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ミランダは真上に住んでいる

 僕は安普請のアパートメントの1階に住んでいる。真上の部屋にはミランダが住んでいる。そのミランダが男を連れ込む音がしたのは午前4時。
 まずは当たりさわりの無い音が聞こえた。話し声、水を出す音、足音、冷蔵庫を開ける音。20分ばかり経って性行為に励む音が聞こえた。
 シャワーを浴びずにコトが始まったから、初めて寝る男なんだと分かった。ミランダは初回はシャワーを浴びない。
 「なんか気まずいから」がその理由だった。

 僕はベッドに寝転んで、ぼんやり天井を見つめた。垂直に3メートル上がったところにミランダと男がいる。ギシギシ音がして、部屋の中央に吊したライトがユラユラ揺れた。

 午前9時。3度目の性行為が始まったところで、僕はベッドから這い出した。シャワーを浴び、クリームパンを水で流し込んだ。薄いグレーのパーカーを頭から被り、ジーンズを履き、リュックを背負って大学へ行った。
 その日の講義は2限からだった。教授はワルラス均衡とマーシャル均衡について熱弁を振るっていたけど、まるで頭に入ってこなかった。

◇◆

 ミランダと僕は幼なじみで、一卵性双生児みたいに育った。ハイスクールを卒業するまで同じ学校に通った。
 大学進学で都会に出てからも僕たちは一緒だった。ミランダの大学と僕の大学は同じ駅にある。ミランダは駅の北側、僕は南側。
 距離は近いけど、学生の質はダイヤモンドと石炭ぐらい離れている。彼女はダイヤで僕は石炭。

 「かわいく生まれたかった」ミランダは口癖のように言う。
 彼女は痩せっぽちで、体重を気にしなくて良いのは救いだったけど、体重以外の何もかもが気にいらないみたいだった。
 額の面積から始まって、そばかす、ニキビ、エラが張ってる、アゴが尖りすぎてる、胸が小さい、ブロンドじゃない、足の親指が曲がってる… 要するにミランダはどうしようもなく女の子だった。

 断言するけど、ミランダは美人だ。彼女が自分の欠点だと嘆く全てが、僕には魅力のかたまりに見える。たとえば、真っ黒の髪とか形の良い額とか。
 高校の夏休み、ミランダはボーイフレンドに言われて髪をブロンドに染めた。僕はトランプ当選を知った、熱心なヒラリー支持者みたいに落ち込んだ。

 ミランダに初めてボーイフレンドが出来たのは14歳の時だ。ハイスクールにあがった時には処女ではなかった。
 早熟な彼女と対照的に、僕はガールフレンドができたことさえ一度もない。勇気を出してパーティーやイベントに顔を出したこともあったけど、女の子達は、僕を透明人間みたいに扱った。

 僕には男性としてのあらゆる魅力が欠けている。顔の造作はひどい有様。チビで貧弱。運動はからきしダメ。踊ることも、弾くことも、歌うことすらできない。その上、あるゆる美的センスが無くてダサかった。
 神様はそれでも足りないと思ってるようで、僕を禿げにすると決めたらしい。まだ大学生なのに。
 鏡を見るたびに、街を歩くたびに、なんなら呼吸をするたびに、僕は女の子という問題を一生解決することができない気がして、ものすごく絶望的な気分になる。

◇◆

 アパートへ戻ると、午前4時の男がミランダの部屋から出てくるのが見えた。僕を縦に2つ並べたような高身長。女みたいに長い髪をポニーテールにしていた。若い女の溺死体を運ぶようにウッドベースを抱えて、自信たっぷりに階段を降りてくる。ハリウッドスターみたいにハンサム。

