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中国は自由か否か。食い違う「ウチ」と「ソト」の視点

「中国は自由な国か」と問われたとき、あなたはどう答えるでしょうか。

日本に住み、中国について一般的な知見を持つ人は、「中国は自由がない国だ。国民が選挙でリーダーを選ぶ権利がないし、政府の批判をすることさえ許されない。また、国が国民の個人情報を集めていて、プライバシーもない。そんな国の、どこが自由なのか」と、おおむねこのように考えるのではないでしょうか。

対して、当事者である中国人に同じ質問をすると、その多くは「中国は自由な国だ」と答えます。そのロジックはさまざまですが、ともあれ知る限りでは中国の人々はおおむね、諸外国に比べて中国が特別に不自由だとは感じていません。

この食い違いは、どこから生まれるのでしょうか。

「中国には自由がない」ことへの中国人の各種反論

たとえば「国民が政治を批判できない」ことを指摘されたときの中国人の反応は、9割がた「そんなこと(政治批判)をできなくたって、普通の人は困らない。政府がちゃんとしていればそれで文句はない」というようなものになります。

政府批判ができる自由など、なくたって困らないと言うのが「普通の中国人」の意見です(もちろん、そう考えない人もいますが)。

では「選挙がない」ことに関してはどうでしょうか。中国にはいちおう小さい行政単位においては代表を選ぶための直接選挙がありますが、それらはまっとうな民主選挙としては機能しておらず、その存在すら認識していない人がほとんどです。

しかしこれに関しても、「外国の選挙だって完璧ではない。特定の団体によって操作されたり、政府がメディアを利用して国民を操作しようとしてる。選挙があればいいというものではない」ということで切り返されます。

「政府が情報を集めて、国民を監視している」については? これも同様に、「他の国だって情報を集めたり、監視したりはしている。程度の違いでしかない。それに、政府が情報を集めることで便利になっている部分もある(例:「健康コード」によって個人の位置情報を管理するコロナ対策など)。だいたい、情報をとられても困るのは悪いことをしている人だけで、普通の人には関係ない」というような意見が返ってきます。

つまり、中国において諸外国から「自由がない」とみなされているような要素というのは、多くの中国人にとっては「どちらでもいいこと」、もしくは「程度の問題」としてしか捉えられていません。

この認識のズレこそが、中国における自由を「ソト」から見た場合と、「ウチ」から見た場合の食い違いを生んでいます。

厳しいルールの中のバッファとしての「自由がある」

上記したのは「自由がない」ことへの反論であって、「自由がある」ことの根拠にはなっていません。では、中国の人々は、どのようなことでもって中国での日常に「自由がある」ことを感じとっているのでしょうか。

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