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中国人の「ウチ」と「ソト」が逆転する時とは。高齢者と子どもをめぐって

これまで僕のnoteでは、中国人はおおむね人間関係において「ウチ」に優しく「ソト」に厳しい傾向がある、ということを繰り返し書いてきました。

「ウチ」とは、家族を中心とした自分に近しい人の集合です。中国人の世界観というのは基本的にこの「ウチ」、中国語で言う自己人zi ji renから出発するものであり、自分を含めた「ウチ」にはどこまでも優しいです。

対して「ソト」とは「ウチ」以外のところ、中国語で言うと外人wai renにあたるグループですが、この「ソト」を中国の人々は外敵、あるいは搾取者としてみなすような傾向があります。「ソト」は助けるべき対象ではなく、むしろそこから身を守らなければならない存在なのです。

だからこそ中国の人々は、血縁としての身内(あるいはそれに近いところまで友誼を結んだ人)に対してはどこまでも優しく情熱的なのですが、そうでない人に対しては驚くほど冷淡な振る舞いを見せますし、わざわざ親切にすることも多くありません。

しかし、この「ウチ」と「ソト」への態度が、ある属性の人々を対象にする時については、まったく逆になっているのではないか、ということに気が付きました。

その属性とは、「高齢者」「子ども」です。

「ソト」の老人や子供への振る舞い

中国の人々、相手が老人あるいは子どもとなった場合、それが見知らぬ人(の子ども)であろうと、急に優しくなります。

たとえば地下鉄に乗っていて、お年寄りが乗り込んできたとなれば、座っている人々がわれ先にと言わんばかりに席を譲ろうとします。中国だと本当にどこに行ってもこの光景を見るので、もうほとんど常識といっていいレベルにまで浸透しているのだと思います。

ちなみに先日、日本で暮らす中国人の方とTwitterでやりとりした時、日本で理解できなかった体験はありますか? と聞いてみたところ、「お年寄りに席を譲ろうとしたのに、断られた時」と答えてくれました。それが達成されないと違和感を覚えるほど、中国ではおなじみの光景なわけです。

中国も日本と同じく、老人を敬うべきという価値観が支配的な国ですが、それが「ウチ」と「ソト」に対する規範を超えてまで発揮されていることは、注目すべきなのではないかと思います。

子どもに関しても同様です。それこそ地下鉄では老人が乗ってきた時と同じく、親子連れを見かければみんながこぞって席を譲ろうとしますし、ベビーカーの上げ下ろしを手伝っている光景などもよく見ます。

このへん、Twitterとかいう無間地獄空間で「電車内で泣く子ども」に関する論争が定期的に繰り広げられる日本とは大違いかもしれません。中国の電車の中で子どもが泣いていても誰も気にしませんし、むしろがみんなが心配してくれるか、かまってくれるかです。

また、中国で暮らしている日本人のうち、子育てをしている人の間でよく聞くのが、街中で子どもを連れていると、いろいろな人に「もっと厚着させなさい!」とか、「靴下を履かせなさい!」と声をかけられる、という体験談です。これ、どこかにそういうテンプレートがあるんじゃないかと思うほど、本当によく聞きます。

中国の人は何よりも冷えを嫌うということと、子どもは抵抗力が低いから気を遣うべきだという価値観から人々はそう言っているわけですが、これも「ソト」の人にわざわざ構うことをよしとしない中国の人々が、その規範を超えてまでそうしているというのが、興味深い点のように思います。

かように、それが「ソト」の人であろうと、こと相手が子どもと老人の場合に限っては、「ウチ」の人とおなじような優しさや親切を向けるのが中国人、ということができると思います。

なのに「ウチ」の老人や子供に対しては……

対して、「ウチ」の子どもや老人には、なぜかそれほど優しくないようにも見えるのが、中国人の不思議なところです。

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