 翌日、僕はミランダをランチに誘って聞いた。
 「ボーイフレンド?」
 彼女はペペロンチーノを器用にフォークに巻き付けながら言った。
 「まさか、やめてよ」
 「あれは苦労させられると思う」
 「ただの性欲解消よ」
 「え?」
 「本気の相手と遊びの相手は違うの」
 「君が本気になりそうなタイプに見えたけど」
 「顔が良くて背が高いってだけよ。本気の恋ならルックスなんて気にしない。趣味が合うとか、話して楽しいとか、そういうのが大事。でも、エッチだけなら、見た目とか、雰囲気作りが上手いとか、お姫様扱いしてくれるとか、そっちの方が大事なの。そういうプロセス全部含めて前戯だから」
 「つまり?」
 「別に好きじゃないってこと」
 「ほんとに?」
 「決まってるじゃん、一晩だけ」
 「ふうん」
 「だいたいさ、あんたに関係ないでしょ」
 「心配してやってるのさ」

◇◆

 去年の春、大学に入って2年目のミランダは、手ひどい失恋にガツンとやられた。彼女を捨てた男は詩人だった。
 男の詩は小さな文芸誌に何度か掲載されていた。でも、客観的に見れば30歳手前の定職に就かないーあるいは就けないーチャラチャラした男だった。
 詩人と哲学者は、ホンモノとニセモノの区別がつきにくい。大学生の女の子に区別なんてつかないし、相手が高身長でハンサムとなれば、冷静な判断なんてできやしない。
 男が文芸誌の隅っこに掲載された自分の詩を見せると、ミランダは木から自由落下するリンゴみたいに恋に落ちた。

 詩人に惚れて3ヶ月目、涙で目を腫らしたミランダが僕の部屋のドアを開けた。
 「もう会えないって言われた」
 「え?」
 「形容詞を探しに行くから、もう私とは会えないんだって」
 「形容詞?」
 「なにかにピッタリな形容詞が見つからないから探しに行くって。私は邪魔だって」ミランダは泣きじゃくった。

 詩人を失った彼女は、喪失感を埋め合わせるように、毎週末せっせと乱痴気騒ぎに参加した。女としての魅力と価値を、手で触って確認するみたいにして、毎週ちがう男と寝た。
 多分、僕はそのまま静かに、透明人間のように、彼女を見守っているべきだった。

◇◆

 あの夜、僕はミランダを駅前のバーに誘った。
 話を切り出すには1杯のドライマティーニと3杯のジンの助けが必要だった。僕はベロベロに酔って言った。
 「ミランダ、君を愛してる」
 実際に声に出すと馬鹿みたいに聞こえた。
 「やめてよ」ミランダは強張った顔で言った。
 「やめるって?」
 彼女はカウンターに突っ伏し、肩を震わせ静かに泣き始めた。僕は驚きをもってその光景を眺めた。

 涙で震える彼女の肩に手を掛けると、ミランダは僕の手を乱暴に払いのけ、怒った猫みたいな目で僕を睨んだ。
 「ずっとそんな目で見てたの?」
 「え?」
 「私のこと、恋愛対象として見てたの?」
 「分からない。とにかく、ずっと好きだった。愛してる」僕は精一杯の思いを込めて言った。さっきよりも馬鹿みたいに聞こえた。
 「やめてっ」ミランダは僕をひっぱたいた。
 店中の客が僕たちを見て、僕はまるで透明人間じゃなかった。ミランダはまくし立てた。
 「自分が何をしたか分かってる?」
 「いや…」
 「私たち幼なじみなのよ? 幼なじみを恋愛対象として見るってどういうこと? 女として見てたの? キスしたりセックスしたりするつもりなの? 私を見て欲情するわけ? 気持ち悪いっ」
 ミランダはグラスの水を一気に飲み干して続けた。
 「今の気持ち分かる? 最低なの。一番信頼してた人にレイプされた気分。気持ち悪くて胃がひっくり返りそう」
 「幼馴染みだから?」僕は消えるような声で言った。
 「そうよ。父親とか弟に、欲情されるなんて無いでしょ。それと一緒よ」
 「幼なじみじゃなかったら?」
 「なにそれ?」
 「もし、幼馴染みじゃなかったら? 恋人同士になれたかな? その…僕自身に問題があるってわけじゃなくて…」
 「やめてよ。本当に気持ち悪いから」
 ミランダは席を立った。時計を見たらまだ22時で、店に入って2時間も経っていなかった。

