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もしも総理大臣になったら

また上級国民案件がニュースになっていましたね。
国を代表する人たちの腐敗は相当進んでいるようです。

そういえば中3だったか、高1だったか、ちょっとしたロールプレイで、「自分が総理大臣だったら〇〇するのに」なんて色々考えてた時期がありました。

わざわざ、常にノートを持ち歩いて、気が付いたらどんどん書き込んで日本の未来を色々模索していたものです。

 法律も知らないのに

まぁ中学生か、高校生の頃でしたしね。むしろ学校の勉強ばかり…いや、してませんでした。見栄はりました。あー、でも高校生になってから、というか高校生の間だけ、まじめに勉強してました。勉強のコツつかんで納得でき、飽きたので、以降は勉強しませんでしたが。

記憶にございません

というフレーズを聞いても、「映画?」と聞かれそうですが、元ネタは1976年の小佐野賢治という人が用いた言葉です。有名なロッキード事件に関与したとして、結局…最後は有罪になったのかな?

嘘とわかっていても、証明のしようがないので、こう言い切られると当時はどうしようもなかったんですね。

その後も政治家の多くはこのセリフか、秘書のせいにするかで、今と変わらず腐りきった応対を続けていました。テレビ越しに色々事件のニュースを見るたびに

 「〇〇すればいいのに」

といつもつぶやいていたので、それらの量が多すぎて忘れそうになったころから、メモを取るようになっていました。まぁ、そのメモもたぶん大学に入ったころには捨てたような気がしますが。

以下は、今思い出せる範囲内での、当時の妄想です。


①国民の代表たる責任は重い

国民を代表し、国民の血税の使い道を決め、国民の生活を豊かにするのが国会議員です。1億以上の国民の中からたった数百名だけが選ばれる、まさに上級国民(まぁ、ある役職以上の官僚とか、諸々含むのでしょうけど)。

にもかかわらず、汚職、贈賄、脱税、反社関与、etc.…枚挙に暇がありません。選挙1つ、議会1つもすべて国民の血税です。当時、私は、「彼らには、すくなくとも彼らを信じて投票した国民を裏切ってはならない義務がある」と思いました。つまり、彼らの犯す犯罪は、通常の犯罪+義務違反ということで、より罪のグレードが重いと考えたのです。

よって、国会議員が在職中に罪を犯した場合

 ・一般国民が求刑される罰の2~3倍は重くする 
 ・被選挙権を15年はく奪
 ・また、それらを当選して議員として手続する際に誓約書として残す

とするべき、と考えていました。


②有権者を裏切る罪

わざわざ選挙に立候補する人たちは、選挙期間中に耳触りのいいフレーズをまくしたて、有権者の興味を誘います。今でいう「マニフェスト」、当時でいう「公約」です。公約は"公の場で約束する"という意味です。当たり前ですが、民法において口約束も契約として効力を発揮すると定められています。

公約はあちこち(特にポスターなど)に掲げているので、それを以って契約書とみなすことが可能です。少なくともそれを見て有権者が投票しているのだとすれば(1人でもいれば)、原則契約の条件は満たされます。

いざ当選したのちに、まともに活動せず、他人の足を引っ張るだけで任期を終えた場合、彼らは民法に則り「契約履行義務違反」となるはずなのです。

ゆえに、任期中にいかなる理由があれ、公約の一定割合以上を満たしていなかった場合

 ・被選挙権の10年はく奪

が必要と考えていました。そうすることで、実現できもしない夢物語を騙って国民をだまそうとする立候補者は激減し(するとしたら泡沫候補くらい?)、公約も地味で現実的なものばかりになると考えました。そうなれば、選挙に訪れる有権者も、もっとリアルに、あるいは身近にちゃんと安心して期待できる候補者に投票できると考えたのです。


③警察が押収した物品の数々

当時、たしか警察が横領した的な事件が騒がれてた時期がありました(たしか)。しかも…そういう押収した倉庫もいっぱい過ぎて、管理しきれていないため、発見が遅れた…的なそんな話になってたような、なってなかったような…30年近く前のことなので、細かいことはうろ覚えです。

たまたま夏休み…だったかな?ローカル電車でちょっと旅してた時にふと思いついたのは、

 ・押収した物品に時効期間を設け、
  今でいうフリマ?なんかで安く地域に還元

すればいいのに、と思っていました。さすがに銃や麻薬はダメでしょうけど、銃なら分解するなりして加工すれば、金属として使えるかもしれませんし、麻薬もごく一部はひょっとすると医療用に還元できたりしないのかな?と、当時の子供心に色々模索したものです。

その後調べてもいないので、現時点も含め、具体的にその辺の管理や処分ってどうなっているのか知りませんが、少なくとも当時はリサイクル…という言葉があったかどうかはわかりませんが、そういうサイクルがあればいいのに、と思っていました。


他にもたぶん5~60くらいは書き連ねていたと思うのですが、もうさすがにあまり覚えていません。

私は、当時子供の頃にそこまで言語化で来ていたわけではないのですが、今の見識から表現するなら、

 与えられた「役割」を最大限担うべきで、
 そのために必要な「権限」や「裁量」が与えられ、
 だからこそその役割にみあった「責任」が伴わなければならない

と思っていました(改めて言いますが、当時は漠然とした感覚的なものですよ?)。

税金から高い報酬をもらい、時には税金で高級料亭で飲み食いし、だからこそ国民からかき集めた税金を自分たちの判断で振り分ける権限を与えられているのだから、その役割を最大限発揮する責任があって、その重さをその辺の庶民と同じにするのはおかしい、と思っていました。

自分が国会議員なら、自分が総理大臣なら、自分がちゃんとできるかどうかはわからないけど、そんなことを恐れて保身にはしるようなことなく、常に背水の陣のつもりで、前のめりに政策を進めて、もっと国民全体を幸せにする方法を模索するのに…なんて考えていた時期がありました。

いやー、アツかった。いや、当時、ノートに書いてただけで、誰にも語ったことありませんけど。こっそり胸の内にしまって、且つしまったまんま20年以上の時を経て、さっきなんとなく思い出したばっかりなんですけど(あれ?それほどアツくなかった?)。

まぁ結局、国会議員どころか、あんな選挙カーに乗って街じゅう名前を連呼されるとか、そんな羞恥プレイに関わりたくなくて、社会人になる前の段階で、まったくそんな熱は冷めていましたけど。私自身、好奇心旺盛でそのぶん飽き性なので、2~3年で飽きてしまった気がします。

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