はじめからあいてないということは、必要ないということ
18歳のとき、左耳にピアスの穴をあけた。
1,000円くらいで売ってるピアッサーという器具をつかって、ひとつだけ。
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↑こういうの。
そもそもピアスというのは自己承認欲求からあけるのかもしれない。
こんな小さな変化でさえ、誰かに気づいてほしい。
そんな気持ちが痛みと恐怖を上回った時に今まではなかった穴をひとつあけるという行為を取らせるのかもしれない。
そもそも私はピアスやタトゥーといった自傷をともなう自己表現については基本的に肯定派で、仮に自分の娘がすると言っても否定はしない。
それが自分の表現だと思えばするべきだと思っている。
ただし「やらなきゃよかった」と思うぐらいならやらない方がマシだとも思っているし「こうなるとは思わなかった」という結果まで含めて、すべて自分の責任として背負えるならば、なんでもやればいいと思っているタイプだ。
だから、最初にあけるときも同じことを思い、それに至った。
身体に穴をあけるということ
穴をあける瞬間、なにか信念めいたものを持ってあけたのを覚えている。
18歳なりに生まれてきたときにはなかった傷を自らの手でつける行為には、何かしらの意味をもたせたかったのだろう。
「穴を塞ぐときは、自分が変わるときだ。」
まるでマンガの主人公か何かにでもなったみたいな気持ちを持ちながら、まるで勇者の選択かのようにバチンとあけた。
多分まだゆるめの中二病だったのかもしれない。
あけるときは少しだけ怖かった。
痛みには強い方だったが、自ら進んで痛みを求めるような趣味はないから。
鏡の前で耳たぶが痛くなるまで氷で冷やして、真っ赤になった耳にパチンッ、とホチキスのような機器で耳を挟んだ。
予想に反して痛みというほどのものは訪れることなく、一瞬で左耳に丸い玉がくっついていた。
嬉しくなってすぐに祖母に見せに行った。
ドレスコードが常に革ジャンの彼女は、孫の耳を見て怒ることもなく
「えぇようにあいとるな。ちゃんと真ん中じゃ。」
そう言って褒めてくれた。
ピアスをあける、なんてひとことも言ってなかった孫の耳を見て
驚くこともなく褒める彼女はまぁまぁクレイジーだと思う。
けれど愛すべき人だ。
単純なもので、褒められるとなんだってうれしいものだ。
その日からワタシの体に穴が一つ増えた。
ピアス穴というのはやっかいなことに、穴がちゃんと定着するまで2週間くらいはそのままにしておかなければいけない。早い人でも1週間くらい。
人の身体は傷を治そうとする力が働く。
穴があけば、それを塞ごうとするのだ。
だから、そこにはずっと金属の棒が刺さっている必要があった。
プラスティックやシルバーだと人体に悪影響を及ぼすということで、ピアッサーのファーストピアスはたいてい医療用ステンレスでできている。
高いやつだと純金もあったかな。
私のは医療用ステンレスだったんだと思う。安かったし。
穴が固定化するまで1〜2週間。
(※穴が定着するまでつけたり外したりしないでください)という旨の注意書きをしっかりと守る程度にマジメだった私に、早速やっかいな問題がふりかかってきた。
トラットリアにはピアスをつけた給仕はいない
ピアス穴をあけた次の日くらいにバイトの面接が決まった。
ランチが2,000円からでディナーのコースは6,000円くらいからの、ちょっとおしゃれで、当時の私が入るには敷居が高い感じのイタリアンレストラン。
多分トラットリアに該当するそのお店のサーブ。給仕係。
ひらたくいうとウェイター。
面接する時にお店の店長にはやはり突っ込まれた。
「そのピアスは外せる?」
最近はそうでもないだろうが今から20年くらい前は、
「飲食店従業員、まして男がピアスなんて不潔ザマス。ヤンキーザマス。」
というイメージが根付いていた。(一応書くが私はヤンキーではなかった)
正直者の私は
「すみません、あけたばかりで今は外すことができないんです。
1週間ほどすれば穴が定着するらしいのでそれまではカットバン貼って店に立たせてもらってもいいですか?」
と面接してくれた店長に伝えた。
店長は若干しぶい顔を見せつつもその場でOKを出してくれ、翌日から早速ホールに出た。
おしゃれなイタリアンレストランは、初めて飲食店で働く私にとってはとても魅力的な場所だった。
ゴブレット・ドルチェ・コントルノ・ピアット・・・
聞いたことのない言葉を沢山覚えた。
料理のもられた皿を片手に4枚持てるようにするには、どう指に挟めばいいのか、そんなことを教えてくれたキッチュでポップな先輩(男)
「ハァイ!コージ!!」といつも陽気なイタリア人(男)がまかないで新しいパスタを作ってくれた時は、ほっぺたに第一関節ぐらい人差し指をめり込ませてヴォーノ!をよくやっていた。
もうひとりイタリア人(男)がいたが、よくハグをしてくる人達だった。
サーブ係の同い年の先輩(女子)がどストライクな見た目だった上に、優しくてしっかりした真面目な子だったから、ちょっと甘酸っぱい片思いをいだいたりもした。(確かそうだったはず)
しっかり覚えていることがあって、ハグはできなかった。(これは確実にそう)
・・・
サーブ係は性に合っていた。
人懐っこくて、お客さんにもイタリア人のようなノリで話す私は、それなりにお客さんにも一緒に働く皆とも馴染み溶け込んでいた。
だけど、おしゃれなトラットリアには、耳にバンソーコー貼った給仕係はやはりちょっと、どうやらよろしくないようだった。
