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インタビュー調査におけるインタビュアーの役割~「発言促進」③=「傾聴態度」

師匠の梅澤先生はこの「傾聴態度」というものを非常に重視されていました。例えば、インタビュアーのトレーニング方法の一つとして、インタビュアーの真ん前にビデオカメラを設置しインタビューのトレーニングセッション中の表情や身振り手振りを記録するといったことがありました。後から記録映像を詳細に検討しながら批評されるので弟子にとっては大変に厳しいものでした。しかし、それくらいのトレーニングを行わないと、自らの表情や動作は容易には意識化されないのです。それはあたかも俳優が映画やドラマのカメリハ映像を詳細に検討しながら演技を修正していくといったことに似ています。

前回も述べましたが、インタビュアーというのはこのように演技者としての側面を持っているのです。

「傾聴態度」が重要なのは、それがノンバーバルに対象者の発言意欲を高めるからです。そもそも話を聴いているのかどうかもわからない仏頂面よりも、生き生きとした表情である方が、相手が興味を持って聴いていることがわかるわけですから、これは当然のことです。見ず知らずの相手へ慣れない「調査」という場面で、対象者は何を話せば良いのかの不安を抱えています。それが、自分の話していることに興味関心を持ってくれている様子がわかれば、求められているのはこういう話で良いのだとと理解でき、リラックスできるとともに発言の調子がつくわけです。

「傾聴態度」と言うと、「行儀よく聴いている態度」というイメージがあるのですが、インタビューの場でインタビュアーによって対象者に示されるべき傾聴態度とは

①「興味・関心」
聴きたがっている様子、話してくれることを喜んでいる様子、驚いている様子、疑問を感じている様子・・・など。

②「受容」
話している内容を受け入れてくれる様子、笑顔、うなずき・・・など。具体的には③とも関係してくるのですが「なるほどそういう考え方もありますね」ということです。インタビューする側が知らないこと、わかっていないことを話してもらおうとしているわけですから、当然、調べる側の論理とは違う論理にこそ価値があるわけですが、それを身を以て示すということでもあります。というわけで「なるほど!」という言葉やボディランゲージはインタビュー中、相槌として多用されることになります。

③「話すという行動への共感」と「興味の方向性への共感」
これは表現と理解が難しいことなのですが、前者は「話す内容への共感」ではなく、その現場で「個人的経験や考えを見知らぬ人の前で話してくれることへの共感」です。その勇気や話しづらさへの共感であり「思い切ってくれましたね」とか「そうでしょう話しづらいでしょう」とかといった共感の示し方です。②に関連しては、「なるほど!」というのは人とは違った固有の考え方や暮らし振りに対しての驚きや受容と共に、それを話してくれていることへの共感を示していることになります。また後者については、それをさらに知りたい、聴きたい、話して欲しいというという意味での共感です。聴き手と話しての間には知識や経験の差があるということを示した上で、より経験のある話し手に対して、聴き手は話し手の興味関心の方向性について同じように興味関心を示して、それをもっと知りたい、教えて欲しいという共感の示し方をするわけです。それも「なるほど!」や、他には「そうなんですか?」という言葉がその役割を果たすわけです。

③と関連しますが勘違いされがちなのは、示されるのが「話している内容への共感」であってはならないということです。例えば「そうですよね」とか「わかります」といった共感の示し方は望ましくないということです。なぜならば、そのような態度を示したことによって、対象者はインタビュアーがそれを理解しているものと認識し、それ以上の発言意欲を持たないようになることがあるからです。相手がわかっていると言っていることをそれ以上話すことほどむなしいことはないと考えるべきなのです。逆に心の中ではわかっているつもりでも、表面では首を傾げたりして「どういうことなんですか?」という態度を示される方が発言意欲が上がるわけです。それは暗黙の裡にその話の内容が相手の知らないこと、すなわち、相手にとって価値のあることだということになるからです。

つまり、マーケティングリサーチャーとしてのインタビュアーは対象者の発言内容については常に「中立」の立場であるべきで、その判断をする立場ではないということです。ただ、その話を理解しようと傾聴している立場であるべきだということです。故に上述の「なるほど!」という意味、「もっと教えて欲しい」という意味での共感であるべきなのであって「私もそうです」という意味での共感であってはならないということです。

「傾聴」の為には、虚心坦懐に、自分は相手の言うことがそもそも理解できないのだ、と謙虚な心持になることが必要です。わかった気になって聞いていては傾聴になりません。それは表面上の態度にも表れて「そうですよね」とか「わかります」という発言になってしまうわけです。これはむしろ「傾聴」どころか「傲慢」な態度であるとすら言えるわけです。

従って「傾聴態度」というのは「心技体」の「技」の領域でもあるのですが、むしろ「心」の領域の問題であると言った方がよいかもしれません。常に「本当に自分はこの人の話が分かっているのだろうか?」と自問自答しながら話を聴くことが「傾聴」です。

一方「技」の面から言うと、梅澤先生はいつも「口ぽかん、頭フル回転」ということをおっしゃっていました。これは、あけすけな言い方をすると「わかったつもりでもとりあえずは口をぽかんと開けてわからないフリをしていろ」ということです。それによって、対象者は発言の意欲が高められるわけです。そして頭をフル回転させながら「自分は本当にこの話が理解できているのだろうか?」ということを自省しているわけです。これは「脳梁マーケティング」のところでも触れましたが、対象者の口からでた言語情報をイメージ情報に一旦変換し、それをまた言語情報に戻すといった高度な精神作用を行いながら、自分は対象者の話が具体的かつ構造的に把握できているのか?という自問自答を行っているわけです。

例えば「テレワーク中には仕事をしながら音楽を聴いていることが多い」という発言があったとしても、そこでどんな音楽が流れているのか?ということまでは具体的にイメージできないわけです。こういった五感に関する情報は発言にはあらわれにくく潜在しがちなのですが、それがイメージできないとその時に音楽を聴いているニーズが推測できません。アップテンポな曲とスローな曲では仕事中にそれを聴くニーズが異なるはずです。しかし、話を聴き流しているとそれがわかったつもりでわかってはいないわけです。そういったセルフチェックを繰り返しながら、わからないことを明らかにするような「適宜確認」を行うわけです。

この「傾聴態度」に関係してですが、インタビュアーはインタビュー中にメモを取るべきなのか、取らないべきなのかという議論があります。私は基本的には「取らない」派なのですが、その理由は、メモを取っている間、インタビュアーは対象者から目を離すことになり、紙を見るということになるからです。これは、対象者の心理からすると、自分の話よりもメモを取るほうに関心が向いていると感じられるわけです。しかし、あまり自分から目を離すことなく、メモを取っているのだとすると、それは逆に自分の話がメモを取るほどの重要な話だという認識になります。私はそのような器用なことができないので「取らない」派であるわけです。これはインタビュアーの持ち味や個性でどちらが良いのかを判断すれば良いことです。

傾聴態度は垣根の維持にも関係があります。要は垣根内の話であることを傾聴態度の強調で示すことができるということです。



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