」 そう言って、ドアに手を掛けると、女が私の手首を掴んだ。
 掴むと同時に女はみるみる老いた。40歳、50歳、60歳。私の目の前で一回り縮んだ老婆にまで老いた。
 枯れ枝のような女の手の感触。私は肺がこすれるような声をあげて手を引いた。
 老いた女は、再び私に手を伸ばそうとしたが、その動きは緩慢で、老人の動きだった。
 「行ってはだめ」とまた言ったが、その声は潤いを欠いた老人の声だった。
 私は乱暴にドアを開け、隣の車両に駆け込んだ。

 隣の車両にも女しかいなかった。嫌な汗がしみ出す。
 私はさらに次の車両を目指した。ガクンと揺れて電車が再び動き出す。3両目にも女しかいない。
 老いた女の顔が頭をよぎる。半ば走るように女性専用車両へとって返し、連結部のドアを引いたがピクリとも動かない。
 ガラス越しに見ると、女性専用車の様子に変化は無い。老いてしまった女は老いたまま座っていた。電車が速度を落とし始める。駅が近い。
 私はドアを叩いた。同じ車両の女達がいっせいに私を見た。だが、女性専用車両の女達は気付かない。
 夢中でドアを叩くうちに、電車は駅に着き、ドアが一斉に開いた。
 何の音もしなかった。乗り込んでくる客はいない。降りる客もいない。電車も発車しない。
 私はフラフラと駅に降りた。ホームを見渡すと女しかいなかった。背後でドアが閉まる音がして、電車が動き出した。振り向きざまに、老いた女と一瞬目があった。

◇◆

 ホームにある5人掛けのベンチの端に若い女が座っていた。丸顔で眼鏡を掛けていた。赤いスウェットのパーカー、しっかりした生地のグレーのロングスカート、白いスニーカー。私は1つ席をあけて、女の隣に腰をおろした。
 「男性はどこです?」私は丸顔の女に話しかけた。
 「え?」丸顔の女は私を見た。
 「男です。女性しかいなくて」
 「え?」
 「みんな女性じゃないですか」
 「はぁ」
 「女ばっかりなんですよ。男が1人もいなくて」
 「あの… あなた、男性ですよね?」
 「え? いや、そうじゃないんです」
 「え?」
 「男だよ、男。誰か男はいないのか?」私は思わず声を荒げた。丸顔の女は驚いて、さっとベンチを立つ。
 「待ってくれ」私は女の腕を掴んだ。
 掴んだ途端、丸顔の女がみるみる老い始めた。一回り小さな老婆へと老いていく。

 私は咄嗟に手を離したが老いは止まらない。40歳、50歳、60歳、70歳…
 女はみるみる老い縮んでいく。
 80歳か90歳か、老化が一瞬止まった。と思った瞬間、女はサラサラと灰色の砂になってその場に崩れ落ちた。
 丸顔の女は消えて無くなり、眼鏡、赤いパーカー、グレーのスカート、白いスニーカー、それから灰色の砂が残った。
 私が女を砂に変えたようでもあったし、女がひとりでに砂に変わったようでもあった。

 私は恐る恐る赤いパーカーを持ち上げた。サラサラと砂がこぼれ、紺色のブラジャーが落ちた。スカートを持ち上げると、ブラジャーと同じ色のショーツが落ちた。彼女が身につけていたものを全てベンチの上に引き上げてしまうと、灰色の砂山だけが残った。
 砂山の中腹あたりに糸が見えた。つまみ上げると真っ白な綿毛のようなものが出てきた。しばらく眺め、それがタンポンだと気づいた。汚れは付いていなかった。かつて丸顔の女だったものは何もかも、灰色の砂になったようだった。

 ホームを歩く女達は水たまりを避けるようにして、灰色の砂山を避けた。
 しばらくして、ホウキとちりとりを持った2人組の女がやってきた。慣れた手付きで砂をちりとりに掃き集め、集めた砂を砂袋に入れて持ち去った。あとには何も残らなかった。

◇◆

 改札を出て地上に上がったが、やはり女しかいなかった。とはいえ、女しかいないことをのぞけば、他に変わったところは無かった。コンビニの棚にはシェーバーがあり、男性用ヘアスプレーがあり、コンドームがあった。
 職場に顔を出した。女しかいない以外は常と変わりは無かった。私は見知った女達に触れないよう気を使いながら、定時まで事務作業を行い帰宅した。二度と会社へ行くことは無かった。

 翌日から1週間ほど家に籠もった。文字通り1歩も家から出なかった。ドアノブに手を触れるのはピザが届いた時だけ。ピザを持ってくる配達員も女だった。
 あれこれ調べたが、大したことは分からなかった。知らないうちに、誰かがピンセットで男だけを取り除いたのかもしれない。
 取り除かれた男達は「無かったこと」になっていた。たとえば、男友達のメールアドレスや電話番号はどれも無効になっていた。
 
