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須田光彦 私の履歴書24

宇宙一外食産業が好きな須田です。


予定通りに、最初の設計事務所は1年で退職しました。


知り合いの方からご紹介があり、新しい事務所の面接を受けさせていただきました。
夜7時からの面接でしたが、応接室に通されてから何故か15分以上待たされました。

応接室に隣接している社長室からは人の気配はしますが、何かをしている気配はありませんでしたが、15分以上待たされました。

少し不安になりながらも待っていると、社長がお見えになり面接が始まりました。

後々わかりましたが、待たせることがどうも社長の作戦だったようです。

この面接の時に、非常に興味深いことを体験しました。

応接室に入ってきた社長の顔を見た瞬間、初対面のこの一瞬に、


「あっ この人はいずれ全てをなくす人だ! ここは5年で卒業しよう!」と、


瞬時に閃きました、何かが降りてきました。


私は時々こんな感じに襲われることがありますが、この時ほど強く感じたことはありませんでした。


結論から言うと、予定通り5年でこの事務所は退職しましたが、私の退職3年後にこの会社は倒産してしまいました。
最初のインスピレーションが的中してしまいました。


ひとまず無事に面接も通り、入社が決まりました。


この事務所は、主に飲食店専門の設計事務所で、設計と工事も請け負っておりました。
また、社長が簡単な企画書を作成しながら、業態のプレゼンテーションを行い、業務受注をしている会社でした。

しかも、扱う案件は高単価な案件ばかりで、基本的な施工単価は坪150万以上、平均坪200万の仕事をしておりました。

時代はバブルだったせいもあり、この単価でも仕事が切れることはありませんでした。

ターゲットにしていたエリアは港区が80%、そのほか新宿区千代田区など、銀座・赤坂・歌舞伎町と言ったの都内の超繁華街ばかりでした。

店舗設計のほかにも、高級マンションや邸宅の改装の部門もあり、後々高級輸入家具のショップを外苑前と六本木に出店しました。

企画と設計と工事をやっていることは、私にとっては理想的な職場でした。

学びたいことも覚えたいことも、今までの経験も活かせるそんな会社に思えました。

給料も一気に上がり、基本給が18万5千円に各種手当が付き額面で24万ぐらいになります。
残業もついて生活は一気に人並みになりました。

それまで手取り9万で6万の家賃を払い、1年で貯金を全て切り崩していた生活から、何とか人様並みの生活をすることが出来るようにもなりました。

3月で最初の設計事務所は休職し、有給消化をする毎日でしたが、次の設計事務所は非常に多忙でアルバイトとして、仕事をお手伝いさせていただきました。

初めて仕事に参加したのが、六本木の現場の引き渡し作業でした。


この日初めて坂田さんと出会いました。

当時坂田さんは28歳、私は24歳でした。

六本木に向かう車の運転を私にさせながら、「まだ社員じゃなくて、この車の保険は25歳以上の対象だからホントは運転させるとマズイんだよな」と言いながらも、六本木まで向かいました。

車に乗ったときに、前回の記事で書いたお好み焼きの会話があった後に、今度は運転のことです。

私も生意気でしたが、「この人は変わった人だなぁ」というのが第一印象でした。


でも、現場に着くとまるでスーパーマンのように、職人さんたちに的確に指示を出していきます。
私にはスーパーマンに見えました。

次から次と指示を出しながら、自分も多くの作業をこなしていきます。

現場はすっかりと完成しており、照明の角度調整と照度設定、トイレのサインや厨房とオフィスのサイン着け、隙間のコーキングなどの作業をやっていきます。

それらの細かいことを、私は担当させていただきました。
サインを取り付ける位置を坂田さんがどんどん決めて指示を出していきます。

その指示通りにまっすぐ平行になるようにサインを取り付けていきます。

ここまでは無難にできましたが、コーキングがうまくできません。
コーキングとは隙間を埋める材料ですが、特殊なガンを使って充填していきます。

このコーキングが初めてだったこともあり、うまくできませんでした。
コーキングは1発で決めないと、仕上がりが汚くなってしまいます。

私が打って失敗したところを、次々と坂田さんが修正していきます。
そうすると完璧な仕上がりとなっていきますが、悔しくても坂田さんのようにはこの時はできませんでした。

今では大得意ですが、さすがにもうコーキングを私がやることはありませんが、やれば非常にうまいです。


この日、初めて坂田さんが書いた図面を見ました。


衝撃でした!


