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be water

感覚的なことを明確に言語化することは難しい。
言語化できなくもない気がするので、言葉にしようとするが、
適当な言葉は見つからず、ありきたりで当たり前でありふれたものになる。
それを承知で言葉にする。

巧みな技術を目の当たりにすると感動する。
作品、知識、言い回し、料理などでも構わない。
わりと何にでも当てはまるだろうし、人によって感動した部分は異なるだろう。注目する部分などももちろん違う。
今回は、演奏技術について着目する。
巧みな演奏技術には、いろんな種類がある。
恐ろしいほど早く弾く技術や、手や指が何本もあるように感じる演奏、
胸を打つサウンド、高速演算のようなアドリブ構造、歌い回しとかいろいろあるだろう。

派手さやわかりやすさではなく、かといって地味というわけでもなく、
ただ淡々と演奏者が鍛錬したことによって細部に宿った何か。
取りこぼすどころか、あまりにも普通に存在しているので、あえて注目しないと気づかないほどの普通さ。
例えば、ダイナミクスのコントロールひとつひとつから、日々の鍛錬により成ったことが伝わってくることがある。
細かさへの気配り、それが巧みな演奏 = 技術へとつながっている。
細やかな普通さは、ひとつひとつを拾い上げてよく覗いてみると、宇宙のような広大さを感じることも出来る。
細部に宿る異常さが続くことで普通となるような、非日常が日常になって気づかないような、普通ではない普通さを巧みな演奏者は持っていると思う。

それを得るには鍛錬するのみなので、巧みなのは当たり前であるから、すごい技術を発揮するのは自然であり、わかりやすいパフォーマンスは誰が見ても気付くことが出来る。
しかし細部にフォーカスした、精錬された普通の美しさがある。

それを自分も行えるように、より気づけるようになるために、日々鍛錬することはとても楽しい。
それを違った形で行なっている人を見るのも楽しい。
それが無意識な状態で存在しているとより良いもののように見え、とても美しく見える。
そういうものには感染力がある。

わかりやすいイメージは、剣士が何気なく木刀を振った所作から、鍛錬の日々や精錬された美しさを感じ、感動して自分もつい振っちゃう感じだろうか。

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