 ひと月もしないうちに、私は女しかいない生活に慣れた。暮らしに不自由は無かった。女達には触れないよう注意をしたが、不注意から女を砂に変えてしまうことはあった。服の上から軽く触れただけで、女達はサラサラと灰色の砂になってしまうのだ。
 私は砂になった女の財布から金を抜いた。その金で天ぷら蕎麦を食べたり、歯磨き粉を買ったり、映画を見たりした。
 
 しばらくそんな生活を続けたあと、私は女達の財布から金を抜くのをやめた。支払いの時、レジの女が砂に変わると、なぜかそのまま代金を請求されないことに気付いたからだった。
 私は代金を支払う代わりに、レジに立った女を灰色の砂に変え、商品を自分で袋に詰めて持ち帰った。
 自分の家に帰ることもなくなった。歩き疲れれば、目についた家のインターフォンを鳴らし、出てきた女を灰色の砂に変えた。そして、その家のベッドで眠りについた。 
 食べ、排泄し、眠り、ときどき女を灰色の砂に変える。女しかいない街で、出来ることはそれだけだった。

 私は見知った女性に会うのを慎重に避けた。どれほど私が注意しても、彼女達が不用意に触れてきた途端、灰色の砂に変わってしまうからだ。
 新しく知り合った女達にしても同じことだった。初対面のうちこそ、私が細心の注意を払うことで、彼女達を砂に変えずに済んだ。だが、次第に打ち解けるうちに、遅かれ早かれ彼女達はサラサラと灰色の砂に変わった。
 かつて私の心を狂おしいほど締め付けた女という生き物は、もはや人生に彩りを添えるものではなく、冷たく無機質な灰色の砂でしかなかった。

◇◆

 どのような場所で女を砂に変えても、10分も経たないうちに清掃の女が来た。道端やトイレはもちろん、家の中であっても。
 大抵は2人組の女だった。作業は同じ。ホウキでちりとりに集め、砂袋に移して持ち去った。
 ためしに、清掃に来た女に触れると、やはり砂になった。しばらくすると、砂になった清掃の女を片付けるために、別の清掃の女が来た。その別の清掃の女も砂に変えると、また再び別の清掃の女が来た。10人ばかり続けて砂にしたところで、むなしくなってやめた。

 家電量販店でうっかり女を砂に変えてしまった。太った中年女だった。すぐに清掃の女が2人来て砂袋に詰めた。
 「重さを測っていいですか?」
陳列された体重計を指さしながら、私はたずねた。
 「はあ」清掃の女は怪訝な顔で同意した。
 私は砂袋を体重計に載せた。69.7キログラム。

 私は小型の体重計を持ち歩き、砂の重さを測るようになった。女を砂に変え、清掃の女が砂袋に詰めるのを待ち、小型の体重計でいちいち砂袋の重さを測った。
 53.7キログラム、49.8キログラム、58.3キログラム、47.3キログラム、62.3キログラム…

 「失礼ですけれど、体重は何キロですか?」
 「何キロ台かだけでも教えて頂けませんか?」
 「厚生労働省の者ですが…」
 「成人病のリスク別に保険料の見直しができるので体重を…」
 私はあの手この手で女達に体重を聞いた。最初こそ答えてくれる女は居なかったが、聞き方に工夫を重ねることで、教えてくれる女もチラホラ出るようになった。

 「こちらの、個人情報の取り扱い同意書にサインをお願いします」
私は適当に作った書類を若い女に手渡した。女はたいして確認もせずサインする。
 「録音が始まったら、マイクに向かって体重をお願いします」
 私は仰々しくスマートフォンの録音ボタンを押して見せ、小型のマイクを女に向けた。
 「お願いします」と私は言った。
 「47キロです」と若い女はこたえた。
 私はその女を灰色の砂に変え、砂袋の重さを測った。50.8キログラム。手帳に日付と71個目のバツ印を付け、録音された音声を消した。
 この作業を始めて随分経つが、本当の体重を言った女には出会っていない。

END

◇◆人気のあった短編小説◆◇
頼むから返事をしてくれ
人生の大半をラブホテルで過ごした女の話し
僕らはこうしてパスタに襲われる

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パンを買います

ありがとうございます!好きなお肉は豚肉です。
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パンのみで生きてます。短編小説しかありません。

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コメント (12)
あいのすけ 様
コメント有り難うございます。現実とは異なる、ちょっと怖いアチラ側?の世界のお話です。仰るように、アチラ側で気安く人に触れてしまうのは危ないです。砂になってしまいます!楽しんで頂けて良かったです。お読み頂き有り難うございました。
亀野あゆみ様
お読み頂き有り難うございます。面白いと言って頂けで嬉しいです。女性に叱られるのは良くありませんね。。決してそんなつもりは無いのです。ご容赦くださいませ。コメント有り難うございました!
不思議な世界観にどっと引き込まれたような気分になりました。星新一のショートショートを読んでいるような気分です。なぜ、最後に男は体重を量り始めたのか?女しかいない世界でそれは面白いなとおもいました!
調宮 知博様
お読み頂き有り難うございました。星新一は始めて言われました。でも確かにちょっと雰囲気あるかもしれません。少しドライな感じとかも。確かになぜ体重を測ったんでしょうね?他にも色々やることがあるきがします(笑
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