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なぜ僕は教養がないのか考えてみた

 日夜、教養を身につけるべく何かしらの書物を開いている読書アウトプッターですが、今夜はなぜ僕は無教養なのか考えてみました。

■教養オソワリマシタカ?


 まず、真っ先に思い浮かぶのは「教養なんて教わってなくないですか?」って話です。皆さんは小中高で習いましたか?大学なら教養学部と言うのでしょうか、そういったところで学べるのかもしれませんが、僕のようなほぼ高卒、しかも授業中ほとんど寝ていたような人間には教養を学ぶ機会があったようには思いません(威張って言うことじゃない)

 教養のある人からすると「教養は人に習うものじゃない」とおっしゃるかもしれませんが、最近僕が読んだ数冊の本には「教養は身につけた方がいい」と先人の方々はおっしゃっています。もし、教養は身につけた方が良いものならば教えないのはおかしいじゃありませんか。

 もしかしたら、義務教育や高校などで学ぶ教科をしっかり学んでいたら、教養は自然と身につくのかもしれませんが、これまでに学んだ教養を考えると、どうもそうではないように思います。では、教養とはいったい何なんだ!?と疑問の方は僕の【庶民が考える教養】シリーズをご覧ください。

https://note.com/su_shun_iec/m/m21f6c8309bf7


 失礼しました。さて、いわゆる教養人の方は「教養」習得を推薦しているのに、教育課程にないということは優先順位が低いということなんでしょうか。それとも、国民に教養を身につけられたら困る方々でもいらっしゃるんでしょうか?後者だったらちょっと怖いですねぇ。

■無教養がもたらすもの

 
 数学者でお茶の水女子大の名誉教授、藤原正彦氏は「教養なき国民による民主主義ほど恐いものはない」とおっしゃっていますが、それはナチスのヒトラーを例に挙げてのことです。ヒトラーは正当な選挙でドイツ国民に選ばれたのです。ただし、教養市民層を追放した後にですが。これは妄想みたいな話に聞こえるかもしれませんが、ポピュリズムが日本を含め世界で巻き起こっていることを考えると、決して放っておけない事態だと思います。あ、ポピュリズムについては改めて別の記事でお話しさせていただきますね。

 すみません、驚かせるつもりはないのですが大切なことなので、今後何かとこの話は教養が必要な理由の一つとして挙げさせていただきたいと思います。それと、こないだ読んだ出口治明氏の著書『本物の教養』では、戦後の経済成長期において頭を使わない(教養がない)人々の方が企業や官僚は扱いやすい旨のことが書いてありました。

 なるほど、僕に教養が備わっていなかったのは大きな力が働いていたからのようです(自分の怠惰を棚に上げるなんて)

■教養必要なかった?

 
 それともう一つの理由は、これまで生きてきた中で教養というものを必要とする場面がなかったから、ということも言えると思います。たしかに、好きな仲間と遊んだり、平社員として働いている分には同じような日々の繰り返しで、教養を必要とするどころか意識したことすらありませんでした。

 それほど今の世の中の仕組みは教養がなくても生きていけるということなんでしょうか。よくできた仕組みであると思う一方で、先ほどの懸念が頭をかすめます。

■最後に

 
 今回の話は決して政府は陰謀を持っているなどといった主張でないことご承知おきください(笑)

 それとここまで来て思い出したのは「道徳」の時間あったと思いますが、よく考えたらあれは教養っぽい授業でしたね!受験科目にないから完全軽視というかスルーしてましたが、大事な教科に限ってそんなもんです。教育の専門家なら色々な事情をご存知なのでしょうけど、いかんせん僕は無教養。ここまで好き勝手書いたこと、所詮無教養人が書いたこととお許しください。

 たまには好き放題書くのも良いですね。お付き合いくださりありがとうございました。今度はもっと楽しい感じで教養について書けたらいいなぁと思います。

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ポピュリズムについての記事追加しました。気になった方はぜひご覧ください💁‍♂️


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