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塾の常識を超えた新しい塾?

こんにちは。
「究極の塾経営突破術」
「究塾」の石原です。

入江塾の話が続きました。
振り返りながら、入江伸先生がまだお元気で目の前で叱咤激励されている錯覚に陥ってしまいました。
頑張らねば…

入江伸先生の薫陶をうけたことと、塾の仕事を選んだこととはつながっていたのですね。今になってわかりました。

入江伸先生に合掌。

ありがとうございました。

あなたは、どんなきっかけで塾の仕事を始めましたか?
長年仕事を続けていると、自分の原点に戻ることは大切なことですね。

ところで、「モンシン」の1960年第4刷版を某オークションで落札しました。当時の定価は90円でした。
一人でニヤニヤ眺めるだけでなく、今度、高校に入学する愚息に解かしてみようかなと密かに企んでいます。(笑)

いよいよ、6年間お世話になった塾をやめることになりました。
若気の至りとしか言いようがありません。
今なら、もっと違った立ち回りがあったかもしれません。

いい塾でした。長く続きました。

以前書いた通り、見学をさせていただいた塾が京都に進出することになりました。全くの偶然です。
すでに存在していたある京都の塾さんからの提携話がその塾にあったからです。

いてもたってもいられませんでした。
首都圏で評価されている指導システムに「関西の塾魂」を注入すれば理想の塾ができると確信していたからです。


期待に胸をふくらませ教室に着任しました。
4校同時開校。
私が着任したのはもともとあった地域に引き続き開校した2教室のうち、何校かをやや強引に駅前の新築物件に集約した教室でした。
残りの2校は今まで教室のなかったところに新規開校でした。

なぜ、その教室に配属になったのか、すぐにわかりました。

あなたは、想像がつきますか?

タフな教室でした。
あと一週間ほどで春期講習というタイミングでしたが、今教えている先生方が学期最後の授業が終わるたびに「お世話になりました」と言ってやめていってしまう。
埋まらないコマがあるので採用した先生方はみんな新人!

春期が始まるまでに毎日何通か「退塾届」が郵送されてくる。
ある退塾届には裏までびっしりとクレームが書かれていました。
延々と今までの対応の不備についてお叱りが書かれてありました。

暗澹たる気持ちになりました。

春期講習の出席表を作りながら果たして誰が本当の塾生なのか始まってみないとわからない状態でした。

魂の注入どころの騒ぎではありません。塾としての体をなしていませんでした。

まずは、自らがすべての子供たちを受け止めていくしかないと思い必死で行動しました。
塾の仕事を始めたばかりの頃よりハードでした。


「塾の常識を超えた新しい塾」
チラシのヘッドコピーはこんな感じでした。教室地図の横には教室ビルのパースが添えられている…
当時はバブル期でした。教室のビルも斬新なデザインでした。
何かわからないけど魅力的…

パンの消費量の全国1位が京都で「コーヒー」の消費量も1位。
「合理的で新しもの好き」が理由。
などと言われるのを見聞きしますが確かにそんな側面はあるかもしれません。

マーケティング的には正解だったと思います。

現場ではそのマーケティングとのギャップというか…氷河の裂け目…をいかに越えていくのか無我夢中でした。

その時、思ったこと。

働く環境を変えても実は何も変わらない。その時、その時に自分に必要な試練が待っているだけだ。素直にそれに立ち向かい、課題解決することがすべてだと。少し浮かれていたのかもしれません。
天下のあの塾の一員になったことは偉くなったこととは違うということ。当たり前のことですが妙に腑に落ちました。
素直に頑張ろうと思えました。

教室のすぐ近くにある、おいしい土鍋シチュー屋さんの日替わりランチ弁当が毎日の唯一の楽しみでした。ビーフカツ弁当の時は最高でした!!

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