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外食産業の成長は私の夢です

宇宙一外食産業が好きな須田です。

前回の続きです。

海老真薯を堪能したあとは、メインの焼き物です。
かんぱちをふわっと焼き上げて、付け合わせは舞茸の天ぷらに、ゆで卵の黄身和えと焼き銀杏、どれも丁寧な仕込みを感じさせてほっこりとさせられました。

続いて香箱蟹となり、味噌がほんのりと香って日本酒がすすむこととなりましたが、日本酒はここで締めにしました。

最後は、すっぽんの雑炊には、なんと焼き餅入りで、メイラード効果もあり餅の香ばしさがすっぽんの旨味に奥行きを感じさせる効果を発揮しておりました。

水菓子は自家製のアイスクリームと洋梨を甘く炊いたものと苺を、ちょっと渋めのお茶で締めました。

満足で、満腹で、心から満たされたひと時でしたが、お茶を飲みながら色々と井田さんとお話しをさせて頂き、その中で、これからの外食産業はという話になりました。

そこで、出てきた話しですが、料理と商品の違いが外食にはやはり明確にあり、今日堪能した井田さんの料理は、まさしく料理であり、私が普段開発しているのは商品であると。

何が違うのかと言いますと、再現性です。

商品は誰が作っても、いつ作っても同じものが出来る、完成度に大きな違いが無く、常に一定の品質を提供出来ることを求められ、割烹などで提供される料理は、たとえレシピがしっかりと揃っていても、作り手が変わると味が変わってしまい、その人なりの味になり、再現性は低くなります。

食材は同じものは全く存在しておらず、魚種は同じでも昨日の魚と今日の魚は全く違う魚であり、同じように見えても、食材の微妙な違いを料理人は感じ取り、仕込みも、味付けも、火入れも、全てその時のその食材に合わせて仕上げていく、これは長年の鍛錬と感覚と感性とが相まって到達するものであり、料理と商品は再現性の点で明確に分かれていると、改めて認識しました。

私は起業希望者に質問することがありますが、料理人として立ちたいですか?フードビジネスを行いたいですか?と聞きます。

料理人として立つとは、生活のほとんどの部分を、料理に捧げて生活の基準が料理を中心に回ることであり、道を極めることと言っても良いかもしれません。

フードビジネスとは、当初は美味しい料理を作り、商品へと移行させ、再現性を高めて事業展開をしていく、あくまでもビジネスモデルとして飲食業を捉えることです。

起業家によってさまざまな答えが返って来ますが、多くの起業家はこの違いを認識していませんし、この質問をしても即座に違いを認識して応えられる方は少ないです。

スタートの時点でゴールを決めることは非常に重要であり、明確なゴ―ル設定も無しに起業のスタートを切ることは危険性が高まります。

料理人として道を極めていく過程で、ビジネスモデルとして確立し、大きなビジネスになっていくことは有りますが、ビジネスモデルの構築を目指したのちに職人として道を極める方向に行く方は非常に少ないです。

理由は、技術を習得するステージの違いからです。
商品を作っているステージでは、料理を基本から学び技術を習得することは中々出来ないからです。

また、井田さんと修行の件と職人さんの育成についても話しましたが、井田さんの下にも多くの職人さんがやってきて、多くの職人が去っていったと、今花邑さんに居る職人さんは韓国の方で、もう12年いると、日本人でここまで長くいる人はいなく、花邑さんでは、今では多くの部分を韓国人の彼に任せており、最後の仕上げは全て井田さんが確認しているそうです。

若い職人が井田さんのもとで修行をしたく、花邑さんに来ましたが、成長に伴って課題が高度になり要求が厳しくなり、教える内容もシビアに詳細になっていくと、その過程で就いて来れずに退職していくと、嘆いておられました。

実際に、他の職人さんからも聞く内容ですが、料理人に憧れる人はある程度いるけれども、実際に何年も修行をそして道を極める人は稀な存在だと、どうしてもある程度の技術を習得すると、退職してなんとなく料理を作っている企業とお店に移動して、道を極めることを諦めて職人ではなくプロの料理人として生きていくことを選ぶ方が多いようです。

どちらがどうと言うことではありませんし、優劣がありことでもありませんが、どちらも必要なことですから、ただ、日本の文化としての和食の技術の伝承を考えると、修行は必要な制度と思います。