 その晩、僕は一睡もしなかった。ミランダの部屋は普段よりずっと静かで、まるで彼女がどこか遠くの街へ引っ越してしまったみたいだった。
 朝日が昇り目覚ましが鳴った。僕はシャワー浴び、インスタントコーヒーをいれ、それからミランダに携帯でテキストを送った。
 「昨日は飲み過ぎた。記憶がまったく無いんだ。ミランダは大丈夫?」
 夕方になって返信がきた。
 「わたしも覚えてないよ」

◇◆

 僕は打ちのめされた犬みたいな気分だった。心を石みたいに固くして、根気よく何もかもを元通りの位置に戻していった。散らかった洗濯物を綺麗に畳んで棚に仕舞うみたいにして。

 ミランダは、詩人の傷が癒えると、また恋をした。
 詩人の次はカメラマンだった。彼女は恋に随分と臆病になっていたけど、カメラマンが撮った1枚のポートレートでたちまち恋に落ちた。
 「自分でも気付いてなかった、わたしの魅力を引き出してくれるの」
 ミランダはそのポートレートを僕に見せながら微笑んだ。
 
 確かに写真のミランダは美しかった。けれど、彼女の魅力のカケラしか写っていなかった。僕なら一晩中だって彼女の魅力を囁き続けられるのに。
 その男はいつも首から大きなカメラを下げて、ミランダの写真を撮っていた。ミランダは男のために喜んでポーズをとった。炎天下、真夏の電信柱に蝉みたいな格好でつかまったりした。そんな時でも、僕が見たことない笑顔を見せていた。
 半年程してカメラマンはミランダを捨てた。「君の美しさは全て撮ってしまった」が理由だった。

 カメラマンの次は絵描きだった。ミランダを描いたらしいデタラメな似顔絵一枚で、彼女をメロメロにした。その男とは2カ月もしないうちに別れた。破局の原因は忘れてしまった。絵の具が切れたとか、そういう理由だったと思う。
 その次はミュージャンで彼女のために曲を作り、その次は画商でミランダをイメージした個展を企画した。

 ミランダが恋をする男たちは様々だったけど1つだけ共通点があった。彼女が恋する相手は、僕とは似ても似つかないという共通点が。ミランダと僕が幼馴染だったことは、おそらく僕にとって救いだった。彼女は僕なんかに絶対に恋をしないから。

 今夜もミランダは男を連れ込んだ。話し声、水を出す音、足音、冷蔵庫を開ける音、それからシャワーを浴びる音。
 僕はベッドに寝転んで、ユラユラ揺れる天井のランプを眺めている。ミランダは幼馴染で真上に住んでいる。

END

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人生の大半をラブホテルで過ごした女の話し
僕らはこうしてパスタに襲われる

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パンを買います

ありがとうございます!好きな魚介類はイカです。
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パンのみで生きてます。短編小説しかありません。

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コメント8件

ヘモグロ ビーン 様
お読み頂き有り難うございます。「ミランダのことはもう忘れて引っ越そうぜ、と彼の肩を叩きたくなります」
これすごくいいですね!!
このお話は「このあと2人はどうなるの?」と聞かれることが多かったのですが、主人公の友人が肩を叩いてくれるのは素敵な気がしました。
コメント有り難うございました。
Ray 様
コメント有り難うございます。『ミランダは真上に住んでいる』は、テンポよく書けたお話で、個人的にもとても気に入っているお話です。楽しんで頂けて良かったです。お読み頂き有り難うございました!
楽しく読めました。次々現れるミランダのボーイフレンドたち、特技を活かしたアプローチの仕方が面白かったです。
また、いつも真下にいて聞きたくない音まで聞こえるというのに、この主人公はどうして耐えられるんだろうと思いました。
海町祈里 様
お読み頂き有り難うございます。楽しんで頂けて嬉しいです。確かに次々にボーイフレンドが現れますね!ミランダはかぐや姫みたいなのかもしれません。
真下にいるのも辛いし、といって離れちゃうのも辛いし心配だしという感じなんだと思うんです。ちょっと主人公が可哀想なんですよねぇ。
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