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【Gingo biloba】俺は樋口円香の事を理解できなかった【コミュ感想】

樋口円香に感情を破壊された。


※この記事は限定pSSR【ギンコ・ビローバ】樋口円香のコミュネタバレを含みます。未読の方はブラウザバックしてシャニマスを起動し、天井するまでガチャを回してきてください。

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↑私がプロデューサーの感情を破壊しました


発端

2020年10月21日実装、限定pSSR【ギンコ・ビローバー】樋口円香を何とか手に入れる事に成功した筆者は、「これで樋口円香に対する理解を深める事ができる!」と大喜びしながらTrueコミュを解放し、鑑賞を始めたのだった


True冒頭、銀杏の立ち並ぶ道を二人が歩いている。

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商店街で貰った大量のお土産を社用車まで運ぶシャニPに対する円香。
誰に対しても誠実で、失敗してもへこたれず、常に前向きなシャニPの事を「常に自分の事をいい人、すごい人に見せている」と評します。

一見誉め言葉のようにも見えるが、恐らくこれは円香にとって最大限の
皮肉
である、という風に感じました。

「誰に対しても八方美人に振る舞って、本当の自分を偽って」
「自分はアイドルになんか成れない、なんて言っておきながら」
「やってる事は私達アイドルと変わらないじゃないか__」

かなり強引な解釈ではありますが、少なからずこういった意図も多少は含まれているのではないか?と思います。



そんな円香の発言に対するシャニPの返答

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「身の丈に合わないところまで精一杯プロデューサーでありたい」
この台詞にシャニPという人間の全てが詰まっているように感じました。

「スーツを脱いだらそんなにできた人間じゃない」と自嘲するように、自己評価が恐ろしく低い彼は、彼に言わせてみれば前向きに頑張る事でプロデューサーという肩書に相応しい人物として周りと接しようとしているのです。


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それに対する円香の反応がこれです。

 シャニPとしては「自分は円香が思っている程大した人間ではないよ」という意図を伝えたかったのでしょう。自己評価の低い彼らしい、ある意味社会人の模範解答と言えます。

しかし、円香はそんな彼の言葉に対し「スーツを着ている時はできた人間だと自負しているんですね」とやや辛辣な評価を下します。

(いちいち揚げ足取らないと会話ができないんですかこの小娘は?)


という感想は一旦置いておいて、ここで円香が感じた気持ちの正体についてですが、おそらく謙遜に対する劣等感なのではないかと思います。

例えばこんな経験はないでしょうか。自分よりも勉強ができる、仕事ができる、絵が上手い、など、"自分と同じ事をしていて自分よりその能力が優れている人"に対し、「上手いですね」「凄いですね」と褒めた時に「そんな事全然ないです」「自分なんてまだまだです」といった謙遜をされた事が。

そんな時、どう感じましたか。

前向きな人間ならば、「こんなに能力があるのに傲慢にならないで凄い、自分も見習わなければ」と思うかもしれません。

しかし、少なくない人がこのようにも思う筈です。
貴方のレベルでまだまだなら、貴方より劣っている私はなんなんだ」と
まるで自分を否定されたかのような感情に陥ってしまうでしょう。


常にクールで低燃費で皮肉屋な樋口円香は一見シャニPとは正反対なタイプの人間に見えますが、本質的にはシャニPと同じ、周りの人間に優しくする為に自分を追い込んで、無理をしてしまうタイプの人間であると言う事です。(当カードの別コミュでの他社アイドルに対する対応からもその傾向が伺える)

しかし、円香とシャニPの優しさは決定的に違います。
シャニPの優しさは本心からくるものですが、円香の優しさは偽善から来るものです。




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 「私のような醜い人間はあなたのように愚直で誠実な人間にはなれない」





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「でも私はあなたみたいに生きる事はできない」









「それならばあなたが私みたいに」

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ぐちゃぐちゃに
引き裂かれてしまえばいいのに






閑話

モチーフになっているかはわかりませんが、今回のカードと同じタイトルのゲーテの詩『Ginkgo Biloba』を紹介して終わりたいと思います。

Ginkgo Biloba

Dieses Baums Blatt, der von Osten
Meinem Garten anvertraut,
Giebt geheimen Sinn zu kosten,
Wie’s den Wissenden erbaut,

Ist es Ein lebendig Wesen,
Das sich in sich selbst getrennt?
Sind es zwei, die sich erlesen,
Daß man sie als Eines kennt?

Solche Frage zu erwidern,
Fand ich wohl den rechten Sinn,
Fühlst du nicht an meinen Liedern,
Daß ich Eins und doppelt bin?

日本語訳(手塚富雄訳)


東洋からはるばると
わたしの庭にうつされたこのいちょうの葉は
賢い者のこころをよろこばせる
ふかい意味をもっているようです。

これはもともと一枚の葉が
二つに分かれたのでしょうか?
それとも二枚の葉がたがいに相手をみつけて
ひとつになったのでしょうか?

このようなことを思っているうちに
わたしはこの葉のほんとうの意味がわかったと思いました。
あなたはわたしの歌をきくたびにお感じになりませんか、
私が一枚でありながら
あなたと結ばれた二ひらの葉であることを?

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