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インタビュー調査の科学的分析法追補~「解釈は分析者によって違う」に騙されてはいけない=「具体化→要素化→構造化→統合化」はインタビュー調査の解釈・分析に客観性・再現性を生む

インタビューの司会編に入ろうと思っているのですが、昨日チラッと目に入って読んだ記事が気になって、インタビューの分析についてもう一つ述べておきたいと思いました。これは言っておかなければならないという強烈な思いによるものです。ある意味ケンカを売っているといっても過言ではありません。

それは、その記事に述べられている内容が現在の定性調査を取り巻く諸問題の根源にある一般的な認識・考え方に基づくものだからです。

その記事ですが、一言で言うと「インタビュー結果の解釈、分析は人によって異なる」ということを主張されています。

しかし、これはマーケティングの現場では非常に困ることです。なぜならば、それでは調査現場にいた担当者と、それを報告される経営者の解釈も異なるということになるからです。すなわち、結局、調査現場の担当者の分析とは関係なく、経営者・マーケティング責任者がその自身の解釈によって判断を行うということになってしまう、ということに他ならないからです。

こうなりますと、経営者にとってはマーケティングリサーチとは不要なものになります。件の記事を書かれた方は、自分がおっしゃっていることは結局こういうことになるのだ、すなわち自己否定なのだ、ということを自覚されるべきだと思いますが、経営者の観点に思い至らず、担当者観点に留まっている間はこれが見えません。しかしそもそもマーケティングとはドラッガーの言うように「経営者」の専任事項なのです。

しかし一方で、その経営者の判断が正しいとも限らないわけです。そこでとられる解決策は、「有名なリサーチャーやインタビュアーの解釈に依存する」ということになります。しかし、「解釈は人によって異なる」ことが前提ではやはり個人に紐づいた不安定なものであることに変わりはありません。当該記事は「分析者はクリエイティブである必要がある」とも述べられています。その側面は必要ですが、しかし、分析自体は創作物ではなく、分析者が変わっても同様の結論が導かれる科学性=再現性がなければ役には立たないわけです。

つまり「分析者によって解釈が違う」ということを言い出すと、定性調査など主観の塊でしかなく、科学的であることによる再現性を目指すマーケティングという活動そのものと矛盾する存在でしかないということになります。

そして、現実はそのようなことが行われているものが大多数であるために、マーケティングリサーチ、定性調査への信頼性や満足度は極めて低いという事実は繰り返し述べてきました。

ではどうすれば良いのか?についてが本稿の趣旨です。

それはしかしすでに具体的な手順として

インタビュー調査の分析入門〜分析の手順以下の記事に述べている通りなのです。

その時に掲示した図を以下に再掲します。

さて、この手順を踏む「上位下位関係分析法」や「因果対立関係分析法」がなぜ「再現性」を生むのかということについて改めて説明したいと思います。

それはまず、「分析の論理と手順を可視化している」ことが基本です。これがアイマイでは人によって分析・解釈の結果が異なるのは当然です。特に論理がアイマイでは主観に陥ることは必定です。

次に必要なのは「具体化」が行われるということです。具体化が行われていないということは、対象者の話が抽象レベルで留まっているということです。つまり、その発言自体が多義的なものなのであって解釈が多様化するのは当然です。逆にそれが具体的であればあるほど、解釈は定まってくるわけです。

それを「要素化」して、必要最小限度の大きさに情報を切り分けるのですから、さらにその解釈の幅は限定され、「一義的」な解釈・表現に落とし込まれていきます。つまり、再現性の確度はより高まるわけです。しかし要素化を行うためには具体化ができていることが前提となります。でないと、抽象的な話は切り分けられないからです。

また、上から見て分類をしてしまう場合と比べると、下から切り分けていくことで、従来気がつかれなかった行動や意識が見出されることがあります。これは上から見ると「水」にしか過ぎないものが、成分を見ていくと、未知の物質が含まれていた、ということに該当します。すなわち、ここに調査をすることの根源的な価値である「発見」の芽が潜んでいるわけです。

※今ヒットしているSEKAI NO OWARIHabit”という曲があります。
その歌詞が定性調査の神髄を表現していてシビれます。

♫君たちったら何でもかんでも、分類 区別 ジャンル分けしたがる。♫
♫そんなHabit 捨てる度 見えてくる君の価値♫
♫自分で自分を分類するなよ 壊して見せろよ そのbad habit♫
♫悟ったふりして驕るなよ 君に君を分類する能力なんてない♫


