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"ちゃんとしたレビュー"と言うのは、実はほとんど行われていない

よくお客さまなどに

 「有識者によるレビューをしっかりと…」

などと言う話を耳にしますが、実はこれ、公式に認められるようなレビューでも何でもないんです。つまり、どんなに自分たちが「ちゃんとしている」と言い張ったところで、ソフトウェア開発上においては何も説得力がないということです。

ですので、一緒に列席していると私の発言の出番が来た時に非常に困ったことになってしまいます。

なぜなら「正しいレビューでもなんでもないもの」を自慢げに、

 「有識者が!」「これだけ!」「やったんだから大丈夫なんだ!」

という側のチームの一員にいて根拠の伴った品質保証を何とか捻りださねばならず、しかも問題が起きたりすると言い訳の仕様もない状態に陥ってしまうからです。

残念ながら、どれだけ苦労しようとも、どれだけ真面目に頑張ろうとも、苦労の仕方や頑張り方、努力の方向性そのものが間違っていたらすべて無駄です。実際に「ちゃんと」できていたとしても、それを証明する方法が存在しないのでは、できていないのと同じで信用に値しません。

たとえば、

 「二酸化炭素が多いから、地球温暖化が進むんだ。
  だから、生物をどんどん殺そう。
  人間が一番促進させているので、人間をどんどん殺そう」

とするのは、地球温暖化対策として正しい方策と呼べるでしょうか?

それと同じことです。

間違った進め方をすれば、必ずどこかに歪みが生じます。
そして、陥ってから私にバトンを渡されても、

 「ちゃんとしてないんだから当然じゃん」

としか言えず、チームメンバーをフォローすることに苦慮しなければなりません。

ソフトウェアの開発において、レビューが品質の確保をするために有効であることを私達エンジニアリングに携わってきた人たちは直感的、経験的に理解しています。

人は間違いを犯しますし、間違った本人よりも他人のほうが誤りを見つけ易いものです。

ここまでは認識を共有できるものでしょう。

しかし、その間違い探しを『レビュー』と一言で言い放った場合に、その実態にかなりのギャップが生じます。ある人にとっては気の合う同僚とコーヒーでも飲みながら成果物をチェックしてもらう事かもしれません。一方で別の人にとっては会議室で衆目の前で細かい所を吊るし上げられる苦行のことかもしれません。

ある人にとっては口で簡単に説明するだけかもしれませんし、メールやツールでコメントを書くだけかもしれません。別の人にとっては準備の為に大量の資料を作り、終わった後にも大量の報告書を書く事かもしれません。

プロジェクトを始めて「レビュー」といった場合、注意しなければいけないのは、

 人によって
 チームによって
 会社によって

レビューというものの解釈やその尺度に大きいな隔たりがあることです。

こんな一貫性のない活動、本当に安定して同じ高さの品質を提供できるものなのでしょうか?社会に信用してもらえる価値のあるものなのでしょうか?


今までいた企業の中でも、チームの中でも、プロジェクトの中でもおそらくは何十、何百ものレビュー方法があったのではないでしょうか。

ひょっとするとそれぞれ個々人がそれぞれのやり方を譲らず、主にリーダーを務めるクラスの人数分、レビュー方法が乱立しているかもしれません。

そうすることが組織的リスクにつながると申し上げても、おそらく大半の人は今までのやり方を変える気はないでしょう。仮にそれで抜け漏れがあったり、誤りがあったりしても、その点だけ修正すれば自分の方法は社会に通用するものだ、という自信に満ち溢れているかもしれません。

内容的には正しい側面も多分に含まれているでしょうし、全てがすべて間違っているわけではないことは重々承知しています。

けれども、同じ会社内、同じ部門内で一人ひとりがやり方や考え方が異なると、1つの製品を作り上げる際に安定して、保証できる品質になっている
と誰が証明できるのでしょうか。

ワインバーグの書籍にはよく「技術レビュー」という単語が出てきます。

彼は「パーフェクト ソフトウェア」という著書のなかで技術レビューを次のように紹介しています。

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これらの説明を読む限り、ワインバーグの考える技術レビューを行う場合はレビューした結果を残さなければなりません。

つまり『証明』しなければならないと言うことです。

第三者に向けて根拠を提示し、論理的に証明できない品質は正しい品質保証とは言いません(そういう意味では定量的な傾向分析では、0⇔100にならない限り絶対に保証はできないんですけどね)。

証明するものが無いと言うことは、それをお客さまに「契約通りの品質」を示すことができないと言うことだからです。

 同僚とコーヒーを飲みながら雑談まじりにやるレビュー
 見る人によって観点や指摘するポイントの異なるレビュー
 口で伝えるだけで記録にも残さないレビュー

というのは元来、公式に「レビュー」として認めてもらうことはできないのです。

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