勿論、一方では外食産業というビジネス性の側面を考えると、短期間で成果を出すビジネスモデルを考慮すると、長年の修行は、そこまで時間と労力をかけて人を成長される責任を伴うリスクを考慮すると、如何にして短期間で戦力化させ、勤め人として収益を確保してもらい生活の安定を整えられるかというポイントも考量する必要があります。

私はどちらかといえば、ビジネスモデル化して再現性を高めて大きな収益を上げることを目的に、外食産業の事業規模を高めることを目標に活動している側面があります。

その観点から判断すると、長い時間の修行には、何とか短期間で成果が上げられることは出来ないかと日々感じていますが、しかし、一方で技術の習得には一定数の場数と時間が必要なことも理解しております。

ジレンマを感じますが、井田さんとの話の中で、私なりの結論は、教える仕組みを整えることではないかと思います。

現在、飲食業では教える、学ぶ、実践するが仕組化されていなく、特に、教える側が教えることを教わっていないために、日々の作業を通してしか技術が習得できない現実があります。

現在教える立場の方々も、教え方を教わった経験は無く、自分たちが経験したことと同じように作業を通して技術を伝承しております。

修行という名の、見習いという立場の職人候補者であり希望者を雇用していますが、ゴールが見えないことへの不安と、待遇面の不満、承認されないことへの反発などから、職人候補者であり希望者であった若い方々は、退職して行きます。

産業としての未熟さが、若い方々の夢を潰してしまっているとも言えます。

最近よく考えますが、入社する若者はいるが、就職する若者は外食産業に限らず、今の世の中にはどれほどいるのであろうかと。

私はたまたま16歳でこの仕事をすると決めて、これだけをやって来ることが出きました。
紆余曲折も挫折も転落も経験しながらも、ここまでやって来られました。

気付けばテレビにも出て、出版もさせていただくこととなり、日本でも特異な存在になったと自負しておりますが、私の場合は就職したと考えています。

職に就いたと思いますが、最近では会社に入る入社ばかりで、本質的に職には就いていないように思います。

職業選択の自由もあり、沢山の職業が発生している現在ですが、でも、職に就くという考え方は必要な気がします。

私が、料理を習ったのはやはり色々な現場でした。

昔は、職人さんの口は今よりもずっと悪く、今では法律違反になることも平気な時代でした。

包丁を持っているので、殴られることは有りませんでしたが、その代わりよく蹴られました。

私はサッカー部出身でしたので、蹴られることは慣れており、素人の蹴りでは全く痛くなく平気な顔をしていると、それがまた面白くないようで、余計に怒られたこともありました。

他人に技術を教える時に暴力と共に教えることは普通の業界でした、それが外食産業の実態でしたが、それでもあきらめないでここまで来られたのは、職に就いたからだと思います。

仮に、自分の考え方が、入社をしていたのなら、こんな理不尽な扱いをされたら先輩を殴って退職していたと思います。
若いころはそれなりに血気盛んだったので、我慢を出来ずに飛び出したと思います。

でも、職を極めようと考えていたので、理不尽な扱いを経験することで、何れこの事も何かの役に立つ時が来るだろうと思っていました。

その結果、教える仕組みを創ることをしなければならないと気付き、使命感も沸くこととなりました。

昨日も、ビジネスパートナーと教える仕組み創りの打ち合わせを行ってきましたが、来年から起業塾を開講しようと今準備を進めています。

詳細が詰まってきましたら、何れかの時期にお伝えしようを思います。

起業前に学習する機会を提供し、短期的に成功することが目的ではなく、失敗せずに長くビジネスが継続出来ることと、起業後の事業展開を視野に入れたビジネスモデルの構築の方法などを学んでいただく考えです。

成功を謳っているとことは沢山ありますが、失敗要因をきちんと学んでいないと、失敗を回避する方法を知らないので、継続的な成功は出来ません。

一瞬成功を勝ち取ることがあるかもしれませんが、継続こそが大事なことで、一瞬流行ってはすぐに消えてく業態は沢山あります。

そんな喰いつきの良い業態ではなく、長い時間お客様に指示される業態こそが、お客様と共にWIN=WINの関係を構築できる業態こそが必要なことと思います。


また、企業向けに教え方を教える塾も開講しようと考えています。
教え方を教えないと、事業の成長は見込めなくなってきているように感じます。

1年ぶりの井田さんとの楽しく、美味しく、有意義な時間を過ごしたことで、大きな気付きを頂けたそんな会食でした。

外食には、そんな一面もあるのだなと感じ入った次第です。

外食産業の成長は私の夢です。


目指すは40兆円!

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