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我思ふ Pt.78

先日「幸せとは」という投稿をしました。
どうでもいいやという思いと、やっぱりもう少し掘り下げて自分なりのちゃんとした答えが欲しいなどと聖人っぽい思いもあったりして(笑) 我が幸せの象徴、「さつま白波」を飲み耽りながらもう一度考えてみました。
あたすが今まで愚痴っぽくほざいてきた事を簡単にまとめると…↓

人間など脳内麻薬に支配された単細胞生物にすぎぬ

幸せと感じる事すらそれの延長線だ

人から認められる幸せ?出世?名誉?
認められらなくても糖分やらアルコールやら煙草やら簡単に多幸感を得られるもよなんざ世の中にはいくらでもあるだろう

恋愛?愛?
そんなもん繁殖する為の余興にすぎぬ
金?財産?
そりゃあった方がいいに決まってる

それが無きゃ他のもので補うだけの事

そんだけの事を死ぬまで繰り返していく人間のどこが知的生命体なんだ?

生物を殺し、食い、排泄して、交尾して、繁殖して、次の優秀な遺伝子が生まれてくるまでひたすらそれを繰り返す

優秀な遺伝子がその代で生まれなきゃ次へ託す

何も無きゃ進化の礎としてその身を挺すだけ

だから自分の価値が無いとか思わぬ事だ

進化の礎、それは立派な価値だ

子を生まずとも、あなた自身が進化の礎でありそれを支えた事に変わりはない

だから生きよ

価値が無いと思っているあなたの消費行動に経済は回り、あなたの糞尿に虫がたかり、命が宿る

全ての生命と行動に意味がある

全員主役の世界など無い
脇役、端役にだって「役」だ

だから生きよ

快楽を貪るのもあなたの価値そのものだ

悪い事ではない

・・・

何か前向きなんだか後ろ向きなんだかわからんな(笑)
そんな事を言ってるお前は幸せなんか?と聞かれたらあたしゃ胸張って言うさ。
「わかんねぇ」とね(笑)

幸せというものに定義づける事は不可能であり、その尺度を設定することも不可能だ。
そして自分が幸せというものに定義づけた事を変更し、考える事は今まで自分が追い求めてきた事を否定する事にもなってしまう。
これは勇気がいる事だし、苦痛が伴うものだと思う。
だから身近な依存できるものに心身共に依存してその空間を埋めようとするのだと思う。
依存できるものというのがこれまたクセモノで、人間は色んなものに依存する。
依存してしまう、できてしまう。

酒、煙草、糖分、スマホ、カフェイン、ギャンブル、買い物、恋愛、セックス…だけじゃない。
ランニングやら信仰やら挙げればきりがない。
ドラッグ…窃盗とかの犯罪までまぁよく依存するよね。

それが本人にとって幸せだというなら幸せなんだろうけど犯罪の類いまでいってしまうとこれまたどうなの…と。

何か色々考えて突き詰めていくと結局人間が言う「幸せ」ってヤツは「依存」なのかもしれんな。
そして「依存」を作り上げるのが「幸せ」なんだろうな。
そこでふと思い出す。
進撃の巨人
ケニー・アッカーマンの死に際の名台詞。

「俺が...見てきた奴ら...みんなそうだった...。酒だったり...女だったり...神様だったりもする。一族...王様...夢...子供...力...みんな何かに酔っ払ってねぇとやってらんなかったんだな...。」

これだよな。結局。
幸せという抽象的なものに無理矢理定義づけを行なうとするならこういう事よな。

これを物語という手段を使って悟り、ケニーというクセがすごいキャラクターを使って伝える諫山創という男、やはり天才としか言いようがねぇな。

何かに酔う≒依存

依存≒幸せ

幸せ≒依存

法に触れるものや身を破滅に導くものへ依存しない心身に産み、育ててくれた両親には感謝しなくてはならないな。

もっともっと簡単に多幸感を得られるものの模索こそ人が幸せに生きる為の行動なんだろう。

あぁだから「小さな幸せに…」とかの言葉が存在するわけか。

なるほどね。
古の方々はよく考えていらっしゃる。
そりゃあたすみてぇな酒クズじゃ到底考えつかねぇわ(笑)
ここまで考えないと理解できないあたしゃやはりただの酒クズ(笑)

なるほど、よくわかりました。

薩摩酒造さん、頼むから白波の値上げは止めておくんなせぇ(笑)
あたすから幸せを奪わねぇでおくんなせぇ。

さてと仕事すっかな(笑)

2022年7月4日

我思ふ






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