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インタビュー調査におけるインタビュアーの役割~「適宜確認」①~基本


「適宜確認」とは、第一に自発的な発話の中では曖昧なままに終わっている部分を具体化したり構造化したりするために行われます。「適宜」ですから必要と判断される場合にのみ行います。自発的な発話がされ、「光景が思い浮かぶ」ような内容であるのならば特に必要はありません。

前回も同様のことを述べましたが、ゆったりとしたリズムだと対象者は相手にわかるように話そうとしますし、リズムが速いと自然と内容を端折り抽象的な物言いになりがちになります。だからまずはゆったりとしたリズムを心掛けていると適宜確認の必要性は下がるわけです。また、その中でオウム返しなどによる発言促進を行っていれば、自然に具体的かつ構造的な発話になっていくわけです。しかし、相手も人間ですから、すべてのナラティブを構造的かつ具体的に発話することなどありえないわけです。

より高度な技術であるオウム返しを発言促進との関係で先にご紹介しましたが、適宜確認の主要な手段は「自発的発言を受けての質問」です。

「質問」ですからこの部分だけを切り取るとアスキングと同じように見えます。しかし、アスキングインタビューにおける質問とアクティブリスニングにおける質問では本質的な違いがあります。それは、アスキングの場合にはインタビューが質問から始まるのに対して、アクティブリスニングの場合には傾聴している自発的発言を受けての質問であるということです。

この両者の違いは、意識マトリクスにおけるS/C領域を含む元々の/C領域における質問なのか、対象者の自発的発言によって元々C/S領域だった部分へC/C領域が拡大した部分における質問なのかの違いです。インタビューの中での時間経過の中での対象者の自発的発言によって、それまで調査主体側には知られていなかったC/S領域がC/C領域化していきます。そうすると、その中での不明な点については質問ができるようになるわけです。


この論理により、アクティブリスニングと言えどもインタビューの時間的経過につれて後半は質問が多くなるのは必然です。

適宜確認とは基本的にそのあいまいさが感じられた時に行えばよいのですが、しかし、それが発言中の文脈を断ち切ることになってはいけません。それでオウム返しを使うわけですが、間が取れない場合には発言が一段落した時点で質問を行うようにします。しかし一段落するまでの間にそのあいまいさが自発的に解消されることはしばしばです。対象者の発言を「受容する」とはそのあいまいさも含めて受容することなのです。その上で最後まであいまいなまま残されていることを確認すれば良いわけです。従ってやはり適宜確認のための質問はインタビュー後半に多くなるわけです。

その時に気をつけなければならないのはS/C領域についうっかりと踏み込んでしまうことです。例えば構造化したいからと、ついつい話されなかった行動の理由を質問してもそれが意識されていない場合や、具体化したいからと、使われた抽象的な形容詞をついつい言葉で説明させようとしてもそれが表現できないような場合が挙げられます。

このような事態を防ぐ為にインタビュアーは可能な限り質問形ではなく、その時の対象者の経験を話してもらうようにするのが良いでしょう。例えば行動のビフォーアフターの変化は意識されていなくてもその行動の理由や目的を示唆します。抽象的な形容詞、例えば「カッコいい」で表現されている具体的内容は、そのカッコいいと感じた状況やカッコいいと感じるに至った経緯でわかるわけです。具体的には、「それをカッコいいと感じたときのことを覚えていれば聞かせてもらえますか?」とか「それがカッコいいと感じるようになったときの事を覚えていれば聞かせてもらえますか?」といった感じになります。

つまりは、大きなナラティブの中では曖昧なことであったとしても、小さなナラティブに分解して適宜確認すれば具体化・構造化されやすいわけです。

下図は私がオリジナルで開発した「ナラティブ曼荼羅」というツールなのですが、それで「キムタクはカッコいい」という発言をナラティブ化して適宜確認する概念を表現したものです。これによってその「キムタクのカッコよさ」が具体化・構造化されるわけです。


※「ナラティブ曼荼羅」については先々いずれご説明したいと思います。

しかしこのような適宜確認はインタビュー中にインタビュアーが臨機応変かつ迅速にその適宜確認の為の話題を提示するということでもありますので相当に、瞬発力もしくは敏捷性ともいうべきスキルが必要です。

従ってやはり質問が多くなるわけなのですが、その場合は「真綿で首を絞める」ように、「大きな質問」即ちYes-Noなどの選択肢を提示しない質問から、選択肢のある「小さな質問」への流れで確認をしていくのが基本です。例えば、

インタビュアー「今おっしゃった『カッコいい』というのはどういうことなのでしょうか?」
対象者「そうですね。スジが通っているというか、大義名分があるというか…」
インタビュアー「誰かに例えるとどうなりますかね?」
対象者「うーん、負け戦でも最後まで幕軍で戦った土方歳三みたいな感じですかね」
インタビュアー「信念を貫いているということですか?」
対象者「そうですね、ちょっと違うかな。個人的な信念はどうあれ、それよりも義理を重んじている感じですかね。」

といった感じになります。

第二の適宜確認のパターンは「確認・検証が必要なことが自発的に話されなかった」時に行われるものです。この場合も基本的には同じです。話が一通り終わり、話すことが尽きているようなタイミングで「○○についての話が出ていないように思うのですがいかがですか?話されることはなかったでしょうか?」という確認の仕方が良いと思います。これによって話すことが無くて話されなかったのか、話すことはあったのに何らかの理由で話されなかったのかを明らかにすることができます。また、直接的に「○○はどうですか?」と質問した場合に陥りがちなS/C領域への侵入を防ぐことができます。

意図せず偶然、アスペルガー症候群だと言うオタクの方のインタビューを行ったことがあります。

この時に、この人が「コミケのようなイベントに行くと一体感を感じます」と発言したことに対しインタビュアーがついつい「その一体感ってどんな一体感なのか詳しく教えてください」と適宜確認をしたところ、やや憮然とされながら「それが説明できたら心理学者ですよ」と返されたことがありました。

空気を読まないアスペルガー症候群であるが故の返答なのですが、これが実は真実です。身にまとった社会的なエゴによって空気をついつい読む「普通の」人はこのような質問に対してもそれらしいことを「粗雑な合理化」によって答えてしまうのです。社会性よりも自己が勝つアスペルガー症候群の人相手だからこそ、この真実が露呈した貴重な体験でした。この時は大変勉強させてもらった気分になりました。

この事態を受け、私はインタビュアーに「その一体感を感じている時の体験、状況を詳しく話してもらうように」と指示を出しました。するとその一体感が推測できるナラティブを話してくれました。この両者の違いは、前者が無意識のうちに言葉を他の言葉、即ち概念に置き換えて説明させようとしているのに対し、後者は意図的に言葉を体験、即ち現実に置き換えさせようとしている点にあります。

下図のように、対象者の発話により、インタビュアーの意識は元のC/S領域へ広がっているのですが、前者は対象者が意識できていないS領域に踏み込んだ質問をしてしまっており、後者は意識されているC領域にとどまって、その体験を傾聴しようとしているというのがその本質的な違いです。

この例から得られた教訓は、適宜確認と言えども質問形を使うときにはS領域に踏み込むリスクが常にあることを自覚せよということです。





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