一つのことだけやり続けても、語学ができるようにはならない

少し前、Duolingoで英語の勉強を始めた(せっかくなので中国語ベースで)ということを書きました。まだ始めたばかりですが、とりあえず楽しくやっております。ひとつの習慣が定着するには3週間かかるらしいのでまだ油断はできませんが、なんとか継続できそうかな、と思っています。

しかし、これだけやっていても英語ができるようにはならないだろうな、ということも同時に意識するようにしています。今日はそのへんの話を。

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Duolingoのいいところはゲーム感覚で楽しく続けられることと、同じ課題を短時間で繰り返すことで脳に定着しやすいことかな、と考えています。基礎となる単語や構文を身につけるには、もってこいといえます。

しかし、逆に言えばそれ以外の能力——たとえばリスニングやスピーキングの能力や、リーディングでも長い文を読むような能力は身につきにくいだろうな、とも感じます。いちおう聞き取りや発音も課題の中に含まれていますが、簡単な課題が中心のため、それだけやっていても上達は難しそうです。

いちおう中国語をそれなりに使えるようになった人間として思うのは、語学を勉強するにあたっては「これだけやっておけば大丈夫」というような便利な方法はないということです。

それは語学力というものが少なくとも聞く・話す・読む・書くという4つの技能から成るものであり、さらにその技能も細かく色々な能力に分かれているからです。たとえば「話す」という能力一つとっても、その中には発音もあれば、文章を作るための文法力、語彙力というようにさまざまな要素があります。そういった様々な要素をカバーできる、魔法のような学習方法はいまのところ存在しません(もしそんなものがあれば、今頃誰かがそれを使って大儲けしているでしょう)。

結局いろいろな勉強方法を試しながら自分に合ったものを選びつつ、実際に使ってみるという経験を積み重ねなければ、なかなか使いこなせるようにはならないものです。また、漠然と「〇〇語ができるようになりたい」と考えるのではなく、「自分は〇〇語を使って何がしたい」という目的意識を持つことも大事です。

僕が英語の勉強を始めたのは、英語で情報収集ができるようになることがまずは当面の目標です。英語のニュースを読めるようになったり、英語の動画を理解できるようになる能力が欲しいと思っています。

その能力の獲得のためには、おそらくDuolingoだけではとても足りません。Duolingoは「楽しく継続する、英語のことを考える習慣をつける」ためのものだと割り切り、他の勉強方法にも積極的に手を出す必要がります。

とりあえず、やりかけては何度も挫折しているフォニックスの練習をして英語の口と耳を作ることと、簡単な文章でもいいから多読して英語に目を慣らすことかな。とりあえず軽率に色々やり始めようと思います。

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もし英語が少しでも使えるようになったら、また自分の世界が広がると思うとワクワクします。少しずつでも練習を重ねて、できるようになっていけたらなと思います。

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