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草むしりに思うこと

ようやく少し涼しくなってきたので、久しぶりに庭の草むしりをした。
草むしりをしているときに、いつも思い浮かぶイメージがある。大きくて、根がしっかり張って、力を入れないと抜けないような雑草に出会うと、中学生くらいの時に読んだ「ドーム郡ものがたり」の「フユギモソウ」が頭に浮かんでくる。
もう何十年も前に読んだきりで、そのときのおぼろげな記憶でしかないのだけど、植物と戦う少女を思い浮かべてしまう。

私は、個人的には野の草花がそのまま生えている様子も悪くないと思うほうなので、草むしりなんてしなくていいと思ってしまう。
だけど、他の人たちからの目線もあるから、そうもいかない。一応、芝生も植っているから、芝生のためにも雑草は抜いてあげないといけないと思うので、しぶしぶやっている。

我が家の狭い庭でも、年ごとに生えてくる雑草の種類が違うのが面白いと思う。
何年か前までは、カラスノエンドウが庭を覆っていた。カラスノエンドウの豆が弾けてタネをばらまく前に、むしってやらなくてはいけないけど、子供たちが小さかったときは、なかなか草むしりをする時間はとれなかったから、「また生えてきちゃったなー」と眺めていることも多かった。

時間に余裕ができてくると、カラスノエンドウが生えてきたところで抜くようにした。そうすると、いつの間にかカラスノエンドウは姿を消して他の草が増えてきた。
一時期はネジバナがたくさん咲いていた。かわいらしくて、そのままにしておきたいくらいなのだけど、雑草を私個人の好き・嫌いで抜いたり残したりするのは公平じゃないから! と、自分に言い聞かせて引っこ抜く。
かわいいネジバナがたくさん咲いていたと思ったら、今度はスギナだらけになった。スギナはしぶとくて、何年も何年もじゃんじゃん生えてくる。
スギナだけじゃなくて、つくしも生えてくればいいのに! と思っていたら、この1〜2年でつくしも生えてくるようになった。
つくしが生えたり生えなかったりするのは、まだなぞが多いみたいなのだけど、中学生がつくしについて研究したというのを見て、「調べようとする人がいるんだ!」と尊敬した。
https://www.shizecon.net/award/detail.html?id=390

生えてきたつくし、食べてもいいのかもしれないけど、うちの庭の土壌がどんなものかも分からないし、なんとなく怖くて手をつけないままでいる。
安全だと分かったところで、我が子たちは食べてくれなそうだけど。

今年の自粛期間中に、ずっと家にいて時間がたっぷりあったし、子供たちとも夫とも、ずっと一緒に過ごしているとストレスが溜まりまくっていたので、息抜きに草むしりをすることが多かったこともあって、最近はスギナの姿があまり見られなくなってきた。

今年デビューしたのがコニシキソウ。今まで見たことがなかったのに、今年から急に姿を見るようになった。8月1日に、植木屋さんに庭をきれいにしてもらったときにはひとつも見当たらなかったのに、その後も猛暑でわさわさと生え始めて、雨の恵を受けてぐんぐん成長してしまっていた。
今日はそのコニシキソウを退治した。

草をむしりながら、思う。
「この庭の生態系は、私が草を抜くことで変化しているのではないか?」と。
もし、カラスノエンドウが生えていたままにしていたら、今でもずっとカラスノエンドウだらけの庭だったのかもしれない。だけど、私が抜いてしまうから、また別の草が生えてきて、生態系が変わっていくのかもしれない。
考えても分からないことを毎回考えながら、今日も草をむしっていた。


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