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屋号のこと、ネーミングのこと

「イエロー・マジック・オーケストラ」という名前が先にあった、というエピソードが好きだ。

結成されたグループに命名されたのではなく、命名が先でメンバー集めが後。一見、不自然な順序のようでいて、実は自然な成り行きのように感じる。細野晴臣さんはもともとバンドの名前を考えるのが好きだったらしい。名前というものが、対象を牽引する力を持っていることを、象徴するような話だなあと思う。

コピーライターの仕事のひとつにネーミングがある。商品、ブランド、企業などの名前をつける。いや、最終的に「つける」のはクライアント自身で、そのための案をつくるのがコピーライター、というほうが正確かもしれない。それは、事業の最終決定権はクライアントにあるからというだけではなくて、名前をつけるという行為には特別な意味が宿っているように感じるからだ。責任回避をするつもりはないけれど、おれが「つける」なんておこがましい。

たとえば本名は人にばれてはいけないとか、ばれると呪われるだとか、名前に関する伝統や物語を眺めていると、やっぱそうだよなと思う。名前は弱粘着の識別ラベルではなく、存在にべったりと貼りつき、じっとりと癒着する。

コピー全般そうだけど、ネーミングにも「正解」はない。受け入れてほしい人々の属性を想定しつつ、そういった人々に親しまれたいのか、憧れられたいのか、などといった目的や方向性を設定し、そこから逆算して設計するということを、するにはする。何者であるかが一目でわかる名前がよい場合もあるし、わかりにくい名前が適している場合もある。読みやすさ、書きやすさ、他と似ていないことといった機能面の検証も大切だ。

ただ、なんといっても大切なのは、当事者のしっくり感ではないかと思っている。「当事者が愛着を抱くことができる」もひとつの機能と呼べるかもしれないけれど、そこまでドライなものでもない。自分たちの商品、あるいは自分たち自身の名前。長く付き合っていくなかで、名前は、さながら「そのもの」のようになっていく。ただし、しっくりくるまでには時間がかかったりもするので、そのへんの判断はなかなか難しく、故に最後は「えいや」と決めることになる。

ありがたいことにネーミングをご依頼いただくことはしばしばあり、今では実績もいくつかあるのだけれど(「諸事情」「uminoba」「DURCH」など)、実をいえばかつてはネーミングに苦手意識があった。案出しに参加したもののうまく採用に至らなかったことが何度か続いたのだ。

ネーミング案が採用されるようになったのは、息子の名前(ネット非公開)をつけてからだ。

文字数、音の響き、おぼえやすいかどうか、読みも書きも間違えられにくいかどうか(漢字・ひらがな・カタカナ・ローマ字)。友人・知人・有名人との類似チェックなどなど。もっぱら機能面の検証に時間を費やし、よく語られる「込める意味」についての検討は、あまりしなかった。ネガティブな意味にならなければいいなというケアをしていた程度。

長い時間をかけて真剣に考案したこと、それに伴う技術的な向上もあるのかもしれないが、ひょっとすると名前を「つける」経験をしたことが生きているのかもしれないな、と思っている。なんとなくだけど。怖さと誇らしさの入り交じった、得も言われぬ気持ちを今もありありと思い出す。

さて、そんなようなことを考えながら、スコピーという屋号をつけた。案を考え、屋号がそもそも必要かどうかまで含めて検討し、当事者として「つけた」。

独立して2ヶ月。スコピーと名乗る機会も呼ばれる機会もまだ多くはない。まあまあ慣れてきたかなと思っていたのだけど、このまえ酔っ払ったときに、ふと不思議な感覚にとらわれた。まだ馴染みきってないってことなんだろう。時間をかけて馴染ませていこう。スコピーです。

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