今迄自分が書いた図面と、イトーヨーカドーの現場で見て来た自社と他の設計事務所が書いた図面とは雲泥の差でした。

その図面に描かれている密度と精度、図面の綺麗さに驚き、詳細図の細かさと枚数に驚愕しました。

今までの現場とは比較にならないほど、手が込んだ創りの造作となっておりますが、その一つ一つの建築的な納めが事細かく描かれていました。

施工的な納めをまだ把握していない頃です、1枚1枚の図面に書かれていることが理解できずにいました。

この図面は坂田さんが書かれたのかを質問すると、「あぁ」と軽く返事が返ってきます。

坂田さんはいつも軽い感じの人でした、気負いの無いいい意味で脱力感のある、そんな人でした。


私とは真逆の印象です。


朝から作業をして、お昼になり六本木の高級中華屋さんでランチをとりました。

それまで、ランチは最低金額のものばかりを食べていたので、現場の最中に六本木の高級中華店にランチに行くことが衝撃でした。

六本木は、ディスコの黒服や路上での怪しい指輪売りなどをして働いてはいましたが、お店に利用者として入ったことはそれまで1度もありません。
別世界の印象でした。


この時初めて客としてお店に入りました。


やたらと緊張したのを覚えています。


数日前まで、イトーヨーカドーの社食やポッポでラーメンを食べていたのとは大違いです。


午後から施主検査がありましたが、微に入り細に入り坂田さんはオーナーにつきっきりで説明をし、最後に書類を交わして終了になりました。


この時初めて施工引き渡し書を見ました。


今では当たり前に使用している書類ですが、それまで1度も見たことがなかったので驚きました。


夕方社長も現場に来て、オーナーと一緒にゆったりとソファーに座りながら談笑していました。
私と坂田さんは、工具や最後に出たごみなどを片付けています。

すると社長がやってきて、ゴミ出しを手伝おうとするので驚いて、今迄は社長がそんな作業をする場面に出くわしたことがないので、「私がやります!」と言い無理して残っているごみを一気に持って搬出しました。

この会社は、社長が一緒にこういった作業もするんだなとその時は思いましたが、後々わかりますが、お客様の前だけの社長のパフォーマンスでした。

仕事がひと段落したのが7時過ぎでしたが、朝から10時間以上過ぎています。
お客様に食事に行こうと誘われ、社長と坂田さんと私も同行させていただきました。

ここでも、高級ステーキを食べに連れていっていただきました。

私のことを、今日から入った新人ですと社長からお客様に紹介され、それならお祝いにとステーキ屋さんに連れて行ってくれました。

六本木の有名店です。

このステーキ店の向かい側には、昔六本木スクエアーというビルがあり、ほぼ全部のフロアーにディスコが入っていました。

このビルのディスコでも黒服としてアルバイトをしたことがあり、毎夜このお店の前に黒塗りの高級車が横付けされ、ステーキを食べにくる成功者やお金持ちを見ながら、いつかこの店に行ってやると思っていたものです。


そのお店に自分のお金ではないですが、今食事に来ている自分がいます。

お好み焼きから高級なステーキに、一気に変わりました。


そんな衝撃的な仕事の始まり方で、3月のアルバイトを終えていよいよ4月1日より正社員となりました。

前の会社からは最後の給料9万円を25日に受け取りに行き、月末にアルバイト代を新しい事務所の社長が現場まで持ってきてくれて、手渡ししてくれました。


アルバイトは10日程度でしたが、なんと9万もありました。

前の会社の1か月の給料が、この会社では10日のアルバイトでもらえてしまったことに、驚愕していました。

アルバイトと言っても1日10時間以上は働いていたので、時給800円でも1万円前後にはなります。

この差を感じて、いい事務所に入ったなぁとこの辺りでは感じていました。

4月に入社して、初めて休みを頂いたのは9月の終わりです。
半年間、一日も休まずに働いていました。


でも、休みは本当にいらなかったので、一切苦にはなりませんでした。


こんなに休みがないのは、今なら大変なことです、すぐに訴えられるようなことですが、この時の私は働けることの方が価値があり、休みたいとは一度も思いませんでした。


この休み明けから、仕事の内容が徐々に変わっていき、自分の実力不足を痛感していくこととなります。

坂田さんがいなければ、この時夢を捨てていたかもしれません。
それぐらい辛いことがありました。

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