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スーパーで楽しげにカートを押す3人家族を見ると胸が苦しくなる

私にとっての桃源郷、ある人にとっては、当たり前の日常生活なんだよな。

スーパーに行くと、そう感じる。


スーパーには、色んな人がいる。ちらと目を配るだけでも、結構面白いもんだ。手始めは、ホットケーキミックスを買いにきた私。お酒コーナーでうろうろしているおじさん。覚束ない足取りでカードを押すおばあちゃん。そして、楽しげにカートを押す、3人家族。

この「楽しげにカートを押す、3人家族」が、一番キツい。なぜなら、とても幸せそうで、とても楽しそうだから。

そして、それは、私が人生で最も手に入れたい種類の幸せだから。「私はそれを手に入れられない」ということを、改めて思い出してしまうから。

もちろん、「この3人家族は何の悩みもない幸せな一般人だ」なんて思ってないよ。彼らには彼らなりの悩みや苦しみやしんどさがある。もしかしたら、お父さんは辛い過去を持っているのかもしれない。お母さんは体が悪いのかもしれない。子どもは重い持病を持っているのかもしれない。いや、「ママ友が面倒なのよ」という悩みだとしたって、立派な悩みだ。悩みは比べるものじゃない。べらぼうに、彼らが平和ボケしていると決めつけることはできない。

だけど、私は性格が悪いから、つい僻んでしまう。「何だよ、幸せそうじゃん」と。

家族がいる。

楽しげに笑い合える家族がいる。

楽しげに笑い合えて、一緒にスーパーに来られる家族がいる。

それは、私にとっての、桃源郷だ。

そんな私にも、ちゃーんと、家族がいる。4人家族。そこそこ裕福な都内暮らし。私が末っ子。アルバムに写真が残っている。昔は一緒に笑い合ってスーパーに行ったことだってあった。母親に叱られるのは怖かったけど、楽しい瞬間だってあった。家族で旅行に行ったことだってある。

でも、もう出来ない。もう取り戻せない。私がおかしくなったから。私が発達障害で、挙げ句の果てに「声が聴こえる」とか言ってトイレから出られなくなって精神科に入院したし、犯罪スレスレのだらしのない女だったから。家族はもう、誰も、私を家の次女としては見ていない。これからもずっと。

楽しげにカートを押す3人家族を見ると、胸が苦しい。しんどい。キツい。私は、どうしたらこの家族みたいに笑えたんだろう?いや、笑えていたはずなのに、どうして笑えなくなってしまったんだろう。右手に握りしめたホットケーキミックスがやけに安っぽく思える。ホットケーキを作ろうとウキウキしていた自分が、すごくバカみたいだ。この感情に当てはまる熟語は、何だろう…今のところ「羨望」ってところだけど、もっともっと酸っぱくて吐きそうな。

犯した罪は重い。私は犯罪を犯したわけではないけど(それがせめてもの救い)、罪というのは、犯罪に限らない。私は自分のしたことを罪だと思っている。娘が、発達障害で、かと思えば精神科に入院して、退院したらセックス溺れなんて、家族はさぞ嫌だったろう。実際面と向かって「申し訳ないけど娘とは思えない」とも言われた。その声の調子を、私は今でも正確に記譜することが出来る。脳に刻まれている。私は、娘としても、女としても、人間としても、欠陥品。クズ。ポンコツ。そう刻まれている。

安定して働いているところを見せる。少しずつでもお金を返す。年に数回だけ会い、安心してもらう。それが、せめてもの親不孝への償いだ。だって、両親には安心した状態で死んでほしい。娘が今もこんなに苦しんでいるって知ったまま死ぬなんて、きっと辛いと思うから。両親の死を願っているわけでは決してない。でも、「両親に安心した状態で死んでほしい」という私の願望はびくともしない頑丈さを有している。もし叶えられなかったら、文字通り生きていけない。叶えられないくらいだったら、文字通り死ぬ。死ななきゃいけなくなる。だから、私、両親が死んだらホッとすると思う。最低だよね。さすが欠陥品、クズ、ポンコツ。頭の中まで最低だよ。

これも買っとくか。ヨーグルトをカートに載せた。私はこんなに汚いことを考えているのに、このスーパーにいる周りの人は、私がイジイジとこんなことを考えているって、気付いていない。そう思うとなんだか不思議だ。そうか、もしかしたら、こんなありふれたスーパーの中で、皆も意外と色々なことを考えているのかもしれない。皆それぞれ何かを抱えて、それでも生きているのかな。若い夫婦がなんだか騒々しく世間話をしながら真横を通り過ぎていく。

帰ったら、すぐにでもホットケーキを焼こう。胸は苦しいけど、しんどいけど、キツいけど、きっとその美味しさを、私は感じることができるはずだ。


自分の文章にお金を出してもらうなんて夢のよう!死ぬまでに1回来たらミラクルだね!頂いたら文章読本を買って読んでもっと良い文章を書きます、そして何か可愛いものを食べます