1週間とちょっとしたくらいで店長(男)から呼ばれた。
「穴田くん、やっぱりバンソーコーはちょっと目立つのよ。なんとかピアス取れないかな?」
それはもちろん私も感じていたので、正直1週間よりはちょっと早めに外してみて、穴があいていないかチェックしていた。
けれど、やはりあいておらず結局バンソーコー作戦に戻った。
また、透明ピアスという透明なプラスティック製の飾りのないピアスがあって、バイト2日目くらいに付けたりもしたが、穴がちゃんと空いていないときにプラスティックは穴そのものを傷つけるらしく、すごく痛い上に血が出たりしてとても付けられなかった。
穴をあけてすぐの状態でプラスティックを付けていると、耳と癒着するという情報もあったのでそれも怖かった。ファーストピアスが医療用ステンレスである意味はそこらへんにある。
そういう定着前の付け外しがよろしくなかったらしく、ピアスの穴はまったく定着しなかった。(後日談だが結局1ヶ月近くかかった。)
私は悩んだ。
店長はとてもいい人だったし、まわりの先輩方もみんないい人だった。
男の先輩たちのことはほとんど覚えてはいないが、
同い年の女の子先輩との恋は、がんばったらアルデンテくらいの芯を残して茹で上がるんじゃないの(?)なんて思えることもあったし、
なにより陽気なイタリア人たちのことがとっても大好きだった。
きっと私の前世はイタリア人だったんだと思う。
そんな思いが頭をめぐりつつ、またピアスがあることを許容して雇ってくれた店長にも申し訳ない気持ちがあった。
けれど、18歳の私は穴を塞ぐという選択肢は選べなかった。
穴を塞ぐ時は自分が変わる時。
あけて10日程度で穴を塞げるほど大人ではなかった。
生きていく上では必要ないから
そこからの十数年はだいたい仕事中以外はつけるという生活だった。
18歳のときの思いこみは、ピアス穴と一緒にずっと左の耳たぶにあった。
指輪やネックレスなどシルバーにも興味を持って、30歳くらいまでずっと付けていた。金属アレルギーでチャラいのが嫌いな元嫁と出会い、指輪を外し、ピアスもバンド活動のときだけにしていた。
そして、バンドもやめた頃には身体からすべてのアクセサリーがなくなっていた。そこから一度もつけてはいなかった。
結婚してバンドもやめて、バイクに乗るのもやめたってことは、穴を開けたときからは全くの別人だもんな、穴は塞がるわな。
鏡の前の自分を見て、黒いほくろみたいな穴の跡を見たときに、たまにそんなことを思った。
センチメンタルな過去への憧憬のような、
懐かしいような、寂しいような、そんな感情。
穴が開いていた十数年間、色々言ってくる人もいた。
「そもそも生まれてきた時にあいていないということは、その穴は君にとって必要ないものなんだよ」
生きてきた中で、何人かにそう言われた。
一人を除く全員が自分より年上だった。
決まってフタコト目には、
「親のもらった身体に傷をつけたらたらたらたらたら」
「わざわざ痛い思いをしてどういうつもりもりもりもりもり」
たらたらもりもりと投げかけて下さるお言葉、私の身体についてすごく親身に考えてくださいましてどうもありがとうございます。
ってなことで今から考えるとありがたいお言葉なのだけれど、当時の私からすると「関係なくない?」だった。
(ごめん、やっぱ今考えても別にありがたくないや 笑)
生きていく上で必要のないものをすべて削ぎ落とすなんてミニマリストの極地みたいな生き方ができたら、私はもっとカネを稼いでいるだろう。
始めから存在していないということは、必要ないということ
だとは私は思わない。
私はどちらかというと生きていく上でできた新たな要素を、これでもかというくらい愛でたいと思う性質なのだ。そう、めでたい性格なのだ。
思いの強さ、なのかもしれない
最近、引き出しからお気に入りのピアスが出てきた。
シルバーのものはすぐ酸化してくすむから、鈍色になっていたが、とりあえずしっかり洗浄することに。
小一時間ほど酢に漬けて、そのあとしっかり歯磨き粉と歯ブラシで磨き上げて、クロスでピカピカにする。
磨くとちょっと試してみたくなった。
もしかしたら薄皮はってるくらいで、案外プチっくらいですぐ穴があくかも、なんて思いながら、左耳の黒い跡にゆっっっっっっくりさしてみた。
・・・・・・
針の部分を差し切っても想像していた音は鳴ることはなかった。
耳にあるのは痛みではなくわずかな重み。
薄皮どころか、10年近く何もつけずにいた左耳の穴はどうやら今までずっとあいていたらしい。なんだか少しだけ嬉しかった。
はじめからあいていないということは、必要ないもの。
きっとそうなんだろう。
生きていく上で必要なものならば初めからあいている、という理屈はよくわかる。
だけど、約10年あきっぱなしだったこの左耳の穴は、生まれたときにはあいていなかったけれど、私にとって必要だからそのまま残っていたのだろう。
独り身に戻って、なんだか独立したてみたいな気持ちになっている今だから、もしかしたら本人の意思を汲んで勝手にあいたのかもしれない。
39歳の今、社会的にはピアスをしていることがイタい年齢になってしまった。だから毎日毎時つけることはさすがにしない。
けれど、ひっそりこっそり、たまに一人で趣味の時間のときぐらい、
穴をあけたあのときの気持ちを思い出すように
左耳にわずかな重みをくっつけてみてもいいかな、とか思っている。
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