自分に対して無いのですから、他人に対しておいてをや、なのです。
上から見るのが「分類」、下から切り分けるのが 「分析」です。
「分類」に発見はなく、「分析」のみが発見を生みます。
しかし世の定性調査の報告書というのは大半がBad habit発動で、既存の概念に発言をグループ分け、分類したものでしかありません。

切り分けられて要素化された情報の解釈は一義的なものに落とし込まれているわけですから、それを論理に基づいて構造化した結果も再現性を持ち得るわけです。それは純粋に「論理」なのですから、つまりは論理的に再現性が担保されるわけです。

これらの作業は「凡人は集団で天才になる」という考え方の下、集団で行うことが妥当性を高める秘訣です。特に解釈(インサイト)においてこれは重要なことです。下記の意識マトリクスで説明できますが、各人が持っている経験と知識を持ち寄ることで、対象者以上の意識領域を持つに至り、その結果、対象者自身が意識していないことが見えてくるようになるわけです。その解釈は分析者の観点で行うものではなく、対象者の心理の観点で行われるものでなくてはなりませんから、これは重要な要素です。また、分析者間の「間主観性」によっても、その解釈の妥当性や納得感が高まっていきます。それを一人の分析者によって論理も見える化されないままに分析されたのでは、分析者間で解釈が違ってくるのは当然ではないでしょうか。故に定性調査の分析を一人の分析者が行うなどという大それたことは考えるべきではありません※※

その意味でも「分析者によって解釈が異なる」ことは排除されなければなりません。分析者が誰であろうが「対象者の観点」で解釈が行われないと、対象者の生活は解き明かせないわけです。

※※しかし、経験豊かな本当に優れた分析者は論理を見える化しつつ、客観的で説得力、納得力のある分析を行うことができます。それは、分析者としての長年の経験から「メタ認知能力」が高められており、下図の分析者Aと分析者Bの役割を自分の人格を「分裂」させて心の中で演じることができるようになっているからです。いわば「多重人格」を意図して使えるということです。これは、油谷先生の名著「マーケティング・サイコロジィ」の中で「主体の分裂」として紹介されている極めて高度な精神作用に他なりません。それはトレーニングが積まれないと、ただ知識や経験が多いだけでは実行できないのです。また、上記の手順は守られないと、客観性や再現性というのはでてこないわけです。

尚、この集団作業には詳細は今回は省きますが我々一門は「結論を妥当にするための話し合いのルール」というものを使います。これによって、「妥協的結論」を排除するのです。

※1~3の梅澤先生オリジナルに私が一つのルールを追加したものです。

分析者にクリエイティビティが要求されるとしたら「統合化」の部分です。要は、インタビューの結果得られた調査課題に対しての解釈=インサイトに対していわば「名前を付ける」作業です。一言で理解ができるセンスのよい名前がベターです。しかし、泥臭いものであったとしても、要は分析結果が簡単に共有されれば目的は達成されるわけです。より重要なのはその前工程が「論理的」であるかどうかです。その為に、このようなシステム・手順で分析を行うのだということです。マーケティングは科学ですからできるだけ「センス」や「感性」とやらに依存するべきではないのです。

さて、この分析の基礎は「具体化」にあるということになりますが、アクティブリスニングインタビューがこの「具体化」において圧倒的な威力を発揮することはここまでで述べてきた通りです。つまり、このような科学的分析ができないと思うのも、実際にできてこなかったのも、解釈は人によって異なると思ってしまうのも、実は、そもそもが、インタビューがアスキングで行われていることに起因しています。アスキングではS/C領域の「聞かれたから答えている」ことが多くなることでタテマエや抽象論が多くなりますから具体化ができません。さらに、抽象的な言葉を聞いたインタビュアーやリサーチャーが「わかった気になる」ために、さらに具体化はされにくくなるのです。それが、分析の段階で露呈することになります。しかし、気づけばまだ良い方で、何の問題意識もなく、抽象的な表現に対して勝手な解釈をしてしまうことが多いわけです。ここが解釈が分かれる原点です。また、アスキングでは調査する側のロジックで質問が構成されるので、生活者の論理が見失われます。すなわち構造化もできないということになります。つまり、統合化の足元がおぼつかないわけです。それが有名人によって「〇〇世代」とか「××男子」などと、なにやらキャッチーでカッコいい名前がつけられると「ハロー効果」でなんとなくわかったような気にはなるわけですが、地に足がついていないわけです。

さて、これをお読みになっていかがでしょうか?
異論があれば、どこからでもかかってきなさい!(笑)





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